第22話 不死身の少女と曰く纏う魔法使い②
ディーラーの手元でカードが軽く弾み、三枚が音もなくテーブルに開かれた。
場に落ちた瞬間、空気の層がひとつ薄く剥がれ落ちたような静けさが訪れる。
テーブルを囲む三人の男女、そしてアンジュ。
煙草の匂いと金属の響きが混ざり合い、客たちの表情に緊張と欲が微妙に滲んでいた。
「レイズ」
「コール」
「フォールド」
まるで転送魔術の詠唱にも似た短い言葉が、妙に儀式めいて響く。
賭けを上乗せする者、降りていく者。それぞれの呼吸が細く揺れた。
「コール」
アンジュは呆けた顔で、意識が半分抜け落ちたような返事をした。
肘をつき、口を半開きにし、まるで気絶でもしてるかのようだった。
だが、その無防備さが逆に客たちを油断させる。
ディーラーの指先が滑り、場に四枚目のカードが静かに開かれる。そのカードを各々が滑る様に目を通す。
「チェック」
「チェックだ」
客たちは互いに探り合うように慎重な選択をする。
その緊張に対し───。
「レイズ」
アンジュは周囲など存在しないかのように、ぼんやりした顔のまま宣言した。
肘をついた姿勢で、魂が抜けたような表情。
ルールもまったく把握していないかの様に。
誰がどう見ても“カモ”に見える。
「───レイズ」
「レイズ!」
すぐさま釣られるように客たちが賭け金を積み上げていく。
その目は完全に養分を見つけた我欲の光だ。
「コール」
アンジュは相変わらず、天井の模様でも眺めるような顔で返事をする。
気の抜けた横顔に、客たちはさらに強気になった。
そして、最後の一枚がめくられる。
場内のざわめきが一瞬だけ遠のいた。
「チェック」
「チェック!」
冷静さを保とうとした声が二つ。
だが───。
「───オールイン」
アンジュの目が突然、底知れない獣の光を宿した。
さっきまで“抜け殻”だった少女が、瞬時に“狩人”へと変わる。チップを全て押し出すその仕草は、迷いも逡巡も一切ない。
「コ、コール」
「コール!」
すでに多額を積み上げていた客たちは、逃げ道を失っていた。
賭け金の重さに手が震え、しかしここまで来たら乗るしかない。
彼らの理性より、欲望と意地が勝ってしまった。
ディーラーが場に並んだチップを確認し、静かな声を落とす。
「では、ショーダウンです」
その声を合図に、客たちが一斉に手札を晒した。
「フルハウス」
「フラッシュだ!!」
それぞれ誇らしげに、あるいは慎重に手元を広げる。そのどちらも決して弱くはない。
だが、アンジュは肘をついたまま、手札を軽く摘んで───ポイッと無造作に放り投げた。
「ストレートフラッシュ」
弧を描いたカードがテーブルに落ちた瞬間、場が凍る。
「………おめでとうございます」
ディーラーの言葉が静かに降り、勝負が決まった。
アンジュの役の強さを理解した客たちは、顔を歪めながら席を離れる。
その一方で、アンジュはというと───なんてことなさそうに、淡々とチップを回収していた。
「す、すげえなあの子」
「もう何勝目だよ?」
「いや、わざと負けたりして、絶妙な匙加減で均衡を保ってやがる。だが少しずつ、確実に増えてやがる」
場内がざわつく、驚愕と恐怖の混じった視線がアンジュに向けられる。
しかしその中心にいる少女は───。
「んーまずまず」
場違いなほど緩い声で、伸びをしながら笑った。
まるで、この程度では全然足りないと言わんばかりに。
(この調子でドンドン増やせば、すぐに───)
アンジュの喉が小さく鳴る。
舌なめずりひとつで、雰囲気が一気に“狩りの顔”へと傾いた。
勝ち続けるにつれ、緊張はむしろ研ぎ澄まされ、
集中が一点に収束していく。
───するとアンジュの背後から声が響いた。
「アンジュちゃん」
別のゲームで勝負していたフライヤが、軽やかに歩み寄ってきた。ただ、その表情には、勝者の笑みではない。
「フライヤさん、どうしたの?」
「全部スっちゃった♡」
アンジュは椅子から転げ落ちそうな勢いでコケた。
店内のざわめきが一瞬こちらに向くほどの音。
「ま、またぁ!?」
ガバッと顔を上げ、フライヤに声をあげるアンジュ。
彼女たちはVIPルームへ招待されるため、絶妙に目立つ勝ち方をしつつ、慎重に立ち回る算段を組んでいた。
しかし───フライヤはアンジュの稼いだ収益を、右から左へ吸い込むように溶かしていたのだ。それも、見事なまでに。
加えて今の二人は“行商人と付き人”の体裁。
露骨なお金のやり取りをすれば怪しまれる。
勝ったそばから隠して持ち運び、細く回し、少しずつ積むしかない。
「フライヤさん、ちょっと……!」
アンジュは慌ててフライヤの尖った耳元に口を寄せる。
(フライヤさん!?何してるの!?VIPルームに行くのが目的でしょ!?これじゃただのカモじゃん!)
