二.エルフ
「事件よ事件! ミモル、リセ、早く起きて!」
その日の朝は、友人の大声と初夏の日差しに半ば叩き起こされた。
「うーん、何?」
ミモルは眠い目をこすり、手探りでベッドの脇に置いた眼鏡を探す。細い金属でレンズを固定して耳にかけられるようにしたそれは、近くにあるウィスカハルの街のガラス職人が作った特別製で、彼女のお気に入りだ。
「もう、ジュリエッタはほんとに騒ぐのが好きだよね」
眼鏡越しに友人の一人、ジュリエッタの顔がはっきり見える。ミモルよりも長くとがった形の良い耳、大きな赤色の目。赤みがかった色の髪は今日も本人曰く「ぱーふぇくと」な位置で片側に結ばれ、一角獣のしっぽみたいにふわふわ揺れている。不満なのを示そうとわざと膨らませた頬までが可愛らしい。
「今日のは大事件なんだから! パシェーナさんの部屋が誰かに荒らされんだって!」
「えっ!? パシェーナさんって、よりによって」
「そう! 御神木祭用のドレスも、用意してた薬草もダメになったらしいの」
「ええっ!? そんな、一体誰が」
「だから早く見に行くの! ほら、リセも!」
「……あと二杯」
「早く!」
毛布を払われたリセが木のベッドからしぶしぶ起き上がる。青光りする真っ直ぐな髪、眠そうに開いた目は透き通ったブルーグレーで、大人びた顔立ちはミモルでもちょっと見とれてしまうくらいだ。黙っていればこれほど神秘的な美少女はまずいないだろう。――しゃべっても、ある意味では神秘的だけれど。
「今日は何の夢見てたの?」
ミモルはまだ眠そうに歩いているリセの顔をのぞき込んだ。
「くじ引きで大きなモモブドウが当たって、嬉しくて回してたらカリフラワーの木に潰されて、水で戻そうとしたら木のほうに水がかかって、飛魚が出てきて合唱大会になっちゃって」
「大変だったね」
「モモブドウ食べたかった」
「モモブドウは初めて聞いたなあ。モモとブドウのケーキなら季節が来たら作ってあげる」
「待って待って。あと二杯欲しがってたのは何なのよ」
「……?」
「はあ、聞いたのがバカだった。――あっ、あそこ」
パシェーナの家に着くと近くに何人もエルフが集まっていた。人だかりの中心には涙ぐむパシェーナがいて、友人のベルガや、御神木祭でもう一人の代表に選ばれたルーコらが彼女を慰めている。花に囲まれた小さな木の家は、普段は可愛らしいのに、今日はその小ささが弱々しく感じられた。
「ベルガさん! パシェーナさんのお家が荒らされたって本当ですか。中見せてください」
「あ、ちょっとダメよ」
小さな身体を活かして制止をかいくぐった三人が家の中に入ると、トルソーに掛けられた黄色のドレスが目に飛び込んできた。この時期咲くゴールデンローズに着想を得たであろう華やかなドレスは、ちょうど花が散ってしまったかのように、どこもかしこも破れて周囲に花びら――ならぬフリルやレースの残骸を落としている。
「ひどい」
ミモルはそれ以上何も言えなくなり息を呑んだ。普段はお喋りなジュリエッタも言葉を発しない。リセが黙ったまま一歩進み出てトルソーにとがった耳を当てた。しかし、ほんの少しそうしただけですぐに離れる。
「いくら木でも、トルソーになってちゃ無理よね」
「うん。何も聞こえない」
三人はまた黙った。どうしてもある考えが頭から離れないからだ。彼女らエルフが得意とする魔法の一つは例えば木の声を聞ける植物魔法。そしてもう一つ、外敵を中に入れないための強力な結界魔法がある。つまり――
「これをやったのって」
「シージャ! あなたでしょう!?」
