『世界の最果て』でもこの人となら戦える
「桐生さん!
見た目がちょくちょく壁にめり込んで人間離れした感じになってますけど、
大丈夫ですか!」
「……! セラ、何とかなったんだな。よかった」
地面に着地してから一歩もふらつかず、桐生さんは私を振り返りそういった。
やっぱり壁にぶつかると痛いからだろうか、顔はちょっとしかめつらになっている。
「軍勢たちはもう私が助けなくても大丈夫なくらいになりました。
ここの敵は、ニックと地獄の軍勢たちに任せておけばなんとかなります。安全地帯になりましたよ」
「君には本当に驚かされるな……。
『あいつらを一時的に足止めできるようなアイデアはあるか?』とは確かに聞いたが、まさか本当に足止めするシステムを作り上げてしまうとは」
「桐生さんのゾンビホイホイ作戦のおかげですよ。
私ひとりじゃ、多分対応しきれずに死んでいました」
と、私は苦笑気味に肩をすくめる。
「むしろ桐生さんの方がすごいですよ。
私、バグのことなんてすっかり忘れていました。
話を聞いた時にはとても信じられなかったけれど、
本当にこのゲームの世界から出られる場所があったんたんですね……」
「ああ。
この場所から壁にぶつかり続ければ、
少しずつ前に位置がずれていって、
この壁の外に出られるようになっているみたいだ」
桐生さんはそう言って、顎で壁を示して見せる。私はふんふんと頷いた。
「なるほど、それはすごいですね。でも……あの、桐生さん。
ニックも地獄の軍勢たちもしっかり仕事をしてくれていますし、
無理やりゲームの枠の外に出なくても安全に作戦会議ができそうな状況になったんですけど」
「……」
「……」
「……で、でも出てみたい」
「分かりました。付き合います」
私が思わず吹き出すと、桐生さんが気まずそうな顔で頭を掻く。
「別に待っていてもいいんだぞ?」
「そういわれると……うーん、どうしようかなあ」
頭痛くなりそうだしなあと言いながら、私は苦笑して小首をかしげた。
「桐生さんがこの壁の向こうに出たいのは、どうしてですか?
ゲーム開発者としての本能が騒いでいるんですか?」
「それもあるが、なにより少しでもここを脱出するためのヒントが欲しくてな……」
そう言ったかと思うと、桐生さんは物憂いげにため息を付いた。
「……ここが一体何なのか、考えれば考えるほど分からなくなる。
もしここがゲームの世界なのだとしたら、
ゲームには必ずバグがあるものなんだ。それこそココの壁みたいにな」
そう言いながら、桐生さんはコンコンと塀の壁を叩いてみせる。
「……ハッカーっていうのはな、穴一つない壁に無理やり穴を開けるような存在じゃないんだ。
あいつらは元々あるバグの穴からシステムの内部に侵入し、
片っ端からいろんな挙動を試してはまたバグを見つけて、
自分の思い通りになるような場所を探し当てていく。
……この世界が一体なんなのかは、未だによく分からない。
が、この場所に確かにバグは存在した。
それならば、根気強くすべてのバグを検証していくことによって、元の世界に戻るための道筋もつけられる……と、俺は今考えている」
「桐生さん」
「俺はな、セラ」
頭一つ分は高いところにある桐生さんに、真剣な眼差しで見つめられる。
「君にはこの世界を生き延びていけるだけの能力がある……と、思う。
こんな絶望的な状況においても、投げやりにならずにチャンスが来るまで動くことが出来る能力、とでも言うべきかな。
だが、それだけでは元の世界には帰れない。
生き延びるだけじゃ駄目なんだ。
だから、元の世界への道筋を見つけ出すのは、ゲーム開発者である俺に任せて欲しい。
……幸いなことに、クラッキングは俺の十八番だしな」
「桐生さん」
「大丈夫だ、セラ。必ず元の世界に戻れるさ」
そう言って、桐生さんは笑ってくれた。
不器用で笑いなれていない人特有の笑顔であるように見えた。
「……そうですね。必ず生きて帰りましょう」
桐生さんの笑顔につられて、私も思わず笑ってしまう。
――桐生さんが乙女ゲーキャラクターのイケメンじゃなかったとしても、私はこの人の笑顔にはホッとしたと思う。
短い期間だけど、この人の存在に私は今まで助けられてきた。
一人でここをさまよっていたら今頃どうなっていただろう……と、考えるだけで恐ろしくなる。
