前夜
仮マネージャーとしての仕事を明日に控えて、今日は早めに寝ようと思っていた。明日への英気を養うためにも。
寝ようとベッドに入ったところで、明日の目覚ましなどを掛けているとスマホから通知音が聞こえてきた。
こんな時間に誰だろうと思って、確認してみるとそこには『MAI』という名前の人からメッセージが送られてきていた。
「この人、誰だろう」
友人にも親族にもこの名前の奴はいない。それにオレが友達登録しているわけではなく、相手がオレのことを友達登録しているだけ。ちょっと疑いながらも『MAI』という人からのメッセージを確認すると『これって古川正行くん?』と送られてきていた。
「相手の人間はオレのこと知ってる。でも、オレは友達登録もしていないということは相手のことを知らないということなんだよな」
高校で連絡先を交換した奴が誰かに連絡先を渡したのか。まぁ、高校かは分からないが、誰かが連絡先を渡したんだろう。でも、相手はなんでそこまでしてオレと連絡を取り合いたいのかが分からない。
別に無視しても問題ない。特に明日は仮マネージャーとしての初日だ。こんな得体のしれない奴に付き合う余裕はないのだ。
スマホの明かりを消そうとしたタイミングで、MAIという奴から通話が掛かって来た。拒否しようとスワイプしたつもりが、逆に応対してしまった。
すぐに切ろうとタップしたタイミングで相手の声が聞こえて来る。
「正行くん、私だよ、私」
その声は聞き覚えはあった。好きな声だし、最近はかなりの頻度でこの声を聞いている。
オレは恐る恐る、声を発してみることにした。
「…齋藤麻衣…?」
「そうそう、私だよ」
「……なんで麻衣さんが…?」
「あ、急に連絡してごめんね。本当はもっと早い時間に連絡したかったんだけど、ちょっとお仕事が長引いちゃってこんな時間になっちゃったの」
まさかアイドルから個人で連絡が来るなんて、数日前のオレは信じられないだろう。もちろん、プライベートのアイドルの声を聞けることは嬉しいことだけど、一つだけ気になることがある。
なんで、彼女はオレの連絡先が分かったんだろうか。オレは誰とも連絡先の交換は行っていない。普通であればこんな風に連絡してこれるはずがない。
こんなことを聞いても大丈夫なのかは分からないけど、気になるので聞いてみることにした。
「あの…オレの連絡先がなんで分かったの?」
質問に対してすぐに返答が来ると思っていたらしばらく沈黙が続いた。オレもなんか言葉を発せるような雰囲気じゃなくて、黙ってしまっていた。
体感時間としては数分経った感じがしたけど、部屋の時計を見るに30秒も経過していない。
「スタッフさんに聞いたんだよ。それ以外に正行くんの連絡先を知る方法がないもん」
「…そうだよね」
確かにスタッフの方にはオレと連絡先を交換した人はいる。初めてメンバーに挨拶をしたあの日に。
でも、連絡先の交換をする時にスタッフさんはこう言っていた。
『吉川さんの連絡先は私たちが厳重に管理するので、第三者に渡ることはありません。どんな方でも連絡先を渡すときは吉川さんに必ず一報を入れるので安心してください』
メンバーだから普通に連絡先を渡したという可能性も全然ある。でも、あのスタッフさんの感じを見るにそれでも一報を入れてくれる感じがするんだよな。
ここで誰から聞いたのかなど深追いしてもいいけど、明日は初めての仮マネージャーとしての業務が待っている。できればなるべく早く寝たいので別に付き詰めなくていいやという気持ちになった。
「それで麻衣さんはなんで連絡を?」
「あ、そうだよね。ちょっと正行くんの声を聞きたかったのと、明日のことで緊張しているんじゃないかと思って連絡してみたの」
彼女なりにオレのことを気遣ってくれているんだと思う。
「緊張はしているかな。一応、形上だとしても『アムール』の仮マネージャーになるわけだし、気合を入れて頑張らないと」
現場に同行することもある予定だ。一応、今までのマネージャーさんも来てくれるらしいから大丈夫だとは思うけど、オレの言動一つで『アムール』に対するイメージが悪くなる可能性だってゼロとは言えない。
アムールのスタッフさんって感じ悪いよねと思われたりしたら、彼女たちの仕事に影響が出るかもしれない。
やっぱり不安はある。
そんな風に思っているとスマホ越しに聞こえて来るのは、優しい彼女の声。
「大丈夫だよ。私たちは正行くんが近くに居てくれるだけで頑張れるの。それにしっかりと周りの人たちもサポートしてくれる。どうしても悩みとかがあったら、私に相談してよ。私ってバカだから解決できるかは分からないけど、正行くんの話を聞くぐらいはできるからさ」
アイドルにここまで励まされるマネージャーはたぶん、古今東西探してもいないだろうな。普通はマネージャーがアイドルを支えるべきなのに。
「だから大丈夫だよ。正行くん」
本当に彼女の声を聞くと落ち着いて来る。
話し方なのか、声なのか分からないけど。
「うん、頑張ってみるよ。ありがとう…麻衣さん」
仮マネージャーをしようと判断した、自分の選択は間違っていなかったのかもしれない。これからどんな風になるのかは分からないけど。
「正行くんに元気が出たんだったらよかったよ。あんまり長電話をしちゃうと、正行くんに迷惑を掛けちゃうよね。寝るところだったみたいだし」
「こっちこそ、心配を掛けちゃってごめんね」
「いいんだよ。心配を掛けていいの。私が正行くんの力になれるんだったら、それ以上に嬉しいことなんてないんだから」
そしてオレは麻衣との通話を切った。
明日からの仮マネージャー生活を頑張ろうと誓って、眠りについた。