(面目ない)
さして悪びれる様子もなく、どこか“次こそ勝つ”と言いたげに自分の台へ戻ろうとする。
(保安官と同じこと言わないでよ!それとも、もしかしてこれも作戦の一つ?)
問い詰めるアンジュに、フライヤはふいに足を止めた。
(いい?アンジュちゃん)
くるりと向き直ったその顔は、さっきまでとは違う。奇妙なほど神妙な表情で、まるでその言葉に重みがあるかのように見えた。アンジュも反射的に姿勢を正す。
(ギャンブルって自分との戦いなの。私は賭けには負けたけど、反対に自分には負けてないから、実質私は勝ったの)
(ん───?え?うぇええ?なに!?なんて!?)
アンジュの頭の中で、意味の糸が絡まって千切れた。
理解しようとするたびに煙のように抜けていくフライヤの持論。
その温度差に思考がまったく追いつかない。
(何が言いたいかというと、勝つまでやるの)
(ストォーーーップ!)
アンジュはほぼ悲鳴のようにフライヤを制止した。
しかしフライヤは待ちきれないとばかりに、今にも駆け戻ろうとする。
(もう少し、もう少しでクるわ、このまま席を開けたら他の奴らに奪われそうで………)
その視線の先───。
取り置き札が立てかけられた一台のスロットマシン、アンジュも釣られるようにそちらへ目を向ける。
(なんでそんな深追いしてるの!!)
(でも確率はいつか収束するわけで。このあと爆連が待ってるはずなのよ)
(そんな理屈でダラダラやってたら攫われた生き物たちが出荷されちゃうでしょ!!)
(わかったから、アンジュちゃん。すぐ捲るから追加のメダルを───)
(ダメェええええ!!)
暴走し始めたフライヤの襟を掴む勢いでアンジュは引き止めた。
そのまま一人、沈みゆく海底のような絶望へと沈んでいく。
(どうしよう、どうしよう、どうしよう、どうしよう)
明滅する照明が、アンジュの思考の混乱に追いつけず、音楽に合わせて瞬く。
(私が付き人で、フライヤさんが主人役なんだから、フライヤさんが勝って目立つ方がいいよね………でも、このままだと、中途半端に終わっちゃう。やった感じ、カジノ自体は真っ当に商売してるみたいだし───)
その隙にフライヤがふらふらとスロットへ戻ろうとする。
その裾をアンジュが、ガシィッと掴む。逃げられないように、祈るように。
「こうなったら───」
アンジュの声が震えた。覚悟と焦りが同時に詰まった音だった。
「フライヤさん、スロットやろ!」
「言われなくても、そのつも───」
「聞きたくない!いいから戻ろ!」
言い終える前にアンジュはフライヤの腕を引き、
二人はスロットマシンの前へ半ば強引に戻された。
アンジュはフライヤの背中に手を添え、
まるで馬を操る調教師のように位置を調整すると、彼女の後ろに回り込んだ。
「いい?ワタシのタイミングでボタンを押して」
「アンジュちゃん、賭け事というのは自分の力で───」
「うるさい!!!」
「つれないわ………」
フライヤが振り返って説得しようとしたが、
アンジュの両手に肩を固定され、身動きが取れなくなった。
フライヤが仕方なくレバーを倒すと、リールが高速で回転を始める。
眩い光の帯が三つの窓を走り、景色が分解されていく。
(集中、集中集中集中集中集中集中………しゅうちゅうううううーーー!!)
アンジュの意識が一点に収束していく。
回転する絵柄一つ一つのブレ、止まり際の癖。
リールの機械音の揺らぎまで、全てが情報として脳に入っていく。
周囲のざわめきも音楽も、完全に消えた。
(────いまだっ!)
アンジュがフライヤの肩をポン、ポン、ポンと叩く。その合図と同時に、フライヤの指がボタンを連打した。
リールがカチッと止まり、絵柄が揃う。
チャリリリリリリィンッ!!と金属が擦れ合う音を纏い、一斉にメダルが吐き出され、銀の光がこぼれ落ちた。
(やった!うまくいった!)
