第7話:最奥のクリスタルと、ちょっぴりマッドな赤城主任
第4フロアの激戦を終え、瓦礫のアーチをくぐり抜けた先に広がっていたのは、これまでの薄暗い鍾乳洞とは別世界の空間だった。
「……うわぁ……。」
私の口から、感嘆とも吐息ともつかない声が漏れた。
そこは『第5フロア』。第一層の最深部。
磨き上げられた古代神殿の石畳のような床が広がり、壁面には幾何学模様のレリーフが青白い光を帯びて規則正しく刻まれている。
空気はひんやりと澄み渡り、モンスター特有の生臭さや魔素の濁りは一切感じられない。
部屋の中央には、宙に静かに浮遊する、高さ三メートルほどの巨大な八面体の結晶――【帰還ポータル】が鎮座していた。
そのクリスタルから放たれる柔らかな光は、まるで水面の反射のように神殿の天井を優しく照らしている。
そしてその奥には、さらに地下深く――漆黒の闇をたたえた第二層へと続く、巨大な石造りの螺旋階段が口を開けていた。
「あれが……あかねさんの言っていた、空間転移の結晶体か。」
橘一尉が感嘆の声を漏らし、慎重に歩み寄る。
熊倉二曹も巨大なタワーシールドを下ろし、息を呑んで見上げていた。
「すげえな……本当にゲームのセーブポイントそのまんまじゃねえか。お嬢さん、これ、どうやって起動するんだ?」
「えっと……【万象識別】!」
私が結晶体に意識を集中させると、青い光の文字が頭の中に鮮やかに展開された。
『名称』:第一層・転移の礎(帰還ポータル)
『状態』:休眠中(接触により認証・起動可能)
『機能』:地上ゲートおよび解放済み各層ポータルとの双方向空間転移。周囲半径二十メートルを絶対安全領域として維持。
「触れるだけでいいみたいです! 私たちの魔力波長を登録すれば、地上とここを一瞬で行き来できるようになります!」
「よし、やってみてくれ、あかねさん。」
橘一尉に促され、私はおずおずと手を伸ばし、冷んやりとしたクリスタルの表面に手のひらを添えた。
その瞬間――。
フォォォォン……!
澄んだ鐘のような和音が神殿全体に心地よく響き渡った。
クリスタルが内側からカッと眩い蒼光を放ち、私の胸の霊核、そして背後の橘一尉と熊倉二曹の身体へ、淡い光の糸がスッと伸びて結びつく。
『――第一層・転移の礎の起動を確認』
『登録個体:笹貫あかね、橘玲香、熊倉剛』
『地上ゲートとの空間接続を確立しました。いつでも転移が可能です』
「成功……ですね!」
私が振り返って笑いかけると、橘一尉が胸元の通信機に手を当てた。
「橘より前線本部。聞こえるか。……通信は依然として不通か。あかねさん、このままポータルを使って地上へ帰還しましょう。第一層の完全踏破とポータル確保、任務完了です。」
「了解っす! いやあ、歩いて戻らなくていいってのは本当にありがてえぜ……!」
熊倉二曹が肩を回して安堵の息を吐く。
三人でクリスタルに手を重ね、「地上へ転移」と強く念じた。
視界が真っ白な光に包まれる。
身体がふわりと浮き上がり、胃袋がひっくり返るような一瞬の無重力感のあと――。
ザァッ、と冷たい地上の風が頬を打った。
---
「……帰って、きた……?」
目を開けると、そこは先ほど出発した霧島第一ダンジョンのゲート前広場だった。
サーチライトの眩しい光、ディーゼル発電機の唸る音、そして迷彩服を着た自衛隊員たちの慌ただしい足音。
ゲートの目の前に突然現れた私たちを見て、周囲の警備隊員たちが一斉にざわめいた。
「おい、見ろ! ゲートから光が……!」
「橘一尉! 熊倉二曹! それに笹貫さんだ! 無事だったのか!?」
「全員、銃を降ろせ! われわれだ!」
橘一尉が凛とした声で制止し、ヘルメットの顎紐を外す。
その横で、私は背負っていたリュックを地面に下ろし、へたり込むように息を吐き出した。
全身の緊張が一気に抜け、頭の上の狐耳がペタンと寝てしまう。
「ふぅぅ……疲れたぁ……。」
