第29話 門戸“と”開放
森の外縁。
爆発音と衝撃波が幾度となく重なり合い、木々は枝を震わせ続けていた。
度を越えすぎた“二人”から離れたこの一角だけが、
かろうじて“安全地帯”と呼べる場所だった。
焦げた土の匂いと、まだ消えきらぬ魔力の残滓が漂う中、
フライヤは膝をつき、コマの回復を続けていた。
杖から流れ出る淡い光が、裂けた肉と折れた骨をゆっくりと繋ぎ合わせていく。
「よし!」
やがて光が収まり、フライヤはパンッと手を叩くように魔法を止めた。
「ここまで治りゃ、大事ないでしょ!」
「イデェ!!」
言い終えるや否や、フライヤはコマの背中を勢いよく叩いた。
鈍い音が響き、コマは思わず悲鳴を上げる。
「うん、いい返事!!」
その反応を確認すると、フライヤは満足げにニッと笑った。
「さて───」
フライヤはすっと立ち上がり、ゆっくりと振り返る。その視線の先では、先ほどよりもさらに激しい粉塵が巻き上がっていた。
地面を揺らす轟音と、空気を裂く衝撃。
まだ戦いは、続いていた。
「私は、あいつが刺し違える前に、援護に行ってくるわ」
彼女の杖を握る手に力が入る。
フライヤの表情は、先ほどまでの軽薄な笑みとは違っていた。
「待て、姐さん。俺も………」
コマが身体を起こし、立ち上がろうとする。
だが次の瞬間、彼の視界が揺れた。
足元がふらつき、身体が大きく傾く。
治療は終わっていても、血の巡りはまだ戻っていない。
フライヤはそれを見て、ふっと息を吐いた。
「闘志だけで敵う相手じゃないのは、身体が一番わかってるみたいね」
軽口のように聞こえる皮肉。
だがそこには、無理をさせないための優しさが混じっていた。
「私だって───今日、死ぬつもりはないわ」
フライヤの声色が、静かに変わる。
先ほどまでの戯れた調子が、少しずつ消えていく。
「アンジュちゃんを助けたら、さっさとサカキ連れて逃げるから」
その言葉は軽く聞こえる。
だがその実、命を賭してでも、仲間の命を守るという覚悟があった。
「コマ君は、逃げる用意を────ッ!?」
その瞬間だった。
サカキとコーネリアスが激突しているはずの方向から、突如として強烈な光が噴き上がった。
白く、鋭く、目を焼くほどの輝き。
一瞬にして周囲の景色が塗り潰され、木々の影が長く地面を這う。
フライヤの身体が、思わず強張った。
「───ッ何!?何が起きたの!?」
杖を握りしめ、フライヤは目を細める。
やがて、眩い光がゆっくりと収まっていく。
粉塵の向こう。
まだ揺らぐ空気の中に、巨大な影が浮かび上がった。
そこに現れたのは、一体の龍だった。
地を覆い、空を裂くような巨体。
そして、見る者の心臓を鷲掴みにする圧倒的な存在感。
「まさか、あれは───ニア!?」
フライヤの瞳が見開かれる。
見覚えがあった。
だからこそ、信じられなかった。
あの龍が、レガシー・ギフトが───。
ここにいるはずがなかった。
「あの《《現れ方》》、まさか………召喚?」
レガシー・ギフトじゃ空から飛来したわけでも、
森を突き進んできたわけでもない。
“現れた”───。
突然、この場所に出現した。
「誰が召喚………いえ、だれが転送を?」
フライヤの思考が高速で巡る。
アンジュとレガシー・ギフトの異常な共鳴。
そして、この戦場へとそれを送り込める可能性。
それらをすべて満たす人物は―――。
たった一人しかいない。
「まさか………また、ミコトちゃんが?」
その呟きが、風に溶ける。
そして次の瞬間。
戦場の中心で、龍の咆哮が轟いた───。
* * *
「グオオオオオオアアアァァーーー!!!」
天に向かって、レガシー・ギフトが咆哮を放った。
空気を震わせるほどの雄叫び。
その巨体から溢れ出す闘志は、もはや隠そうとすらしていない。
この龍は今、ただ一つの目的のためにここにいる。
金色に輝くその瞳は、その目的の存在を射抜いていた。
その全身から滲み出るのは剥き出しの殺意。
牙も、爪も、空中で構えた体勢も、
