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第29話 門戸“と”開放


 森の外縁。


 爆発音と衝撃波が幾度となく重なり合い、木々は枝を震わせ続けていた。


 度を越えすぎた“二人”から離れたこの一角だけが、

 かろうじて“安全地帯”と呼べる場所だった。


 焦げた土の匂いと、まだ消えきらぬ魔力の残滓が漂う中、

 フライヤは膝をつき、コマの回復を続けていた。

 杖から流れ出る淡い光が、裂けた肉と折れた骨をゆっくりと繋ぎ合わせていく。

「よし!」

 やがて光が収まり、フライヤはパンッと手を叩くように魔法を止めた。


「ここまで治りゃ、大事ないでしょ!」

「イデェ!!」


 言い終えるや否や、フライヤはコマの背中を勢いよく叩いた。

 鈍い音が響き、コマは思わず悲鳴を上げる。


「うん、いい返事!!」


 その反応を確認すると、フライヤは満足げにニッと笑った。


「さて───」


 フライヤはすっと立ち上がり、ゆっくりと振り返る。その視線の先では、先ほどよりもさらに激しい粉塵が巻き上がっていた。


 地面を揺らす轟音と、空気を裂く衝撃。

 まだ戦いは、続いていた。


「私は、あいつ(サカキ)が刺し違える前に、援護に行ってくるわ」


 彼女の杖を握る手に力が入る。

 フライヤの表情は、先ほどまでの軽薄な笑みとは違っていた。


「待て、姐さん。俺も………」


 コマが身体を起こし、立ち上がろうとする。

 だが次の瞬間、彼の視界が揺れた。

 足元がふらつき、身体が大きく傾く。

 治療は終わっていても、血の巡りはまだ戻っていない。

 フライヤはそれを見て、ふっと息を吐いた。


「闘志だけで敵う相手じゃないのは、身体が一番わかってるみたいね」


 軽口のように聞こえる皮肉。

 だがそこには、無理をさせないための優しさが混じっていた。


「私だって───今日、死ぬつもりはないわ」


 フライヤの声色が、静かに変わる。

 先ほどまでの戯れた調子が、少しずつ消えていく。


「アンジュちゃんを助けたら、さっさとサカキ連れて逃げるから」


 その言葉は軽く聞こえる。

 だがその実、命を賭してでも、仲間の命を守るという覚悟があった。


「コマ君は、逃げる用意を────ッ!?」


 その瞬間だった。

 サカキとコーネリアスが激突しているはずの方向から、突如として強烈な光が噴き上がった。


 白く、鋭く、目を焼くほどの輝き。


 一瞬にして周囲の景色が塗り潰され、木々の影が長く地面を這う。

 フライヤの身体が、思わず強張った。


「───ッ何!?何が起きたの!?」


 杖を握りしめ、フライヤは目を細める。

 やがて、眩い光がゆっくりと収まっていく。


 粉塵の向こう。

 まだ揺らぐ空気の中に、巨大な影が浮かび上がった。


 そこに現れたのは、一体の龍だった。


 地を覆い、空を裂くような巨体。 

 そして、見る者の心臓を鷲掴みにする圧倒的な存在感。


「まさか、あれは───ニア!?」


 フライヤの瞳が見開かれる。

 見覚えがあった。

 だからこそ、信じられなかった。


 あの龍が、レガシー・ギフトが───。

 ここにいるはずがなかった。


「あの《《現れ方》》、まさか………召喚?」


 レガシー・ギフトじゃ空から飛来したわけでも、

 森を突き進んできたわけでもない。


 “現れた”───。

 突然、この場所に出現した。


「誰が召喚………いえ、だれが転送を?」


 フライヤの思考が高速で巡る。


 アンジュとレガシー・ギフトの異常な共鳴。

 そして、この戦場へとそれを送り込める可能性。


 それらをすべて満たす人物は―――。


 たった一人しかいない。


「まさか………また、ミコトちゃんが?」

 