「がはは! お疲れさん、あかねのお嬢さん! 最高の初陣だったぜ!」
熊倉二曹が豪快に笑いながら、パンパンに膨らんだダッフルバッグをドスンと地面に置いた。
その金属音とガラスの擦れ合う音を聞きつけて、広場の奥に設営されていた大型プレハブ――「防衛省・特異事象科学研究所」の扉が、勢いよく蹴破るように開いた。
「戻ったのねッ!? 霧島ダンジョンの初潜入部隊が!!」
甲高い、だがどこか狂気を孕んだ鈴を転がすような美声が広場に響き渡った。
バサリと白衣を翻しながら、猛烈なダッシュでこちらへ向かってくる人影がある。
膝丈までの白衣の下には、身体のラインがはっきりとわかるタイトな黒のタートルネックとスラックス。
肩口で無造作に切りそろえられた濡れ羽色の黒髪に、縁なしの細い眼鏡。
鼻筋の通った誰もが見惚れるような怜悧な美女――なのだが、眼鏡の奥の琥珀色の瞳は、獲物を狙う猛禽類のようにギラギラと怪しく発光していた。
「ひっ……!?」
あまりの勢いに私が身を引くと、その美女は私の目の前で膝をつき、両手で私の両肩をガシッと掴んだ。
「貴女ね!? 笹貫あかねさん! 日本で唯一、世界でも五人しか確認されていない神話級進化個体『霊狐』の被検体……あ、いえ、協力者様は!!」
「は、はい!? あ、あの、どちら様ですか……!?」
「失礼、自己紹介が遅れたわ! 私、防衛省・統合特異研究所の主席研究員を務めている、赤城燈よ! 燈って呼んでちょうだい!」
赤城主任――燈さんは、早口でまくし立てながら、至近距離から私の顔をまじまじと観察し始めた。
顔が近い! 吐息がかかりそうな距離だ。柑橘系の香水の匂いの奥に、微かに薬品の香りがする。
「素晴らしいわ……! 皮膚表面の魔素の透過率、角膜の微小発光、それにこの頭部の付属器官! ちょっと触らせてちょうだい!」
「ひゃんっ!?」
燈さんの細く冷たい指先が、容赦なく私の狐耳の付け根をモフッと撫で回した。
不意打ちの刺激に思わず情けない声が漏れ、尻尾がボワッと三倍くらいに膨れ上がる。
「ああっ、ダメです赤城主任! あかねさんが怯えています!」
橘一尉が慌てて割って入り、燈さんの手を私の耳から引き剥がした。
しかし燈さんは全く悪びれる様子もなく、むしろ手についた感触を反芻するように指先を擦り合わせ、恍惚とした笑みを浮かべている。
「毛密度、保温性、そして触れた瞬間に私の体内の微弱な魔素が共鳴するこの感覚……! 生物学の常識が粉々に吹き飛ぶ快感ね! ああ、いますぐ毛根を三本ほど採取して遺伝子配列を顕微鏡で舐め回したい……!」
「主任、自重してください。彼女は未成年の民間人協力者です。これ以上のセクハラじみた言動は警察を呼びますよ。」
「冗談よ橘一尉、冗談! 学術的好奇心がちょっぴりオーバーフローしただけじゃないの!」
けろりと言ってのける燈さん。ちょっぴりどころの騒ぎではない。完全にマッドサイエンティストの目だ。
呆れた顔の熊倉二曹が、足元に置いていた二つの大荷物をドサリと前に押し出した。
「おいおい赤城のセンセ、お嬢さんを弄ぶのはそのくらいにしとけ。それより、ほらよ。お目当ての『お土産』だ。腰抜かすんじゃねえぞ。」
「お土産……? まさか、第一層のモンスターの組織片かしら? ドローン調査では表皮のサンプルすら回収できなかったのよ。数ミリグラムでもあれば万々歳――」
燈さんが何気なくダッフルバッグのジッパーを開けた。
そして、その動きがピタリと止まった。
「……え?」
眼鏡が、ツツ……と鼻梁を滑り落ちる。
バッグの中から溢れ出たのは、漆黒の光沢を放つ見事なホーンラビットの角が十数本。
一切の傷や汚れのない、ビロードのように真っ白な上質の毛皮が何枚も重ねられ、その隙間から、紫や青に怪しく輝く魔石の結晶がジャラジャラとこぼれ落ちていた。
「な……な、な……、」
燈さんの口がパクパクと金魚のように開閉する。
