五日目(下)
車窓に広がる、憎いまでに鮮やかな橙色の光に目を細める。私の気も知らないくせに、と心の中で呟きながら。
「お土産買うのにおすすめのお店とかある?」
聞いてから、しまった、と思った。彼は最上階の人間だ。ふむ、と顎に手をあてた彼に、由美は緩く首を振った。
「いや、ごめん、やっぱり大丈夫。そのかわり、お土産選びに付き合って」
「ああ。勿論だ」
空港にある免税店で、観光ノートの最後の一ページをなぞるようにお土産を選んでいく。キースはキースで、あまりこういった買い物はしないのか、思いの外楽しそうだった。
「自分への土産は?」
「んー、服とか、キースに貰ったし、もうそれがお土産かな。本当、ありがとう。それに、思い出があるしね」
ちょっとキザだけど、本心だ。余りにも濃い五日間であった。そんな由美に、彼は猫可愛がりするように、チョコレートや紅茶の茶葉を由美に押し付けてくる。いつ買っているのだろう、これが紳士のスキルの一つか、といつの間にか増えていくお土産に呆れを通り越して感嘆した。
最後の一人のお土産を買い終わると、途端に沈黙が落ちる。空港内の、あまり人気のない廊下。近くにある窓から、もう黄昏色は降ってこない。
「楽しかった、本当に、本当に楽しかった」
由美は、ぐっと手に力を込めた。爪が掌に食い込む感触が、いっそ毒々しいまでに彼女の感情を代弁している。
「ああ、僕も。夢のようだった」
それからキースは、当たり前のように由美に一枚の紙切れを差し出した。名前、電話番号、メールアドレス。そういうものが羅列されている。
由美は、一瞬目を閉じた。ぐっと歯を食い縛り、ゆっくりと首を振る。
昨日の夜を思い出す。自室に戻った彼女は、ワイン一杯と葡萄少しで、確かに自分の気持ちと戦ったのだ。
彼のことが好きなのだろうか。
彼のことを思うと脈が速くなるし、顔が熱くなる。胸が甘くて、苦い何かに支配される。きっと好きだ。きっと。
――本当に?
そんな声が、どこかから聞こえてくる。
本当に、彼のことが好きか?
自己満足ではないか。
エゴではないか。
酔ってはいないか。
溺れてはいないか。
憧れでも、尊敬でもなく、ちゃんと、本当に、好きなのか?
理想が服を着ていると、彼の存在を虚像に落とし込み、ただそれにときめいているだけの、余りにも浅はかな感情ではないか?
何故、こうまでも自分の気持ちを疑うのだろう。由美は自分の心に尋ねる。どうして素直に気持ちを受け止められないのだろう。
彼に釣り合わないと思ってる?
住む世界が違うとか、そういうことで躊躇ってるの?
由美は首を振った。
由美は、人並み以上には自尊心を持っている。自分は幸せになる価値のある人間だと思っているし、幸せに飛び込むことに何の迷いもない。だから、あいつとあの子に裏切られたことが、こんなに堪えたのだ。脇目もふらず異国の地に飛び立とうと思うくらいに。
(……あ)
由美ははっと目を見開いた。
ああ、今の自分は、とても弱いのだ。アメリカまで逃げてきた。遠方の地で、話を聞いてくれる人を探して。誰でもよかった。ただ慰めが欲しかっただけ。ただそれが、キースであっただけ。
由美は心のどこかで、無意識にこのことを理解していた。だからこそ、この気持ちが恋である、と認めることができない。
弱っている時に、穴を埋めるように恋にすがり付くなど、由美の矜持が許さない。これを恋だと認めた瞬間、プライドがずたずたにされてしまう。なまじ自尊心が高いだけに。
(でも、好き)
そう、それでも彼のことが好きだと断言できるからこそ、さらに厄介だ。
『着飾って、香水を振り掛けて、言い寄ってくる女に呆れているだけだ』
初日に聞いた、彼の言葉が胸を貫く。女の本質は――特に醜い部分は――皆そう変わらない。上手く隠しているか、いないかの違いだ。良い女というのは、きっと、自分は醜い感情なんて持っていないのだ、と自分さえ騙せる女だ。由美は生憎、良い女ではない。
由美は自分を省みた。無邪気を装ってキースに笑いかけて、結局、その顔の下で媚びへつらっている。着飾って、香水を振り掛けて、彼に言い寄る女と、一体何が違うのだろう。
お、ん、な。優しく籠る“お”、それからそっと唇を閉じて、強かささえ感じる“な”に行き着くまでのこの湿っぽさ、艶っぽさ。
響きがもう、そこに女の本質というものを浮き彫りにしている。
由美はゆっくりと目を閉じて、思考の海に飛び込んだ。
世界で一番幸せになってほしい。できることなら、彼の幸せと共にありたい。彼を幸せにするのは、私でありたい。
でも、弱く未熟で、幼い今の私では、無理だ。無償の愛を捧げたいと思っていながら、見返りを求める自分の浅はかさを痛感することに、由美は耐えられない。好きだからこそ、彼の手を取れないのだ。
由美は、キースの手にある紙切れから目を放して、ゆっくりと顔をあげた。灰碧色の瞳の奥に、確かに情熱的な炎が宿っている。
「キース。好き。大好き。……あなたのことが、好きなの」
そう、女はずるい。正の感情よりも負の感情のほうが心に残るのならば――。彼の幸せを願いながら、自分の存在を彼に刻み込む為に、彼を絶望の淵に突き落とそうとする。
愛と憎しみは表裏一体。これが、恋愛を苦しくさせる要因なのかもしれない。
「でも、ごめんなさい」
由美はそのまま駆け出した。キースのそばに、彼女の残り香だけが漂っている。由美は走りながら、悲劇のヒロイン気取りですか、と自分に問いかける。そうかも、と頷いて、零れ落ちる涙を拭おうとはしなかった。
奇しくも、由美の座席は窓際であった。ぼう、と星が瞬く夜空を眺める。留めなく流れる涙が、視界をぼやけさせているけれど。
馬鹿だなぁ、と由美は苦笑した。玉の輿も玉の輿じゃないか。ハイブランドを買い漁ったり、バカンスに連れて行ってもらったり、利用するだけ利用するというのも……と、そこまで考えて首を振る。
やっぱり、無理だ。惚れたら負け、は真実である。
忘れられない五日間になった。そっとハンカチで目を抑えて、ん、と伸びをする。鈍い眠気に従って、目を閉じた。
短いです。
今年受験生なので、更新遅くなります。