「ほほほぉーーー!」
アンジュは満面の笑みを浮かべ、フライヤは悪魔のような、欲望むき出しの笑顔で奇声をあげた。
「流石です!ご主人様!!」
必死で誤魔化す様にアンジュは付き人を演じる。
(よーーし!この調子でいくよフライヤさん!!)
アンジュがフライヤの肩をがしっと掴む。
二人は一体となってスロットに向かい、奇妙な連携プレーが幕を開けた。
* * *
その後、二人は異様な連勝を積み上げていった。
メダルが増えるたび、周囲のざわめきは膨らみ、
客の目が二人に釘付けになる。
アンジュはカジノの空気を読むことも忘れ、勝つことだけに集中していたが───。
「ゼー!ゼー!ゼー!」
高速かつ正確すぎる文句なしの“目押し”の連続で、彼女の視界は何度も白く飛び、脳が悲鳴を上げる。
だが疲労が頂点に達した瞬間、不死身の体が彼女の疲労を即座に回復させ、そして再び限界へ誘う。回転……回復……回転……回復……回転。
この地獄のループの中で“従者の演技”までこなす羽目になり、アンジュはもはや別の意味での強靭さを試されていた。
一方のフライヤは───。
「ヒィーッハッハッハッハァーー!笑いとメダルが止まらないわぁーーー!」
足をバタつかせ、欲にまみれた奇声を上げながら、もはや醜態と言っていいレベルで興奮しきっていた。
完全に、見せ物状態となってしまったが、それでも勝ち星は確実に積み重なり、二人がこの賭場の独壇場であることは誰の目にも明らかだった。
そんな狂乱の最中───。
一人の男が静かに近づいてきた。
「ご主人様は、随分と景気が良さそうですね」
(キ、キタキタ………)
その声の主にアンジュの胸に冷たい稲妻が走る。疲労困憊の彼女の視線は、男を見上げていた。
「申し遅れました、私はここのカジノの支配人でございます」
「それはどうも」
現れたのは、この建物の支配人を名乗る男。
深い礼をしながら、その視線だけは鋭い観察者そのもの。
アンジュは一切隙を見せず、礼儀正しく応じる。
その裏で心拍は静かに跳ね、計画が次の段階に入ったことを悟っていた。
「ふっひゃーー!!」
隙だらけのフライヤが、背後で意味不明な奇声を上げた。
アンジュは思わず心の中で頭を抱える。
(考えろ!ミコトみたいな言い方をすれば、なんとかなるはずだ!)
頼りにならなさすぎる“主人”に代わり、アンジュは急速旋回でミコトの思考回路を脳内再現し始めた。
「し、主人が………お恥ずかしいところをお見せしまい、申し訳ありません」
ぎこちない敬語で、健気に頭を下げる。
従者を演じるというより“ミコトの真似”だが、それが逆に様になる。
「いえいえ、私どもの遊技場で感情が動いてくださるなら、嬉しい限りでございます」
怪しまれている様子はない。そう判断したアンジュはさらに思考を回す。
(集中だ!ミコトよ!私に宿れ!)
「ねぇ?支配人さん。うちの主人は本日、とても羽振りが良いんです。何かこう………もっと主人を喜ばせられるゲームはないでしょうか?」
全身に“ミコト風味”をまとわせ、アンジュは話題を切り込んだ。
「そのお言葉をお待ちしておりました」
支配人は胡散臭いほど完璧な笑みを浮かべた。
「この奥に特別なお客様の為の個室のご用意があります。ご主人様さえよろしければ、是非ご招待したいのですが」
チラリをフライヤを見る支配人。アンジュもつられてフライヤを見ると───。
「ギィハハハハハハ!!!」
「“是非”と言っております」
アンジュは秒速で“通訳”した。もはや責任感で脳が焼けそうだった。
(ここは、私がしっかりしないと!)
胸の奥に固い決意が灯る。
「でも、その部屋へは主だけ招待してもらえますか?私のような物が、そのような高貴な場所に入る訳には参りませんので」
「私どもとしては、同席でも構いませんよ?」
支配人はあくまで丁寧に言葉を連ねる。
「いえ、主からの言いつけですの」
アンジュが必死に理由を捻り出すと、支配人は再びフライヤへ向き直った。
「よろしいのでしょうか?」
「シャーーシャシャシャシャシャ!」
「“全く問題ない”と申しております」
「かしこまりました───ではこちらへどうぞ」
支配人が“VIP”と呼ばれる奥の扉へと誘う。
それに続いたフライヤにアンジュは慌てて耳打ちする。
(フライヤさん!ワタシが遅れて侵入するからヤツらの気を引いててね!)
耳元で囁くと、フライヤは振り返り───。
「ドルバコォ!」
謎の言語を叫んだ。
(“わかった”ってことだよね!?そう受け取るよ?お願いだよ?ほんとに!!)