ミモルが言いかけた瞬間、家の外が騒がしくなり、同時に数人のエルフが中に入ってきた。後ろに無理矢理シージャを引き連れている。さらに後ろには、友人たちに支えられて未だ泣き止まないパシェーナの姿もあった。シージャを引っ張っていたエルフは、ミモルたちやドレスの前を通り過ぎてテーブルの上の薬草を指し示す。目を向けると様々な植物がテーブルの上に乱雑に散らばり、隣でかごがひっくり返っていた。
「ほら、これが証拠よ」
「どういうこと?」
「荒らされてるけど、よく見たらなくなってるのは玉蜜草っていう貴重な薬草だけなんだって。この中でどれが貴重か知ってるのは、準備したパシェーナ以外にはあなたくらいじゃない?」
「知ってるのはその通りよ。だからちゃんと管理してる。家にまだあるわ、盗る必要はない」
「じゃあどうしてここにいるのよ! こっちに来るのはいつも月に一回くらいでしょ? この前来たばかりだったのに。怪しい」
「どうせ御神木に選ばれなかったからって嫌がらせしたんでしょう?」
「それはパシェーナとルーコ以外全員に言えるじゃない」
シージャは落ち着き払って豊かな黒髪を撫で、髪と同じ真っ黒な目で相手を正面から見据えた。またか、と言いたげな表情だ。集落でただ一人褐色の肌を持つ彼女は、容姿からか性格からか他のエルフとは距離を置くことが多かった。普段は森の東の外れにある家にこもっており、月に一度くらいの頻度で中心部に顔を出しているのは事実だ。
「他の薬草の補充に来たの。急に使いたくなることだってあるわ」
「そんな偶然!」
さらに、他のエルフも進み出る。
「私、昨日一瞬だけ結界が切れたような気がしたの。それも東のほうで。気のせいじゃなかったのかも。シージャ、あなた何か」
「知らない。気のせいよ。私は何も感じなかった」
「待って、彼女だけじゃない。私も気のせいかと思って言わなかったけど切れた気がしたわ」
「……とにかく、私は何もしていない。犯人探ししてる暇があったら準備をやり直したら? ドレスのお裁縫は力になれないけど、玉蜜草なら手伝うから。この時期ならもう採れるかもしれないし、見つからなかったら手持ちを提供する。去年のでもないよりはいいでしょ」
「あ、ちょっと」
「まだ話は終わってない」
森へ帰ろうとするシージャを口々に引き留めようとし、だんだん語気が強くなり、最終的に同じ叫びに変わった。
「やっぱりあなたが犯人ね!」
あまりの騒がしさにシージャは黒い目を光らせて振り返ったが、何かを思うと、目を伏せてため息をついた。
「はいはい、もうそれでいいわ。早く帰らせて」
「よくないっ!!!」
やっぱり、という雰囲気が蔓延する直前、他のエルフよりも高い声が三つぴったり重なった。そこにいた全員がミモル、リセ、ジュリエッタの三人を見る。
「シージャさんはそんな人じゃない。薬草も魔法もすごく詳しいし、私たちにも親切に教えてくれるし、遊びに行くといつもおいしいお菓子くれるし、犯人じゃないよ」
「人の部屋を荒らすなんてしない」
「そうね、シージャさんがやったとは思えない。だから私たちが!」
えっ。ミモルとリセは反射的に左を向いた。待ってジュリエッタ、そこまでは――
「真犯人を見つけてあげる!」
◇
「もう、ジュリエッタってば何てこと言ったの? 真犯人を見つけるなんて無理だよ」
パシェーナの家の片付けを手伝いながら手掛かりを探し、家の周りの木に一通り話を聞いたが何も見つからず、ミモルはジュリエッタに向かってため息をこぼした。
「そんなのやってみないと分からないでしょ。私たち三人でやればできないことなんてないんだから」
「そうかなあ」
「ミモル、大丈夫。誰も期待してない」
当のシージャでさえ、ありがとうの言葉だけ残してすでに帰っている。