私は背後に目を転じて、ゾンビとNPCが殺し合うダウンタウンを振り仰いだ。
黒煙がのぼり化け物たちが暴れまわる、地獄のような景色が広がっていた。
(とんでもない世界に放り込まれてしまったけれど、怖いことには変わりないけど、せめてこの人に出会えてよかった……)
噛みしめるように、私は思う。
……この人となら、戦える。
他愛のない話をしながら、脱出への道筋を模索しながら。
絶望の色濃いこんな世界でも、この人となら、戦えると思った。
「……壁の外、一緒に行ってみましょう、桐生さん」
私は桐生さんに向き直りながらそういった。
私なりの共闘の宣言だった。
ゲームの攻略だって、バグの検証だって、一人より二人でやったほうがいいだろう。
すると、私の発言を受けた桐生さんは何故か嬉しそうな顔になり、「ありがとう。お礼に君に先を譲ろう」と提案してきた。
「……桐生さん、なんでそんなに嬉しそうなんです?」
「楽しいことは共有したほうがもっと楽しいに決まっているからな」
「そんなに壁に頭をぶつけるのが楽しいんですか」
「違う、バグを突っつくのが楽しいんだ。
セラ、いいか? この場所に立つんだ。
塀の角にぴったり張り付いて……そう、そこだ。
そしてその場所から、壁に向かって思い切り何度もジャンプする。
すると、だんだん壁をすり抜けていくことが出来る」
「分かりました……うう、痛そうだなあ」
私は嫌々ながら桐生さんの言うとおりにした。
目を固く閉じ、壁に何度も頭をぶつける作業をしてみる。
やっぱり普通に頭が痛い。無の心でジャンプを続ける。
……が、ある時点から急に頭が痛くなくなった。
「セラ、もうジャンプしなくていいぞ! 無事すり抜けている!」
壁の向こうから桐生さんの声がした。
私はふっと目を開く。
するとそこにはおどろくべき景色が広がっていた。
――桐生さんの言っていた、世界の果てが。
☆
「ここは……!」
私は目を開き、目の前に広がる世界を呆然と眺めた。
繁華街よりも数段ボロボロになった雑居ビル群がそこにあった。
(ここ、知ってる……スラム街だ……)
ひび割れたガラス製の窓辺には、
雑巾のような色をした洗濯物がいくつも干され、
狭い路上には乗り捨てられた自転車がころがっている。
売れるものはあらかたはぎとられ、車輪もサドルも奪われている始末だった。
『スラム街』。
何度か見たことはあるけれど、
一度もプレイしたことのないエリアがそこには広がっていた。
(確か、事前のプロモーションビデオにだけ登場したけれど、結局はお蔵入りになったステージ……だよね)
自分の記憶をたぐりながら、私は周囲を見回した。
正式なステージとして設定されていないからだろうか、ゾンビや敵の姿はない。
しかしそれ以上に異常な光景があった。
(背景が空に浮いてる……)
ぞっとした。
木やビルなど、ざっくり描きこまれた沢山の絵が、文字通り『宙』にういているのだ。
絵にはどれもこれも嫌というほど見覚えがある……当然だ。
ゲームのプレイ中に、私はこれらの絵を『遠くにある背景』として散々見ていたのだから。
異常な景色なのに、意味が分かる……分かってしまう。
(ネットに上がってたスラム街侵入動画なんかでここの景色がこうなっているのは知っていたけれど……)
ぺらぺらの板切れに描かれたようなビル群や樹木などの群れは、なんとなく演劇の大道具を思い出させる。
だが……どう考えても大道具は空中には浮かばないだろう。
ここはやはり現実の日本ではない。異常な場所だった。
――私たちは本当に、この異常すぎる世界から脱出できるのだろうか?
「……こうしてみると、まざまざと現実を突きつけられるな」
と、声が聞こえ、私が思わず横を振り返る。
そこにはいつのまにか遅れてやってきた桐生さんが立っていた。
頭を押さえてしかめつらになっているのは、壁をすり抜けるために頭をぶつけまくったせいだろう。
「文字通りゲームのような異世界、ということか……」
「ゲームのような『異世界』?
桐生さん、ここはゲームの中じゃないんですか?」
私は思わず首をかしげると、桐生さんは痛みをこらえるように目を閉じた。
「ああ。バグはそのまま残っているようだが、
ただのゲームにしては『それ以外』の完成度が妙に高いのが気にかかる。
例えば……ほら、俺は背中のズボンのベルトにバールと無限マシンガンを刺しているだろう?
