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置いてけぼりの悪役令嬢

 今の私達がいる部屋は、『会議室』と銘打(めいう)たれてはいるものの、機能性を重視する一般企業の会議室とは全く違う。

 眺望(ちょうぼう)や高級感を重視するタワマンという場所だからだろうか、窓が必要以上に大きくて、外の景色や植栽(しょくさい)がよく見えるように作られていた。床や壁のつくりもしっかりしていて、パッと見会議室には見えない。むしろ高級ホテルやレストランの一室にさえ見える。


 蒔田はそんな景色には目もくれず険しい顔でノートPCを操作しているが、三田村はそんな大きな窓際のそばに立ち、電話で何やら話をしているところだった。元付けとかいう仕事をやっている後輩に電話しているらしい。

 ……何気ない立ち姿なのに、妙に洗練されて絵になっているのがなんだか(くや)しかった。


 そして私、朝倉あさくら 江里華えりかはと言うと、三田村の声をぼんやりと聞きつつ、座ったまま机に頬をくっつけて、ウトウトとしているところだった。


(……あ、そうか。

『蒔田と桐生』、『三田村とあの青い髪の男』……外見は全く違うのに、どうして自分の中でイメージが(つな)がっているのか我ながら不思議だったけれど……)


 そんなことを考えながら、私はふわりと目を閉じる。


(……声が……声が、同じなのね……)



 ――人間というやつは、『目に見えない現象』に対する気づきを見落としやすい。



 私たちは『異世界』に移動すると外見が変わる。それはもう劇的に。ああいう変化はいとも簡単に気がつくことが出来る。


 あれは多分……その時その時で一番自分の印象に残っているゲームキャラの容姿を割り当てられるみたいだ。前回は別のキャラクターだったけど、それはその時に一番苦手なキャラクターだった(だからこそかなり印象に残っていた)ことを覚えている。良くも悪くも心に焼き付いたキャラクターの姿を与えられるらしいと推測している。


 ……そして、そういう『目に見える現象』に気を取られているうちに、もう一つの事実を見落としてしまっていたのだ。



『外見は変わっているが、声は変わっていない』という事実を。



 そんなことに、今の今まで気づけなかった。

 いつもと同じ声だからこそ、変わっていないということそれ自体のおかしさに気づけないものなのだろう。『運動能力が現実世界の肉体と同じ』という点については、生死がかかっていたので早々に気づかざるをえなかったけれど……。



(そうか……だからセラは桐生さんの正体に気が付くことが出来たのね、きっと。元々の声を知っていたのなら、他の情報と合わせて個人の特定をするってことも可能だったのかもしれないわ。

 それにしても三田村さんって、怖い人だとは思うけど、声は嫌いじゃないのよね……)


 そんなことを考えながら、私はウトウトし続ける。

 こういう声を海外ではASMRっていうんだっけ……いや違うわね、ASMRはもっと(ささや)くようなボソボソとした声だったはず……などと適当なことを考えていると、三田村が不意に声を張り上げた。


「――よっし。先方と話がまとまりましたー」


 その声に反応して私が顔を上げたのと、三田村がスマホを自分のスーツの内ポケットにしまい込み、片頬を上げてニヤリと笑ったのは、ほぼ同時のことだった。


「さすがに深夜だから今すぐには無理だけども、なる(はや)で現地に(かぎ)を持ってきてくれるってさ。いやー、お金の力は偉大だよね。


 場所は大久保の住宅街だから……遅くとも早朝5時台には入りたいところだね。それ以降だと目撃者が多くなって厄介だ。

 あのあたりは早朝から仕込みを始める飲食店関係者や、徘徊(はいかい)余念(よねん)のない早起きジジババばっかりだから、監視(かんし)の目が厳しいんだ。(あや)しい動きをすればあっという間にご近所中に広がるし、それがネットに飛び火したら目も当てられないことになる」