「ちょっとリセ、それは言い過ぎ! 気楽にやればいいけど、せっかくならほんとに見つけようよ。ね、ミモル」
「う、うん」
とは言っても、実はそんなに悪い気分ではなかった。リセもジュリエッタもいつもより楽しそうだ。次は何をしようかちょっとわくわくする。ミモルは眼鏡の位置を直して二人を見た。
「まずは犯人が私たちの中にいるか、外から来たかだよね。結界が切れたのが本当なら誰か入った可能性があるから、きっと外の人だよ」
これも朗報だった。担当のエルフが数人がかりで維持している陰伏結界があるため、最初は仲間の誰かが犯人と考えるしかなく言葉が出なかったが、結界が切れたのなら話は別だ。
「だけど私たちの結界に気付いて中に入るなんて相当な奴でしょ。それがドレスを破って薬草をちょっと持っていくだけなんて。何がしたかったのよ」
「うーん、目的はドレスを破るか玉蜜草のどっちかだけで、もう一方と部屋を荒らしたのはごまかすためとか」
「そのためにわざわざ外から? ちょっとありえなくない?」
「私たちの中に犯人がいるよりはありえると思うけど」
「……思ったのと違ったとか」
離れたところで土を掘り返していたリセがぽつりとつぶやく。
「不老不死の秘薬とか、矢が尽きない矢筒とか、一粒で一年分のご飯になる木の実とか探してたのかも」
「あー」
ミモルとジュリエッタの声が重なり、ジュリエッタはくるりとその場で一回転してみせる。
「時代遅れの犯人がエルフと聞いておとぎ話と勘違い、結界を破って侵入。でもそこにいたのは人間よりちょっと魔法が得意で、ちょっと植物と仲がよくて、ちょっと寿命が長いだけの実在のエルフ。秘薬も矢筒も木の実もおとぎ話と悟った犯人は八つ当たりにドレスを破って部屋を荒らし逃げた……わあ! ストーリーとしては完璧じゃない?」
「じゃ、じゃあ犯人は」
「時代遅れの人間よ! きっと未だに巨白花みたいな大きい襟をつけてるわ!」
「……」
「……。確かにあれはダサい」
本人曰く「えくせれんと」な角度で人差し指を立てて完璧なポージングを決めていたジュリエッタだったが、そのうち沈黙に負けて腕を下ろした。
「はあ、よく分からなくなっちゃった」
「仕方ないよ。手掛かりはないんだもん」
揃ってため息をつく三人を、周囲のエルフたちは微笑ましく見守っていた。何人かがふふっと小さな笑い声を漏らしたのが聞こえ、ミモルは顔を上げて周りを見た。
パシェーナの家の中はもうほとんど元通りに片付けられていた。パシェーナ本人もようやく泣き止み、ベルガたちと衣装をどう作り直すか話し合っている。他のエルフは薬草や庭飾りを確認し、足りないものがあれば手配する計画を立てている。
「でも他に何かできるかな。あんな複雑なドレスの縫製は手伝えないし、珍しい薬草を採りに行けるわけでもないし。どうしよう」
三人の御神木祭での仕事は、参加することと当日の手伝いくらいだ。
ミモルはまた眼鏡の位置を直した。動いて汗ばんだせいかずれやすくなっている。日はすでに高く昇り、夏が近いことをほのめかす日差しは暑いくらいだった。それで思い出す。
「あっ! 今日、ラヴェンドラさんのお手伝いする日じゃなかった?」
「ああっ! そうだった。大事件のせいですっかり忘れてたわ」
ジュリエッタは必要以上に深刻な表情になる。彼女のことだ、今日のために入念に準備していたに違いない。対するリセは覚えていたのかいないのか、ミモルが見た限りでは無反応だ。
「ま、ちょうどいいじゃない。ラヴェンドラさんにも事件のこと相談してみない?」
「そうだね」
「よし、決定!」
三人は手早く準備を済ませ、ラヴェンドラがいるセラン湖へと向かった。
「この前よりさらに暑いわね。もう夏みたい」
「本当だね」