こんな行動、ゲームの中のキャラクターはやりたくても出来ないからな」
そういって桐生さんがくるりと回って私に背中を見せると、
そこには確かにバールとマシンガンが刺さっていた。
「うわ、危ないですよ桐生さん。
……まぁ確かに、そんな少年漫画の日比野のハレ×ヤめいた行動は、ゲーム中ではできませんね。
ていうか、私の武器まで持ってきてくれていたんですか?
ありがとうございます」
「君は不用心すぎる。こんな世界だぞ? 武器は手放さない方がいい」
桐生さんはため息をつく。そうして物憂げな目線を周囲の景色に投げかけた。
「……出来ないはずのことが、できる。
あってはならないはずのものが、ある。
こんな世界、もしも本当にゲームで実現させたりしたら、
計算しなければいけない設定が膨大になって、
物理演算が破たんして……ゲームどころじゃなくなるはずなんだ」
「うーん、確かに。
ここまでゾンビが自由奔放に動き回って、私たち自身も自由奔放に動き回れる……なんて、こんな自由度の高すぎるゲームは今まで見たことがありませんね」
改めて周囲を見回しながら、私は肩をすくめた。
「技術的に無理なのかあ」
「ああ。こんなとんでもない世界は、SFではなくファンタジーの異世界だと思ったほうがまだマシだな」
桐生さんは目を細め、鋭い目線を虚空に向けながらそう言った。
少しの間、私たちは沈黙する。
私は曇り空の中浮かんでいるペラペラのビル群を眺めながら、これからの見通しについてぼんやりと考えた。
(私たち、生きて帰れるのかな。
ていうか今頃病棟はどうなっているんだろう。
私が消えて大騒ぎになってるのかな? それとも私たちが戻れるまで現実の時間は止まっていたりするのかな……)
そんなことを考えている私の横で、
桐生さんは壁をバンバン叩いたり、
ポケットから出した小石を地面に投げ入れたりしはじめている。
そして自分の足元を見て、自分の妙に形がいびつな影を見て、
「……壁をすり抜けた後でもシャドウマップの解像度が低い……。
壁をすり抜ける前と同じか」
なんてワケの分からないことを呟いている。
バグや仕様の検証をしているのかな……と、私が考えているうちに、桐生さんが足元に置いていた小石が床をすり抜けて消えたので、私はぎょっと目をむいた。
「えっ……ええっ!?
ここ物理エンジンが仕事してないんですか!?」
「……そのようだな。
あまり不用意に歩き回ると、床からすり抜けて永遠に落下して、バグ動画界隈でいうところのいわゆる死ねないんでしょう? 状態になってしまうから、気をつけた方が良さそうだ」
「そ、そんなあ……」
「まぁ落ちるときは落ちるもんだ。気にし過ぎても仕方ない」
「……さっきまで慎重になれなれって言ってたくせに……。
桐生さんでもリスク回避より好奇心が上回るなんてことがあるんですね。今の桐生さん、『バグをつつくのが楽しくて仕方ない』って顔に出ていますよ」
「うっ」
バツが悪そうな顔をする桐生さんに苦笑を向けた後、私は周囲を見回した。
桐生さんが何を言っているのかはよく分からないが、ここが今までより更に異常な場所だということくらいはわかる。
気をつけなければ……。
「……あ。あー、いまふと思ったんですけど、桐生さん」
「何だ?」
まるでハー〇ライフのバグ検証動画のようにゴミを激しくバールで殴りつけていた桐生さんがこちらを振り返る。
「やっぱりSF路線も捨てがたいと思います。
私たち、実はランスアートオンライン的な世界に閉じ込められているんじゃありませんか?」
なるべく壁寄りの(多分安全だと思いたい)場所に座り込みつつ、
私は桐生さんにそういった。
すると、桐生さんが呆れた顔になる。
「君も俺も、さっきまでサービス残業祭りだったはずだろう?
どこにゲームで遊ぶ余裕があったっていうんだ?」
「ええと、そこらへんはきっと記憶が混乱しているんですよ。
ほら、最近はVRゲームとか言うのが流行ってるでしょう?
私たちはいつのまにか悪い奴らに捕まって気絶させられて、
政府の地下実験組織が開発中の最新VRゲームの実験台にされているんです!