すべてが“コーネリアスを殺す意思”を示していた。
「いーい声で鳴くなァ………」
その様子を前にしても、コーネリアスは一歩も怯んでいない。
むしろ、その口元は愉快そうに歪んでいた。
飄々とした態度の裏で、身体が小刻みに震える。
それは恐怖ではなく、高揚と興奮。
ゾク、ゾク、ゾク、と背筋を這う歓喜に、コーネリアスは酔いしれていた。
「実に喰い応えがありそうだが。生憎………腹は、膨れてるもんでな」
そう言いながら、コーネリアスは首に巻いていたマフラーを崩す。
布の奥から現れたのは、人のものとは思えぬ凶悪な顎、裂けた口、肉を噛み千切るための牙を剥き出しにする。
「悪いが、殺すだけにさせてもらッ───!?」
言い終える前にズドン!と、鈍い衝撃がコーネリアスの頬を打ち抜いた。
次の瞬間、巨体が横へと弾き飛ばされる。
そして地面を、水切り石のように跳ねる。
跳ねる。
跳ねる。
そして最後に、巨岩へと激突した。
轟音と共に岩肌が砕け、コーネリアスの身体がそこで止まる。
その衝撃の正体は、サカキの拳だった。
「貴様の相手は、まだ私だ!!」
拳を振り抜いたまま、サカキは静かに言い放つ。
視線はまっすぐ、コーネリアスへ、その瞳からもまた、闘志は一切失われていない。
「実にその通り、悪かったな」
破片の中で、コーネリアスが肩を揺らす。
ダメージは確かにあるが、決定打には遠い。
奴はゆっくりと立ち上がった。
油断していたことを、軽く詫びながら。
「グオオオオオオオ!!」
「ニア───」
再び、龍の咆哮が森を震わせた。
自分の存在を忘れさせないように。
レガシー・ギフトは大きく吠える。
その声に、サカキの視線がふっと横へ移った。
「どうやってここまで来られたかはわからないが───」
コーネリアスを挟むように、二つの影が並ぶ。
一つは鬼、一つは龍。
互いに言葉を交わしたわけではない。
それでも、その立ち位置だけで状況は完成していた。
サカキは小さく息を吐き、隣の巨大な龍へ視線を送る。
「どうやら標的は、一致しているようだ………」
だが、その声が届いているのかは分からない。
レガシー・ギフトはサカキへ顔を向けることすらせず、喉の奥で低く唸りながら、ただコーネリアスを睨み続けていた。
しかし、その殺意だけで十分だった。
サカキはその意思を察する。
あるいは、都合よくそう解釈したのだろう。
どちらでも構わないと言わんばかりに、
サカキは再び構える。
「追求は後にしよう」
その言葉が、まるで合図のようだった。
次の瞬間、レガシー・ギフトが地面を抉る勢いで突進する。
大地を震わせる突撃が走り、コーネリアスは即座に反応した。軽やかに跳び上がり、その突撃をかわす。
ニアの巨体がそのまま地面へ突っ込む。
轟音と衝撃が周囲に物理的に響くが止まらない。
その巨体は、そのまま大地を掘り進み、
地中を裂きながら突き進む。
そしてコーネリアスの真下から、
地表を突き破って現れた。
土煙と共に再び空へ躍り出たレガシー・ギフトが、
そのままコーネリアスへ追随する。
「いい執念だ、だが───」
コーネリアスは笑いながら、そのまま迎え撃つべく、コートの袖をうねらせた。
その時、奴の頭上にサカキの影が重なる。
「あァ!?」
次の瞬間、サカキの踵が、
コーネリアスの頭部を叩き落とした。
凄まじい勢いで地面へ落下するコーネリアス。
そこへ、レガシー・ギフトの大顎が迫り、
巨大な口が大きく開かれる。
「俺を喰うなんざ───」
しかし、コーネリアスは片腕で上顎を掴み、
片脚で下顎を踏み止めた。
「ひと進化分、早えンだよ!!」
たった一人で龍の突撃を受け止めたコーネリアスの、空いたもう一方の脚が振り抜かれる。
鋭い蹴りが、レガシー・ギフトの頬へと叩き込まれた。
「───ッッグオオア!?」
レガシー・ギフトの巨体が弾き飛ばされ、そのまま大地へと墜落した。
地面が揺れ、周囲の木々が大きくしなる。
「グオアルルルルル………」
堕ちたレガシー・ギフトはゆっくりと起き上がる。
