プロローグ『スマホがアレして異世界に迷い込むよくあるやつ』
私は名もなき新人看護師。
おしまいの限界病棟に勤務している。
高校時代は古いゾンビゲーと乙女ゲーの超級廃人だったが、そんなもの、今は休日にだって出来ないくらい仕事で疲れ切ってしまっていた。
なぜこんなひどい目に遭わなければいけませんか?
おしまいの職場をバールか何かで破壊しろってことですか?
前科者になるのは嫌です、こっちは一生懸命お仕事をして生きていたいだけなんです!!
私だけでなく同期も似たような状況で、みんなわずかな睡眠時間を確保するためにお風呂に入ることをちょいちょい諦めているし、目が死んでいるし、頼りになる先輩たちも、みんな目が死んでいるし、その様子を見に来る管理職の人達も、みんな目が死んでいる。誰か生きている者はいないのか。
……ゲーム? そんな貴族の遊び、誰一人やってない。
だってみんな目が死んでいるから。
多分、もし私が「おすすめのゾンビゲームがありますよ」って言ったら、真面目に「そんな暇ないんだけど」って怒られると思う。
うっかり人に何かをおすすめすると激怒されてしまう職場……!
駄目すぎる。あまりに余裕が、なさ過ぎる。
(うう、記録……早く終わらせなきゃ……でも頭が全然回らないよ……)
私はあくびをかみ殺してため息をつく。
ここはナースステーション。
ポーン、ポーン、と、患者さんの状態をモニタリングするテレメータの発する音が規則的に響いている。
今の私はステーションのパソコンを使って、今日一日の看護記録を書いていた。
場所は█宿。時刻は深夜。
夜景の見える限界病棟。
(最近なんにもやっていないな……。
ゲームも無理だし、友達とも遊ぶ元気もないし、そもそもスマホを開く気力もないし……)
そんなことを考えながら、ポケットに括り付けた腕時計に目をやれば、時刻は12時半。
(眠いわけだ……)
私は頭を振り、時計から顔を上げる。
こんな時間でも日勤の人間は誰も帰っていない。
何かの準備をしているか、看護記録をPCでカタカタ打ち込んでいる。
(ここはそういう職場なんだよなあ)
私はため息一つついて、ナースステーションの向こう側に目を向ける。
虹色のネオンサインに、ずらりと並ぶ大量のオフィスビルの窓明り。
いつ見ても非現実的なくらい綺麗で、まるで異世界のような光景。
……こんなに夜は更けているのに、街は眠る気配がない。
ここから見える明かりの数だけ、人々はまだ眠りもせず起きている。
(█宿の夜景って、私たち社畜が命を削って作っているものだったんだなあ。
こんな煌びやかな世界を維持するために、人々は今日も使い潰されているのか……)
なんて、疲れすぎた私が詩人みたいなことを考えはじめた次の瞬間に、その夜景が一瞬ドクリと嫌な感じに揺らいだ。
(変だな)
慌てて頭を軽く振ると、視界はすぐに元に戻る。
ホッとため息をつきながらも、私は苦い顔をして胸を押さえた。
(体調、ここ最近よくないんだよな)
ため息をつきながら記録仕事を再開していると……死んだ目で夜勤をこなしていた主任さんが、急に慌てた様子で駆け寄ってきた。
「――――看護部の巡回よッ! リネン室の方に隠れて隠れてッ!」
主任は小さくそう叫んだかと思うと、私の肩をガッとつかんで立ち上がらせる。
そして私が抵抗する間もなく、熟練の手さばきで私をナースステーションの奥にあるリネン室(※ 洗濯に出す衣類やシーツが押し込んである倉庫のような場所のことだ)に押し込んだのだった。
真っ暗な部屋の中。
私はしばらく目をぱちくりさせた後、ため息をつく。
(……あーあ。またか……)
この病棟ではよくあることだった。
『新人に残業をさせている』と看護部の偉い人たちにバレると怒られるから、主任は新人である私を奥の部屋に隠したのだ。
こんな限界病院でも、病院全体では残業撲滅をめざしているし、おもてむきは『新人に残業はやらせていない』ということになっている。
新人はピカピカの笑顔で定時退勤できる、明るく楽しい職場です!!
……嘘です。真っ赤な嘘です。
嘘ですが、嘘だって表社会にバレたら色々あって最終的に病院の経営がおしまいになって爆発して、急性期医療網にデカい穴があいて、病院を必要としている人達がものすごく困るので、元気な我々は死ぬまで頑張りましょうねって、病棟の偉い人が死んだ目で言ってました。患者さんを人質にするのはずるい……ていうかもうみんな目が死んでいる……誰か生きている人間はいないのか……。
そういう感じの事情があって、看護部の巡回が来るたびに、こうやって私たち新人は人目につかないところに隠されるのだった。
(……。
……それにしても、まいったな。
病院のパソコン、10分以上操作しないと、ログアウトして書きかけのデータも消えちゃうんだよなあ……)
つまり、看護記録の書き直しになる。
1時超えコース決定だ……と、思わずため息をついてしゃがみこんだ。
こうなったらもうドアが開くまで寝て待つしかない。
私がぐったりと目を閉じていると、今度はポケットから妙な振動を感じた。
(……今、着信あった? スマホは電源を切っていたはずだけど……)
不審に思いながらポケットの中のスマホを見ると、
真っ暗な画面に妙な文字が浮かび上がっていた。
(……んー、これは……英語……?)
