第2話 これ、どこに使うの
「これ、どこに使うの」
浅利さんは箱を抱えたまま、カウンターの向こうで動かない。
俺の前に並んでいた若い客にも、同じことを聞いていた。コネクタを二つ買いに来た学生で、自作のアンテナに使うと答えると、浅利さんは棚の裏から別の袋を出して「そっちの型のほうがいい」と押しつけた。用途を言わない客には、この人は何も売らない。
秋葉原の裏通り、間口二間の部品屋。棚は天井まであって、通路は人がすれ違えない。半田と埃と、古い紙の匂いがする。夏でも扇風機が一台しか回っていない。
「第三十八層です」
浅利さんの手が止まった。箱の角がカウンターに触れる寸前で、そのまま数秒、宙に浮いている。
「……三十八」
「はい」
「まだ埋まってなかったのか、あそこ」
「去年から空いてます」
彼は箱を置いた。棚を振り返りもせず、後ろへ手を伸ばして紙のテープを取る。この人は在庫の場所を全部覚えている。二十年通っているが、棚を見て探しているところを見たことがない。
「二台でいいのか」
「二台で」
「一台の予定じゃなかったの、兄ちゃん」
「そうなんですけど」
財布の中身は十九万と少し。二台で十六万。残るのは三万円になる。家賃の引き落としが二十七日で、その前に一件、中層の保守が入っている。回るかどうかは、その一件が飛ばないかどうかにかかっている。
「一台だと、三十八層に据えて終わりなんです。二台あると、三十七層の古いやつを入れ替えて帰れます。あれは2016年のやつで、電池がそろそろ持ちません。三十七層が落ちると三十八層も一緒に落ちますから、新しいのを一台据えても意味がなくなるんです。二回に分けて降りるより、一回で済ませたほうが往復ぶんの体力と食料が浮きますし、危ないのは行き帰りなので、行き帰りの回数を減らすのが一番効くんですよ」
「そこまで言ってねえよ」
言われて、口を閉じた。技術の話になると、こうなる。毎回、あとで気づく。
浅利さんが伝票を書き始めた。ボールペンの先が紙に食い込む音がする。
「八万。まけねえよ」
「はい」
「五年、値段変えてねえんだ。買うやつが少なすぎて、下げる理由がねえ」
俺は現金で払った。カードは使わない。使うと、月の途中で自分がいくら持っているか分からなくなる。
箱を二つ、持ってきた台車に載せる。一つ十一キロ。中身は防塵防滴の据置型で、外装は灰色。何の変哲もない金属の箱だ。
昨日、配信で第二十八層の攻略を見た。同時に十二万人が見ていた。あの映像は第二十八層から地上まで、途中の節点をひとつずつ経由して上がってきている。二十八層のぶんを据えたのは2018年の俺で、二十四層のは2016年の俺だ。
そう説明したところで、たぶん誰も面白いと思わない。
「おい」
浅利さんが、袋にケーブルを一巻き放り込んだ。同軸の太いやつ。三千円はする。
「これはおまけ」
「いや」
「持ってけって」
「浅利さん」
「三十八層のは、湿気るぞ。芯まで来る」
「はい」
「一人か」
「はい」
彼は伝票の束をめくり始めた。次の客のぶんを探しているらしい。そこで話は終わりだった。十五年、この人とはいつもここで終わる。
礼を言って店を出るとき、奥の壁が視界に入った。
作業服が一着、ハンガーに掛かっている。紺の上下。胸のところに刺繍がある。埃をかぶっていて、肩の線が白い。あそこに何年掛かっているのか、俺は知らない。
見ないことにしている。二十年、そうしている。
◇
作業場に戻って、土間に新聞紙を敷いた。
箱を開ける。緩衝材の下から灰色の筐体が出てくる。まず外装のねじを一本ずつ増し締めする。工場出荷のトルクは坑内を想定していない。降下中の振動で、必ず緩む。
筐体の側面に刻印がある。
AJ-0471。