 その呟きが、風に溶ける。


 そして次の瞬間。

 戦場の中心で、龍の咆哮が轟いた───。



          * * *



「グオオオオオオアアアァァーーー!!!」


 天に向かって、レガシー・ギフトが咆哮を放った。


 空気を震わせるほどの雄叫び。

 その巨体から溢れ出す闘志は、もはや隠そうとすらしていない。


 この龍は今、ただ一つの目的のためにここにいる。

 金色に輝くその瞳は、その目的の存在を射抜いていた。


 その全身から滲み出るのは剥き出しの殺意。

 牙も、爪も、空中で構えた体勢も、

 すべてが“コーネリアスを殺す意思”を示していた。


「いーい声で鳴くなァ………」


 その様子を前にしても、コーネリアスは一歩も怯んでいない。


 むしろ、その口元は愉快そうに歪んでいた。

 飄々とした態度の裏で、身体が小刻みに震える。


 それは恐怖ではなく、高揚と興奮。

 ゾク、ゾク、ゾク、と背筋を這う歓喜に、コーネリアスは酔いしれていた。


「実に喰い応えがありそうだが。生憎………腹は、膨れてるもんでな」


 そう言いながら、コーネリアスは首に巻いていたマフラーを崩す。


 布の奥から現れたのは、人のものとは思えぬ凶悪な顎、裂けた口、肉を噛み千切るための牙を剥き出しにする。


「悪いが、殺すだけにさせてもらッ───!?」


 言い終える前にズドン!と、鈍い衝撃がコーネリアスの頬を打ち抜いた。


 次の瞬間、巨体が横へと弾き飛ばされる。

 そして地面を、水切り石のように跳ねる。


 跳ねる。

 跳ねる。


 そして最後に、巨岩へと激突した。

 轟音と共に岩肌が砕け、コーネリアスの身体がそこで止まる。


 その衝撃の正体は、サカキの拳だった。


「貴様の相手は、まだ私だ!!」


 拳を振り抜いたまま、サカキは静かに言い放つ。

 視線はまっすぐ、コーネリアスへ、その瞳からもまた、闘志は一切失われていない。


「実にその通り、悪かったな」


 破片の中で、コーネリアスが肩を揺らす。

 ダメージは確かにあるが、決定打には遠い。

 奴はゆっくりと立ち上がった。


 油断していたことを、軽く詫びながら。


「グオオオオオオオ!!」


「ニア───」


 再び、龍の咆哮が森を震わせた。


 自分の存在を忘れさせないように。

 レガシー・ギフトは大きく吠える。

 その声に、サカキの視線がふっと横へ移った。


「どうやってここまで来られたかはわからないが───」


 コーネリアスを挟むように、二つの影が並ぶ。

 一つは鬼、一つは龍。


 互いに言葉を交わしたわけではない。

 それでも、その立ち位置だけで状況は完成していた。


 サカキは小さく息を吐き、隣の巨大な龍へ視線を送る。


「どうやら標的は、一致しているようだ………」


 だが、その声が届いているのかは分からない。


 レガシー・ギフトはサカキへ顔を向けることすらせず、喉の奥で低く唸りながら、ただコーネリアスを睨み続けていた。


 しかし、その殺意だけで十分だった。

 サカキはその意思を察する。


 あるいは、都合よくそう解釈したのだろう。

 どちらでも構わないと言わんばかりに、

 サカキは再び構える。


「追求は後にしよう」


 その言葉が、まるで合図のようだった。


 次の瞬間、レガシー・ギフトが地面を抉る勢いで突進する。


 大地を震わせる突撃が走り、コーネリアスは即座に反応した。軽やかに跳び上がり、その突撃をかわす。


 ニアの巨体がそのまま地面へ突っ込む。

 轟音と衝撃が周囲に物理的に響くが止まらない。


 その巨体は、そのまま大地を掘り進み、

 地中を裂きながら突き進む。


 そしてコーネリアスの真下から、

 地表を突き破って現れた。


 土煙と共に再び空へ躍り出たレガシー・ギフトが、

 そのままコーネリアスへ追随する。


「いい執念だ、だが───」


 コーネリアスは笑いながら、そのまま迎え撃つべく、コートの袖をうねらせた。

 その時、奴の頭上にサカキの影が重なる。


「あァ!?」


 次の瞬間、サカキの踵が、

 コーネリアスの頭部を叩き落とした。


 凄まじい勢いで地面へ落下するコーネリアス。

 そこへ、レガシー・ギフトの大顎が迫り、

 巨大な口が大きく開かれる。


「俺を喰うなんざ───」


 しかし、コーネリアスは片腕で上顎を掴み、

 片脚で下顎を踏み止めた。


「ひと進化分、早えンだよ!!」


 たった一人で龍の突撃を受け止めたコーネリアスの、空いたもう一方の脚が振り抜かれる。

 鋭い蹴りが、レガシー・ギフトの頬へと叩き込まれた。


