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二十万円の笑顔  作者: 鍵しっぽハンター


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4/4

第四章 拡散


 その週、練馬区の事件はトレンドに入った。

 ゆうとが気づいたのは、学校から帰ってスマホを開いたときだった。タイムラインの上のほうに、見慣れない並びがあった。トレンドの一位から三位までが、全部あの事件に関係していた。




  トレンド

1位 #練馬強盗致死

2位 #闇バイト

3位 #高齢者狙い




 ゆうとはその文字列を見た。

 特に何も思わなかった。

 タイムラインを下にスクロールした。


 流れてくるものは、いつもとは違う種類のものだった。




@news_official_jp

【速報】練馬区住宅強盗致死事件

警視庁、複数の防犯カメラ映像を解析

実行犯は20〜30代の男性複数名とみられる

━━━━━━━━━━━

RT 8,204 / いいね 19,341

@user_tanaka_5523

これほんとに許せない

70代のおじいさんに何の罪があるの

死刑でも足りないわ


RT 2,109 / いいね 14,882

@voice_of_justice_77

闇バイトに応募する若者も共犯

軽い気持ちで参加したとか言い訳にもならない

社会全体で厳しく対処すべき

#闇バイト撲滅


RT 3,441 / いいね 22,017




 ゆうとはそれらを読んだ。

 読んで、流した。

 「死刑でも足りない」という言葉を見たとき、何かが一瞬引っかかったような気がした。引っかかった、というのは、怖いと思ったということではなかった。何かを感じようとして、うまくいかなかった、というような感覚だった。

 もう一度スクロールした。




@mama_kazu_haru

子供に絶対に闇バイトには関わらないよう話しました

今どきのSNSは本当に怖い

若者が犯罪に巻き込まれる前に、親が気をつけないと


RT 4,782 / いいね 31,204


@netwatch2024

練馬区の犯人、もう特定されてるって噂あるけどほんと?

情報求む


RT 892 / いいね 3,204




 「もう特定されてるって噂」という投稿で、ゆうとの指が止まった。

 止まって、コメント欄を開いた。

 「噂です根拠なし」「デマ流すな」「警察が発表してないのに」「でも早く捕まってほしい」

 根拠はないようだった。

 ゆうとは画面を閉じた。

 閉じて、ベッドに横になった。


 田中からLINEが来た。




田中 17:21

これ練馬じゃん

近くね?


ゆうと 17:28

そうだね


田中 17:29

うちの親もめっちゃ言ってきた

気をつけろって


ゆうと 17:30

そうだろうな


田中 17:30

お前んちは?