口元から血が流れていた。
だが、その瞳から殺意は消えていない。
むしろ、さらに濃くなっていた。
レガシー・ギフトは、目を見開き、コーネリアスを睨みつける。
「そうこなっくっちゃなぁ!!」
コーネリアスが目を見開き、歓喜を露わにして大きく笑う。
対するレガシー・ギフトもまた、迎え撃つ姿勢を取った。両前足で地面を掴み、巨体を支える。
「───待て!!」
突如、サカキがニアの顔元へと降り立った。
地に伏せた龍の巨大な頭部。
その瞳の前に、サカキは静かに立つ。
「ニア、お前は強い………だが、お前一人では、あやつには勝てん」
「グオオオオアア!」
関係ない、と言わんばかりにニアが吠える。
怒りと殺意が、喉の奥で唸り続けていた。
その様子を見つめるサカキの腕の中には、
ぐったりとしたアンジュが抱えられていた。
サカキはその身体を、より大切そうに抱き直す。
「アンジュを、守れなくて………すまない」
唐突に、サカキがレガシー・ギフト向かって謝罪した。
それは光景は、言い訳でも弁明でもない。
ただの、素直な謝罪だった。
「ニア………お前は、私たちも、信用はしていないだろう」
サカキは真っ直ぐにニアを見つめる。
その視線は逃げない。
「グルル………」
ニアもまた、巨大な瞳が揺らしながら、
サカキとアンジュを交互に見つめた。
先ほどまでの殺気が、わずかに和らいでいく。
自分を救ってくれた少女。
その少女を、今は目前の鬼が守っている。
その事実を、レガシー・ギフトは理解した。
「奴が憎いか?」
サカキが問いかける。
その言葉に、ニアの瞳が再び鋭くなる。
視線がコーネリアスへ向けられた。
「グオオア!」
その鳴き声は、明確な肯定だった。
「私もだ」
サカキもまた、同じ方向を見る。
その先では。
コーネリアスが、首元を掻きながら立っていた。
まるで礼儀正しい紳士のように。
律儀に、会話が終わるのを待っている。
「だが奴は、一筋縄ではいかない」
サカキの低く呟く。
「奴を仕留めるとなると、私も命を賭ける覚悟が必要だ」
それは誇張でも虚勢でもない。
ただの現実だった。
サカキは小さく息を吐く。
「だが、ニア───お前となら、その限りではない」
鬼と龍。
本来ならば交わることのない存在。
だがアンジュという存在が、両者に小さな絆を結ぶ。
「ここは───いったん共闘といこう」
サカキがニアを見上げる。
「あの時の“アレ”は、撃てるか?」
それは、かつての模擬戦。
アンジュとの戦いにニアが乱入した際、
龍が口から放った光線のことだった。
「アレが全力ではないのは、分かってる」
凄まじい威力で、サカキすら吹き飛ばしかけた一撃は、まだ余力を残していた。
「私が奴を抑える」
サカキは静かに言いながら───。
「そこへ私もろとも………撃て」
そして、笑った。
遠慮などいらない。
そう言わんばかりの笑みだった。
「グルルルル…グオアアア!」
ニアが吠える。
最初から遠慮するつもりなどない、と言わんばかりに。
「“打ち合わせ”は、終わったかぁ?」
コーネリアスが首の骨を鳴らす。
退屈そうに、だがその目は、
狂喜に満ちていた。
「早く、続きを殺ろうぜ?」
まるで何も恐れていないかのように、
コーネリアスが一歩、前に出る。
「よし───」
サカキが構える。
視線はまっすぐ、敵へ。
「行くぞ!!!」
合図と同時に、レガシー・ギフトが再び宙へ浮き上がった。
巨大な身体が再び、空へ舞い上がる。
その背中。
装甲のような甲羅が、ゆっくりと開閉した。
次の瞬間───。
ニアの口元に光が集まり始める。
白熱したエネルギーの奔流。
それが次第に収束し、圧縮され、ただ一点へと凝縮していく。
そしてレガシー・ギフトの視線という名の照準がコーネリアスへと向けられる。
一方、サカキはすでに動いていた。
地を蹴り、一直線に敵へ向かって飛び出す。
龍の光線と、そして鬼の拳。
二つの刃が、同時にコーネリアスへ迫る。
───その時だった。
ドゴオオオオオン!!