他愛もない話をしながらセラン湖のほとりまで来ると、すぐに湖からラヴェンドラが姿を現した。同時に上がった水飛沫が初夏の日差しにきらめく。
「ラヴェンドラさん!」
「こんにちは。よく来てくれたわね」
淡い紫色の目がミモルを見た。色素の薄い髪が濡れて顔にかかり、とがった耳が小さくのぞいているのが何とも艶っぽい。密かに憧れている胸元は今日も服が窮屈そうで、対照的に腰は細くきゅっとくびれている。そしてその下には、光に当たると虹色に輝く美しい鱗が尾ひれの先まで並び、水中を優雅に揺れて彼女の身体を支えていた。
ラヴェンドラはミモルたちの集落で唯一の水棲エルフだ。
「今日も綺麗ね、セラン湖は。あっちのほうはちょっと霞んでるかな? ラヴェンドラさん、今日はどこを回って来たんですか?」
「川を通ってウィスカハルの街まで。まったく、湖にものを捨てる人間は減らないものね」
三人はちょっと苦笑いをして顔を見合わせた。
「魔力が強いから」
「そうだよね、私も時々影響されて捨てたい気分になるときが……」
「人間じゃ影響されても仕方ないか。もちろんポイ捨てはよくないけどね」
ラヴェンドラはその魔力をもって集落の森を支える大湖、セラン湖の清浄を守っている。ところが皮肉なことに、強大な力だからこそ周囲の人々に無意識下で影響し、湖にごみを捨てる行動を促してしまうらしい。
「だから今日も来たんだもんね。お手伝いがんばります!」
ミモルたちは定期的に、集めたごみを魔法で分解する作業を手伝っていた。
「いつもありがとう。今日はこれをお願いするわね」
ラヴェンドラが浅瀬に積んだガラクタの山を指す。
「了解です! じゃ、このままだと動きにくいから……」
ジュリエッタが進み出ると、ミモルの目の前でぱっと花が咲いた。濃淡のピンク色の布をひだ状にしたフリルが、まるで花のようにいくつも咲き乱れている。まっすぐに伸びた四肢とくびれたウエストを惜しげもなく晒し、胸元のふくらみは濃淡のピンク色の布の中。腰から片側だけ長く垂らしたフリルが一つに結んだ髪の毛と絶妙に調和している。ジュリエッタの服の下から現れたのは、彼女の魅力を十二分に引き出すかわいらしい「水着」だ。
「! かわいいっ」
「ほらほら、ミモルも早く」
「う、うん」
湖でお手伝いしていると服が濡れて動きにくい。最初はそれだけだった。少しずつ動きやすい軽装をするようになり、ラヴェンドラの格好を参考にしてお手伝い専用の服を作るようになり、それを「水着」と名付け、最近はそのデザインに凝り始め……
どんどん小さくなる布面積に恥ずかしさを感じつつ、かわいい服は着てみたいと葛藤し、ミモルが今日用意したのは下衣がスカート状になった白い「水着」だった。
「今日のは、上と下を分けてみたんだけど……」
脚を出すのはだいぶ慣れた。が、胸の下から腰まで露わにした服は初めてだ。思った以上に肌に感じる外の空気に戸惑うも、同時に不思議な解放感がある。
「わ、ほら言った通りでしょ。ミモル、肌が白いから出したらかわいいって」
腰にジュリエッタの腕が回る。ひやっとしてから温もりが遅れて伝わる。それに紛れて、後ろからリボンを引っ張られる感覚がある。
「ちょっ……リセまで変なところ触らないで」
「こんなところにリボン付いてるから。きれいに染まってる。ミモルの目と同じ緑」
「うん、ミモルによく似合って……えっ! ちょっとリセ、それは、何、どういう……」
ミモルを間に挟んで向き合っていたジュリエッタとリセが直接目を合わせ、二人の肌が離れる。ミモルはすぐにジュリエッタの視線を追って振り返った。
「ええっ」
