『どうせ助からない』世界の中で
久しぶりにゲーム脳全開でゾンビを殺しまくった。
正直めちゃくちゃスッキリしたけど、
『人だったものを殺してしまった』という罪悪感もガッツリある。
(……うー、ゲームの中だったら平気なのにな。
実際に自分の手でゾンビを殺すのは予想以上にキッツいよ……)
私はため息を付きながら、マシンガンを壁に立てかけ、
オッチャンが座っていた椅子……の、隣にあった椅子に座り込む。
ゲームの世界だとは分かっているけれど、
さすがにオッチャンが座っていたところに座るのは嫌だったのだ。
(それにしても、なんでこんなことになったんだろう……。
スマホが変な動きをしたのがきっかけ……?)
そんなことを考えながら、ふと横に置いてあった机を見る。
そこにはまた攻略情報サイトで見た覚えのある鍵が置いてあった。
(せっかくだし、もらっていこう)
そう思いながら私がカギを手に取ると、
それを見ていた桐生さんがとまどいがちに首を傾げた。
「あー、ええと、セラ……ちゃん。そのカギは?」
「あるととっても便利なカギです。
私の服にはポケットがないから……桐生さんが持っていてください。
というか、さっきから一体何なんですか? セラちゃんって」
私がそういうと、桐生さんはなんとも複雑そうな顔で私を見ていた。
「……君に自覚があるのかどうかは分からないが、
今の君の見た目は『デッドマンズ・コンフリクト2』のヒロイン、セラ・ハーヴィーそのものだ」
「マジですか」
「マジだ。ゾンビゲーはやったことがないが、
デドコンは海浜幕張でやってるゲームイベントで見たことがあるから知っている」
「……それは……びっくりですね……」
我ながら間抜けな返答だとはおもったが、そう返すしかなかった。
私は自分の手を見て、足元も見る。
愛らしいミントグリーンのサンドレスを着た、白く長い脚が見えた。
くすんだ青みを帯びた長い黒髪も目に入る。
ピンク色の爪がのった、すんなりとした小さい手も。
……どうみても私の体ではない。
美しい見た目に似合わぬ凶悪な戦闘能力とスニーキング・スキルを持った、通称『デドコン界のワンマンアーミー』……セラ・ハーヴィーさんの体だ。
「……セラだ……」
と、つぶやきながら、私は軽く頭を振る。酷く気分が悪かった。
「一体何がどうなっているんですか……」
「その様子から察するに、君もいきなり『現実世界』から『こちら』に引き込まれた、普通の人間みたいだな」
「……そう、ですね。そうだと思います。
私はさっきまで某病院の限界病棟でサービス残業中だった、しがない新人看護師だったはずなんですけど……」
私はそう言って、顔を上げる。
「あの、桐生さん。ここは夢、なんですよね? 夢の中でこんな話をするのも変ですけど」
「夢だったらいいとは俺も思っているんだがな」
と、桐生さんは肩をすくめる。
その口調はまるで悪い病状説明を伝えようとするお医者さんのようだった。
苦しそうでありつつも、相手の心をおもいやって淡々と振舞おうとしている声。
「だが……多分、夢ではないのだと思う。
今の俺たちは理解することも難しいレベルの異常な世界に閉じ込められている状況だ。
認めたくない気持ちはよく分かる。
……だが、ここまで具体的で息切れもする夢、あると思うか?」
彼に静かな目線を向けられて、私は首を振るしかなかった。
「……そんな夢はない、と、思います。
でも、やっぱり変ですよ。
ゾンビなんてファンタジー上の存在で、現実にいるわけがありません。
だって体を動かすべき組織が死んでいるのに体が動くって、おかしいじゃないですか。
死体ですよ? 死の三徴が出ているのに動いているんですよ?
ATP(アデノシン三リン酸)は一体どこで産生しているんですか? そもそも私、いつどうやってこの体で……この世界に……」
――残業していたらスマホが暴走して異世界への扉が開いてしまっていた。
こんなの、夢だと思った方がまだマシだ。
気分がどんどん悪くなってくる。
……そうだ。こんなの夢に違いない。
そもそも私は、ついさっきまでサービス残業中で、外の景色が歪んで見えるくらい体調が悪かったのではなかったか?