突如、激しい爆音が戦場を揺らした。
天から、まるで隕石のように、
“何か”が落ちてきた。
凄まじい衝撃と共に地面へ激突し、
サカキとコーネリアスの間へ割って入る。
地面が砕け、土煙が上がり、衝撃波が森を揺らした。
「───ッなに!?」
サカキが思わず足を止める。
周囲には粉塵が広がり、視界が一気に白く濁った。
「…………次から次へと」
コーネリアスが肩をすくめる。
その表情には、あからさまな辟易が浮かんでいた。
この戦場に割り込んでくる存在は、まだいたらしい。
「盛り上がってるとこワリィが、そこまでだ」
低い声が、粉塵の中から響いた。
次の瞬間、背後で、激しい衝撃音が弾ける。
「グォアッ!?」
「ニア!?」
レガシー・ギフトの悲鳴にサカキが振り返る。
視界の先で、龍の巨体が押さえつけられていた。
落ちてきた影とは別の影。
それがニアを押さえ込み、そのまま地面へと叩き落としている。
戦場には、新たな、三つの影が立っていた。
突如現れたその存在。
その正体に、誰よりも早くコーネリアスは、気がついた。
そして奴は、心底鬱陶しそうに顔を歪める。
「“勇者”が───わざわざ何の用だ?」
* * *
その呼び名とともに。
粉塵の中にいた男が、一歩前へ出る。
次の瞬間、周囲を覆っていた土煙が、
まるで風に弾き飛ばされるように吹き散った。
そして───。
レガシー・ギフトを押さえつけていた二つの影のうち、一人が口を開く。
「“何の用だ”───だぁ?」
「これだけ暴れられて、我らが来ない理由がありますか?」
二人の男が、交互に言葉を放つ。
その間にも、レガシー・ギフトは、暴れていた。
龍の巨体が唸りを上げ、爪で地面を掻く。
それでも、確実に抑え込まれていた。
「八戒……悟浄」
サカキが、その名を呼ぶ。
呼ばれた二人は、同時に視線を向けた。
八戒・浄壇そして
悟浄・羅漢。
彼ら二人には、敵意はない。
だがそこには、明確な怒りがあった。
「サカキ………。ちぃとばかし暴れすぎだ」
低い声が、粉塵の奥から響く。
やがてそこから現れたのは───巨大な大男。
サカキやコーネリアスと並んでもなお見劣りしない、堂々たる体躯、獅子の鬣のように長く流れる髪。
大男はゆっくりと歩み出ると、八戒と悟浄の言葉を代弁するようにサカキへ視線を向けた。
「…………悟空」
サカキが、その名を呼ぶ。
“闘戦勝武”。
その異名と共に、サカキや、コーネリアスとも渡り合える。
世界最強格の一人の、悟空・斉天がそこにはいた。
「お師匠、抑えたぜ」
「オゥ………悪いな」
短い言葉が交わされる。
そして、サカキの視線が、もう一人の人物へ向いた。
「玄奘………殿」
「久しぶりだな、サカキ………コーネリアス」
その声は、どこからともなく響いた。
いつの間にか、そこに立っていた男。
角刈りの中年。
長いロングコート。
漆黒のサングラス。
口元には葉巻。
そして───。
首元には、常人の拳ほどもある巨大な珠を連ねた、数珠のネックレスが掛けられていた。
戦場に似つかわしくないほど落ち着いていた男の名は───。
ゴウライ帝国の勇者であり、
“千弾功独仏”の異名を持つ男。
三蔵・玄奘だった。
突如として現れた勇者とその一行。
その存在は、まるで嵐の中心に冷水を浴びせたかのようだった。
先ほどまで戦場を満たしていた狂気。
怒号と殺意、衝突の連続。
それらが一瞬で引いていく。
静寂が───、正確には、場に理性が戻った。
「単刀直入に言う」
葉巻を深く燻らせながら、玄奘が静かに言った。
煙がゆっくりと空へ昇る。
その声音には怒りも焦りもない。
ただ、揺るぎない決断だけがあった。
「この国でこれ以上、戦り合うなら───」
玄奘は誰を見つめるわけでもない。
しかし、その場の誰一人として、視線を外すことができなかった。
一瞬の隙もない。
それほどの威圧が、言葉の奥に潜んでいた。
「勇者として、正式にお前ら全員を、ゴウライ帝国の敵とみなす」
宣告だった。
サングラスの奥から向けられる視線。
その対象は三体。
サカキ。
コーネリアス。
そして、レガシー・ギフト。
「俺は、構わねぇぜぇ?」
沈黙を破ったのは、コーネリアスだった。
怯む様子はなく、むしろ楽しげですらある。
「サカキに、バケモンに、勇者………。こんな強えヤツらと一度に戦りあえることなんざ滅多にねぇ」