布面積が増えている。最初にラヴェンドラの衣服が胸元にしかないのに気づき、服を上下に分けて間の部分を大きく出すことを思いついたのはリセだ。それからというもの、布の面積が少ないほうがかわいい気がして、お手伝いの度に競って小さな服を作っていたというのに。
しかも濃紺のその「水着」は、布の面積は増えたにも関わらずとても「せくしー」に見えた。
胴体全体を覆っているようでいて、大胆に曲線で切り抜きが施してある。ウエストの両脇、胸元、おへその回りと、白い肌がのぞく様は官能的とでも言えばよいのか、凹凸が少ないリセの体型とは真逆の印象だが、その不釣り合いさがむしろ奇妙な魅力を生み出している。本人はそこまで狙っているのかいないのか、涼しい顔で浅瀬に向かっているところだった。
「あんな手があるなんて……! お手伝いの服は奥が深いわ」
「ね。でもジュリエッタの服もお花みたいで素敵」
「ええ、とってもかわいいわ。三人ともお裁縫が上手になったわね。今日のお手伝いだってきっとはかどるわ」
「ありがとうございます。そろそろ始めなきゃね」
ジュリエッタはガラクタの山から細長い壺を手に取って、魔力を込めて分解した。壺が形を失い、光の粒になってセラン湖に還っていく。ミモルも革の切れ端を手に取り同じようにした。集まったガラクタはラヴェンドラが常時巡らせている浄化魔法では分解しきれないが、直接魔力をかければミモルたちにも処理できるものだ。――ほとんどは。
「あ、これはだめ」
リセが二人に本を掲げて見せた。持つ手から魔力を込めているが、何も起こらない。
「わ、鍵が付いてる。それは難しそうだね」
「絶対秘密の日記帳でしょ! そうじゃなかったらポエム? あー、読んでみたい」
「だめだよ、ジュリエッタ。持って帰って焚き上げなきゃ」
「分かってるって」
リセは本をかごに入れ、ミモルとジュリエッタは作業に戻った。大きな石が連なった首飾りを分解する。残念、装身具は分解できない確率が比較的高いが、湖に還ってしまった。
「これも残ったわ。お願いできる?」
ラヴェンドラがミモルに声を掛け、小さな指輪をかごに入れた。
「はい、そこに入れてください。小さくても分解できないものはできないんですね」
「そうね。結局は力の大きさだから。思い入れが深かったものとか、強い魔力が込められたものとか、そういう力が宿っているとすぐには分解できないわね」
「そうなんですね」
「だから火で浄化して、御神木のもとで時間をかけて分解してもらうのよ。よろしくね」
「はい! もうすぐ御神木祭ですから、今まで集めたものをまとめて浄化しますね」
御神木祭の言葉に今朝の事件をはっと思い出し、三人は揃ってラヴェンドラのほうを見た。
「そうだ、ラヴェンドラさん。実は今朝……」
「パシェーナの家が? シージャではないと思うけれど。分かったわ、私も調べておく。何か分かったら皆に伝えるわね」
「ありがとうございます」
「ラヴェンドラさんが力になってくれるなら解決したようなものね。全然見えないけど、何たって『年増』なんだから」
「あらジュリエッタ、そんな言葉どこで覚えたのかしら?」
困った笑顔を見せたラヴェンドラは、集落唯一の水棲エルフであると同時に最年長者でもあり、その経験と知識への信頼は絶大だ。エルフは二十五歳前後で外見の変化がほとんどなくなるため、ジュリエッタが言うように見た目では分からないが。
「そんなこと言うと仕返しするわよ。――あなたたちは犯人じゃないのかしら?」
思ってもみなかったラヴェンドラの言葉に、ミモルが持っていた皿の破片が爆発のような勢いで光になって散った。
「ええっ!」
「ええっ! 『年増』って良くない意味なの? 経験豊富で頼れる人のことだって」