「───ッッグオオア!?」


 レガシー・ギフトの巨体が弾き飛ばされ、そのまま大地へと墜落した。

 地面が揺れ、周囲の木々が大きくしなる。


「グオアルルルルル………」


 堕ちたレガシー・ギフトはゆっくりと起き上がる。

 口元から血が流れていた。


 だが、その瞳から殺意は消えていない。

 むしろ、さらに濃くなっていた。

 レガシー・ギフトは、目を見開き、コーネリアスを睨みつける。


「そうこなっくっちゃなぁ!!」


 コーネリアスが目を見開き、歓喜を露わにして大きく笑う。


 対するレガシー・ギフトもまた、迎え撃つ姿勢を取った。両前足で地面を掴み、巨体を支える。


「───待て!!」


 突如、サカキがニアの顔元へと降り立った。

 地に伏せた龍の巨大な頭部。

 その瞳の前に、サカキは静かに立つ。


「ニア、お前は強い………だが、お前一人では、あやつには勝てん」

「グオオオオアア!」


 関係ない、と言わんばかりにニアが吠える。

 怒りと殺意が、喉の奥で唸り続けていた。


 その様子を見つめるサカキの腕の中には、

 ぐったりとしたアンジュが抱えられていた。

 サカキはその身体を、より大切そうに抱き直す。


「アンジュを、守れなくて………すまない」


 唐突に、サカキがレガシー・ギフト向かって謝罪した。


 それは光景は、言い訳でも弁明でもない。

 ただの、素直な謝罪だった。


「ニア………お前は、私たちも、信用はしていないだろう」


 サカキは真っ直ぐにニアを見つめる。

 その視線は逃げない。


「グルル………」


 ニアもまた、巨大な瞳が揺らしながら、

 サカキとアンジュを交互に見つめた。


 先ほどまでの殺気が、わずかに和らいでいく。

 自分を救ってくれた少女。

 その少女を、今は目前の鬼が守っている。

 その事実を、レガシー・ギフトは理解した。


「奴が憎いか?」


 サカキが問いかける。

 その言葉に、ニアの瞳が再び鋭くなる。

 視線がコーネリアスへ向けられた。


「グオオア!」


 その鳴き声は、明確な肯定だった。


「私もだ」


 サカキもまた、同じ方向を見る。

 その先では。

 コーネリアスが、首元を掻きながら立っていた。


 まるで礼儀正しい紳士のように。

 律儀に、会話が終わるのを待っている。


「だが奴は、一筋縄ではいかない」


 サカキの低く呟く。


「奴を仕留めるとなると、私も命を賭ける覚悟が必要だ」


 それは誇張でも虚勢でもない。

 ただの現実だった。

 サカキは小さく息を吐く。


「だが、ニア───お前となら、その限りではない」


 鬼と龍。

 本来ならば交わることのない存在。

 だがアンジュという存在が、両者に小さな絆を結ぶ。


「ここは───いったん共闘といこう」


 サカキがニアを見上げる。


「あの時の“アレ”は、撃てるか?」


 それは、かつての模擬戦。

 アンジュとの戦いにニアが乱入した際、

 龍が口から放った光線のことだった。


「アレが全力ではないのは、分かってる」


 凄まじい威力で、サカキすら吹き飛ばしかけた一撃は、まだ余力を残していた。


「私が奴を抑える」


 サカキは静かに言いながら───。


「そこへ私もろとも………撃て」


 そして、笑った。

 遠慮などいらない。

 そう言わんばかりの笑みだった。


「グルルルル…グオアアア!」


 ニアが吠える。

 最初から遠慮するつもりなどない、と言わんばかりに。


「“打ち合わせ”は、終わったかぁ?」


 コーネリアスが首の骨を鳴らす。

 退屈そうに、だがその目は、

 狂喜に満ちていた。


「早く、続きを殺ろうぜ?」


 まるで何も恐れていないかのように、

 コーネリアスが一歩、前に出る。


「よし───」


 サカキが構える。

 視線はまっすぐ、敵へ。


「行くぞ!!!」


 合図と同時に、レガシー・ギフトが再び宙へ浮き上がった。

 巨大な身体が再び、空へ舞い上がる。


 その背中。

 装甲のような甲羅が、ゆっくりと開閉した。


 次の瞬間───。

 ニアの口元に光が集まり始める。


 白熱したエネルギーの奔流。

 それが次第に収束し、圧縮され、ただ一点へと凝縮していく。


 そしてレガシー・ギフトの視線という名の照準がコーネリアスへと向けられる。


 一方、サカキはすでに動いていた。

 地を蹴り、一直線に敵へ向かって飛び出す。


 龍の光線と、そして鬼の拳。


 二つの刃が、同時にコーネリアスへ迫る。


 ───その時だった。


 ドゴオオオオオン!!