アンジュは祈るようにフライヤを見送り、開かれるVIPの扉へ視線を向ける。
その奥―――ほんの一瞬。扉の隙間から“別の通路へ続く扉”が見えた。
しかし心に刺さるのは期待ではなく、ほとんど確信に近い懸念。
「限りなく───不安」
これ以上なく素直な声が、アンジュの胸から漏れた。
「大丈夫かなぁ、一度オヤジに相談した方がいいかな?」
フライヤの博打狂いの度合いが想定外すぎたアンジュは、思わずサカキとの協議が頭を過ぎる。
「いや!この間にも生き物が良からぬことに使われてるかもしれない!」
保安官が唇を噛んだ顔が脳裏に蘇る。
“この町で、生き物が商品にされている”
その現実がアンジュの迷いを払拭させ、突き動かす。
アンジュは店員の視線を巧妙に避けながら、そっとVIP室の扉へ近づいた。
小物ケースを開き、金属の擦れる音を殺してピッキング道具を取り出す。
「けっこうザルだな」
軽い手つきで錠前が開いた。
その音すら聞き逃すほど、従業員たちは表の喧騒に気を取られている。
「………あれ?VIP客の従者、どこ行った?」
「便所だろ、ほっとけ」
気づかれた気配はあったが、深追いされることもなく、
アンジュはすでに扉の向こう側へ姿を消していた。
(潜入………成功!!)
中には、例の別経路へ繋がる扉が見える。
しかし、今度は表の鍵とは比べ物にならない厳重な施錠が施されていた。
(こーゆー裏口ってのは大体───あった!)
扉の周囲を素早く見渡し、アンジュの視線は天井の通気口へぴたりと吸い寄せられた。
「よっ!ふぎいいいーーー!」
軽く跳ねて縁を掴んだ瞬間、アンジュは自分の回復力を前提にした、無茶な動きで体を押し込んだ。
バタバタと足を振りながら、強引な侵入する。
痛みを“無視”することで成立する 彼女にしかできない芸当だった。
「よーし、これでしばらくは見つからない」
狭い通気口の中、アンジュは小さく息を整えた。
天井裏を抜け、通路の上を這うように進む。
「さーて、怪しい場所から、更に怪しい場所へ行くには…………」
足も手もスイスイと音を立てず、まるで小動物のように動く。
「とにかく地下だ!」
シャカシャカシャカ!とトカゲのような動きで通気口を進んでいく。
闇と静寂が支配する天井裏で、アンジュの気配だけが生き物のようにしなやかに動き続けた。
* * *
「アルコールなどはいかがですか?」
「グラスなんかいらないわ!樽で持ってきなさい!」
「か、かしこまりました」
扉が閉まった瞬間から、フライヤは完全に羽を伸ばしていた。
豪奢な部屋いっぱいに響くのは、女魔術士の豪快な笑い声と、運ばれる酒樽の重たい音。
「さーて、ふかすわよおおーー!」
支配人の手がける特別室の酒は、香りも味も濃厚の様だ。
だが、そんな繊細な味を評価をする暇など、今のフライヤにはなかった。
「ワックワクするわぁ〜!!」
次々と運ばれてくる酒は瞬く間に空となり、“アンジュが稼いだ”チップは、まるで砂浜に溢れた水のような速度で消えていく。
そのまま追加のチップを買い足し、深く酩酊した様子でカード・サイコロ・ルーレット。目につくあらゆる遊戯に手を出し、豪快に遊び尽くす。
スタッフはフライヤの世話で走り回り、もはやVIP室ではなく “フライヤ専用接待室” と化していた。
そんな光景に支配人も満足げな表情を浮かべる。
「楽しんでいただけてなによりです。ぜひ今後ともご贔屓の程をよろしくお願いします」
「こんな最高なカジノ、毎日来たいわよぉ〜!」
支配人の謝辞にフライヤも上機嫌な笑顔を見せる。
頬を真っ赤にしながら笑うフライヤは、上機嫌という言葉では収まりきらないほど幸せそうだ。
すると支配人は笑顔のまま、フライヤの装いに目をやる。