両腕を軽く広げる。
まるでこの状況そのものを歓迎しているかのような、狂気に満ちた笑みをあらわにしながら。
「いっそこのまま………《《始める》》ってのはどうだ?」
奴は、不吉な提案をした。
その場の空気を、世界を、再び血の匂いで満たしかねない言葉だった。
───だが。
「…………………………んゥ?」
コーネリアスが首を傾げた。
そして、ゆっくりと下を向く。
そのまま、黙り込んだ。
「邪魔するな、いいところなんだ!」
突然、怒鳴る。
だが、その言葉はこの場の誰にも向けられていない。
まるで、誰かと会話しているかのようだった。
「何様で俺に命令してやがる………調子に乗ってんじゃねぇぞ?」
苛立った声を纏い、コーネリアスは、見えない誰かと言い争っていた。
そして────。
「…………チィ!」
大きく舌打ちをする。
会話が終わったらしい。
コーネリアスはゆっくりと顔を上げ、空を見上げた。
そして、しばしの沈黙の後───。
「帰る」
先ほどまでの狂気が、嘘のようだった。
まるで酒から醒めたかのように。
コーネリアスは急激に冷静になり、心底萎えた様子で言い放った。
「待て!!コーネリアス!!!」
サカキが大声で呼び止める。
だが、その前に悟空が割って入った。
「サカキ………深追いするな、大人しく手を引け」
声は、静かだった。
だがその言葉には、友人を諫める確かな重みがあった。
サカキは悟空の目を見る。
そして、しばし沈黙したあと。
握り締めていた拳を、ゆっくりと解いた。
「グオオオオオオオアアアーーーー!!」
しかし、龍は納得していなかった。
レガシー・ギフトが激しく暴れる。
巨大な身体をうねらせ、まだ敵を逃がすまいとする。
「っぐううう!?」
「この子は………中々に、お転婆ですねぇ」
ニアを押さえ込む八戒と悟浄も、余裕があるわけではなかった。
龍の力は凄まじい。
二人がかりで抑え込んでいても、油断すれば振り払われる。
それほどの怪力だった。
「アナテマ・タリズマと、そのガキは、また今度奪りにくる」
コーネリアスが振り返り、
わざとらしく、レガシー・ギフトを煽るように言い放つ。
その言葉に、龍の怒りがさらに膨れ上がった。
だが、コーネリアスは気にも留めない。
奴は、ゆっくりと視線を移し、サカキを睨んだ。
「決着はつけるぜ、必ずなァ」
そして再び、コーネリアスは背を向けた。
まるで散歩でも終えたかのように。
男の姿は、舞い上がる粉塵の中へと溶けていく。
やがて───。
その気配は完全に消えた。
戦場に残されたのは。
荒れ果てた大地と、まだ収まらぬ龍の咆哮だけだった。
* * *
「………こんな僻地まで、ずいぶんと来るのが早かったな」
サカキが玄奘たちへ視線を向ける。
先ほどまでの殺気は消え、そこに残っていたのは純粋な驚きだった。
この場所は辺境であり、
騒ぎを聞きつけたとしても、勇者が駆けつけるには、あまりにも早すぎる。
「スカイ・ファームからの要請があってな」
「スカイ・ファームから!?」
思わずサカキの目が見開かれる。
想定外のようで、どこか納得もできる言葉だった。
「正確言うと、所長からな」
「そうか………それでニアがか」
サカキはゆっくりと頷く。
腑に落ちた視線を、龍へと向ける。
その先で───。
「ミィ……ミィー」
レガシー・ギフトの巨体は消え、
すでに元の小さな姿へ戻っていた。
アンジュのそばに寄り添い、心配そうにその顔を覗き込んでいる。
まるで、親を気遣う子どものようだった。
「サカキ、今回はやり過ぎだ」
玄奘は、周囲を見渡す。
「この土地はもう森として、死んでいる」
焼け焦げた木々。
抉られた地面。
崩れた岩。
そこにかつて森があった面影は、もうほとんど残っていない。
「本来なら、お前らをここで討伐することが、我が国の総意となるだろうが」
玄奘は葉巻の煙を吐いた。
その言葉には嘘がない。
本来なら、ここで再び一戦が起きてもおかしくはない。
「生物兵器の違法取引集団の拿捕を含めた、この国でのいくつかの“借り”」
サカキたちがこの国でこなしてきた仕事。
モンスター・パニック・サービスとしての功績。
そのすべてを踏まえた上で───。
「これでチャラにしてやる」
「…………すまない」
サカキは素直に頭を下げた。
感謝と謝罪、その両方を込めて。
「一晩やるから、明朝にこの大陸から出ていけ」