「そっち!? でも、教えてくれた人間の人たちにからかわれたのかも」
「どうでもいい、私たち疑われてる」
リセがくすんだ青の目でラヴェンドラを睨む。本気の眼光に、ラヴェンドラは今度こそ声を上げて笑った。
「ふふっ、ごめんなさい、冗談よ。ただ、御神木祭に選ばれなくて……って動機ならあなたたちも当てはまるでしょう? ちょうど憧れるお年頃だから」
「……考えたこともなかった」
リセはラヴェンドラを睨むのをやめ、代わりに手の中で絡まった縄を器用に先端から分解した。縄が生き物のようにくねくねして消えていく。
「御神木祭に選ばれるのは十六歳からだから、私たちにはまだ早いです」
「まだ四年は先よね。それに私は他に憧れるものがあるし」
「な、何だっけ、あれ」
聞いてくださいとばかりに目を輝かせたジュリエッタに応えようと、ミモルは記憶を手繰る。しかし、彼女はミモルの答えを待たずに本人曰く「きゅーと」なポージングで宣言した。
「私は将来『あいどる』になるの!」
高く掲げた何かを分解して上から光の粒を降らせたのは、彼女の「あいどる」のイメージなのだろうか。
「そう、それ。ジュリエッタの夢なんだよね」
「何かしら、『あいどる』って」
集落で一、二を争う物知りであるはずのラヴェンドラが怪訝な顔をしている。それを見てジュリエッタはますます得意になった。
「『あいどる』は歌と踊りで人間の男性を魅了するんです! みんなを楽しませて、かわいいって言ってもらって、一緒に最高の体験をするの!」
「へえ……踊り子みたいなものかしら? エルフは昔から歌や踊りが好きだから、その延長かしらね」
「人間の男性っていうのは?」
「『あいどる』が女性だったら、男性のほうが熱狂して一緒に盛り上がってくれるんだって」
「そうなんだ。ラヴェンドラさん、エルフにはどうして男性がいないんですか?」
集落のエルフは全員が女性だ。一方、人間に女性と男性がいることは知っているし、見たこともある。小さい頃に理由を聞いた気がしたが、思い出せずミモルはラヴェンドラに尋ねた。
ラヴェンドラは絵本を読むように優しく語り始める。
「魔力に耐えられないからって言われてるわ。遠い昔は私たちも人間と同じだったけれど、植物の声を聞くうちに耳が大きくとがって、太陽や森のエネルギーだけで生きていけるようになって、エルフという別の種族と認識されるまでになったでしょう。でもその過程で、男性は生まれなくなってしまったの」
「へえー」三人が感心する。
「人間の魔法使いはほとんどが後天性らしいの。でも私たちは魔力を持って生まれるでしょう。男性だと耐えられずに魔力が暴走して、生まれたときにはすでに成人の姿と知識を持っているとか、生まれた瞬間に集落を破壊してしまうとか」
「ええっ」三人が驚きに目を丸くする。
「ふふ、ただの空言よ。生まれないからってあることないこと言う人がいたのね。御神木祭で選ばれたエルフが御神木と交わると実ができるでしょう? ごく稀に中身が男性になることがあっても、育つ途中で御神木に取り込まれてしまって生まれては来られないのよ」
「なるほどー」三人はほっと安堵の息をついた。
ふと日差しの暑さを感じ、ミモルが水筒を取り出すとリセとジュリエッタも続く。日に照らされたガラクタはまだ山をなしていた。話が弾むとつい手が止まってしまう。
ミモルは石のような塊を二つ手に取った。泥にまみれているが、所々に透き通った赤や青の色が見える。宝石だったら嬉しいが、ガラス職人が失敗した塊を捨てたのかもしれない。眼鏡を作ってもらった恩を思い出し、職人を応援する気持ちで魔力を込めると、青いほうは分解できたが赤いほうは残った。かごに入れたところでリセに声をかけられる。