「それにしても随分と厚い装いですね?この部屋なら身分が外に漏れることはございません。よろしければお預かりいたしましょうか?」
気を遣った支配人が丁寧に声をかける。
フード、サングラス、包帯。確かにこの部屋には不似合いな重ね着だ。
「あ〜いいの!いいの!私たちが取り扱う商品って、コンマ一ミリでもバレたくないのよね〜」
フライヤはヒラヒラと軽く手を振り、フライヤは気にしない様子で笑った。
「そうですか………そういえば、小耳に挟んだのですが」
支配人の声色が変わる。
先ほどまでの胡散臭いほどの柔らかさが、
氷の薄膜に覆われるように冷えていく。
「どうやら、この町一帯では行商の予定はないそうなんですよ」
「あら〜?カジノ経営に町の商売の声が届くのかしら?」
酒のせいか、フライヤは陽気に首を傾げる。
「ええ、町の景気は店の経営にも影響を及ぼすので」
「そんなものなのかしらね〜」
どこまでが酩酊で、どこまでが演技なのか。
判断がつかない返答がフライヤの口から漏れた。
「よければ聞かせてもらえませんか?」
支配人は、もう笑っていなかった。
声が低く、滑るように近づく。
「この町に来た理由を───」
支配人の表情にはもはや紳士の面影はない。
賭けに相対し、駆け引きを行うプレイヤーの顔だった。
* * *
「だいぶ降りてきたな───」
薄暗い通気口を進むアンジュは、煤と埃に塗れながらも速度を落とさず進んでいた。
天井裏は狭く暑く、息を吸うたび喉に雑菌が張りつく。
そんな中、耳を撫でるように何かが聞こえた。
「鳴き声が………?」
か細い、しかし確かに苦しむような声。
獣の鳴き声とは違う、もっと刺々しい悲鳴。
アンジュは音を追い、さらに奥へ進む。
やがて空気が広がり、通気口の先が大きな空間に繋がっているのがわかった。
「これは…………」
覗き込んだ瞬間、アンジュの目が大きく見開く。
────檻。
檻、檻、檻、檻、檻、檻。
そこには大小様々な生き物が押し込められ、逃げ場をなくした獣たちが怯えた目で押し寄せるように身を寄せ合っていた。
「オラあ!早く行け!」
「後が使えてるだろうが!」
鞭が空気を裂き、生き物が悲鳴を上げる。
男たちの怒号は、まるで搬出を急かすかのように冷たい。
「ひどいな………まるで奴隷だ」
アンジュの目に、怒りではなく“軽蔑”の色が宿った。
その静かな感情のほうが、むしろ強い。
すると、別の方向から低く話す声が聞こえてきた。
「おーい《《コイツ》》らはどうする?」
「それは、《《献上品》》だ、最後に運べ、丁寧に運ぶんだぞ?」
「わかってるよ、これをしくじったら俺らも殺されちまうからな」
(献上品───金品とか?)
アンジュは視線をそちらへ向け───息を飲んだ。
運ばれていたのは、様々な人間の“死肉”。
「な………なんだよ、あれ」
運ばれている生き物の死体は、命を全うしたものではなく。
切り刻まれ、肉を削がれ、血の痕すら乾いていない。明らかに殺された形跡があった。
「次は人肉だ〜。餌用と料理用を間違えるなよ?」
軽口のように言い放つ男の声が、地下の空間に反響した。
アンジュの体がわずかに震える。
(餌………りょ料理用………?)
よく見れば、檻の奥には弱りきった人間も並んでいた。
“餌用”と“調理用”に分けられ、用途ごとに扱いが変わっている。
「地下に繋がっている?」
その先には、巨大な洞窟の入り口のような大穴が口を開けていた。
「おい!」
その時、通気口のすぐ下で声が上がった。
「VIPルームに入った太客の付き人が一人見当たらない」
「あ?店の揉め事はそっちで収めろよ」
「ここの入口の鍵が開けられた」
「………なんだと?」
(やばッ!バレてる!)
焦りで体が一瞬こわばった、その瞬間───。
ギギギ……バキッ!!!