「わかった」
短い会話だった。
それで十分だった。
玄奘はそれ以上言わず、背を向ける。
すると。
悟空がこそこそとサカキに近づいた。
そして、耳元で小さく囁く。
(ああは言ってるが、お師匠もお前との決裂は、惜しいと思ってんだよ)
悟空は、ニヤニヤと笑いながら続ける。
(ほとぼりが覚めたらまた来い、フライヤやコマも一緒に宴をしようぜ)
「聞こえてんぞ?」
「ヤベッ!!じゃあなサカキ………じゃなかった早よ行っちまえ!!」
悟空は慌てて玄奘の後を追う。
八戒は楽しそうに笑い、
悟浄は軽く会釈をして、
三人はそのまま去っていった。
やがて、その姿も見えなくなる。
サカキはしばらくその背中を見送っていた。
そして、ゆっくりと振り返る。
視線の先───。
そこには、アンジュの傍に寄り添う小さな龍がいた。
「───ニア」
「…………ミィ」
サカキの呼びかけに、ニアがジトッとした目で睨み返す。
完全には信用していない顔だった。
「アンジュの為に、駆けつけてくれて感謝する」
「…………ミィ」
ニアはそっぽを向く。
だがその態度は、どこか満更でもない。
サカキはそれを見て、小さく笑った。
そして、ぽつりと呟く。
「私に………思うことがある」
* * *
その後、駆けつけたフライヤとも合流し、コマとも再び顔を合わせた。
サカキ、アンジュ、そしてレガシー・ギフト。
この龍の出現から勇者たちの介入まで。
そのすべての経緯を、サカキは簡潔に説明した。
戦いの余韻がまだ残る中、一行は夜明けの出国に備えていた。
森の端に簡易な野営を組み、荷物をまとめる。
夜明けになれば、この大陸を離れる。
それが、勇者から与えられた猶予だった。
「アンジュの様子は、どうだ?」
荷物を整理しながら、サカキがフライヤに訊ねる。
「どうにもこうにも………」
フライヤは肩をすくめながら、視線をアンジュへ向けた。
焚き火のそばで、毛布にくるまれたまま、少女は横になっている。
「まだ眠ったままよ」
フライヤはそのままの様子を伝える。
だが、口調ほど深刻ではない。
彼女にしては珍しく、あまり心配していない様子だった。
「うーん………むにゃむにゃ………」
アンジュは、気持ち良さそうに熟睡していた。
「うーん、うーん、お腹空いたァ………」
そして、夢の中で空腹にうなされ始める。
「夢の中ぐらい、いっぱい食べればいいのに」
フライヤが憂いたように言う。
今にも夢の中へ乗り込んでいきそうな勢いだった。
「貧乏が染みに、染みついてるな」
「アララァ〜〜?」
ぽつりとコマが言った、その何気ない一言を。
フライヤは聞き逃さなかった。
その言葉に、ピクンと反応する。
ゆっくりと振り向き、ニヤリと笑う。
「ずいぶん優しくなったじゃない?」
「うるせぇ」
それはまるで、獲物を見つけた蛇のような笑顔だった。
コマの背筋に、嫌な予感が走る。
コマは表情を変えることなく、さりげなく距離を取っていた。
まるで逃げるように。
そしてそのまま、作業へ戻っていった。
───その時だった。
「う、う〜ん…………うん?」
アンジュのまぶたが、ゆっくりと開く。
長い眠りから浮かび上がるように、少女は目を覚ました。
「起きた!アンジュちゃん!!」
「………ここ…は?ってうわぁ!!!」
意識が戻ったばかりのアンジュは、状況を掴めないまま周囲を見回す。
その瞬間───。
フライヤが猛然と飛びかかった。
「ゴメンね!ゴメンね!ゴメンね!ゴメンね!」
そのまま勢いよく抱きつき、謝罪の言葉を連呼しながら、フライヤはアンジュに頬ずりする。
「私がついていながら、あんな酷い目に遭わせてしまって!もう二度と離さないから!私と繋がり………いえ、ひとつになりましょう!細胞レベルで!!」
「細胞!?フライヤさん、何を言ってるの!?」
心配と過保護が混ざり合った結果、
とんでもない提案が飛び出し、アンジュは思わず引いた。
続いて───。
「ミィーーーー!」
「その鳴き声────まさか………?」
アンジュの目が大きく見開かれる。
聞き覚えのある声だった。
少女は勢いよく振り返る。
その目前に、
小さな影が一直線に飛び込んできた。
「ニア!?」
「ミィーーーーーーー!」
そのままアンジュの顔へ飛びつく。
ぐるぐると身体を巻きつけるように抱きつきながら、嬉しそうに鳴き続ける。
