夜明けの前に
ゴミ屋敷状態だった屋内の捜索作業は難航を極めたものの、目的のものはほどなくして見つかった。
――熊野寺……つまり、『管理者』のノートPCだ。
リビングの隣、一間続きになった和室にぽつんとノートPCが置かれていたのであった。
「ふーん……パッと見た感じゲーミングPCっぽいけど、そんなに良いモノにも見えねえなあ……」
三田村はノートPCの隣にしゃがみこみ、外部を観察する。そしてPCの電源が入っていることを示す青いライトを指差しながら、
「ていうかさぁ……なーんで電気止まって何日も経ってるのに、コイツは動いて光ってんだろうなー……ははは……」
と、三田村は乾いた笑い声をあげる。もう笑うしかないという心境のようだった。
「さあな。なんで動いているのかは俺にも分からん。あれだろ? どうせ魔法の力か何かなんだろ?」
と、蒔田は適当な返事を返しつつも、畳に置かれていたノートPCを開いた。
「……ついに見つけたぞ……身ぐるみ丸ごと、引剥してやる」
「随分と不穏な口ぶりですねえ。
……んー、PCを開いたらフツーのログイン画面が出てきたなあ。で、どうするんですか蒔田さん。
何かパスワードを当てる方法でもあるんですか?」
と、三田村が興味深そうにPC画面を覗き込みながら尋ねてくる。蒔田は小さく苦笑しながら、
「一番安直で能がない方法としては総当たり攻撃があるが、これだと何日、下手すると何年かかるか分からない。辞書を使う事で多少は短縮できるが、今はとにかく時間がない。
……中二心をくすぐるネーミングの暗号解読法は世の中にごまんとあるが、今回はそれも措いておく。
もっと別の方法を試してみよう」
蒔田は自分のノートPCを開きつつ、ボキボキと準備運動とばかりに指を鳴らした。
「……ついにハッカーとしての本領発揮ですか」
と、三田村は完全に観戦者の顔になって目を輝かせている。
だが蒔田は渋い顔で首を振るばかりだった。
「ハッカーじゃない、ただの元・悪質クラッカーだ。あと、そんなに大したことをするつもりも技術もないぞ、俺は」
「やけにネーミングに拘りますねえ。しかし、もっと別の方法って……例えばどんな?」
周囲の敵を警戒しつつ、三田村はふと首を傾げた。
蒔田は静かに口の端を上げながら、
「……さあて……。どうしたものかと思っていたが、例えばこのログイン画面に表示されているユーザー名は興味深いな」
「え? そうっすか?」
「ああ。いかにも『メールアドレスにも設定されていそうなローマ字と数字の組み合わせ』だと思わないか?」
「あ。ああー……言われてみればたしかに」
その場で適当に考えた名前じゃなさそうっすね、と、三田村はモニタを見ながら同意した。
「ていうか俺も同じだわ。PCに設定してるユーザー名とメアドの前半分、同じだわ」
「あまり神経質になりすぎる必要もないが、それはできれば今すぐ変えたほうがいいぞ。
……さて。まずはこのユーザー名とあらゆる有名メールサーバーのドメインを組み合わせて幾つかの『管理者のメールアドレス候補』を作る」
「ふむ」
「次に、そのメールアドレスを片っ端から有名無名の様々な『セキュリティ意識の低いウェブサービス』に入力して『パスワードを忘れた』と申請。
出て来る『秘密の質問』に対して思いつく限り『答え候補』を無限に答え続ける」
そう言いながら、蒔田はカタカタとキーボードを操作し続ける。
「……手動でやるのも面倒くさいから、昔書いたスクリプトを改造して適当に自動化出来るようにした。……さて。これで各クソサービスに対してどんどんメアド候補と『秘密の質問』に対する答え候補を入力し続けるサイクルが完成したぞ。
少しばかり時間はかかるが、正しい質問にたどり着けば……よし、出来た! 正解にぶち当たったみたいだ。画面上に平文でパスワードが表示されたぞ!」
本当にクソサービスはクソサービスだなと、蒔田は挑戦的に笑った。
「これで侵入への取っ掛かりは作れたな……ふん、そこらかしこに安易に同じメールアドレスと同じパスワードでユーザー登録をするからこんなことになるんだ」
「え……え? え!? えええっ!? もうわかったんですか!?」
あまりの早業に三田村はぎょっとした顔をした。
蒔田は笑みを深めつつ、頷いて見せる。
「……ああ。『管理者』のPCにログインできたな。どうやらこのパスワードで正解だったみたいだ。もしかして、こいつは一つのパスワードを他にも使いまわしているのか……?
