仮眠から目覚めた悪役令嬢
「驚いたな、周りばっかり見ていたから素で気づかなかった。
……大丈夫そうか、その子は」
「意識はないですけど……息はしているし、とりあえず脈も異常値ではないですね」
鼻の前に手を当てて、もう一方の手で女の子の手首に触れながら、私は言う。
胸は動いているし橈骨動脈も触れている。
顔色もそんなに悪くない。
「この子は……由緒正しい悪役令嬢ですね」
「アクヤクレイジョウ?」
桐生さんがけげんな顔をする。
知らないのか、悪役令嬢。
「ええと、悪役令嬢っていうのは名前の通り、乙女ゲームの中で悪役を張る良家の子女のことをいいます」
「乙女ゲームにそんなのいるかあ?」
「いますって。
ていうか桐生さん、なんでさっきからちょいちょい乙女ゲーの事情を知ってるふうの言動をとっているんですかね」
「……」
「……まあいいや。
悪役令嬢って言うのはヒロインのことがだいたい嫌いで、ヒロインにひどい嫌がらせをした挙句、最後には悪事が明るみに出て罰を受けたりする存在ですね」
「ああー、なるほど……嫌な奴がひどい目に遭うことでプレイヤーが爽快感を得るための仕掛けか」
「……身もふたもない言い方をすればそういうことになりますかね……」
「で、その子もそうなのか?」
桐生さんが不思議そうに悪役令嬢をみおろしている。
「はい、この子はエリザベートっていう悪役令嬢ですね。
十年前くらいに流行ったファンタジー系のPC乙女ゲー『ドキドキ☆地主王Loversとアリス』のライバルキャラクターです」
「……あ?」
「だから、『ドキドキ☆地主王Loversとアリス』ですってば」
「は?」
「しつこいですよ桐生さん。
『ドキドキ☆地主王Loversとアリス』って言ってるじゃないですか。
このエリザベートっていう子は地上げ王と呼ばれる大地主の子女で、
『私に挨拶なしに引っ越してきた』という地主らしい理由でヒロインに陰湿ないじめをしかけてくる子です。
このステッキで殴りつけてくるんですよ。
可愛いのに意外と武闘派なんですよね」
「『ドキドキ☆地主王Loversとアリス』……聞いたこと無いぞ、そんなふざけたタイトルは」
桐生さんが途方に暮れたようにつぶやく。
「結構前に会社ごとなくなっちゃったんですよ。
でも、『ドキアリ』は今でもミュージカル上映がされているくらい根強い人気のある乙女ゲータイトルです。
地縁力と店子を貯めて、
どんどん土地を買い足して、
世界一の大地主になることを目指すゲームなんですよ」
「地縁……店子……」
「場合によっては地上げ屋の背後にいる暴力団による抗争が起こったり、
銃撃戦にまで発展したりもする任侠系ファンタジーなんですよ」
「……なんというか、女の子が喜ぶタイトルとは思えないな……」
桐生さんがなんとも言えない表情で目をしぱしぱさせている。
「そこが逆にウケたんですよ。
銀髪ロールのツインテールに紫色のドレス、
ミスリル製のステッキ……間違いありません、エリザベートですね。
『悪役令嬢』って小説では人気のある概念だって友達から聞いたことがあるけれど、
確かにゲームでは逆に珍しいのかもしれませんね」
「……考えれば考えるほどよく分からん。
とりあえず、そのエリザベートとかいう娘は起きそうか?」
桐生さんは賢明にも話題を変えた。
私はコクリとうなずきつつ、ペチペチとエリザベートの頬を叩く。
「うーん、眠りが深いのか何なのか、なにをしても開眼しませんね……。
この子も中身は人間なんでしょうか?」
そう言って、私は桐生さんを見上げた。
「……あからさまにゲームのキャラクターなんだ、きっと中身は人間だろう」
桐生さんはため息交じりにそういった。
「もうちょっと強めに起こしてみましょうか……うーん、起きませんね」
「それ以上はやめてやれ、かわいそうだ。
それより、もっと大事なことを思い出したぞ。君のスマホを見せてくれ」
桐生さんが思い出したようにそう言って、ポケットからスマホを……私のスマホを取り出した。
「正式なステージとして設定されていない『この場所』なら、
敵が来ることはあり得ない。
できることはこの場所で全部やって行こう」
「そうですね……あ、0511でロックが外れます。
私の誕生日なんですよ」