 そう言いながらも、三田村の表情はどこか穏やかだ。


「まあ……蒔田さん、良いことしたんじゃないかねえ。

 担当のやつ、『これで大家が(しぶ)っていた修繕費(しゅうぜんひ)もなんとかなるかも』って、(むね)をなでおろしていたよ。いきなり個人に大金が入ったと各方面にバレたら厄介だから、ちょこっと細工はしなきゃなんないだろうけども」

「……その大家、強制退去の件でも思ったが、妙に金を出し(しぶ)るんだな。新宿で家を()しているんだろ? 金はあるんじゃないのか?」


 と、蒔田はPCから顔を上げて首を傾げる。その言葉に三田村は声を上げて笑った。


「だはははっ、んなわけないでしょーがよ。

 個人でやってる大家なんて、考えなしに始めたやつはどこも資金繰(しきんぐ)りに行き()まって青色吐息(あおいろといき)になってるよ。建物が古ければ古いほど、数十万、数百万単位の修繕費が二、三年ごとにドカドカ来るんだからねえ。新宿だろうが他の場所だろうが、そこは変わらない事実だ」

「そういうものなのか……。

 そういうのって、売る側に倫理観はないのか? 何故そんな地雷を売りつけてしまうのか、理解に苦しむぞ……」


 蒔田はなんとも嫌そうな顔をした。


「合理性至上主義なエンジニア職の人からは、俺たちの仕事はそう見えても仕方ないのかもしれませんね」


 と、三田村は苦笑する。


「色々事情があるんです。

 悪徳業者がカモの素人に粗悪な物件を売りつけたーなんてケースもないわけじゃありませんが、そうじゃない時だって多いですよ。

 介護とか金銭的事情とか地元への愛着みたいな理由で、お客様が合理的ではない決定をすることもこの業界では普通なんです。蒔田さんだって『日本は地震大国だから海外の安全な場所に住め』とかいきなり言われても出来ないでしょ? それと一緒」

「……なるほど、その心情については理解できる」

「でしょ? その気持ちを『合理的じゃないからもっと賢い選択をしろ』って切り捨てるのは俺たちの仕事じゃないんです。絶対に譲れない点と現実に選べる道をお客様と確認し合ったうえで、ベストを尽くすことが一番大事。


 ……ただ、不幸なことに先だっての大地震で、結構な割合の家に計画外のダメージが入っているんですよね。

 そんなことになってもやるべき修繕を(しぶ)ったまま、ずるずる先延ばしにしているやつが都市部にもわんさかいるし、今回の物件だってそうなんです。……次に大地震が来た時に、そういった家々がどうなるか……なかなかおっかない話ではありますね。

 ま、誰も金なんか持ってないんだから、放置もやむなしなんだけどさ」


 そう言って、三田村は少し影のある顔で笑った。


「こんな話はどうでもいいか。

 ……そろそろ出ますか。蒔田さん、準備はいい?」

「ああ」


 と、言うなり蒔田はノートPCをパタンと閉じて立ち上がる。


「準備はできている。いつでも行けるぞ」


 蒔田のその言葉に、私も慌てて立ち上がった。


「あ、私も行……」

「だーめ。エリカちゃんはお留守番ね」


 そう言って、三田村が私の前に立ちはだかった。


「へっ? ここまで来てお留守番!? なんでそうなるのよ、私も行くわ!」

「あーのーさー。アンタ、さっきどんな目に()ったかわかってる?」


 三田村は呆れた様子で眉をひそめ、ずずいと私の前に顔を近づけてきた。


「道を歩いていただけの人間を無理やりハイエースに詰め込むレベルのド悪党に誘拐(ゆうかい)されかけていたんだよ? 夜の新宿はあぶねーの。ましてこれから行くのは泣く子も黙る深夜の大久保エリアだ。何かあったら俺でも守りきれねえよ」