 突如、激しい爆音が戦場を揺らした。


 天から、まるで隕石のように、

 “何か”が落ちてきた。


 凄まじい衝撃と共に地面へ激突し、

 サカキとコーネリアスの間へ割って入る。

 地面が砕け、土煙が上がり、衝撃波が森を揺らした。


「───ッなに!?」


 サカキが思わず足を止める。

 周囲には粉塵が広がり、視界が一気に白く濁った。


「…………次から次へと」


 コーネリアスが肩をすくめる。

 その表情には、あからさまな辟易が浮かんでいた。

 この戦場に割り込んでくる存在は、まだいたらしい。


「盛り上がってるとこワリィが、そこまでだ」


 低い声が、粉塵の中から響いた。

 次の瞬間、背後で、激しい衝撃音が弾ける。


「グォアッ!?」

「ニア!?」


 レガシー・ギフトの悲鳴にサカキが振り返る。

 視界の先で、龍の巨体が押さえつけられていた。


 落ちてきた影とは別の影。

 それがニアを押さえ込み、そのまま地面へと叩き落としている。


 戦場には、新たな、三つの影が立っていた。

 突如現れたその存在。


 その正体に、誰よりも早くコーネリアスは、気がついた。

 そして奴は、心底鬱陶しそうに顔を歪める。


「“勇者”が───わざわざ何の用だ?」


          * * *


 その呼び名とともに。

 粉塵の中にいた男が、一歩前へ出る。


 次の瞬間、周囲を覆っていた土煙が、

 まるで風に弾き飛ばされるように吹き散った。


 そして───。

 レガシー・ギフトを押さえつけていた二つの影のうち、一人が口を開く。


「“何の用だ”───だぁ?」

「これだけ暴れられて、我らが来ない理由がありますか?」


 二人の男が、交互に言葉を放つ。

 その間にも、レガシー・ギフトは、暴れていた。

 龍の巨体が唸りを上げ、爪で地面を掻く。


 それでも、確実に抑え込まれていた。


「八戒《はっかい》……悟浄《ごじょう》」


 サカキが、その名を呼ぶ。

 呼ばれた二人は、同時に視線を向けた。


 八戒・浄壇(はっかい じょうだん)そして

 悟浄・羅漢(ごじょう らかん)。


 彼ら二人には、敵意はない。

 だがそこには、明確な怒りがあった。


「サカキ………。ちぃとばかし暴れすぎだ」


 低い声が、粉塵の奥から響く。

 やがてそこから現れたのは───巨大な大男。


 サカキやコーネリアスと並んでもなお見劣りしない、堂々たる体躯、獅子の鬣のように長く流れる髪。


 大男はゆっくりと歩み出ると、八戒と悟浄の言葉を代弁するようにサカキへ視線を向けた。


「…………悟空」


 サカキが、その名を呼ぶ。


 “闘戦勝武《とうせんしょうぶ》”。


 その異名と共に、サカキや、コーネリアスとも渡り合える。

 世界最強格の一人の、悟空・斉天(ごくう せいてん)がそこにはいた。


「お師匠、抑えたぜ」


「オゥ………悪いな」


 短い言葉が交わされる。

 そして、サカキの視線が、もう一人の人物へ向いた。


「玄奘《げんじょう》………殿」


「久しぶりだな、サカキ………コーネリアス」


 その声は、どこからともなく響いた。

 いつの間にか、そこに立っていた男。


 角刈りの中年。

 長いロングコート。

 漆黒のサングラス。

 口元には葉巻。


 そして───。


 首元には、常人の拳ほどもある巨大な珠を連ねた、数珠のネックレスが掛けられていた。


 戦場に似つかわしくないほど落ち着いていた男の名は───。


 ゴウライ帝国の勇者であり、


 “千弾功独仏《せんだん くどくぶつ》”の異名を持つ男。


 三蔵・玄奘(さんぞう げんしょう)だった。


 突如として現れた勇者とその一行。

 その存在は、まるで嵐の中心に冷水を浴びせたかのようだった。


 先ほどまで戦場を満たしていた狂気。

 怒号と殺意、衝突の連続。


 それらが一瞬で引いていく。

 静寂が───、正確には、場に理性が戻った。


「単刀直入に言う」


 葉巻を深く燻《くゆ》らせながら、玄奘が静かに言った。

 煙がゆっくりと空へ昇る。

 その声音には怒りも焦りもない。

 ただ、揺るぎない決断だけがあった。


「この国でこれ以上、戦《や》り合うなら───」


 玄奘は誰を見つめるわけでもない。

 しかし、その場の誰一人として、視線を外すことができなかった。

 一瞬の隙もない。

 それほどの威圧が、言葉の奥に潜んでいた。


「勇者として、正式にお前ら全員を、ゴウライ帝国の敵とみなす」


 宣告だった。

 サングラスの奥から向けられる視線。

 その対象は三体。


 サカキ。

 コーネリアス。

 そして、レガシー・ギフト。


「俺は、構わねぇぜぇ?」


 沈黙を破ったのは、コーネリアスだった。