「……そのパスコード、今すぐ変えろ」
「ええー、イヤですよ面倒くさい」
「か・え・ろ」
「いたたた痛い痛い。
……んー、じゃあシロクロ、で4696とかどうです?」
「俺に今教えてしまった時点でそのパスコードも却下だ。
というか、不用意にパスコードを人に教えるんじゃない。
あと他人が覚えにくいようにもっと桁を増やせ。
ソーシャルハックの罠はどこに潜んでいるかわからないんだぞ?」
「もー、分かりましたよ。
元の世界に帰ったらちゃんと変えますって」
「……言ったな? 絶対だぞ。絶対に変えるんだぞ。約束だからな」
桐生さんは私の気のない返事を聞いてしかめつらになりながらも、パスコードをタップしてスマホのロックを解除した。
「……当たり前だが、圏外だな。
『無題』のアプリ以外、メニュー画面に特に変わったものはないか?」
「ないです。
残り電池が三十パーセントかあ。どこかで充電できればいいんですけども」
「今のところは無理そうだな。MicroUSBケーブルも無いし」
コンフィ・シティでスマホの充電ができるとは考えない方がよさそうだ。
「……さて。
あとはこの『無題』を開いてみるかどうかだが……」
桐生さんは歯切れ悪く言いよどむ。
その目線はスマホの画面に落ちたままだ。
「どうしますかね……」
私も桐生さんと同じく、歯切れの悪い返答を返すしかない。
この『無題』というアプリ……気になるけど、タップして開いていいものなんだろうか?
呪いのアプリだったりしないだろうか?
開いた途端カウントダウンが始まって、死ぬまでの残り時間が表示されたりとかしない?
なんてことを考えていると……。
「……っ、マジか!!」
不意に桐生さんが桐生さんらしからぬ声を上げたかと思うと、
私にグイとスマホを押し付けてきた。
「え?」
そして私が桐生さんに何かを尋ねる間もなく、頭上でガキィィン!! と鋭い金属音が響いた。
反射的に私は身を縮めて抱きしめる。
恐る恐る上を見た。
すると……。
――私の頭上では悪役令嬢、もといエリザベートが、ミスリル製のステッキで私に殴りかかっていた。それを桐生さんが間一髪でバールで防いでいたのだ。
☆
「……弁明があるなら、聞く用意があるぞ」
バールを軽く振り払ってエリザベートのステッキを退けながら、
桐生さんは静かな声でそう言った。
エリザベートは苦い顔で自分のステッキを見下ろしている。
……どうやら力負けしたらしい。
桐生さん、めちゃくちゃ力強いものね……。
「我々は君に敵対するつもりはない。
しかし今、君は俺たちに敵対行為を働いた。それは分かるな?」
「……」
エリザベートは沈黙を保っている。
どう行動したらいいのか、話したらいいのか、分からなくなっているように見えた。
と、次の瞬間、彼女はまたステッキを振り上げる。
しかし桐生さんはそれを容赦なく振り払ってステッキを叩き落とし、
今度こそエリザベートの戦意は喪失したかに見えた。
放心するエリザベートに、桐生さんは静かにいう。
「俺が見た限りだが、君は目を覚まして起き上がって周囲を見回し、
俺たちを目視した途端にすぐさま殴りかかってきたように見えた」
表情は険しいが、かなり言葉を選んでいるような雰囲気がある。
「一体どんな理由があって君は俺たちに殴りかかってきたのか……俺たちに分かるように説明してくれ」
「……」
「納得できる説明をくれれば君を攻撃したりはしない。
だが、君がこのまま沈黙を保つなら、
今後……少なくとも俺個人は君を敵であるとみなすぞ」
桐生さんの厳しい語調に、エリザベートは泣きそうな顔で下唇を噛んだ。
それにしても、桐生さんの喋り方に妙な違和感があった。
違和感というか……既視感というべきだろうか?
こういう日常会話ではまずしないような、理路整然とした話をする何か……ゲーム……あとこの声との組み合わせて、前にどこかで見聞きしたことがあるような……うーん……。
「……ええと、まず確認したいんですけど、エリザベートさんは日本から来た人間ですか?」
私は手を挙げて発言を求めるジェスチャーをしながらそう言った。
「私も桐生さん……この男の人も、日本の会社なり病院なりで残業中にここに迷い込んできた人間なんです。
エリザベートさん、あなたも同じ人間ですか?