ゆうと 17:31

特に言われてない


田中 17:31

なんで

近いのに


ゆうと 17:33

あんまり気にしてないんじゃないかな




 送信してから、ゆうとはスマホを置いた。

 気にしていないのではなく、話題が出なかっただけだった。母親は夕飯の支度をしていた。父親はまだ帰っていなかった。航太はゲームをしていた。いつも通りだった。

 彩花からも来た。




彩花 17:44

ねえ、練馬の事件トレンドになってるね

こわいね


ゆうと 17:52

そうだね


彩花 17:53

なんか身近に感じる

先月海の帰りに乗り換えたじゃん

あの駅のそばだよね


ゆうと 17:54

うん


彩花 17:55

気をつけないとね

ゆうとも


ゆうと 17:56

うん

気をつける




 送信した。

 「気をつける」と書いた。

 何に気をつけるのかは、書かなかった。書けなかった、わけでもなかった。ただ、それ以上言葉が出てこなかった。


 夕飯の席で、父親が「練馬の事件、見たか」と言った。

 「見た」とゆうとは答えた。

 「最近こういうの多いな。闇バイトってやつだろう、どうせ」

 「そうらしいね」

 「まったく。若いやつが軽い気持ちで手を出すんだろう。信じられん」

 母親が「怖いわね」と言った。

 航太が「俺の友達も親に言われたって言ってた」と言った。

 「お前たちも気をつけろよ」と父親が言った。「変な話には乗るな」

 「わかってる」とゆうとは言った。

 「わかってるで済む話じゃない。ああいうのは最初から犯罪だとわかってやってるわけじゃないんだろうから、気をつけないと」

 「うん」

 「返事だけじゃなくて、本当に気をつけろよ」

 「わかった」

 父親は話を続けた。ゆうとは相槌を打ちながら、味噌汁を飲んだ。

 父親の言葉は、正しかった。ゆうとはそれを聞きながら、正しいと思った。正しいと思いながら、自分がその話の中にいるとは、思わなかった。

 思わなかった、というのは、嘘をついているということではなかった。

 ただ、そうだった。


 翌日、学校でも話題になった。

 朝のホームルーム前、教室のあちこちで声が上がっていた。

 「練馬の事件やばいよな」

 「怖いよね、普通に住んでただけなのに」

 「闇バイトって怖すぎ。なんで参加するんだろう」

 「お金のためじゃん、どうせ」

 「お金のためにそこまでするってヤバくない?」

 ゆうとは席に座って、その会話を聞いていた。

 田中が「ゆうと、近くね、あそこ」と言った。

 「まあな」

 「怖くない?」

 「別に」

 「お前肝据わってるな」と田中は言って笑った。

 ゆうとも笑った。

 笑い方はいつもと変わらなかった。タイミングも、声の大きさも。ゆうとはそれを確認した。確認した、という意識はなかったが、確認していた。


 その週の終わりに、被害者の遺族がはじめてコメントを出した。

 ゆうとはニュースアプリの通知で知った。記事を開いた。




練馬区住宅強盗致死 遺族が声明

「夫は毎朝近所を散歩するのが日課でした。

いつでも笑顔で、誰にでも挨拶していました。

そんな夫がなぜこんな目に遭わなければならなかったのか、

今でも信じられません。犯人には厳しい処罰を望みます」

━━━━━━━━━━━

妻(72)のコメント全文




 ゆうとは読んだ。

 「毎朝近所を散歩するのが日課」という部分を読んだ。

 あの家の周りを、深夜に歩いた。真っ暗な住宅街だった。朝になれば、あの老人が歩く道だった。

 何かが来ようとした。来なかった。

 ゆうとは記事をスクロールした。続きがあった。




SNS上では被害者を悼む声が広がっている。

「#被害者を忘れない」のハッシュタグで

数万件の投稿が寄せられた。

━━━━━━━━━━━

RT 41,209 / いいね 98,442




 数字だけが目に入った。

 九万八千四百四十二。

 大きい数字だった。

 ゆうとはアプリを閉じた。


 タイムラインはその後も続いた。




@user_mori_tomo

#被害者を忘れない

こんなに優しい方がなぜ…

ご冥福をお祈りします


RT 1,204 / いいね 8,341


@angry_citizen_jp

犯人はまだ捕まってないの?

警察は何やってるんだ

被害者が浮かばれない


RT 5,881 / いいね 27,093


@defense_lawyer_blog

闇バイト犯罪について解説します

実行犯であっても主犯格と同等の罪に問われる可能性があります

「知らなかった」「軽い気持ちだった」は量刑上ほぼ考慮されません

(続きはリンクから)


RT 12,440 / いいね 34,821




 ゆうとは最後の投稿を読んだ。

 「知らなかった」「軽い気持ちだった」は量刑上ほぼ考慮されません。

 読んだ。

 リンクは開かなかった。

 画面から目を離した。

 部屋の窓から外が見えた。夕暮れだった。空がオレンジ色になっていた。いつもと同じ空だった。

 スマホをベッドの上に置いた。

 ゆうとは窓の外を見ていた。

 何を考えているわけではなかった。

 ただ、空を見ていた。

 しばらくして、空が暗くなった。

 スマホを手に取った。

 彩花からLINEが来ていた。




彩花 18:02

今日のニュース見た?

遺族のコメント

なんか読んでたら泣きそうになった


既読 18:41




 ゆうとは既読をつけた。

 返信を打とうとした。

 「大変だったんだね」と打って、消した。

 「そうだね」と打って、消した。

 「うん」と打って、送った。




ゆうと 18:41

うん




 それだけだった。


 翌日の昼休み。

 食堂で田中と西村と飯を食っていると、田中がスマホを見ながら「犯人、なんか若いやつらしいな」と言った。

 「どこ情報」と西村が言った。

 「SNS。まあ確かかどうかわからんけど」

 「デマじゃないの」

 「かもしれないけど」

 田中がスマホをゆうとに向けた。

 ゆうとは画面を見た。




@info_seeker_2024

練馬の犯人、10代〜20代の若者グループという情報あり

闇バイトで集められた素人の可能性

警察は近く逮捕者を出すとの見方も

(情報源未確認)