「おわっぷ!なんで!?なんでここにニアが!!」
アンジュは慌てる。
だがニアは構わない。
少女が目を覚ましたこと。
そして、再び会えたこと。
その嬉しさを全身で表していた。
そこへ、サカキが歩み寄ってきた。
「私から説明しよう」
一行の長として。
この騒動の経緯を説明しようと、サカキが口を開く。
しかし、アンジュの視線はサカキを通り過ぎ、その背後、コマへと向けられている。
「アニキ!!!」
アンジュは勢いよく立ち上がると、一直線に駆け出した。
サカキなど、まるで視界に入っていない。
そのままコマの前まで走り寄る。
「無事だったんだね!!」
「ん?あぁ………」
ぶっきらぼうな返事だが、そこに嫌悪感はない。
むしろ、少しだけ照れているようだった。
その後ろからサカキが声をかける。
「アンジュ、私から説明しよ───」
「よかったぁああ!心配してたんだから!」
アンジュはコマの手を握ると、ぶんぶんと振り回した。その勢いは、まるで犬が尻尾を振るかのようだった。
「あんな怖いヤツを相手に、死んじゃったらどうするのさ!?」
「余計な世話だと言っただろうが」
コマが顔をしかめる。
だが、その言葉はどこか弱い。
怒っているわけではない。
むしろ、少し困っているだけだった。
サカキが再び口を開く。
「私から説明を───」
「ワタシと違って死んだら死んじゃうんだよ!?」
「なんだその言い分は………」
アンジュとコマの会話は止まらない。
サカキは、諦めない。
「アンジュ、説明───」
「とにかく無事で良かった!安心したらお腹すいちゃった!!」
アンジュが振り返る。
一瞬、サカキと目が合った───ように見えただけだった、アンジュの視線はフライヤへ向く。
「フライヤさん!晩ゴハン作ろうよ!アニキと集めた巨大イカがいっぱいあるんだ!!」
元気いっぱいに叫ぶ。
そのままアンジュは、ニアを肩に乗せて走り出した、調理道具のある荷物の山へ向かって。
アンジュの頭は、完全に晩餐のことで頭がいっぱいだった。その背中を見送りながら。
サカキは、がくりと肩を落とした。
分かりやすく落ち込み、背中が丸くなる。
あれほど大きく見えた男の背中が、今は妙に小さく見えた。
フライヤが近づき、
そしてポンと肩を叩いた。
「仕方ないわよ、次があるって」
「………次ってなんだ」
地面に座り込んだサカキは、力なく呟いた。
その声は、ひどく情けなかった。
「……………」
サカキは何も言わずに、視線を上げる。
その先で、まるで何事もなかったかのように、
元気いっぱいに走り回っているアンジュの背中があった。
つい先ほどまで、残虐なる危機に晒されていた少女。
だが、本人は、そんなことなど、露ほども気にしていないようだった。
無邪気に笑いながら、ニアと騒いでいる。
その姿を、サカキは静かに見つめる。
───助けると約束した。
危険な時は、自分が守ると。
だが、その約束は守れなかった。
サカキの表情から、先ほどの情けなさは消えていた。
代わりに浮かんでいたのは、
強い、自責の念───。
そして、長としての静かな覚悟だった。
再び立ち上がり、サカキはアンジュへと向かった。
「アンジュ、ことの顛末を説明す────」
『アンジュちゃあああああああああん!!』
だが、今度は───。
別の声がそれを遮った。
突如として、アンジュの左手の小指。
そこにはめられた指輪から、悲鳴のような声が響いた。
「あ、あれ?ミコト!?」
アンジュが目を丸くする。
声の主は、本来ならば空の牧場にいるはずの少女。
────ミコトだった。
『アンジュちゃん!アンジュちゃん!?アンジュちゃん!!!』
「どうしたの!落ち着いて!───っていうか、ニアがここにいるんだけど?」
『ニア!?そこにいるの!?ニア!!!』
「ミィー♪」
嬉しそうに鳴くニア。
まるで電話の向こうにいる母親に、返事をする子どものようだった。
「ミコト!なんでニアがここに?まさかまたミコトが転送したの!?」
『ニア!そこにいるのね!?怪我はない!?アンジュちゃん!!ニア!!無事!?アンジュちゃん大丈夫なの!?』
混乱のあまり、ミコトの言葉はめちゃくちゃだった。
「ミコト!?ちょっと落ち着いて!」
アンジュは指輪に向かって必死に呼びかける。
だが、ミコトは止まらない。