それとも、あなたはこのゲーム……じゃない、この異世界固有の存在ですか?」
私がそう尋ねると、エリザベートは自嘲交じりの笑みを浮かべながら首を振る。
「……いいえ、私はNPCじゃないわ。
さっきまでサービス残業で苦しんでいたはずの、ごく普通の人間よ。
というか、今度はエリザベートになってんの? 私」
「『今度は』?」
エリザベートの発言を、桐生さんはすかさず拾う。
「エリザベート、君はつまり、『前にも似たような出来事に遭遇したことがある』んだな?」
「……そうね。
もし、私の見た目がゲームのキャラクターに代わっていて、ここがゲームそっくりの訳の分からない世界なのだとしたら……その通りよ。
私は前にも、同じような出来事に遭遇したことがある」
エリザベートの喋り口は、ずいぶんとゆっくりとしたものだった。
元々ゆったりした口調であるというよりは、彼女もまた慎重に言葉を選んでいるという感じだ。
「あなたの見た目は……『虹夢学園☆ファンタジア』の桐生総一郎さんね。
そちらの女の子は?」
「ええと、私はゾンビゲーの『デドコン2』に出てくるヒロインのセラです。
勿論見た目だけだけど」
「そんなことは分かっているわ。
……で、そのスマホは桐生さんとセラさん、どっちの?」
と、言いながら、エリザベートは私が胸に抱えているスマホを指さした。
私のです、といいそうになるが、桐生さんに止められた。
不用意な発言はするなということか。
だがそれだけでエリザベートには分かってしまったらしい。
ぞっとするほど暗い表情で、エリザベートはニタリと笑った。
……いや、泣きそうな笑顔だったのかもしれない。
やりたくない仕事だけど、やるしかない。そんな悲壮な決意の見える笑顔。
「……そう。やっぱり、セラさんのものなのね」
「そのことが、今までの話と一体なんの関係がある?」
桐生さんがそういいながら、すっと私とエリザベートの間に立つ。
多分私をかばってくれているのだろう。
うう、ごめんなさい……失言やらかしちゃったかなあ。
「さっきも言ったが、君はいきなり俺たちに殴りかかってきた。
……こんなバカげた世界の中に放り込まれれば、普通は混乱したり呆然としたりするものだ。
おあつらえ向きに、ここは見た目にもはっきり異常だとわかる場所だしな」
桐生さんはそういいながら、頭上のペラペラな背景群を親指でグッと指さして見せる。
「だが君は、驚くほどスムーズに俺たちに殴りかかってきた。
『まるでこの世界で自分が何をするべきかあらかじめ知っていたかのように』な」
「……」
「つまり君は、ここが一体どんな世界で、何をすればここから出られるのか知っているんじゃないか?」
桐生さんの声は硬い。
先ほどまで薬草をポケットに詰めたりバールを振り回したりと、
やりたい放題やっていたはずの桐生さんが、傍目に見てわかるくらい警戒しきっている。
「……ふふ、そうね。あなたの言う通りよ。
私はこの世界について、少なくとも何も知らないわけじゃない」
エリザベートが笑う。それは壊れた笑顔にも……泣き笑いのようにも見えた。
「……その子がこのゲームの『核』よ。
その子を殺さなきゃ、このゲームは終わらない」
【本編を読み進めるうえで何の参考にもならない登場人物紹介】
■ 悪役令嬢
主に女性向けウェブ小説で登場する概念。ゲームでは逆にほとんど見ない。 悪役令嬢は大体ひどい目にあった後に大逆転して富も名声もイケメンも勝ち取るので、どう考えても立ち位置としては悪役ではなく王道主人公に近い……のだが、何故か必ず悪役という言葉がつく。おそらくだが、ここでいう悪役とは、裸一貫とか逆境からのスタートといった意味合いに近いのかもしれない。
(余談だが、災害医学の論文によると、血圧計がない時には触知できる部位で収縮期血圧を類推できるとされている。橈骨動脈は80mmHg、大腿動脈は70mmHg、頸動脈は60mmHg……といった具合だ。例えば頸動脈しか触知できない場合は収縮期血圧が60mmHgであると推測できる。また、計測する相手の通常状態の血圧が不明の場合には、収縮期血圧90mmHg以下をショック状態であると判断する)