『管理者』とかいうやつは随分と脇が甘いんだな。ついでだから、他の情報も毟れるだけ毟っておこう」
蒔田の挑戦的な笑みが獰猛な笑みに変わっている。三田村は彼のことを無茶苦茶に怖いと思った。
こんなのに執着されているセラなる女性を心底可哀想にさえ思った。
目にも留まらぬ速度でキーボードに文字を入力していく蒔田のその姿は、完全に『物語によくいる悪いハッカー』そのものになってしまっている。
「あわー……わー……あわわわわわ……」
アワアワ言ってる三田村の前で、蒔田は出てくる情報を片っ端から自分のPC・スマホに転送している。
詳細は敢えて全て省くが、ここまでくると、IT絡みに関しては完全に素人の三田村はもうドン引くしかなかった。
――そう。
こんな悲しいことになるから、インターネットリテラシーというものはとてもとても大切なのである。
NO MOREパスワードの使い回し。NO MORE 安直で短いアカウント名&パスワード……。
「……俺、家に帰ったら、もうちょっとメアドいじったりパスワード強固なやつにしたりしとこっと……」
三田村はしばらく絶句した後に、疲れたようなため息を付いた。
「ああ、そうした方がいいぞ。ちなみにパスワードはランダム性よりも長さが大事だ。サービスごとに上限されている文字数目いっぱいまで長いパスワードを使うといい。
そして、一度使ったパスワードは絶対に他のサービスに使いまわさないこと。信頼できるパスワードマネージャーを使えば管理も簡単だ。
……ああ。それと、辞書攻撃を防ぐために『わざと』綴りを間違えた英単語をパスワードに含めるのも有効だぞ。それをやられると総当たり攻撃でしかパスワードを探し当てられなくなり、日数がかかるとわかれば攻撃者もどこかで諦める確率が上がるからな」
「分かった、分かったよ……はー、ハッカーって本当にこええ……」
三田村は様々な情報の暴かれたPCをぼんやりと眺めながらそういった。
蒔田は「この程度で何を言っているんだ」とばかりに鼻を鳴らした。
「だから、俺はハッカーじゃないと何度言ったらわかるんだ。別に大したことはしてないだろ。こんなの方法さえ知っていれば誰にだって出来ることだ」
「いやいやいや、出来ないってば! アンタはあっさりやってるけど、この自動化するスプリクト? をこんな短時間で組んでるのも凄いし、『秘密の質問』にあっさり答えちゃってるところも凄いよ……ていうか怖いよ!! なんで秘密の質問の候補が分かっちゃってるんだよ!!」
三田村は彼らしくもなく頭を抱えつつ、至極まっとうなツッコミを入れた。しかし蒔田は笑いながら頭を振るばかりである。
「……いや、実は『秘密の質問』に関しても全く大したことはしていない。
正直管理者の動画を見ていれば誰でも推測できるレベルの『答え』だったんだよ。
……そういう意味では、コイツはセラに負けず劣らずのセキュリティガバ太郎だな。『秘密の質問』の答えを想像できかねない内容を動画中で口走るなど、自分の当たり判定を大喜びで晒しているゲームの敵に等しい暴挙だ。端的に言って、馬鹿だな」
蒔田の口調には一切の容赦がない。
「……さて。ここからはほぼ人力で情報を探さなければならないな。
三田村さん、俺はココで作業をしているから、他に変わったものはないか少し見てきてくれないか? ゾンビが出たら俺も加勢するから」
「あいよー……あー、短時間しか見てないのにスゲー疲れたわー……」
三田村はトントンと自分で自分の肩を叩きつつ、懐中電灯と包丁を持ち直して和室の中を見回した。
「……っていってもここは比較的モノが少ないんだよなあ。そんなに散らかってないけど、さぁて、押し入れの中はー……って、だぁーっ!!」
三田村は押し入れを開けた途端に大きく後ろに飛び退り、大声を上げた。
蒔田が振り返ると、三田村は押し入れからはいでてくるゾンビを蹴り倒し、慌てて何度も頭を踏みつけているところだった。
「ここかよ、ここにいたのかよっ!! ていうかお前は今の今までなんで声も立てずに押入中で静かにしていたんだよ!!」
混乱しているせいだろうか、物言わぬゾンビに対してツッコミを入れまくる三田村。
「さあな。フラグを踏むと動くタイプのゾンビだったんじゃないか?」
と、蒔田は適当な推測を述べた。
「俺がそんなゲーム豆知識なんか知るかよ!! ……あ゛ー、今までが静か過ぎたから、何も居ないと思って完全に油断していたよ。本当にびっくりしたー……」
ソンビが動かなくなったのを確認して、三田村はようやく肩で大きく息をした。
「三田村おまえ、近所迷惑は避けたいんじゃなかったのか?」
「もう知るかよそんなこと……。騒音の苦情がなんぼのもんだよ、こっちは命の危機に瀕してるつーの……」
三田村は憤然と鼻で息を吐き出しつつ、ゾンビが出てきた押し入れの探索を再開した。
「……この後ご飯、この後ご飯、この後エリカちゃんとご飯……。……犬……は、だめにしろ、何かお土産持って帰ってあげたほうがいいよな……なんにしよ……」
「別に朝倉からOKはもらってないんだろ?」
「蒔田は大人しく作業をしていてくれませんかね!? 自分で自分を元気づけねーと、もうやってられねーっつの!!
……押し入れの中にはたいしたもんはないな。次は上の天袋か。ここには何がしまってあるんだー?」
と、言いつつも、三田村は徹夜でたまった疲労もモノともせず、手頃な大きさの家具をさっさと積みあげたかと思うと、それを足場にして天袋の中をのぞき込んだ。
「……んー、なにも見えないな。ゴミ屋敷にしては妙にものが少ないが……って、うわああああ……あー。あー……」
「……今度は一体なんなんだ?」
と、蒔田は顔を上げもせず、嫌そうにそう言った。
彼が嫌そうにしているのは、先程から全く作業が進んでいないからだ。
時間は無限にあるわけではない。
すりガラスの窓越しにも、少しづつ夜明けの空の光が入ってきている。……朝がもうすぐなのだ。
「いや、その……蒔田さん、エラいものがあるよ……」
「エラいもの?」
と、蒔田はそこでようやく顔を上げる。
家具から飛び降りた三田村は、蒼白な顔になりつつもこう言った。
「ええーとその……なんていうか……。……一面に広がる闇……みたいな……?」