さらに私が自分のリュックを開けると、そこには保存袋に小分けされた『月光苔』、泉のほとりで採取した『浄魔草』、そして熊倉二曹に割ってもらった『水霊の魔鉱石』が、所狭しと詰め込まれていた。
「……な、何なのよこれえええええぇぇぇぇぇっっっっ!?!?」
山あいの静寂を切り裂く、本日一番の絶叫。
燈さんは膝から崩れ落ち、震える手で『浄魔草』の袋を抱きしめた。
「純度……純度が異常よ! なぜ魔素の劣化が起きていないの!? 採取から時間が経てば、通常は空気中に霧散してただの雑草になるはずなのに、細胞が完全に生きているわ! それにこの鉱石、水属性の魔素吸蔵率が理論上の限界値を突破してる……! 角も毛皮も、解体痕が一つもない……!? まるで、最初からこの形の部品として生まれたみたいじゃないの!!」
「あ、それはですね……。」
私が恐る恐る口を挟む。
「私のスキル【万象解体】のおかげなんです。倒したモンスターが光になって消える瞬間に、魔素の還元効率を最適化して……一番いい状態の素材をドロップさせるみたいで。」
「ドロップ……!? 素材の最適化……!?」
燈さんがバッと顔を上げた。
眼鏡の奥の琥珀色の瞳が、もはや爛々と燃え盛る炎のようになっている。
「笹貫あかねさん……貴女、自分が何を持ち帰ったか分かっているの!? この『浄魔草』の成分を抽出できれば、未覚醒の隊員たちを苦しめている魔素中毒の特効薬が作れるわ! この『魔鉱石』の耐熱特性があれば、ダンジョン内部で通信可能な特殊ケーブルや装甲板が開発できる! そしてこの魔石の量……! 我が国のエネルギー安全保障を根底から塗り替えるだけの『新資源』よ!!」
立ち上がった燈さんは、両手を広げて天を仰いだ。
「神よ、八咫鏡よ、感謝します! まさかこれほどの宝の山を、たった一回の先行調査で、しかも女子高生一人の手で持ち帰ってくるなんて! ああ、素晴らしいわ! 美しい! 最高よ、あかねちゃん!!」
「ひゃああっ!?」
突然、正面から抱きしめられた。
白衣の柔らかい布地と、燈さんの細い腕が私の身体をぎゅーっと締め上げる。
私の背中では、押し潰された尻尾が驚いてバタバタと暴れていた。
「ちょ、赤城主任! 離れてください、あかねさんが息詰まってます!」
「離さないわよ! この子は我が研究所の最高名誉顧問よ! 専属契約を結ぶわ! 予算はいくらでも引っ張ってくる! 美味しいスイーツも毎日取り寄せてあげる! だから私の研究に付き合いなさい、あかねちゃん!!」
「ぐるじいです……! 橘さん、助げで……!」
もがきながら助けを求める私を見て、熊倉二曹はお腹を抱えて大爆笑していた。
「がはははは! 気に入られちまったな、あかねのお嬢さん! センセの研究欲に火がついたら、もう逃げられねえぞ!」
「熊倉二曹、笑っていないで引き離すのを手伝いなさい!」
ドタバタと騒がしい声が、サーチライトに照らされた夜の山中に木霊する。
マッドサイエンティストな美人研究員に抱きしめられながら、私は「とんでもない大人たちに囲まれちゃったな」と苦笑いせずにはいられなかった。
けれど、持ち帰った素材が、誰かの命を救う薬や、みんなを守る装備になる。
その事実が、オタクの私の胸をじんわりと温かく満たしていた。
「……あ、あの! 燈さん!」
「何かしら、我が愛しのミューズ!?」
「薬草と鉱石、研究用に全部お渡ししますけど……そのかわり、少しだけ私にも分けてください! 私も、家でポーション作ってみたいんです!」
私の要求に、燈さんは目を丸くしたあと、悪戯っぽくニヤリと笑った。
「いい度胸ね。科学の探求者の目をしているわ。……いいでしょう! 最高品質の試験管と遠心分離機を実家に届けてあげる! 一緒に、新時代の魔法薬学を切り拓きましょうね!」
こうして、霧島ダンジョン第一層の先行調査は、大混乱と大収穫のうちに幕を閉じたのだった。