『あのね!アンジュちゃんと連絡がとれなくなってね!私すごい心配して、そしたらニアもおかしくなって、二人とも心配で心配で、心配してたら体が勝手に動いて、ニアを転送しちゃって、それでね、私もう、もう、もう!!!』
「ミコト!わかったから!ありがとう!とりあえずありがとう!だけど落ち着いてってば!!」
だが、ミコトの声は震え始める。
『落ち着いてられないよ!もしニアに。もしものことがあったらと思うと…………私、わたしぃいいいいい〜〜〜』
「うん、わかった!とりあえず、落ち着くまで待つから!!泣こ!いっぱい泣こ!!待つから!!!」
『アンジュちゃあああん!!ニアぁあ〜〜〜〜!!』
「ミィー」
アンジュとミコト。
そしてニア。
三者三様のやり取りを見つめながら。
サカキは───。
静かにフライヤへ視線を向けた。
「────フライヤ」
「ん?」
「終わったら呼んでくれ」
それだけ言うと。
サカキは肩を丸め、静かにその場を離れていった。
先ほどまで鬼神のように戦っていた男とは思えないほど。
その背中は、酷くいじけていた。
その哀れな背中を見送りながら。
フライヤは何も言わず、小さく頷いた。
* * *
アンジュとミコトが落ち着く頃には、夜はさらに更けていた。
焚き火の火が、静かに揺れている。
「コーネリアス………いや奴らとは、因縁がある」
「よく切り替えられたわね」
ようやく始まったサカキの出番に、
少しだけフライヤには同情を含めた表情が浮かんでいた。
「アンジュ」
「なに?」
あっけらかんと答えるアンジュに、サカキは小さくため息をついた。
『あ、あのサカキさん、私は外したほうが───』
「いや、ちょうどいい。ミコト君もそこで聞いてくれ」
『は、はい』
同席を依頼されたミコトは、驚いた様子で返事をする。
サカキは、ゆっくりとアンジュを見据える。
「君が不死身であることが、奴らに漏れた」
「奴らって………あのダムセクトとかっていう?」
「ダムセクトとは、奴らの種族の名だ」
サカキの表情は真剣だった。
焚き火の光が、その横顔を照らしている。
「このまま私たちと一緒にいては、また君に同じ危険が及ぶかもしれん」
「───ッ!?それって!!」
サカキの言葉の先を察したアンジュの顔色が変わる。
「まさかワタシとは、ここまでって…………事?」
不安そうに言うアンジュ。
その表情を見て、サカキは少し声を強めた。
「だが!」
アンジュが言葉を飲み込む。
続きを聞くように、サカキは静かに言葉を続けた。
「奴らに認知された今、この先、君が一人で旅をするのは、あまりにも危険すぎる」
そして、ゆっくりと結論を告げる。
「したがって、君は我々と共にいるのが賢明だ」
その言葉に、アンジュの肩の力が抜けた。
ホッとしたように息を吐く。
「だが、今回の様に、必ずしも我らが守ってやれるとは断言でき───」
「できるわよ!私が絶対にアンジュちゃんを守───」
「フライヤ、頼む」
横から飛び出したフライヤの叫びを、サカキが遮る。
フライヤは、「ぐぬぬ」と唸りながら黙った。
サカキは咳払いをひとつして、話を戻す。
そして、焚き火の向こうのアンジュを真っ直ぐに見つめる。
「必ずしも我らが守ってやれるとは断言できん、したがって………」
サカキは、考え抜いた末の結論を、静かに告げた。
「君は“我々”程とはいかなくても、ある水準まで強くなる必要がある」
「強くなるって………」
アンジュは言葉を詰まらせる。
今までの旅で。
彼女は、自分の無力さ、そして足手まといだったことを、
嫌というほど痛感していた。
その上での、サカキの言葉。
だからこそ、アンジュの表情は強張り、
「無理に決まってるじゃん!!」
そう決めつけてしまった。
「いや、そうとも言えん」
「────え?」
あまりにもあっさりと返された言葉に、アンジュは拍子抜けた。
サカキは静かに続けた。
「今回の一件で、視えた可能性がある」
サカキの視線が、アンジュの肩へ向く。
そこに乗っている、小さな存在。
「ミィ?」
レガシー・ギフトもとい、ニアだった。
サカキはニアを見つめ。
そして再び、アンジュを見据える。
「アンジュ───」
静かに息を吸う。
そして、“その言葉”を告げた。
「“召喚士”にならないか?」
その提案に───。
『「………………………………………………え?」』
アンジュだけではなく、
ミコトまでもが、思わず聞き返した。