 怯む様子はなく、むしろ楽しげですらある。


「サカキに、バケモンに、勇者………。こんな強えヤツらと一度に戦りあえることなんざ滅多にねぇ」


 両腕を軽く広げる。

 まるでこの状況そのものを歓迎しているかのような、狂気に満ちた笑みをあらわにしながら。


「いっそこのまま………《《始める》》ってのはどうだ?」


 奴は、不吉な提案をした。

 その場の空気を、世界を、再び血の匂いで満たしかねない言葉だった。


 ───だが。


「…………………………んゥ?」


 コーネリアスが首を傾げた。

 そして、ゆっくりと下を向く。

 そのまま、黙り込んだ。


「邪魔するな、いいところなんだ!」


 突然、怒鳴る。

 だが、その言葉はこの場の誰にも向けられていない。

 まるで、誰かと会話しているかのようだった。


「何様で俺に命令してやがる………調子に乗ってんじゃねぇぞ?」

 苛立った声を纏い、コーネリアスは、見えない誰かと言い争っていた。


 そして────。


「…………チィ!」


 大きく舌打ちをする。

 会話が終わったらしい。

 コーネリアスはゆっくりと顔を上げ、空を見上げた。


 そして、しばしの沈黙の後───。


「帰る」


 先ほどまでの狂気が、嘘のようだった。

 まるで酒から醒めたかのように。

 コーネリアスは急激に冷静になり、心底萎えた様子で言い放った。


「待て!!コーネリアス!!!」


 サカキが大声で呼び止める。

 だが、その前に悟空が割って入った。


「サカキ………深追いするな、大人しく手を引け」


 声は、静かだった。

 だがその言葉には、友人を諫める確かな重みがあった。


 サカキは悟空の目を見る。

 そして、しばし沈黙したあと。


 握り締めていた拳を、ゆっくりと解いた。


「グオオオオオオオアアアーーーー!!」


 しかし、龍は納得していなかった。


 レガシー・ギフトが激しく暴れる。

 巨大な身体をうねらせ、まだ敵を逃がすまいとする。


「っぐううう!?」

「この子は………中々に、お転婆ですねぇ」


 ニアを押さえ込む八戒と悟浄も、余裕があるわけではなかった。


 龍の力は凄まじい。

 二人がかりで抑え込んでいても、油断すれば振り払われる。

 それほどの怪力だった。


「アナテマ・タリズマと、そのガキは、また今度奪(と)りにくる」


 コーネリアスが振り返り、

 わざとらしく、レガシー・ギフトを煽るように言い放つ。

 その言葉に、龍の怒りがさらに膨れ上がった。

 だが、コーネリアスは気にも留めない。


 奴は、ゆっくりと視線を移し、サカキを睨んだ。


「決着はつけるぜ、必ずなァ」


 そして再び、コーネリアスは背を向けた。

 まるで散歩でも終えたかのように。


 男の姿は、舞い上がる粉塵の中へと溶けていく。


 やがて───。

 その気配は完全に消えた。


 戦場に残されたのは。

 荒れ果てた大地と、まだ収まらぬ龍の咆哮だけだった。



          * * *



「………こんな僻地まで、ずいぶんと来るのが早かったな」


 サカキが玄奘たちへ視線を向ける。

 先ほどまでの殺気は消え、そこに残っていたのは純粋な驚きだった。


 この場所は辺境であり、

 騒ぎを聞きつけたとしても、勇者が駆けつけるには、あまりにも早すぎる。


「スカイ・ファームからの要請があってな」

「スカイ・ファームから!?」


 思わずサカキの目が見開かれる。

 想定外のようで、どこか納得もできる言葉だった。


「正確言うと、所長からな」


「そうか………それでニアがか」


 サカキはゆっくりと頷く。

 腑に落ちた視線を、龍へと向ける。


 その先で───。


「ミィ……ミィー」


 レガシー・ギフトの巨体は消え、

 すでに元の小さな姿へ戻っていた。


 アンジュのそばに寄り添い、心配そうにその顔を覗き込んでいる。

 まるで、親を気遣う子どものようだった。


「サカキ、今回はやり過ぎだ」


 玄奘は、周囲を見渡す。


「この土地はもう森として、死んでいる」


 焼け焦げた木々。

 抉られた地面。

 崩れた岩。


 そこにかつて森があった面影は、もうほとんど残っていない。


「本来なら、お前らをここで討伐することが、我が国の総意となるだろうが」


 玄奘は葉巻の煙を吐いた。

 その言葉には嘘がない。

 本来なら、ここで再び一戦が起きてもおかしくはない。


「生物兵器の違法取引集団の拿捕を含めた、この国でのいくつかの“借り”」


 サカキたちがこの国でこなしてきた仕事。

 モンスター・パニック・サービスとしての功績。

 そのすべてを踏まえた上で───。


「これでチャラにしてやる」


「…………すまない」

 

