このマシンガンはあの人のために
周囲一帯が不穏な静寂に包まれている。
べたついた砂にまみれてうつ伏せに倒れていた管理者は、地を這っていた己の手を怒りにぎりりと握りしめた。
「……クソ……クソッ!! ここは私の管理する世界だぞ! 私の居場所だ!
コレ以上の狼藉は、認めない……!!」
管理者は血を吐きながら喉を絞ったかと思うと、自分自身の上空に巨大な水でできているらしき玉を出現させた。それを一気に、自分に向かってばしゃりと落とす。
「え……な、なんなの!?」
座り込んだ格好のまま管理者の様子を見ていた朝倉が、怯えた風に肩をゆらす。
かばうようにその肩を抱いていた三田村が、苦々しげに顔をしかめた。
「あれは多分……目潰しに使った砂を洗い流したんだなあ。
あ、立ち上がったな。しかし妙に動きが鈍い……エリカちゃん、管理者の口にも薬草を突っ込んだんだっけ?」
「ええ、そうよ。
管理者が今のっとっている蒔田さんの体を回復させれば、仮死状態の蒔田さんの意識が復活して、体の主導権も管理者から蒔田さんに戻るかも知れない……みたいなことを笹野原が言っていたから」
「なるほどね。体の主導権はまだ管理者にありそうだが……動きが鈍くなっているところを見ると、薬草が効いているのは間違いなさそうだね」
そんな話をしている二人の目の前で、管理者は再び上空に巨大な水球を出現させたかと思うと、それを槍のような形に変えた。
「……殺す」
「お」
「絶対に、殺す!!」
「あらら、管理者ってばマジギレしてるわね」
「そりゃ、あんだけナメたマネされたらなあ!」
と、軽口を叩きながらも三田村は朝倉をすぐに抱き上げて、流れるような素早さでその場から逃げる。
一拍遅れて、二人が元いた場所には大量の図形が突き刺さり、地面が割れた。
「よっしゃ! やったよエリカちゃん、やっぱり動きが遅くなってる!」
「よかった……薬草、効果あったんだ……」
走りつつ喝采をあげる三田村と、ほっと胸をなでおろす朝倉。
三田村が朝倉を地面に下ろすと、朝倉はそのまま地面に座り込んでしまった。
「……え? エリカちゃん、何してんの。
今の管理者の攻撃速度なら、君の足でも余裕で逃げられるよ?
俺がアイツの注意を引くから、君は夕ちゃんたちの場所に戻りな。
どんな作戦をやるにしろ、一旦体制を整え直したほうがいい」
「ご、ごめんなさい……」
と、朝倉はいいながら、プルプルと震えながら三田村を見上げた。常ならぬその様子に、三田村は思わず怪訝に首を傾げる。
朝倉は、勝ち気な彼女にしては珍しく、頬は情けなさそうに紅潮しているし、目には涙が浮かんでいた。
三田村はそんな彼女を見て一瞬かわいいなあと和んだが、すぐにそれどころじゃないと首を振った。
「……あのね、三田村さん」
「うん」
「私、さっきの悪役令嬢の演技でなけなしの勇気を全部使い果たしちゃったみたいで……」
「……うん」
「今、腰が抜けて、立てないの」
「……」
「だからお願い……貴方一人で逃げて」
「……はっ!?」
そんな話をしているうちに、管理者の攻撃の第二弾が来た。
今度は火炎弾がいくつも地面に向かって落ちてきている。
「──馬鹿言うな! ココまできて、俺一人で逃げられるかよ!!」
いいざまに三田村は朝倉を丁寧に抱き上げて、管理者の攻撃から逃げ回る。朝倉は恥じ入るように顔を伏せていた。
「ごめんなさい、本当にごめんなさい三田村さん……」
「へーきだって、コレくらい!