 「どうせデマだろ」と西村が言った。

 「そうかもな」と田中が言った。

 「でも若いとしたら、なんで参加するんかね」

 「金じゃないの」

 「それだけ?」

 「それだけで十分じゃん、普通は」

 西村が「普通はそうじゃないから問題なんだろ」と言った。

 田中が「そりゃそうか」と笑った。

 ゆうとは自分の弁当を食べながら、その会話を聞いていた。

 「それだけで十分じゃん」という田中の言葉が、少しだけ耳に残った。

 残った理由を、考えなかった。


 放課後、ゆうとは一人で帰った。

 歩きながらイヤホンをつけた。音楽を流した。

 音楽が流れているのに、あまり耳に入ってこなかった。

 歩いていると、商店街に入った。肉屋のおじさんが「いらっしゃい」と言った。いつもの声だった。ゆうとは「どうも」と言った。いつもと同じだった。

 花屋の前を通った。

 花が並んでいた。白い花があった。

 あの店のテーブルに挿してあった花と同じかどうかは、わからなかった。

 通り過ぎた。


 家に帰ると、母親が出かけていた。

 リビングに航太がいた。ゲームをしていた。

 「母さんは?」

 「買い物」

 「そうか」

 ゆうとは部屋に上がった。

 かばんを置いて、ベッドに座った。

 スマホを出した。

 ニュースアプリを開いた。

 今日の更新を確認した。




練馬区住宅強盗致死 警視庁が捜査本部設置

強盗致死罪での立件に向け、態勢を強化

複数の目撃情報と防犯カメラ映像を照合中

実行犯の特定に「かなり近づいている」と捜査関係者




 「かなり近づいている」という部分を読んだ。

 ゆうとはそこで少し止まった。

 止まった時間は、三秒か四秒だった。

 その間に何を考えたかは、ない。何も考えなかった。ただ、その文字列を見ていた。

 画面をスクロールした。

 別の記事が出てきた。別の事件の記事だった。交通事故の記事だった。政治の記事だった。

 流れていった。


 夜。

 SNSのタイムラインが少し落ち着いてきた。

 トレンドから練馬区の事件が消えていた。別のトレンドが入っていた。芸能人の結婚の話と、スポーツの試合結果と、テレビ番組の感想。

 ゆうとはトレンドを眺めた。

 練馬区の事件が消えていた。

 消えた、というのは、何かが終わったということではなかった。ただ、別のものが上に来たということだった。

 でも、確認した。

 確認した、という意識はなかったが、ゆうとの指はトレンドを最後まで確認してから、タイムラインに戻った。




@memorial_for_him

お父さんのことを、こんなにたくさんの方が怒ってくださって、悲しんでくださって、

毎日そのことだけを支えに過ごしています。

犯人が必ず捕まることを信じています。

お父さん、待っていてください。


RT 18,204 / いいね 91,337




 その投稿がタイムラインに流れてきた。

 ゆうとは読んだ。

 「お父さん、待っていてください」という最後の一行を、ゆうとは一秒か二秒、見た。

 何も感じなかった。

 感じなかった、というのは、この瞬間に関しては、正確だった。何かが来ようとした形跡もなかった。ただ、文字として読んで、次に流れた。

 次の投稿は、好きなアーティストの新曲告知だった。

 ゆうとはそちらを開いた。


 数日後、ゆうとが学校から帰ると、リビングでニュース番組をやっていた。母親がソファで見ていた。

 画面に、練馬区の住宅街が映っていた。

 ゆうとは立ち止まった。

 立ち止まったのは、玄関のすぐ内側だった。まだ靴を脱いでいなかった。

 アナウンサーが喋っていた。「——捜査本部では、複数の防犯カメラ映像の解析が進んでおり、実行犯の特定に向けた捜査が続いています——」

 母親がゆうとに気づいて振り返った。

 「おかえり」

 「ただいま」

 「練馬の事件、また出てるよ。近いから心配で」

 「そうだね」

 「早く捕まるといいけどね」

 「うん」

 ゆうとは靴を脱いだ。部屋に上がった。

 二階の廊下を歩きながら、下からニュースの音が聞こえた。

 部屋に入って、ドアを閉めた。

 音が遠くなった。

 かばんを下ろして、ベッドに座った。

 何も考えなかった。

 考えなかった、は、もうゆうと自身にとっても、あまり意味のある言葉ではなくなっていた。

 ただ、そこにいた。


 十月の半ば。

 ゆうとはある朝、登校しながらイヤホンで音楽を聴いていた。

 駅のホームで電車を待っていると、隣に立ったサラリーマン風の男がスマホでニュースを読んでいた。

 見ようとしたわけではなかった。

 でも横目に入った。