英語だと思うのだが、記号も多くてよくわからない。
真っ暗な画面は「電源が入っているな」と分かる程度に光っており、緑色の英文が沢山表示されているのが分かった。
(……スマホが壊れた? 操作できない)
首をかしげながらスマホを見ていると、……え? え? ちょっと待って?
その緑の文字はすごいスピードでどんどん入力されていき、
読もうとした端から文字が流れて見えなくなってしまっているではないか!
「……え!?」
私は思わず目を見開いて、声を上げる。
そして慌てて自分の口を押えた。外には巡回中の看護部の偉い人がいる。今声を出すのはまずい。
(えっ……え。え!? なにコレなにコレ!! こわい!!)
憂鬱な日常の風景が一転、SFめいた非日常のはじまりだ。
(sudo……スド? 何それ? apt?? ██? install……インストール? え? 何を? ちょっとちょっとちょっとぉ!! 勝手に私のスマホに変なのインストールしないでえ! パスワードを求められたっぽいけど……え、それも入力しちゃう!?)
目を見開いて固まっている私の目の前で、今度はパスワードっぽいものが勝手に●●●●●……と入力されていく。
(なにこれ魔法? ハッキング?)
と、アワアワしている私をよそに、今度はガチャンとドアが乱暴に開けられて……何者かが部屋に飛び込んできたのだった。
☆☆☆
「うわっ、今度はセラ!?
ウェブ小説じゃあるまいに、一体どうなってるんだこの場所は!!」
飛び込んでくるなりそう叫んだのは、
この世のものとは思えないほど美しい……というか、この世に居ちゃいけない種類のイケメンだった。
「桐生君!?」
青年は私の姿を見てかなり驚いているが、私の方もびっくりだ。
何しろ彼は、間違いなく架空の存在……人気乙女ゲー『虹夢高校☆ファンタジア(2014年リリース・ソシャゲ)』のキャラクター、桐生君だったからだ。
(乙女ゲームというのは、各種男性との恋愛を楽しむ女性向けレトロゲームのことである。念のため補足)
桐生総一郎。
黒目黒髪の美貌を持ち、飄々とした雰囲気を持つ黒幕タイプのスーツ青年だ。
ゲームを進めるためのヒントを教えてくれる、お助けキャラクターだった。
あまりに頼りになりすぎるので、人気ランキングでは常に一位。
……が、なんと彼は『隠し攻略キャラ』。
つまり、ほかの登場人物たちをすべて攻略し終えないと攻略できないキャラクターなのだった。
「話はあとだ!
とにかく、あのゾンビどもを振り切るぞ!」
桐生君はそう叫ぶや否や、私の肩をガッとつかんで立ち上がらせる。
桐生君の見た目にも驚いたが、口調にもギョッとしてしまった。
本来の桐生総一郎は、こんなにはきはき喋るタイプではなかったはずなのに。
(変なの。まるで桐生君の体の中に別の人間が入っているみたい……)
――ん?
――というかこの人、『あのゾンビども』って言った?
「ん? え? ……えええええっ!?」
と、私が叫び声を上げたのと、
桐生君がその辺に転がっていたバールをひろって綺麗なフォームでゾンビたちを殴りつけたのは、ほぼ同時のことだった。
桐生君はバールを横なぎに振り払ってゾンビたちを総崩れにさせたかと思うと、今度はバールを縦に振り下ろして、ガンガンガンと、一体一体の頭を全部丁寧に殴っていく……。
私は口をあんぐり開けて目を見開いた。
これはもう、乙女ゲーのキャラがやっていい動きじゃない。
いや最近の乙女ゲーは結構過激だけれども、でももう█舞伎町が舞台のゲームのヤクザのハイパーアクションを見ている気分です……。
桐生君は倒れたゾンビたちを容赦なく蹴とばして道を作ると、私の手首を乱暴にひっつかみ、そのままドアの外に飛び出していった。
「……あの、あなたは暴力を生業にされている方ですか?」
私がおずおずと尋ねると、桐生君は意外そうな目でこっちを見た。
「あ? 違う、俺の生業は……。……ゲーム屋さんだ!」
「ゲーム屋さん!?
ゲーム屋さんはゾンビを殺すのも得意なんですか!?」
「得意!? いや、得意ではないが」
「でも今の動き、歴戦のゾンビスレイヤーでも無理なやつでしたよ」
私は内心首をかしげながらも、桐生君と共に走り出す。
【本編を読み進めるうえで何の参考にもならない登場人物紹介(たまに人物以外も紹介する)】
■ 主人公
超過勤務で死にかけていた新人看護師。なつかしゾンビゲーについて語らせるとラブフ █ █トムのイントロ部分より長いことになるが、今はどう考えてもそれどころではない。