「こっちにも似たのがある」
リセが手にした塊は同じような赤色がのぞいていたが分解された。見届けた後、ミモルが次のガラクタに手を伸ばすと山が揺れた。
「わわっ、ごめんねミモル。これ大きくて引っかかってて……」
「手伝うよ」
ジュリエッタと協力し、壊れた椅子らしきものを山から引っ張り出して分解する。
「こんな大きいの捨てないでよね。いくら浄化魔法でも湖全体に広がったら強くないんだから、分解できなくて当たり前じゃない」
やっと消えた大物に不満顔のジュリエッタだったが、はっと思いついたように今度は楽し気な表情を見せた。
「ラヴェンドラさん! 水棲エルフがたくさんいたら湖の維持が楽になりません? 水棲エルフはどうしたら生まれるんですか」
なるほど。ミモルも興味を引かれた。
「そうねえ、発生する条件は分からないけれど、まれに御神木が結んだ実に水がたまって柔らかくなることがあるの。魚の卵みたいにね。そうしたら木から外して水中──つまりセラン湖ね──で育てると、中に水棲エルフがいれば生まれて来るわ」
「へえー」
「中にいないこともあるんですか?」
「ええ、単に実を結ぶのに失敗していることもあるの。何年か前に柔らかくなった実を切り離したけれど何も生まれなかったわ」
「覚えてる。枝ごと切って湖に持っていくとこ見たけど、次の日に湖が凍った」
「あー! さすがリセ、よくそんなに早く思い出せるわね。あの冬、四歳? 五歳? くらいのときじゃない?」
「そういえば凍った実を見ました」
「みんなよく覚えてるわね。あなたたちときたら昔から物珍しいことには目がないから、きっと見ていたんでしょう。あの冬は珍しくセラン湖が凍ったのだけど、中にエルフがいたらいくら寒くても実は凍らないはずだから、残念だけど水棲エルフではなかったのね」
「うーん、水棲エルフが何人かいてくれたら楽になるかと思ったんだけど」
「ふふ、もともと水棲エルフが生まれるのは一つの集落で百年か二百年に一人と言われているわ。もし二百年空いたら私もいなくなるから、むしろ水棲エルフなしでも湖をきれいに保てるようがんばってもらわないと」
「ええっ」
「それは大変」
「御神木祭で祈っておこうか。ラヴェンドラさんがいるうちに新しい水棲エルフさんが生まれるようにって」
ラヴェンドラがいない湖を想像してか、それから三人の作業ははかどった。筒、四角、棒きれ……ミモルは形からはもう何だか分からないものを次々に分解していく。中に何か入っていそうな重い箱が分解され、空箱が残る。不思議なものだ。空箱をかごに持って行くと、近くにいたラヴェンドラと目が合った。
「ミモルも将来『あいどる』になるのかしら?」
空箱をかごに入れる。というより、ほぼ落とした。
「い、いえっ、『あいどる』はジュリエッタの夢ですから!」
「あら、踊り子なら三人組でもいいんじゃないかしら」
「ミモルも興味あるの? 歓迎するわよ」
ジュリエッタの声まで返ってくる。聞こえているらしい。
「私のやりたいこととはちょっと違いそうなのでっ」
「やりたいことがあるのね」
視線が集中するのを感じる。うう、失敗した。ジュリエッタみたいに明確にやりたいことなんて考えていない。だが、何か言わないといけない雰囲気だ。
「えっと、そう、私はお料理が好きだから、お料理とかお菓子を作る役になりたい、かな」
太陽や森のエネルギーで生きられるエルフにとって食事は必須ではないが、ものを食べられないわけでもなく、ミモルをはじめ美味しいものを口にして幸福を感じる仲間は多い。
「……もう叶ってる」
「うん、いるわよね、絶対達成できる目標しか口にしない人」
「えっ、えっ」