通気口の金具が耐えきれず、アンジュの体重を支えたまま崩れ落ちた。
「うぎゃああああ!?」
見事な落下音とともに、アンジュは闇の中へ真っ逆さまに落ちていった。
床に叩きつけられた衝撃より“ばれた”という事実のほうが胸に刺さる。
「おやおや、お客様………迷子ですか?」
落下地点に現れた男は、指の骨をポキポキ鳴らしながら歩み寄る。
「あははは、ちょっとトイレを探してまして」
アンジュは必死の笑顔で誤魔化したが、
周囲に漂う殺気は嘘を許さないほど濃かった。
* * *
一方その頃、VIP室の空気は別種の緊張に包まれていた。
「───なんでいちいち私情を言わないといけないのよ?」
フライヤの語気は荒く、酔いのせいか、もはや支配人を標的として扱っていない。
「いい加減にしてくれないかしら?せっかくの休日を台無しにしないでちょうだい」
ルーレットに向かってボールを指で弾きながら、フライヤは不機嫌さを隠そうともしない。
「あくまでも当店へは遊戯に来たということですか?」
「それ以外のなにがあるのよ」
椅子に座ったまま、支配人へ視線すら向けない。
支配人は目を閉じ、己の無礼を咎めように、支配人は口を開いた。
「それは、大変失礼な態度を───」
その言葉が終わる前に、部屋の扉が荒々しく開け放たれた。
「支配人……侵入者です」
「ギャ!」
投げ込まれた影は、縄で縛られたアンジュだった。
まるで荷物のように床へ転がされるアンジュは、
あちこち打撲を受けた痕があり、状況の深刻さを説明するまでもない。
「あら?アンジュちゃん」
「ごめんなさい、捕まっちゃった」
まるでばったり会った友人に声をかけている様なフライヤ。
支配人はアンジュに視線を投げたあと、ゆっくりとフライヤへ目を移した。
その微笑が、鋭い刃へと形を変える。
「随分と、お転婆な従者を連れてらっしゃるのですね?」
「その方が刺激があっていいじゃない」
フライヤはルーレットから手を放し、椅子をくるりと回して二人の方へ向き直った。
周囲では武器を構えた部下たちが次々と集まり、二人を包囲するように円を描いていく。
アンジュはその光景に、自分の失敗がフライヤを危険へ晒したと悟り、焦りのまま声を上げた。
「気にしないで!ワタシなら全然大丈夫、なんてったってワタシは不死───」
「アンジュちゃん!それ以上は言わないでいいわ」
フライヤが即座に遮った。
酔っているはずの声が、その一瞬だけ鋭い。
だが次には、またふにゃりとした笑みを貼りつけ、ふらつきながら親指を立てる。
「気にしないでいいのよ〜ドンマイ!」
緊張と酔いが混ざった、不思議な均衡。
周囲の殺気だけが、確実に高まっていく。
「アンジュちゃん、コイツらのことは《《気にしなくて》》いいから、何を見てきたのか言っていいわよ」
柔らかい声でフライヤが言う。
アンジュは地下の光景を思い出しただけで喉が震えたが、
それでも息を押し出す。
「地下で、たくさんの生き物が運ばれてて、それだけじゃなくて、《《洞窟の中》》へたくさんの………たくさんの……死体が───ッ」
「もういいわ」
フライヤがそっと言葉を摘み取った。
「ごめんね、嫌なこと言わせちゃったわ」
「テメェベラベラと───」
「貴方たち………」
その瞬間、フライヤの声が変わった。
怒声をあげかけた部下の一人の言葉が途中で止まる。
フライヤはゆっくりと、身につけていたフード、サングラス、マスクを外していく。
ひとつひとつが床に落ちるたび、室内の空気が一段ずつ凍っていく。
「───“ダムセクト”とつるんでるわね?」
その名を口にした途端、
支配人の視線が一瞬だけ揺れた。
アンジュでさえ肌で感じた。
この部屋の空気が──完全に変わったことを。
「支配人!こいつ、フライヤ・アークライトです!」
下っ端の叫びが引き金となり、場がざわめいた。
「まじかよ、あのフライヤか?」
「“絶滅種”じゃねぇか」
「なんで、こんなところに」
(────絶滅種?)
聞き慣れない単語にアンジュの眉が跳ね上がる。
ちらりとフライヤを見たが、本人はまったく動じていない。
「フライヤ・アークライトを討ち取ったとなると、かなりの信頼に繋がるぜ」
その発言に支配人は腕を伸ばし、下っ端の言葉を制した。
「す、すいません!」
支配人は部下の謝罪に返事をすることなく、表情だけが、静かに牙をむいた。
だが、次の瞬間には、最初のような紳士の笑みを貼り付け直す。
「ダムセクト?何を仰ってるのかわかりませんね」
歩み寄る支配人。
影がフライヤの足元を染める。
「兎にも角にも、裏世界では有名なフライヤ・アークライト様が、こんな場末なカジノにどのようなご用件で?」
アンジュが息を呑む。
しかしフライヤは、ピクリとも動かない。
「あくまでも私は、私たちはモンスター・パニック・サービス」
その瞬間だけ、フライヤの声は鋼のように冷たかった。
「この名が来る意味は、わかってるわよね?」
支配人の頬がひくりと震える。
「ここで取引されている生き物たちが、よからぬことに利用されているって聞いたのよ、そこんとこどうなのかしら?」
「それを説明する義務はありません」
支配人の唇が吊り上がる。
「どうせここで死んでいただくので」
「あ〜いいの、いいのそーゆーのは」
フライヤは軽く手を振った。
さっきまで酔っていたはずの指が、まっすぐ伸びている。
「私たちがここに入った時点で───貴方達はもう《《終わってる》》んだから」
ニヤリと笑うその顔に、先ほどまでの酩酊している素振りは微塵も感じさせられなかった。
「確証が欲しかっただけなの」
(フライヤさん───最初から酔ってなかった………?)
