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4.Meaning of the sanctuary

 彼と私がいわゆる一線を越えて、そう言う仲になるまでにそう時間はかからなかった。

 何もかも似ていないのに、心のどこかがとてもよく似ているようで、私たちは惹かれあわずにいられなかったようだ。

 相変わらず彼は謎に満ちていたし、私はそれを詮索しようとも思わない。そんなことをして、関係を変化させることも嫌だったし、私はこのままでいいと思っていた。

 ふらりと気が向いたときに彼がやって来て、私はそれを当たり前のように受け入れて、彼の時間が許す限り一緒にいる。

 たとえ外で彼がどんなことをしていようが、それこそ他所に愛人や恋人を作っていようが、シリアルキラーさえ震え上がるほど大勢の人間を殺していようが一向に構わなかった。だって、私と共にいてくれる時の彼は私のものであり、またその彼が私にとって真実の彼であるのだから。


 するりと乾いた衣擦れの音に目が覚めた。

 カーテンの隙間から漏れてくる朝の光はまだ弱々しく、時間がまだ早朝であることを示していた。

 隣にあったはずの温もりがない。


「テオ? ――んっ……」


 半分寝ぼけながら名を呼んだ途端、暖かい唇が落ちてきた。ついばむように何度か唇を食まれた。


「起こしてすまない。まだ早いからもう少し眠るといい」


 優しい声が耳元で囁き、私はくすぐったさに肩を竦めた。


「私も起きるわ。テオはもう出かけるんでしょう?」

「ああ。急用が出来てね」


 彼に尋ねながらベッドサイドのボタンを押してカーテンを開ける。途端、眩しい朝の光が部屋いっぱいに零れた。

 綺麗に身支度を整えた彼が朝日を纏いながら、穏やかに笑っている。

 彼の手にはスーツの上着。私の家の中で、彼はそれを羽織らない。

 その理由を私は誰に教わることもなく知っている。迎えに来た車に乗り込んだ後、彼は鈍く重い銃の入ったショルダーホルスターを身に着けるからだ。そしてそれから上着を羽織る。

 初めて会った日もそうだし、その後も彼は銃を携帯しないで家を訪れるから、厳密に言えば私は彼が銃を持っているところをこの目で見たことがない。時折、独特の煙の匂いを纏ってやってくるので、きっと外ではそう言うことを生業としているんだろう、そう類推しているだけだ。

 送迎の車を降りて私の家まではとても短い距離だけれども、殺伐とした世界に身を置いている彼にとって丸腰と言うのは不安ではないのだろうか? そう思うこともあるけれど、彼には彼の考えがあってそうしているに違いないから尋ねはしない。


「君の淹れたコーヒーぐらい飲んでから出たかったんだけど、残念だよ」


 唇を尖らせて他愛もない不平を洩らした後、彼はもう一度私にキスをした。

 私はそれを受けながら、叶わないと知りつつ別れの時が少しでも遅くなればいいと願う。

 けれどそれはやっぱり叶うことがなく、遠くから微かに聞こえてきた車のエンジン音が見る間に近づいてきて、私たちを引き離そうとする。

 唇を離すと彼は忌々しそうな舌打ちをひとつ、そして諦めたようなため息をひとつ零して私から離れた。


「そろそろ行くよ、マリー。じゃあね」

「ええ。気を付けてね、テオ」


 彼のシャツの袖を引っ張れば、彼は少し身を屈ませる。私はその彼の頬に自分から口づける。これが私たちの別れの挨拶だ。


 朝霧の中、黒い車が一台、ひっそりと停まっている。私はその車に迷わず近づいて行テオの姿をカーテンの隙間から眺めて、彼の名を唇から零した。


「テオ……」


 その名が本当に彼の名前なのかどうかさえ私は知らない。

 私が彼をそう呼んで、彼が笑って振り向くならそれでいい。名前なんてただの記号。真偽なんて要らない。


 私は彼を愛している。

 彼が何かを隠すと言うならその秘密ごと包みたい。

 

 だからこれでいい。彼が疲れた時に私を思い出し、ふらっとこの家にやって来てくれればそれでいい。それ以上を望んではいけない。

 私といる時ぐらい、彼にはただのテオでいて欲しい。日常と完全に乖離(かいり)した彼の隠れ家。そうありたい。


 時折、テオはここから私を連れだして、彼のそばに置きたいと言う。だけれどそれは彼が本当に羽根を休める場所を失ってしまう事を意味するのではなかろうか。中途半端にそばにいたら、私も彼もお互いを見失ってしまう。そんな気がして私は彼の勧めに頷けない。


 私はここにいる。

 いつ来るか分からないテオを待ちながら、ひっそりと暮らす。傍目には寂しい暮らしに見えるかもしれないけれど、私は幸せで、きっとこれからもずっと幸せだ。


 「行ってらっしゃい」も「またね」も言わない。次の逢瀬を約するようなことは決して告げない。

 彼の口からも、出会ったあの日以外に次の約束が出たことはない。

 次の約束ほどあてにならないものはない――彼はそんな生き方しか出来ない人だ。いつ凶弾に倒れるか分からない危うい世界を自由に飛び続けている。

 そんな彼に枷をはめるようなことは言わないほうがいい。枷は呪縛となって彼を縛り、いつか命を脅かす。 


 そんな枷などなくたって、彼は私のところにやってくる。

 ねぇ、それはどんな睦言よりも甘い誘惑ではない?


 




お読みくださった皆様、お題をくださったまめ様、ありがとうございました。

明るい未来が予想されるハッピーエンドとは少し違うかもしれませんが、これはこれで一応二人の関係に結論が出ておりますので完結と致します。

もう少し甘い後日談も考えているのですが、今のところ執筆の目処は立てておりません。

もしかしたら忘れた頃に、ぽろっと後日談を投下するかもしれませんので、その際はまたよろしくお願いいたします。

(本編中に残酷表現がないのにタグを付けておりますのは、後日談が血生臭い話になりそうなので保険です)


宜しければ感想等お寄せいただければと存じます。


本日の活動報告に裏話的なものを少し書かせていただきましたので、良かったらご覧くださいませ。

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