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ようこそ、100年後へ。  作者: 大柑子


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01. 未来漂流



 電子音が小さな部屋に響いた。


 ピーピーピーと軽快な音を鳴らしながら、壁際に置かれた白い箱のランプが緑色に変わる。



「ミャアちゃん、できたよ〜」



 少女は箱の蓋を開けた。


 中には銀色のトレーがあり、その上には鮮やかな桃色の魚の切り身が載っている。まるで今朝市場で捌かれたばかりのような瑞々しさだった。


 少女はそれを摘み上げると、足元にいたサビ猫へほぐして差し出した。



「ほら、お魚」


「にゃーん」



 だが猫は魚に目もくれず、耳をぴくりと動かした。



「ミャアちゃん? 食べないの?」


「にゃーん」



 猫は部屋の隅へ向かって歩いていく。


 少女は首を傾げながら後を追った。


 薄暗い場所だった。家具の影が重なり合うその先で、猫は何かを見下ろしている。



「なに見つけたの?」



 覗き込んだ少女は目を丸くした。


 人だった。


 見知らぬ若い男性が床に倒れている。


 眠っているようにも見えるが、顔色は悪く、服装も妙だった。まるで百年前の写真からそのまま飛び出してきたような格好をしている。


 少女は数秒固まったあと、ぽりぽりと頬を掻いた。



「ありゃ、まじか」



 まるで宅配便でも届いたかのような気軽さだった。







 目を覚ますと、見知らぬ天井が見えた。


 白くて滑らかな天井。


 照明らしいものは見当たらないのに、部屋全体が柔らかな光で満たされている。


 男性はゆっくりと身体を起こした。


 頭がぼんやりする。


 自分がなぜここにいるのか思い出せない。



「お、起きた」



 声のした方を見ると、少女が椅子の背を抱き抱えて座っていた。


 年齢は十代後半くらいだろうか。


 足元ではサビ猫が丸くなっている。


 少女は男性に向かってにこりと微笑むと、口を開いた。







「……うん。で、これが人工肉プランター」



 少女は隣の機械をぽんと叩いた。



「これが牛肉のタネ。こっちがしゃけ、マグロ、豚、鶏。あと鯖とかもあるよ」


「じん……こう……?」



 男性は聞き慣れない単語を反芻した。


 少女は不思議そうに目を瞬く。



「あれ? 培養肉知らない?」


「ばいよう……?」


「細胞を増やして肉を作るやつ」



 少女は箱の中から小さなカプセルを取り出した。


 透明な殻の中で色付きの粒が揺れている。



「これ入れて待つだけ。食べられる大きさまで育ったら完成」



 彼女は笑いながら続けた。



「寄生虫とか細菌とかもいないから安全なんだって。生で食べる人もいるし


ま、あたしは生モノ苦手だから焼くけど」



 男性は理解が追いつかず、ただ頷くしかなかった。


 少女は腕を組んで、男性を探るような目で見た。



「ていうか、あなた2022年から来たんでしょ? その頃もうニュースでやってなかった?」


「え……その……見てなくて……」


「はー」



 少女は呆れたようにため息をつき、少しからかうような口調で言った。



「ニュースは見なきゃダメだよ」


「すみません……」



 母親のような言い方に、反射的にしゅんと肩を落とす。


 少女は再び機械を撫でた。



「これは安物だから完成まで15分もかかるんだけどね。最新型は1分くらいらしいよ」


「1分……」


「馬鹿みたいに高いから買えないんだけど」



 窓の外へ目を向けながら、彼女は苦笑した。



「昔、『子どもが魚は切り身の状態で泳いでると思ってる』なんて話あったでしょ?」


「え、はい……」


「今は現実になっちゃった」



 ふふ、と少女が肩を揺らす。


 彼女の足元にするりと猫が寄ってきて、頭を擦り付けた。



「まあ新鮮だし、味付け前だから猫にはあげやすいんだけど」


「はぁ……」



 男性の頭はますます混乱していた。


 少女はそんな様子も気にせず続ける。



「で、あなたがここにいた理由だけど」



 猫を撫でる手を止めて、少女が男性を見上げる。



「時限転換装置の事故」


「……え?」


「最近ちょくちょく起きてるんだよ。装置の不具合で時空間がズレて、人が変な場所に飛ばされるやつ」



 まるで交通事故の話でもするような口調だった。



「役所に行けば戸籍も住む場所も用意してもらえるから安心して。あたしが連れてってあげる」



 少女は肩をすくめる。初めに座っていた椅子に戻り、また背もたれを抱き抱えるように座った。



「たださー、金曜に来たのは運悪かったね」


「金曜……?」


「役所は平日しかやってないもん。


 土日はうちに置いてあげるよ。あたしが優しくてよかったね」



 椅子をくるりと回転させて、少女はいたずらっ子のように笑った。