……そういう推理は、どうでしょう?」
「ありえないな」
桐生さんは苦笑して、私の頭をポンと叩く。
「俺に今『触られた』ということが、君にもはっきりと分かるだろ?」
「はい、分かります」
「俺もだ。君に今『触っている』ということがはっきりと分かる。
普通のゲームで……ここまでの触覚反応が返ってくることはあり得ないんだ。
ゲームの中でプレイヤーが何かを手で押したり叩いたりしたら、
押したり叩いたりした分だけの力を押し返すことのできるアクチュエーターが必要になる。
そういう力を生み出す装置を作り出せなければ、
『触っている』『触られている』という感覚が再現できない。
そして、ゲーム機ではまだそんな芸当が出来ているものは出てきていないし、出る見込みもない」
「ぐぬぬ、SFは奥が深いですね」
「SFじゃない。
いまだって大掛かりな装置を使えばある程度は実現できる先端技術だ」
「うーん……よくわからないけど大変そうですね。
そんな大層な機械をゲーム用のグローブなんかにはめ込むのは難しそうです」
「そう、そういうことだ」
桐生さんはうなずいた。
「だから、もしも俺たちが本当に流行のVRゲームの中に閉じ込められているんだとしたら、
物体の手触りがもっとスカスカしていたり、壁や人の当たり判定(Collision detection)が雑だったりするはずなんだ。
field of view (FOV)、つまり視野角だってここまで広いはずがないし、視界全体がもっと荒いハズだしな」
「うーん、よくわからないけど大分ショボいことになるんですね。
残念だなあ。
VRゲームの世界の中だったら面白いのになあって思ったんですけど」
私の言葉に、桐生さんが苦笑する。
「面白そうだと思うのは俺も同じだがな。
第一、もしここがVRゲームだとしたら、
頭に付けたHMDを外せばそれで外に出られるはずなんじゃないか?」
「ランスアートオンラインは脳に直接ゲーム回線をつなぐって話じゃありませんでしたっけ。
だから出たくても出られないんだとか」
「そこが一番あり得ないな。
どうやって脳にゲーム機をつなげればいいんだ?
あの話でやっていたような技術なんてまだないぞ。
頭蓋骨を割って直接脳に電極刺して、
首の後ろにUSBポート生やしたりでもするのか? 」
「やだー、ダサいしグローい」
「グロいというのもあるし、
『たかがゲーム』のためにそんなことをしようと思うやつはいないだろう」
「ええ? でもちょっとはいるかもしれないですよ」
「ちょっとじゃゲーム会社も採算がとれんだろう。
……需要がないとわかり切っているものが、開発されるわけがない。
VRゲームの中に閉じ込められているという線は、今回は考えなくていいと思うぞ」
桐生さんは肩をすくめて笑い、私の推測を一蹴する。そしてふっと真剣な表情になり、
「それにしても……参ったな。
もし俺たちが本当にゲームのような異世界に迷い込んだのだとしたら、ここを脱出できるキーは一体なんなんだ……?」
「……」
桐生さんの独白に、私も苦虫を噛み潰したような顔になる。
――どうやったらこの世界から出られるかって? ……私だって全然わからないよ。
あまりの見通しの立たなさに、思わず泣きたくなってくる。
だけど今の私には、それ以上に気になっていることがあった。
「あと、あの、桐生さん。さっきから気になっていたんですけど」
「どうした?」
「私たち……人を踏んでません?」
「……」
私と桐生さんは、ほぼ同時に自分たちの足元を見た。
足元に紫色の塊が転がっている。
私達の足は力強く、その紫の塊を踏みしめている。
「うわあ、やっぱり踏んでた!」
体じゃなくて、スカートの部分だけど。
私はあわてて足をどけて、倒れていた人間を抱き起した……女の子だ。
見た目の豪勢さからして、多分NPCじゃない。
私たちと同じ……『ゲームキャラクターの姿を借りた人間』だ。
【本編を読み進めるうえで何の参考にもならない登場人物紹介】
■ HMD
ヘッドマウントディスプレイ、あるいはエイチエムディーと読む。
VRゲームをやる時に頭に付けるゴツい機械の箱みたいなやつのことである。1990年代に一度は頓挫してしまったVRブームであるが、2012年にとある青年が手作りHMDを発表し、クラウドファンディングで開発資金を募集したことをきっかけに、ブームが再燃することになった。