AJは網代のAJではない。社の資材コードで、Aラインの実装、という意味だ。十五年前に初めて見たとき、自分の名前と同じだと思って少し得をした気になった。それだけの話だ。
周波数の割り当てを組む。第三十七層の上位ノードが使っている帯と重ならないように、三十八層のぶんを下へ二段ずらす。魔素は特定の帯と共鳴して電波を熱に変える。深いほど濃く、深いほど食われる。第一層で問題ない出力が、第三十層では百万分の一になる。
だから、短い区間ごとに置いて渡していくしかない。一台でカバーできるのは、一階層か、条件がよくて二階層。
第四十七層に映像を通すには、第一層から第四十七層まで、全部の節点に機材が据わっていなければならない。一箇所欠ければ、そこから下は全部圏外だ。
電池の逆算をする。据えたあとに人が触れない前提で、坑内仕様の電池は三年半持つ設計になっている。実際は湿気と温度で二割は減る。三十八層は湿度が高い。三年と見る。
計画をノートに書いた。
六月四日、午前5時入坑。第二十層で点検一件。第三十七層で交換。第三十八層で新設。片道およそ十三時間。復路は電池を使い切らないこと。
背嚢に、青焼きの図面を一枚入れた。棚の上から下ろして、丸めずに、書類ケースに挟んで背中側へ。据えに行く日は、必ず持っていく。中を見ることはほとんどない。
最後の一行を書いたところで、携帯が鳴った。
◇
須賀原からだった。
「あの、網代さん、すいません、今いいですか」
「うん」
「引き継ぎで、手順書の話になってて」
「棚のやつ」
「はい。あの、外注さんに渡す前に、確認しろって言われて。それで、僕、あれずっと読んでたんですけど」
彼が息を継ぐ音がした。
「網代さん、これ、誰が書いたやつなんですか」
「ああ、それ」
「表紙、白いんですよ。何も書いてなくて」
「そうだね」
「作成者の欄もなくて。総務に聞いたら、そんな文書は登録されてないって言われて」
「昔からあるやつだから」
嘘は言っていない。俺が入社した年に、当時の課長が使っていた薄いファイルがあって、そこに継ぎ足していったら十五年で厚くなった。誰かが書いたというより、たまってきたものだ。
「そうですか」
須賀原は納得していない声を出した。それ以上は聞いてこない。彼はいつもそこで止まる。
「あの、もう一個あって」
「うん」
「外注さん、第二十層より下は行かないって言ってるんですけど」
新聞紙の上で、ねじ回しが転がった。
「言ってた?」
「はい。契約の範囲外だって。第二十層までが定期保守で、それより下は都度見積で対応しますって」
「都度って」
「依頼があったら行くってことだと思います」
「依頼は、誰が出すの」
電話の向こうで、須賀原が黙った。
「……たぶん、誰も出さないです」
深層の回線が落ちたと気づくのは、深層に降りている人間だけだ。深層に降りている人間は、落ちた回線で連絡ができない。だから依頼は上がらない。上がらないから、行かない。
「そうなんだ」
「網代さん、これ」
「うん」
「言ったほうがいいですか、梶原さんに」
「言っても、契約はもう決まってるよ」
「じゃあ」
「須賀原」
「はい」
「手順書、読んでるならそのまま読んでていいよ」
電話を切った。
俺はノートを開き直して、明日の予定に一行足した。第二十層の点検の下に、第二十五層の中継機の電池残量も見る、と書く。
行きがけに寄れば十分で済む。十分で済むうちに見ておいたほうがいい。
背嚢を詰め終えて、フックにかけた吊り秤で重さを量った。
二四・六キログラム。
俺が持って降りられる限界は、二十五キロだ。あと四百グラム。水を一本足したら超える。
シャッターを半分だけ下ろす。運河のほうから、鉄と潮の匂いが入ってくる。
明後日、五時に入る。