「……浮世はどこも大変なんだな。君も残業中だったとは」
私の混乱を察したのかどうかは分からないが、
桐生さんが小さく苦笑しながら口を開いてくれた。
「俺もさっきまで……いや、数時間前までは会社に缶詰にされていて、
社員総出のデバッグ作業に参加していたんだ」
「……」
「デバッグっていうのは、作ったゲームをいろんな方法でプレイして、
バグがないかを確認する作業のことだな」
桐生さんが説明してくれる。
淡々としているけれども、決して突き放すような口調ではない。
私が顔を上げると、小さな笑みを浮かべている絶世の美男子と目が合った。
「シナリオもなにも分かり切ってるゲームを何周もするのは重労働でな……。
ほかの社員のフォローも任されているから、本当に死ぬかと思っていた。
一瞬寝落ちして目を覚ましたら、いつのまにやらこんな訳の分からない世界に閉じ込められてしまっていた、というわけだ」
「そうだったんですか」
「そうだったんだ。
……というわけで、こんなイケメンの顔で言うのも申し訳ないが、
俺の中身は三十歳の、ゲーム開発会社の疲れたエンジニアのオッサンだ。
君と同じ、あっちの世界の人間だよ」
と、冗談めかした口調で言われたので、私は思わず笑ってしまった。
優しい人だと思った。
なんとなく生真面目で不器用そうな人だとも。
「というか、三十歳はまだオッサンじゃないと思いますよ、桐生さん」
「そう言って貰えると有難いが、君も三十になればわかる。
散々若手から馬鹿にされるから、自虐でもして予防線を張っていないとやっていられない年齢なんだよ」
「自虐ねえ……その超派手な見た目からは想像もつかないです。
あ、ちなみに桐生さん、今自分が何のキャラクターになっているか知っています?」
「桐生総一郎だろ?
その……開発者向けイベントで見たことがあるから知っている」
「なるほど、そうでしたか」
私がそう言って笑うと、桐生さんもホッとした風に笑う。
彼の見た目は相変わらず冗談みたいに非現実的な今世紀最高レベルの美男子だけれども、それを言ったら私だっておんなじだ。
お互いに中身は仕事と生活に疲れた現代人だと分かっているのに、
その現実とはかけ離れた姿で会話をしているのがなんだかおかしい。
「笑顔が戻ってきたな……よかった。
君まで助けられなかったらどうしようかと思っていたんだが」
「……『君まで』?
桐生さんは さっきまで誰かと一緒だったんですか?」
「ああ」
というと、桐生さんが笑みを消して苦い顔になる。
「さっきの俺は、ようやく見つけた仲間をゾンビに『食われて』失った直後だった」
「食われた?
そういうムービー(ゲーム中に挟まれる映画のような映像のこと)でも始まったんですか?」
「いや、違う。
……食われたのは人間だ。
彼は最初はまだ落ち着いていたんだが、状況が分かるうちにだんだんと冷静さを失ってしまって、ゾンビの群れの中を素手で突破しようとしてしまった」
「素手でって……。
なんでそんなゾンビ映画の助からない人間がやりがちな行動を……」
「さあな。俺にも分からん。
『俺には分かる、どうせ助からない』とかなんとか言っていたが……。
人間は混乱が極まると、案外ばかげた行為に走ってしまうものなのかもな」
と、桐生さんが目を伏せてため息をつく。そして私に視線を戻して、
「……だから君はどうか、気を強く持ってくれ。
まだ完全に絶望するような状況じゃない。
この世界から無事に出ることだけを考えるんだ。
俺は年長者だから、君のことは必ず守ってみせる。だから、……」
桐生さんの声が遠くなっていく。
そんな話を聞きながらも私はうつむいて、
じんわりと嫌な予感が広がる胸を押さえた。
――私たちと同じようにこちらに迷い込んだ人が、死んでしまったって……?
(しかも、死ぬ直前に『どうせ助からない』って言ったって……。
一体どういうこと? 何か知っていたのかな……)
生臭くかび臭い部屋の中に、しんとした沈黙が下りた。
……と、ふと『とある事実』に思いがいたり、
私はハッと立ち上がってマシンガンを持ち直した。
大変だ。私たちはこんなところでボーっとしている場合ではないのだ。
「――セラちゃん、慌てる気持ちは分かるがもう少し待ってくれ。
その武器があれば安全だろ? 状況整理がてら、もう少し話を」
「話をしたいのは山々なんですけど、大事なことを思い出したんです。
このゲーム、『セーフハウス』っていう場所以外は全く安全じゃないんですよ」
「……安全じゃ、ない?」
桐生さんが真剣な顔になった。
「……つまり、そのセーフハウスという場所以外ではどこにいても敵がこちらに向かってどんどんやってくるってことか?」
「そういうことです」
桐生さんの問いかけに、私は苦い顔で頷いた。
「しかも同じ場所に立ち止まっていればいるほど、
集まってくる敵の数は増えていくという仕様です」
「げ。もしここが本当にゲームの世界だったら、処理落ちしそうな話だな……」
桐生さんが思い切り顔をしかめた。
ゲームクリエイターだからだろうか、察しが早いのでとても助かる。
彼は納得した風に頷きながら、
「なるほど、君が慌てる理由は分かった。
確かにこれ以上この場所にいるのは危険だな。
敵を集めすぎないためには、絶え間なく動き続けていなくてはならないということか……」
「そうなんです。
だから一刻も早くセーフハウスにたどり着かないと、いや、その前に……」
ふっと言葉を途切れさせ、私は頭をフル回転させて考える。やるべきことはたくさんあるのだ。
――このゲームのマップはなにがどうなっていた?