 男性は言葉を失って、ごくりと息を呑む。聞きたいことが多すぎる。


 だが一番重要な疑問は一つだった。



「その……時限転換装置って……」


「うん」


「ここは……今……いつなんですか……?」


「2122年」



 沈黙が訪れ、かちり、かちりと時計の秒針の音が部屋の中に響いた。


 不思議と、外から車や風の音などが聞こえることはなかった。



「……え?」


「2122年」



 男性は口をぽかんと開けて、何かを言おうとするが言葉にならなかった。


 少女はくるりと椅子を回す。彼女の表情が見えない。



「ひゃく……」



 男性は喉が震えるのがわかった。



「百年……後……!?」







 数時間後。


 ようやく落ち着きを取り戻した男性は、ソファに座って温かいマグカップを握っていた。


 少女は向かい側で足を組んでいる。



「そう。要するに、あなたは未来へ飛ばされたってわけ」


「……」


「詳しく説明するなら量子論になるけど聞く?」


「えっと……いや……」


「だよね」



 少女はふっと笑うと手に持っていたマグカップを置いた。



「じゃあ簡単に説明する」



 彼女はテーブルの上に置かれたペンとノートを持ち上げた。


 そしてペンを指差しながら説明を始める。



「今のあなたは、昔のあなたと同じじゃない」


「……え?」


「身体がこっちで再構築されてるから」



 そう言いながら、少女はペンとノートを入れ替える。



「記憶はそのままだけど、肉体は新しく作られた」


「な……」


「だから言い方を変えると、あなたは記憶を受け継いだ別人」



 男性の顔から血の気が引いていく。


 それを見た少女は慌てて手を振った。



「あーでも待って待って」



 苦笑を浮かべながら、彼女は続ける。



「四次元的な視点で見れば同一人物だから」


「よじげん……」


「うん」



 男性はもはや理解を諦め始めていた。


 少女は構わず説明を続ける。



「それに人間の細胞なんて定期的に入れ替わるじゃん?」


「はぁ……」


「だったら毎回別人になってるようなもんでしょ」



 彼女は豪快に笑った。


 男性は気が遠くなるのを感じ、その後視界がぐらりと傾いた。



「あ」



 床が近づく。


 そこで意識が途切れた。







 どれくらい経っただろう。


 再び目を開くと、額に冷たいタオルが乗せられていた。


 少女が覗き込んでいる。



「だいじょーぶー?」



 軽い口調だったが、少しだけ心配そうでもある。



「……」


「気絶するとは思わなかったなぁ」



 男性は何も言えなかった。


 未来。


 人工肉。


 時間移動。


 別人。


 情報量が多すぎる。


 少女は苦笑する。



「怪我とか気をつけなよ。まだ保険証もないんだから」



 少女が視線を落とす。


 先ほどまでの明るさが、ほんの少しだけ薄れた。



「あたしもね」



 静かに、少女が話し出す。



「実は、あなたと同じなんだ」



 男性が顔を上げる。


 少女は窓の外を見た。


 ブラインドの隙間には、見たこともない未来都市の夜景が広がっている。



「――あたしは、2037年から来たの」



 その横顔だけが、なぜか少し寂しそうに見えた。


 未来都市の光が窓ガラスに反射し、少女の瞳の中で無数の星のように揺れている。


 百年後の世界。


 人工肉を育てるプランター。


 空を走る見たこともない乗り物。


 時間を越えて人が行き来する技術。


 ほんの数時間前まで生きていた世界とは何もかもが違う。


 けれど、その未来の景色よりも、その技術よりも、目の前の少女の言葉の方がずっと重く胸に残っていた。



 ――あたしは、2037年から来たの。



 彼女もまた、男性と同じだった。


 帰る場所を失った人間だった。


 何年も前に、この時代へ流れ着いた迷子だった。



「……じゃあ」



 乾いた唇を動かす。



「君は、元の時代には……」



 少女は軽く笑った。


 まるで何でもないことのように。



「さあね」



 けれどその笑顔は、どこか無理やり作ったようにも見えた。


 彼女は立ち上がり、窓のブラインドを上げた。


 巨大なビル群の間を光の列が走り、夜空には広告のホログラムが浮かんでいた。


 生きてきた世界とは似ても似つかない景色。


 もう夢だとは思えなかった。


 ここは本当に未来なのだ。


 少女は振り返り、初めて出会った時と同じ気楽な調子で言った。



「ま、とりあえず細かい話は明日ね」



 にっと笑った彼女を、窓から差し込む浮かぶライトが照らす。



「改めて――」



 百年後の世界に取り残された少女が。


 八十五年前に帰れなくなった少女が。


 百年前から来た自分に向かって手を差し出した。



「ようこそ、100年後へ」



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