でもとりあえず、今は逃げ回るしか無いな。
早くこっち側の陣営にいる魔法使いその二がさっさと目覚めてくれればいいんだが……」
三田村は絶え間なく走りつつも、苦り切った顔で空を見上げる。
そんな彼の目線の先には、今度はおもちゃのような巨大なミサイルの群れがあった。
「……うっそだろ、おい」
三田村は苦笑するしかなかった。苦笑しながら走り続けるしかなかった。
一見現実味のない形をしているそれらの兵器は、地面に着弾した瞬間、悪夢のような勢いで煙を巻き上げたかと思うと、爆音とともに周囲一体を破壊した。
☆
(大丈夫かな……このままだと、本当にマズいよ)
──遠方で大きな爆発がいくつも起きているのを、笹野原は不安げに見つめていた。
(今のままじゃ、蒔田さんを助けられないどころか、三田村さんや朝倉さんの命さえも危うい……)
そんなことを考えている彼女の膝もとで、苦しげな表情のまま意識を失っていた『アナタ』が、急に激しく咳き込み始める。
「あ……っ!? アナタくん、大丈夫!?」
笹野原は慌ててアナタの上半身を起こした。
もとは幼い少年の姿だが、今は金髪の美しい女性の姿に変わっているアナタは、何度も咳き込みながらも身を起こし、四つ這いになりながら咳き込み続ける。
「アナタくん……?」
笹野原はアナタの顔を覗き込み……目を見開いた。
……その口元からは、ぎょっとするような量の血が出ていたのだ。
手のひらで受け止めきれなかった血が、ぼたぼたと地面に落ちている。
(──急変だ!!)
笹野原は焦った。おそらくは喀血だ。
だが、一体何故咳き込んだのか、何故血を吐いたのかもわからない今の状態では、笹野原に為す術はない。
(茶色っぽいコーヒー残渣様じゃないってことは、多分肺か、心臓系の疾患だよね……? でもあまりに大量に血を吐いた場合は、消化器からの出血も赤いって習った気がする。胃や十二指腸と言うよりは食道の方が赤いんだっけ? ダメだ分かんない。
せめて顔色……身体の状態を確認しなきゃ!!)
と、笹野原がアナタに近付こうとする。
だがその前に、なんの前触れもなくアナタの体は薄い光のベールに包まれた。
「えっ……!?」
笹野原は思わず体の動きを止め、ぱちぱちと目を瞬かせた。
アナタが光のベールに包まれたのはほんの一瞬のことで、それはすぐに消えてしまう。
しかし……笹野原の目の前で激しく咳き込んでいたはずの金髪の女性は、見たこともない青年の姿に変わってしまっていた。
「え……えええええっ!? 大人!?」
「……くっ……。
なんなんだ、この狂ったような代償濃度は……体が重い……」
と、青年は苦しげにつぶやきながら、立ち上がって周囲を見る。
癖のある黒髪に褐色の肌。
まるで鷹を思わせる鋭い目つき……。
外見年齢がかなり上がっているが、青年がアナタであることは明らかだった。
「えっと、アナタくん、だよね……なんで大人になっちゃったの?」
笹野原は首を傾げてそう尋ねると、青年は軽く頷きながら、鷹のような瞳だけを動かして笹野原を見る。
「──代償の力が溢れて、記憶を失う前の姿に戻った……ということになるな。
もっと説明してやってもいいが、時間がかかりすぎるので今はやめたほうがいい。
それよりも、あそこで逃げ回っているのはササノの仲間だろう? あのままだと死ぬんじゃないのか。状況はどうなっているんだ?」
「あ……えっと」
アナタの問いに、笹野原は一瞬、考えを整理するために視線を左右に泳がせた。
だが、すぐに、パッと片手を挙手して状況を説明する。
「──かなりマズいことになってます!
仮死状態にあった蒔田さんの体を管理者……熊野寺さんがのっとっていて、バールやら魔法の力やらを振り回して暴れまわっているんです!!