 サカキは素直に頭を下げた。

 感謝と謝罪、その両方を込めて。


「一晩やるから、明朝にこの大陸から出ていけ」

「わかった」


 短い会話だった。

 それで十分だった。


 玄奘はそれ以上言わず、背を向ける。


 すると。

 悟空がこそこそとサカキに近づいた。

 そして、耳元で小さく囁く。


(ああは言ってるが、お師匠もお前との決裂は、惜しいと思ってんだよ)


 悟空は、ニヤニヤと笑いながら続ける。


(ほとぼりが覚めたらまた来い、フライヤやコマも一緒に宴をしようぜ)


「聞こえてんぞ?」


「ヤベッ!!じゃあなサカキ………じゃなかった早よ行っちまえ!!」


 悟空は慌てて玄奘の後を追う。

 八戒は楽しそうに笑い、

 悟浄は軽く会釈をして、


 三人はそのまま去っていった。

 やがて、その姿も見えなくなる。


 サカキはしばらくその背中を見送っていた。

 そして、ゆっくりと振り返る。


 視線の先───。

 そこには、アンジュの傍に寄り添う小さな龍がいた。


「───ニア」

「…………ミィ」


 サカキの呼びかけに、ニアがジトッとした目で睨み返す。

 完全には信用していない顔だった。


「アンジュの為に、駆けつけてくれて感謝する」

「…………ミィ」


 ニアはそっぽを向く。

 だがその態度は、どこか満更でもない。


 サカキはそれを見て、小さく笑った。

 そして、ぽつりと呟く。


「私に………思うことがある」



          * * *



 その後、駆けつけたフライヤとも合流し、コマとも再び顔を合わせた。


 サカキ、アンジュ、そしてレガシー・ギフト。


 この龍の出現から勇者たちの介入まで。

 そのすべての経緯を、サカキは簡潔に説明した。


 戦いの余韻がまだ残る中、一行は夜明けの出国に備えていた。

 森の端に簡易な野営を組み、荷物をまとめる。


 夜明けになれば、この大陸を離れる。

 それが、勇者から与えられた猶予だった。


「アンジュの様子は、どうだ?」


 荷物を整理しながら、サカキがフライヤに訊ねる。


「どうにもこうにも………」


 フライヤは肩をすくめながら、視線をアンジュへ向けた。

 焚き火のそばで、毛布にくるまれたまま、少女は横になっている。


「まだ眠ったままよ」


 フライヤはそのままの様子を伝える。

 だが、口調ほど深刻ではない。

 彼女にしては珍しく、あまり心配していない様子だった。


「うーん………むにゃむにゃ………」


 アンジュは、気持ち良さそうに熟睡していた。


「うーん、うーん、お腹空いたァ………」


 そして、夢の中で空腹にうなされ始める。


「夢の中ぐらい、いっぱい食べればいいのに」


 フライヤが憂いたように言う。

 今にも夢の中へ乗り込んでいきそうな勢いだった。


「貧乏が染みに、染みついてるな」

「アララァ〜〜?」


 ぽつりとコマが言った、その何気ない一言を。

 フライヤは聞き逃さなかった。


 その言葉に、ピクンと反応する。

 ゆっくりと振り向き、ニヤリと笑う。


「ずいぶん優しくなったじゃない?」

「うるせぇ」


 それはまるで、獲物を見つけた蛇のような笑顔だった。

 コマの背筋に、嫌な予感が走る。

 コマは表情を変えることなく、さりげなく距離を取っていた。


 まるで逃げるように。

 そしてそのまま、作業へ戻っていった。


 ───その時だった。


「う、う〜ん…………うん?」


 アンジュのまぶたが、ゆっくりと開く。

 長い眠りから浮かび上がるように、少女は目を覚ました。


「起きた!アンジュちゃん!!」


「………ここ…は?ってうわぁ!!!」


 意識が戻ったばかりのアンジュは、状況を掴めないまま周囲を見回す。


 その瞬間───。

 フライヤが猛然と飛びかかった。


「ゴメンね!ゴメンね!ゴメンね!ゴメンね!」


 そのまま勢いよく抱きつき、謝罪の言葉を連呼しながら、フライヤはアンジュに頬ずりする。


「私がついていながら、あんな酷い目に遭わせてしまって!もう二度と離さないから!私と繋がり………いえ、ひとつになりましょう!細胞レベルで!!」


「細胞!?フライヤさん、何を言ってるの!?」


 心配と過保護が混ざり合った結果、

 とんでもない提案が飛び出し、アンジュは思わず引いた。


 続いて───。


「ミィーーーー!」


「その鳴き声────まさか………?」


 アンジュの目が大きく見開かれる。


 聞き覚えのある声だった。

 少女は勢いよく振り返る。


 その目前に、

 小さな影が一直線に飛び込んできた。


「ニア!?」


「ミィーーーーーーー!」


 そのままアンジュの顔へ飛びつく。

 ぐるぐると身体を巻きつけるように抱きつきながら、嬉しそうに鳴き続ける。


「おわっぷ!なんで!?なんでここにニアが!!」


 アンジュは慌てる。

 だがニアは構わない。


 少女が目を覚ましたこと。

 そして、再び会えたこと。


 その嬉しさを全身で表していた。


 そこへ、サカキが歩み寄ってきた。


「私から説明しよう」


 一行の長として。

 この騒動の経緯を説明しようと、サカキが口を開く。

 