一度進むと二度と行けない場所はあったか?
そういう一度進むと二度と行けない場所に、重要なアイテムは落ちていなかったか……?
「……セーフハウスに行く前に、回収しなければいけないものが二つあります」
口早に説明しながら、私は出口へ向かって歩き出した。
「さっきの部屋に落としてしまった私の『スマホ』と、
ステージの序盤のエリアに落ちている『バイタルウォッチ』です」
「バイタルウォッチ?」
歩き出した私に桐生さんもついてくる。私はコクリとうなずきながら、
「はい。あの時計、私たちがこのゲームの世界を安全に進んでいくためには絶対に必要なアイテムだと思うんです。
……桐生さん、ひょっとしてデドコンシリーズを本当に全くやったことがないんですか?」
「ない。ゾンビゲーは趣味じゃないんだ。ゲーム自体は色々やる方なんだが」
「なるほど、そうでしたか。
ええと、バイタルウォッチっていうのは見た目はア★プルウォッチみたいな時計です。
このゲームに出てくる時計型の機械、って説明すればいいのかなあ。
要は腕に付けられるステータス画面(操作キャラクターの健康状態が分かる画面)みたいなものだったんですよ」
そういって、私は自分の左手首を自分でつかんで桐生さんに見せる。
「腕を見ると残り体力とか、今の時間とか、そういう簡単な情報が分かるようになっていたんです。
『デドコン3』で実験的に取り入れられた仕様で、
普段からステータスが画面の上下に出ているゲームの中では完全にいらない子扱いでしたけど、
今のこの世界では多分あったほうが便利だと思うんです」
「なるほど……ダイエジェティックUIってやつだな」
桐生さんが納得した風に頷いた。
「そのバイタルウォッチとやらは、確かに今の俺達に必要なアイテムのようだ。
……しかしスマホは?
わざわざ危険を冒してまで取りに行く必要があるか?」
「スマホは絶対必要です。
そもそも私がここに来たきっかけはスマホの暴走だったんですよ。
重要なキーアイテムである可能性が高いでしょう?」
「スマホの暴走……?」
「詳細はおいおい話します。ここでは落ち着いて話せないですし」
話を聞きたがっている様子の桐生さんに対して、私は首を振って見せる。
「今はとにかく先を急がないといけませんね。
ちなみに桐生さん、自分のスマホは?」
「持っていない」
桐生さんは頭を掻きながら肩をすくめる。
「残業中に机に突っ伏して仮眠をとっていたんだが……。
目を覚ましたらこの世界であおむけに寝ていたんだ。
スマホは多分、弊社の机の上だろうな」
「分かりました。それじゃあ、ひとまずは私のスマホを回収しましょう」
「ああ」
「その次にバイタルウォッチを回収します」
「そうだな」
――やるべきことは定まった。
まずは、私のスマホの回収。
次に、バイタルウォッチの回収。
……バイタルウォッチはこのゲームの最序盤で手に入るアイテムだ。
その一方で、今の私たちがいる場所は、
このゲームの始まりの場所『繁華街』の終盤にあたる。
だから、これからの私たちは、必然的にステージを『逆走』して最序盤のエリアをめざしていくことになる。
――……『どうせ助からない』……。
桐生さんが行動を共にした人が言っていたという言葉が、ふと私の脳裏をよぎる。
嫌な予感が胸をひたし、私は思わず目線を落とした。
……だけど、落ち込んでいるような余裕はない。
私たちが立ち止まり続けていれば、
このゲームの中ではあっという間に敵が増えて死んでしまう。
私は嫌な予感を振り払うように頭を振って、
自分で自分と、桐生さんを元気づけるようにこう言った。
「状況はなにひとつ分からないし、元の世界に戻る方法も分からないけど……やっていきましょう。やっていくしかありません」
【本編を読み進めるうえで何の参考にもならない登場人物紹介】
■ セラ
本名不明の新人ナース。けなげで優しく明るく元気にゾンビを殺すゾンビ殺しオタク。看護師業界において根暗のオタバレは死を意味すると思っており、本人は必死になって「明るく可愛い女の子」を演じようとしている。
言動はフワフワしておりプライベートではうっかりミスも多い一方で、コンテンツの消化スピードが異様に速く、それにプラスしてゲームのかなり細かい設定まで詳細に覚えていたりするタイプの『元気な人』。