蘇生薬を打てば蒔田さんの意識が復活してなんとかなるかも知れないんですけど、蒔田さんが暴れまくっているので、それも出来ません……あれじゃ誰も近づけませんし、むしろこっちが殺されそうな状況になっていて、割と詰みが見えています!!」
笹野原は悲鳴混じりに訴えた。目尻には涙さえ浮かんでいる。
どうにかしたいが、どうにもできない……どんな状況にあっても諦めることを知らないはずの彼女が、初めて見せる絶望的な表情だった。
上げていた手をはたりとおろして、笹野原は血の気のない顔のままこう言った。
「……アナタくん、お願いがあります。
三田村さんと朝倉さんを連れて、別のゲームの世界へ逃げてください。そうしたら、あと一時間もしないうちに元の世界に帰れるはずですから。
私はどうしても蒔田さんを助けたいけど……あの二人も死なせたくないんです。お願い!」
「世界間の移動は今の俺でも可能だが……二人だけを移動させるのか? ササノ、君はどうするつもりなんだ」
と、アナタが首をかしげると、笹野原は後ろめたい様子で目を伏せる。
「……私は……不可能を承知の上で、蒔田さんを助けられないか、ここでもっと粘ってみます」
「不可能を承知の上で、か……そんなに好きなのか? あの男が」
アナタが問うと、笹野原はしばらく考える様子を見せた後、力なく首を振った。
「……わかりません。間違いなく大事な人だし、お話していると楽しい気持ちにはなりますけど……。
正直言って、一緒に居た時間はかなり短いものでしたから、自分があの人に対して恋愛感情を持っているのかどうかは分からないんです」
「なるほど」
「だけど、助けるための努力をせずにはいられないんです。
自分が動けば助かるかもしれない人を、どうしても放ってはおけないの。
……アナタくん、君を助けたいと思ったときと同じだよ」
笹野原がそう言って顔をあげると、アナタはしばらく無言のまま、笹野原を見つめ返した。
数秒の間をおいたのち、彼はやがて、ふっと柔らかい表情で微笑んでみせる。
「……自分の持っているものを、誰かに捧げ尽くさずにはいられないか……。
君は少し『核』らしくないところもあるが、根っこの部分は正しく『核』だな。力を喪ってもそれは変わらないのか……」
そう言って、アナタは苦笑交じりに嘆息した。
そして不思議そうな顔をしている笹野原の頭の上に、ぽんと手を置く。
「君は俺にとっていちばん大切だった人に似ている。
……最後に好きになったのが君で、本当によかった」
「えっ? ……え!?」
「俺は人ではない。
人間を魅了して自分の意のままに操り、その分自分も相手に魅了される業を背負っていると、前に説明しただろう?」
「そんな話、しましたっけ?」
「したつもりだったが、していないかもしれない……案外、クマノに話した記憶と混同しているのかもな。
相手を魅了することに失敗しても、自分は魅了されてしまうという……厄介な体質だよ。それでも罪人として裁かれる前には、この力を使ってそれなりに楽しくやっていたのだが」
と、アナタはため息混じりにつぶやいて、再び鷹のような目線を爆発音が聞こえる方へと向ける。
そしてしばらく観察した後、こういった。
「……ササノ。あの様子を見る限り、蒔田の蘇生はまだ不可能ではない。
だが君にとってはかなり苦痛を伴う作業になるぞ……それをやる覚悟が、君にはあるのか?」
☆
地面が間断なく破壊されていき、歩行可能な場所はどんどんなくなっていく。
そんな中で、三田村は朝倉を抱きかかえたまま逃げ回っていた。
「あはははっ、本当にやべーなこれは!!」
「三田村さんお願い! 本当にお願いだから私を置いて逃げて!
……私の落ち度で、あなたを死なせるわけには行かないわ!!」
三田村の首根っこに抱きつきつつも、朝倉が悲鳴まじりに懇願する。
彼の息はかなり上がっている。正直三田村を突き飛ばしてでも彼から離れたいが、たてつづけに周囲で怒る爆発が怖くて、それも出来ない……朝倉としては、そんな心境だった。
「ははっ、なーにいってんの!」
ぶるぶる震えている彼女を元気づけようとしてか、三田村は心強そうに笑ってみせる。
「これくらいの修羅場、仕事で慣れてるからへーきへーき!!」
「そんなわけないでしょうが!」
「案外あるんだなあこれが!