「うっ……ううう……」


 三田村に真剣な目で(さと)されて、私は反論できなくなる。

 彼はそんな私を見てふっと苦笑したかと思うと、私の頭にポンと手を置きながら、


「そんな細っこい体のくせに、俺達と一緒に行ったからって、君に出来ることはないだろ? さっさと熱いシャワーでも浴びて、ベッドに入って寝ていなよ。それが賢明(けんめい)だ」


 と、頭をなでた。


「……私をチャオズ扱いしないで……。アンタなんて、エンゲル係数がバカ高い生活破綻者(せいかつはたんしゃ)のくせに……」


 三田村の手を振り払いながら、私は泣きそうな顔になった。


「どういう()台詞(ぜりふ)だよ……。そう()ねるなって。

 洗面所の引き出しの中に出張先のホテルで貰ったアメニティがあるから、適当に使っておいて。んじゃ蒔田さん、エリカちゃんを俺の部屋に送ってくるから、外でタクシー拾っといてもらえませんか。

 始発もまだだし、こんな時間にエリカちゃんを外にほっぽり出すワケにもいかないでしょ?」

「……分かった。タクシーは俺が手配するから、目的地の位置情報を俺のスマホに送ってくれ」


 蒔田は(うなず)きながらグレーのジャケットを羽織(はお)り直す。


「はいはい、りょーかい。さっきID交換したチャットアプリ()てでいいですよね?」


 三田村は片手でスマホを操作しながらも、もう一方の手で私の肩を抱いて会議室の外へと(いざな)った。



 早朝に近い深夜だからか、廊下にも、エントランスにも入居者の気配はない。入居者の気配はないくせに、コンシェルジュだけはこんな時間でもちゃんと待機しているみたいだった。夜勤本当におつかれさまです……時給いくらなんだろうかと、私は思わず庶民(しょみん)めいたことを考えてしまう。


「わかったわ……三田村さんの言うとおり、お言葉に甘えて、始発が出るまでここで大人しくしていることにする……」


 私はエレベーターホールで到着階を示す液晶画面を見上げつつ、そういった。

 三田村は私の頭にまたもポンと手を置いて、


「うん、いい子だ。廊下だって危ないから、鍵はちゃんと閉めて、うっかり外に出るんじゃないよ?」

「出ないわよ。……ここ、明らかに普通の人が住む場所じゃないもの。うっかり廊下に一人で出て、怖い人に遭遇(そうぐう)したら怖いじゃない」

「そそ、そゆこと。素直な子は嫌いじゃないよ。

 あとは……あー……エリカちゃん、ところでさ、明日っていうか、もう今日か。休みなの?」


 と、ちらりと私を見る。


「ええ。水曜だけど、今週は土曜も出勤するから今日は代休なの。だから夜遅くまで仕事をしてしまっていたわけなのだけれど」


 と、その時、エレベーターの扉が空いたので、私は三田村に(うなが)されて中に入った。


「ふーん……」


 三田村はそう言いながら、エレベーターの操作盤(そうさばん)のカードスロットにカードキーを差し込んで、行き先の階のボタンを押す。(こんな仕組みのエレベーターは初めて見たが、これがタワマンの標準設備なのだろうか?)

 ……と、三田村は、ふと何かを思いつたような顔になったかと思うと、にやりとまた悪い笑顔を浮かべる。


「ちょっと。なんなのよその顔は」


 私は思わず三田村を(にら)む。

 私がそれ以上何かを言う前に、エレベーターの扉が空いた。


「まあまあ。ほら、俺の部屋はこっちこっち」


 三田村は私の背をぐいぐい押しながら、自分の部屋の前まで案内して、カードキーで扉を開けたかと思うと、私を中に押し込んだ。彼自身は部屋に入らず玄関口に立ったままだ。


「あのさ……エリカちゃんはこういう種類の建物に入ったことがないから分からないかもしれないけど、ここって家を出るにも入るにも、カードキーなしじゃ出来ないわけよ」

「へ? そういうものなの?」

「そそ。そういうもんなの。だから今日は一日、俺が帰ってくるまでおとなしくゴロゴロしているといいと思うなあ。帰ってくるの、夕方か夜くらいになると思うけど」

「は……え? ええ!?」

「んじゃ、いってきまーす。あ、そうだ。ご飯なら冷蔵庫の冷凍スペースにあるのを適当に食べていいから。それで、よかったら夜ご飯一緒に外で食べようよ」

「え? いやその……え!? え!!??」

「いやー、俺、今日ほど不動産屋でよかったって思ったことないや。不動産関係ってだいたい水曜が休みなんだよね。"契約が『水』に流れないように" っていう願掛け的な意味なんだけど。