 しかし、アンジュの視線はサカキを通り過ぎ、その背後、コマへと向けられている。


「アニキ!!!」


 アンジュは勢いよく立ち上がると、一直線に駆け出した。


 サカキなど、まるで視界に入っていない。

 そのままコマの前まで走り寄る。


「無事だったんだね!!」


「ん?あぁ………」


 ぶっきらぼうな返事だが、そこに嫌悪感はない。

 むしろ、少しだけ照れているようだった。


 その後ろからサカキが声をかける。


「アンジュ、私から説明しよ───」


「よかったぁああ!心配してたんだから!」


 アンジュはコマの手を握ると、ぶんぶんと振り回した。その勢いは、まるで犬が尻尾を振るかのようだった。


「あんな怖いヤツを相手に、死んじゃったらどうするのさ!?」

「余計な世話だと言っただろうが」


 コマが顔をしかめる。

 だが、その言葉はどこか弱い。


 怒っているわけではない。

 むしろ、少し困っているだけだった。

 サカキが再び口を開く。


「私から説明を───」


「ワタシと違って死んだら死んじゃうんだよ!?」

「なんだその言い分は………」


 アンジュとコマの会話は止まらない。

 サカキは、諦めない。


「アンジュ、説明───」


「とにかく無事で良かった!安心したらお腹すいちゃった!!」


 アンジュが振り返る。

 一瞬、サカキと目が合った───ように見えただけだった、アンジュの視線はフライヤへ向く。


「フライヤさん!晩ゴハン作ろうよ!アニキと集めた巨大イカがいっぱいあるんだ!!」


 元気いっぱいに叫ぶ。

 そのままアンジュは、ニアを肩に乗せて走り出した、調理道具のある荷物の山へ向かって。


 アンジュの頭は、完全に晩餐のことで頭がいっぱいだった。その背中を見送りながら。


 サカキは、がくりと肩を落とした。

 分かりやすく落ち込み、背中が丸くなる。

 あれほど大きく見えた男の背中が、今は妙に小さく見えた。


 フライヤが近づき、

 そしてポンと肩を叩いた。


「仕方ないわよ、次があるって」


「………次ってなんだ」


 地面に座り込んだサカキは、力なく呟いた。

 その声は、ひどく情けなかった。


「……………」


 サカキは何も言わずに、視線を上げる。

 その先で、まるで何事もなかったかのように、

 元気いっぱいに走り回っているアンジュの背中があった。


 つい先ほどまで、残虐なる危機に晒されていた少女。


 だが、本人は、そんなことなど、露ほども気にしていないようだった。


 無邪気に笑いながら、ニアと騒いでいる。

 その姿を、サカキは静かに見つめる。


 ───助けると約束した。

 危険な時は、自分が守ると。


 だが、その約束は守れなかった。

 サカキの表情から、先ほどの情けなさは消えていた。

 代わりに浮かんでいたのは、


 強い、自責の念───。

 そして、長としての静かな覚悟だった。


 再び立ち上がり、サカキはアンジュへと向かった。


「アンジュ、ことの顛末を説明す────」


『アンジュちゃあああああああああん!!』


 だが、今度は───。

 別の声がそれを遮った。


 突如として、アンジュの左手の小指。

 そこにはめられた指輪から、悲鳴のような声が響いた。


「あ、あれ?ミコト!?」


 アンジュが目を丸くする。

 声の主は、本来ならば空の牧場にいるはずの少女。


 ────ミコトだった。


『アンジュちゃん!アンジュちゃん!?アンジュちゃん!!!』


「どうしたの!落ち着いて!───っていうか、ニアがここにいるんだけど?」


『ニア!?そこにいるの!?ニア!!!』


「ミィー♪」


 嬉しそうに鳴くニア。

 まるで電話の向こうにいる母親に、返事をする子どものようだった。


「ミコト!なんでニアがここに?まさかまたミコトが転送したの!?」


『ニア!そこにいるのね!?怪我はない!?アンジュちゃん!!ニア!!無事!?アンジュちゃん大丈夫なの!?』


 混乱のあまり、ミコトの言葉はめちゃくちゃだった。


「ミコト!?ちょっと落ち着いて!」


 アンジュは指輪に向かって必死に呼びかける。

 だが、ミコトは止まらない。


『あのね!アンジュちゃんと連絡がとれなくなってね!私すごい心配して、そしたらニアもおかしくなって、二人とも心配で心配で、心配してたら体が勝手に動いて、ニアを転送しちゃって、それでね、私もう、もう、もう!!!』