練馬強盗致死 捜査進展か




 という見出しが見えた。

 電車が来た。

 男は乗った。ゆうとも乗った。

 別の車両だった。

 ゆうとはイヤホンから流れる音楽を聴いた。

 聴いていたが、何の曲かは途中からわからなくなった。


 その週末。

 彩花と会った。

 駅前のカフェだった。いつもの席だった。

 「最近どう?」と彩花が聞いた。

 「普通」

 「学校は?」

 「普通」

 「バイトは?」

 「しばらくやってない」

 「そうなんだ」

 彩花はアイスティーを飲みながら、ゆうとを見た。

 「なんか、最近ぼんやりしてることない?」

 「そうか?」

 「なんか、LINEの返信も遅いし」

 「忙しかったかも」

 「何が忙しいの」

 「いろいろ」

 彩花が少し黙った。

 「ゆうと、最近なんか変な気がする」

 「そんなことないよ」

 「変、って言ったら怒る?」

 「怒らないけど、そんなことないと思う」

 彩花はまたゆうとを見た。見て、何かを言おうとして、やめた。

 「まあ、いいか」と彩花は言った。「試験近いし、疲れてるのかな」

 「そうかも」

 「無理しないでね」

 「うん」

 カフェの外では、人が行き交っていた。土曜日の昼だった。みんな普通の顔をしていた。

 ゆうともたぶん、普通の顔をしていた。

 普通の顔をしていた、ということを、ゆうとは確認した。

 確認していた、ということを、ゆうとは知らなかった。


 帰り道、彩花と別れてから、ゆうとは一人で歩いた。

 スマホを出した。

 ニュースアプリを開いた。

 練馬区の事件について、今日の更新を見た。




練馬区住宅強盗致死 捜査状況に進展なし

関係者によると「慎重に捜査を進めている」段階

引き続き情報提供を求める




 「進展なし」と書いてあった。

 ゆうとはその三文字を見た。

 見て、アプリを閉じた。

 何かがあったわけではなかった。

 ただ、アプリを閉じた。

 歩いた。

 商店街を抜けた。

 家の近くまで来たとき、ふと空を見上げた。

 十月の空だった。少し高くなっていた。雲が薄かった。

 ゆうとはしばらく空を見ていた。

 何も考えていなかった。

 というより、何かを考えているのかどうか、自分でもわからなかった。

 家に帰った。




〔母親断片 ③〕

 航太が夕飯のとき、「兄ちゃん最近変じゃない?」と言った。

 橘美穂は「そう?」と答えた。

 「なんか、ぼーっとしてることが多い気がする」

 「受験生だからじゃない? いろいろ考えてるのよ」

 「受験の勉強してるとこ見たことないけど」

 「それは……まあ、人それぞれよ」

 夫が「橘くん、受験はどうなってるんだ」と言った。ゆうとは「考えてます」と答えた。それ以上の話にはならなかった。

 美穂はゆうとの顔を見た。

 たしかに、少し表情が薄い気がした。でも、十八歳の男の子なんてこんなものかもしれなかった。思春期の延長みたいなものかもしれなかった。

 気のせいだと思った。




 十月の終わり。

 文化祭が終わった。模擬店をやった。田中が仕切って、西村が黙って動いて、ゆうとはその中に混じった。売り上げはそれなりによかったらしい。

 「楽しかったな」と田中が後片付けをしながら言った。

 「そうだな」とゆうとは言った。

 「ゆうと今日なんか大人しかったな」

 「そうか?」

 「いつもならもっとうるさいのに」

 「疲れてたかも」

 「受験か?」

 「まあ」

 「俺も疲れてきた」と田中は言って笑った。ゆうとも笑った。

 西村は少し離れたところで、段ボールを畳んでいた。ゆうとの方を一度見て、また段ボールに目を戻した。

 何も言わなかった。


 夜、部屋でゆうとはスマホを開いた。

 タイムラインを見た。

 文化祭の写真が流れてきた。クラスメイトの投稿だった。模擬店の写真に、ゆうとも映っていた。笑っていた。

 自分が笑っている写真を見た。笑っている。

 それは確かだった。

 でも、笑っている理由が、写真を見ているゆうとには、なんとなくわからなかった。

 写真の中のゆうとは楽しそうだった。楽しかったのかもしれない。たぶんそうだった。

 でも今は、その楽しさを思い出せなかった。

 今日のことなのに、思い出せなかった。

 ゆうとはスマホを置いた。

 電気を消した。

 暗い部屋で天井を見た。

 トレンドから、練馬区の事件が消えて、もう二週間が経っていた。

 消えたことを、ゆうとは知っていた。

 なぜ知っているのかは、考えなかった。


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