 そんじゃエリカちゃん、まーたねー」


 三田村はきれいな笑顔を浮かべて手を振る。


「ちょ、ちょっと!」


 私は思わず部屋から出ようとしたが、三田村が扉を閉めるほうが早かった。



 ガチャリ。ムイーン。


 ……。……。



 私の反論を一切待たず、三田村はドアを閉め、電子錠も閉めてしまった。モデルルームのような……いやむしろ、絵に描いたような悪党の隠れ家に一人取り残される私。


「え……え?」


 玄関の前に立ち尽くしたまま、私は目をまばたいた。

 ドアの向こうから三田村が「よし!」と声を上げながらカツカツと去っていくような音が聞こえたが……何が「よし!」だ! と、私は思わず我に返り、ツッコミを入れる。


 カードキーがなくたって問題ないわ、普通に始発の時間になったらさっきのコンシェルジュさんにお願いして、さっさと帰るに決まってるじゃない、こんな所!!


 ……って。


 ……。……あれ?


 ……あのコンシェルジュさん、一体何をどうやったら呼ぶことが出来るのかしら……。







「……朝倉をあまりいじめない方がいいぞ。どうやら彼女は、君のことを相当怖がっている」


 外の車寄(くるまよ)せで待っていた蒔田は、開口一番苦い顔で三田村にそういった。

 タクシーはすでに到着している。

 時間が時間だから深夜割増料金になってしまうが、今は時間のほうが惜しい。背に腹は代えられないというのが三田村の判断だった。


「あははっ。あれ、なんでなんだろうねー。

 俺、あの子にはなーんにも悪いことした覚えがないんだけど」


 そう言いながら三田村はさっさとタクシーに乗り込んだ。蒔田はため息を付きながらそれに続く。行き先を告げると運転手は心得顔(こころえがお)で頷いて、タクシーはするりと発進した。


「……エリカちゃん、あっちの世界の俺を知ってるみたいだし、それで怖がっているのかもね」

「先程の君の口ぶりから察するに、大分殺していたのか? その……敵のゲームキャラクターを」


 蒔田が妙に回りくどい言い方をしているのは、タクシーの運転手を気にしているからだ。

 まさか『めちゃくちゃ人殺ししていたのか?』と聞くわけにもいかないだろう。


「そそ。俺も早く現実世界(こっち)に帰りたかったからさ、なりふりかまっていられなくて。

 でもさー、エリカちゃん、俺のことは怖がってるっぽいっていうのもわかるんだけど、なんだか懐いてくれてるっぽくもない? 脈が無いわけじゃないよね?

 俺、ああいう真面目で怖がりだけど芯はしっかりしている子ってすごーくタイプなんだよなあ。本気で口説いてみようかなー」


 と、言いながら、三田村はちらりと蒔田を見て、挑戦的な表情で笑う。

 ……その笑顔には決して恋愛相談的な意味はこめられていない。むしろ『俺が目をつけているからお前は手を出すな』という示威(しい)行動のようだった。

 それを感じ取った蒔田は、つかれた顔になりながらもため息をつく。


「……安心しろ、朝倉に対してそういう意味での興味はない。『あまりいじめるな』と言う忠告はだけはしたからな」

「はいはーい」


 三田村はヘラヘラと笑いながら窓の外を流れていく夜景に目を転じる。

 大久保はタクシーを使えばすぐに到着する距離にあった。


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