「ミコト!わかったから!ありがとう!とりあえずありがとう!だけど落ち着いてってば!!」


 だが、ミコトの声は震え始める。


『落ち着いてられないよ!もしニアに。もしものことがあったらと思うと…………私、わたしぃいいいいい〜〜〜』


「うん、わかった!とりあえず、落ち着くまで待つから!!泣こ!いっぱい泣こ!!待つから!!!」


『アンジュちゃあああん!!ニアぁあ〜〜〜〜!!』


「ミィー」


 アンジュとミコト。

 そしてニア。


 三者三様のやり取りを見つめながら。


 サカキは───。

 静かにフライヤへ視線を向けた。


「────フライヤ」


「ん?」


「終わったら呼んでくれ」


 それだけ言うと。

 サカキは肩を丸め、静かにその場を離れていった。


 先ほどまで鬼神のように戦っていた男とは思えないほど。


 その背中は、酷くいじけていた。

 その哀れな背中を見送りながら。


 フライヤは何も言わず、小さく頷いた。



          * * *



 アンジュとミコトが落ち着く頃には、夜はさらに更けていた。

 焚き火の火が、静かに揺れている。


「コーネリアス………いや奴らとは、因縁がある」

「よく切り替えられたわね」


 ようやく始まったサカキの出番に、

 少しだけフライヤには同情を含めた表情が浮かんでいた。


「アンジュ」


「なに?」


 あっけらかんと答えるアンジュに、サカキは小さくため息をついた。


『あ、あのサカキさん、私は外したほうが───』


「いや、ちょうどいい。ミコト君もそこで聞いてくれ」


『は、はい』


 同席を依頼されたミコトは、驚いた様子で返事をする。

 サカキは、ゆっくりとアンジュを見据える。


「君が不死身であることが、奴らに漏れた」


「奴らって………あのダムセクトとかっていう?」


「ダムセクトとは、奴らの種族の名だ」


 サカキの表情は真剣だった。

 焚き火の光が、その横顔を照らしている。


「このまま私たちと一緒にいては、また君に同じ危険が及ぶかもしれん」


「───ッ!?それって!!」


 サカキの言葉の先を察したアンジュの顔色が変わる。


「まさかワタシとは、ここまでって…………事?」


 不安そうに言うアンジュ。

 その表情を見て、サカキは少し声を強めた。


「だが!」


 アンジュが言葉を飲み込む。

 続きを聞くように、サカキは静かに言葉を続けた。


「奴らに認知された今、この先、君が一人で旅をするのは、あまりにも危険すぎる」


 そして、ゆっくりと結論を告げる。


「したがって、君は我々と共にいるのが賢明だ」


 その言葉に、アンジュの肩の力が抜けた。

 ホッとしたように息を吐く。


「だが、今回の様に、必ずしも我らが守ってやれるとは断言でき───」

「できるわよ!私が絶対にアンジュちゃんを守───」

「フライヤ、頼む」


 横から飛び出したフライヤの叫びを、サカキが遮る。

 フライヤは、「ぐぬぬ」と唸りながら黙った。


 サカキは咳払いをひとつして、話を戻す。

 そして、焚き火の向こうのアンジュを真っ直ぐに見つめる。


「必ずしも我らが守ってやれるとは断言できん、したがって………」


 サカキは、考え抜いた末の結論を、静かに告げた。


「君は“我々”程とはいかなくても、ある水準まで強くなる必要がある」


「強くなるって………」


 アンジュは言葉を詰まらせる。


 今までの旅で。

 彼女は、自分の無力さ、そして足手まといだったことを、

 嫌というほど痛感していた。


 その上での、サカキの言葉。

 だからこそ、アンジュの表情は強張り、


「無理に決まってるじゃん!!」


 そう決めつけてしまった。


「いや、そうとも言えん」

「────え?」


 あまりにもあっさりと返された言葉に、アンジュは拍子抜けた。

 サカキは静かに続けた。


「今回の一件で、視えた可能性がある」


 サカキの視線が、アンジュの肩へ向く。

 そこに乗っている、小さな存在。


「ミィ?」


 レガシー・ギフトもとい、ニアだった。


 サカキはニアを見つめ。

 そして再び、アンジュを見据える。


「アンジュ───」


 静かに息を吸う。

 そして、“その言葉”を告げた。


「“召喚士”にならないか?」


 その提案に───。


『「………………………………………………え?」』


 アンジュだけではなく、

 ミコトまでもが、思わず聞き返した。




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