アンジュが気づいた時には遅かった。
「やめときなさい、ダムセクトなんかとの取引なんて幸先もないわ。いつか貴方達も喰われるわよ?さっさと自首しなさいな」
「てめえ!いい加減に───ッ」
フライヤの煽るような言葉に、痺れを切らした下っ端が怒号とともにフライヤに殴りかかる。
その瞬間───。
バチィィィッ!!
目の前に、閃光が走る。
「ぎゃあああ!!」
空気を裂き、床を焦がし、影を焼き、彼の腕を避雷針とした様に“落雷”が落ちた。
怒鳴った下っ端は悲鳴をあげて拳が止まり、痙攣しながら硬直していた。
「なんだ!?何が起きた!!!」
周囲の空気が、まだ震えている。
雷が落ちてから数秒経つのに、音の余韻だけが室内の天井にこだまして離れない。
それほど近距離の落雷は、常識ではあり得ない。
「まさか───魔法を?魔道具も無くてどうやって!」
支配人の表情がみるみるうちに青ざめていく。
理解を拒む現象が、男たちの恐怖をさらに煽る。
「検知されたら貴方たち、しっぽ巻いて逃げるでしょ?」
フライヤが軽く肩をすくめた瞬間。
「ぐあああ!」
「ひいいいい!」
一人また一人と落雷によって撃ち抜かれていき、 叫び声と焦げた匂いが室内を満たしていく。
「どこから、いったいどうやって………」
支配人の声は震えていた。
恐怖が喉に張りつき、最後の言葉がうまく出てこない。
「ウフフフフ………」
支配人の問いにフライヤは機嫌よく、人差し指を“上”に向けた。
「まさか───魔道具検知が届かない程の高度から?」
「ンフフ〜正解♡」
答え合わせのように、フライヤが楽しげに指を鳴らす。
直後、室内の空気が“焦げた音”を立てて震えた。
* * *
はるか空───。
雲を裂き、地上を見下ろすほどの高度に、それは浮かんでいた。
フライヤがサカキへ預けていた愛用の杖。
青白い雷光を宿したまま静止し、まるで天候そのものを支配しているかのようだった。
「おーおー始まったか」
「流石の制度だ、感服する」
町のはずれでは、サカキとコマが、まるで花火見物でもしているかのように空を眺めていた。
* * *
───バチィィィッ!!
次々と雷光が一直線に下っ端の群れに突き刺さり、倒れた男達の影が床に焼きつく。
「そんか高所から、一人一人をピンポイントで狙うんなんて───」
「できるのよ私ほどになれば」
フライヤは、散歩の話でもするかのように軽く返す。
「ひっ……ひぃいい!!」
部下たちが四方へ逃げ散る。
だがフライヤの声が、無邪気に彼らの希望を折り砕いた。
「無駄よ、秒速10万kmの落雷から逃げれるわけないじゃない」
逃げるという行為そのものが、滑稽に見えるほどだった。
雷は“意思”をもって追いかける。
フライヤがただ視線を動かすだけで、次の標的が決まる。
「私が知りたかったのは、どこと繋がっているか」
フライヤの声が、どこまでも冷たく、澄んで響いた。
「それを支配人が教えてくれたわ、ありがと」
「こ、この────」
支配人が声が震える。
「クソアマがああああ!」
本性を剥き出しにした支配人の怒号が、部屋に響いた。
「やっと貴方の本音が聞けたわね〜〜そっちの方が好きよ♡」
フライヤは愉しげに微笑むと、最後にほんの少しだけ首をかしげ、小さくささやいた。
「でも、サヨナラ」
支配人の身体を貫いた落雷は、一瞬で部屋中の照明を白く照らし、灰色の影をその場に焼き付けた。
そして、周囲には、焦げた匂いだけが、ゆっくりと空気に溶けていった。
* * *
「……オヤジが言ってた“ニアが弾みで死ぬ”って、こういうことだったんだ」
アンジュは、まだ目の前の現実が飲み込めていなかった。
先ほどまでの緊張が、あまりに鮮やかにひっくり返され、胸の奥が、ふっと沈む。
「ワタシって必要だったのかな………」
作戦のために考えて、勝って、忍び込んで。
自分が積み重ねた努力が、たった一撃で全部ひっくり返された気がして。
その不安を押し隠すように、アンジュは視線を落とした。
「なに言ってるの?」
フライヤが、まるで本気で分からないと言わんばかりに覗き込んでくる。
「アンジュちゃんがカジノで勝たなければ、潜入は難しかったし。それに手加減するモチベーションもなかったわ」
あまりにもストレートな物言いに、アンジュは思わず瞬きをする。