それに俺、もともとココにはエリカちゃんを守るために来たんだよ!?
ここで君に死なれちゃ本末転倒ってもんだろ!」
三田村がそういい終えるのと同時に、ほんの一瞬、攻撃がやみ、轟音が消えた。
三田村は周囲を油断なく見回しつつも、静かな声で話し始める。
今しか言える時はないとでもいいたげだった。
「……俺が初めて好きになった人が君だった、って話、寝たフリして聞いちゃってたんだろ?」
「え、ええ」
「……だったら俺、こう言ってもいいのかな。
君をここで守りきって、元の世界に戻れたら……俺の彼女になってくれない?
結婚とかも視野に入れた感じでさ。
……本当に大切にするから。絶対、元の世界でも守るから」
「三田村さん!」
朝倉はそう叫んだかと思うと、思わずと言った様子で目を見開いた。
そして小さく震えて、顔を紅潮させたかと思うと、
「──そういうこと、なんで今言うのよ!!
それをこのタイミングで言うのは、死亡フラグ以外の何物でもないでしょうがー!!」
……という、怒声混じりの悲鳴と同時に、空の向こうからキーンと音を立てて凄まじい量の図形の雨が降ってきた。
「あー……はは。本当だね。死亡フラグだったね。あの量はちょっと、俺でも無理かなー」
と、三田村が乾いた笑いを漏らし、朝倉が死ぬ覚悟を決めた、その時である。
──唐突に、目の前に黒髪に褐色の肌の青年が現れた。音もなく、気配もなかった。
三田村や朝倉が反応する間もない。
彼は気負いのない動作で右手を空に向かってあげたかと思うと、迫りきていた図形を全て空中で停止させてしまった。
……勢いよく飛んできていたはずのものなのに……。
「……他愛ない」
と、青年がそうつぶやいたのと、宙に浮いていた図形がすべて粉々に砕けてしまったのとは、ほぼ同時のことだった。
あまりに唐突な救世主の登場に、三田村も朝倉も混乱した様子で固まっている。
「……す、すげえ……ジャ○プのバトル漫画みたいな攻撃の止め方だったぞ今の……」
「何言ってんのよ三田村さん。ていうかアナタくん……よね?
大人になってる……なんで……?」
アナタは三田村と朝倉の言葉には答えず、少し離れたところに立っている蒔田を……蒔田の体をのっとっている熊野寺の姿を見つめていた。
鷹のような瞳で真剣に睨み据えたまま、アナタはつぶやいた。
「……やあ、クマノ。
この世界の神として君臨したのは、楽しかったか?」
「おまえ、は……!!」
熊野寺はアナタの姿を視認し、うろたえたような表情を浮かべた。
アナタはそんな彼に向かって惜しむような笑顔を浮かべたかと思うと、鷹のような瞳を閉じて、こう叫ぶ。
「……さぁササノ、やりたまえ! 一瞬の震えも躊躇も許されないぞ!」
その言葉に、熊野寺は困惑したような表情を浮かべる。
そんな彼の背後に、いつのまにか笹野原夕が……セラ・ハーヴィーの体ではない、笹野原夕が、無限マシンガンを構えて立っていた。
その顔からはいつもの脳天気な笑顔は消え去り、はりつめた緊迫だけが貼り付いている。
唇にも顔にも血の気はないが、その瞳にだけは燃える感情が宿っていた。
「お前は、さっきの……?」
……気配に気づいて振り返った熊野寺には、その感情の正体は分からなかったが。
「……蒔田さんを、返して」
血の気のない唇で、笹野原はつぶやいた。
次の瞬間、けたたましい銃声とともに、管理者クマノの……蒔田の手に、足に、大量の穴があいた。