「スゴイね………ひとりも殺してない」
落雷を受けた男たちは全員倒れているが、生きている。
全身黒焦げになっていても、命までは奪われていない。
「殺しちゃったら“後悔”されられないじゃない、もったいない」
その発言は意味深さがあったが、“罰を正しく与える者” の冷静さを備えていた。
「それに───逮捕するって結構大事なのよ?実績だけじゃなくてね」
フライヤが顎をクイッと動かして示した先を見ると——。
「やっと捕まえたぞオメエら!」
「表向きのカジノを真っ当に経営しやがって!」
「もう二度とこの町でこんなことさせねえ!」
カジノの中へ保安官たちが雪崩れ込み、重症の悪人達を次々と搬送していた。
この町に来たときは、誰もが絶望した顔をしていたのに、今の彼らは使命感に満ち、胸を張っていた。
「助かったぜ」
依頼主である保安官のリーダーが、汗を拭いながら二人へ駆け寄る。
その姿には、心底からの感謝が滲んでいた。
「気にしないで〜〜。そ・れ・で?約束の方は?」
「あ、ああ。町長の同意も得た………コイツらの裏資金は、全部持っていっていい」
保安官が言い終わる前にはフライヤの姿は消えていた。
「うっひょーーーーー!!!」
───金庫の扉の中から歓声が聞こえてくる。
(無報酬でも怒らなかったのは………こういうことだったんだ)
アンジュは苦笑しながら肩をすくめる。
「アンジュちゃん!アンジュちゃああああん!!手伝って!ホコリひとつ見逃しちゃだめよ!?」
「う、うん………」
「嬢ちゃんも大変だな」
保安官が同情混じりに声をかける。
アンジュは手を振って返事し、金庫の中へ向かった。
「うん………最近ちょっと、慣れてきた」
扉の向こうには、金貨袋が山のように積まれ、フライヤがすでに半分ほど回収していた。
「これだけあれば、すぐにバギーの修理代に足りるかも!」
フライヤは金貨袋を手に取ると、縮小魔法で次々とと掌サイズに圧縮していく。
アンジュも隣でせっせと袋を運び、二人はまるで収穫祭の農婦のように軽快だった。
「生物達は、どうなるの?」
「みんなスカイ・ファームに連れて行って、保護とリハビリをやってもらうわ。回復したら元の自然に、引き続き保護が必要な子達はどこかの地区で育てられていくわね」
全てが計画にあったかのようにフライヤはスラスラと言葉を並べる。
「そしたら、私の魔法で地下への道は封印するわ。永久にね」
フライヤは金貨袋を抱えたまま自然に言う。
行動のひとつひとつが、もう慣れた仕事のようだった。
「すごい……」
「凄いわよね、スカイ・ファーム──」
「フライヤさんって凄い!」
「えっ?」
フライヤが固まる。
アンジュが、太陽みたいな純真さでその名を呼んでいた。
「グツラドニウトの時のバリアもそう!魔法で封じ込めるなんて!!」
「そ、そうかしら?」
「ワタシ、フライヤさんに憧れちゃう!」
「そうかしら?そうかしら?そうなのよ〜〜」
フライヤは、身体全体をくねらせて照れる。
冷徹な最強の魔法使いも、今の反応だけは素面より素面だった。
「それにしても“ダムセクト”っていうのがまた厄介ね。勘づかれたかしら?」
「───ッそれそれ!ダムセクトってなに?」
「気にしなくていいのよ〜」
「むー、また誤魔化した!」
頬をぷくっと膨らませるアンジュ。
笑ってかわすフライヤ。
ふたりは軽口を交わしながら、サカキたちの元へと歩いていった。
* * *
───その頃。
喧騒が消え、人影も途絶えた賭博場の地下。
運搬に使われていた通路は瓦礫のように荒れ、
焦げた臭いだけが薄く漂っている。
封印魔法が光の残滓を宿したまま、ひび割れた壁を静かに照らしていた。
───その奥。
誰も踏み入れられないはずの“洞窟”の闇が、わずかに蠢いた。
闇を縫うように姿を現したのは、異形の生き物。
節の多い手足が壁を這い、のびた顎がわずかにかしぐ。
光のない目が、封じられた通路を見渡した。
───そして。
その口が、かろうじて“言葉”と呼べるほどの濁声をこぼす。
「………封じ、られた………か…………」
異形は、震える喉を押し開くようにしてつぶやいた。
「……コーネ………リアス様に………お伝え………せねば……」
その声は、洞窟の奥へ、闇のさらに奥底へと吸い込まれ───。
かすかな余韻だけを残して消えた。