予想外に冷めた反応を取られてミモルはうろたえた。しかしよく聞けば褒められているようにも思える。何と返すべきか迷っていたが、続くジュリエッタの言葉に何もかも吹っ飛んだ。
「ほらあのホレイベリーのタルトとか」
「きゃあああっ! それはもう言わないで!」
ジュリエッタは聞いていないとばかりに、とろんとした表情で味の記憶に酔っている。分かりにくいが隣のリセも気付けば同じ顔だ。
「あれは絶品だった」
「リセまで。だからもう言わないでって……ラヴェンドラさん……」
ラヴェンドラは笑いをこらえきれないまま、それでも優しく答えてくれた。
「大丈夫、もしまた幻覚にかかっても解いてあげるわ。でもわざと作っちゃだめよ。ホレイベリーは一日三つまで。普段は果実と一緒に食べちゃう小さな種だけれど、イチゴと違って、ホレイベリーの種は幽幻散の原料なんだから」
「はい……もう絶対作りません」
「ああ、二度と食べられないのね、山盛りのホレイベリーが載ったタルト。人間ならたくさん食べても大丈夫らしいのに」
「世の中、知らないほうがいいこともある」
反省するミモルをよそに、ジュリエッタとリセは名残惜しそうにつぶやく。
「ふふ、あなたがそんなことを言うなんて、リセ。何でも知りたがるから大変だってシージャがいつもこぼしてるわよ」
「シージャさんの知識は知ってたほうがいいことだから」
「偉いわね。将来は学者さんかしら?」
「……偉くない。私はジュリエッタやミモルみたいに、将来なりたいものなんて考えてない」
それまでと変わらない淡々とした口調。だが、ミモルとジュリエッタには分かった。真剣だ。
「別になりたいものがあるからって偉くないわよ。私は『あいどる』をやってるときが一番楽しいだけ」
「そっか、私もお料理してるときはすごく楽しい。リセは何してるときが楽しい? それがやりたいこと、なりたいものじゃないかな」
しばらく考えてから、リセはゆっくりと顔を上げた。
「私は……」
ブルーグレーの目がミモルとジュリエッタの顔を交互に見る。
「三人で遊んでるときが一番楽しい。だから将来もミモルとジュリエッタの友達になりたい」
真顔で放たれた言葉の威力は絶大で、ミモルは頬が熱くなるのを感じた。
「うん。うん。私も、一番は二人の友達になりたい……!」
「ちょ、ちょっと、わざわざ言わなくても」
「ジュリエッタは違うの? あ、やっぱり『あいどる』が」
「そうじゃなくてっ! もう、平気で恥ずかしいこと言うんだから。私たちがずっと友達でいるなんて当たり前でしょ!」
ジュリエッタが右手でミモルの手を、左手でリセの手を引く。ちょっと強引だけど、とても温かい。一瞬手を放して足元から何かを拾って差し出した。
「ほら」
ミモルとリセが朽ちた木枠のようなものに手を伸ばす。気づけばガラクタの山は消えていた。
「これが最後ね」
その日のお手伝い最後のごみは、三人の魔力で虹色に輝く光となって湖へ還った。
◇
「今日は来てくれてありがとう。助かったわ。それにとても楽しかった」
「こちらこそ。また来ますね」
水中の棲家へ戻るラヴェンドラと別れ、三人は帰る支度を始める。分解できなかったごみを入れたかごを持ち、置いておいた服を取ろうとした、その時。ミモルのブラウスが丸まり、次いでジュリエッタのスカートが膨らみ、最後にリセのワンピースが逃げ出した。
「!?」
何が起こったのか全く理解できず、一瞬皆で立ち尽くす。
「……私の服」
リセの小さな声でミモルはやっと我に返った。
「お、追いかけなきゃ!」
速い。いや、目では追えているから速度はそれほどではない。しかし、森に入っても草木をすり抜けるかのようにすいすいと走っていく。
「囲むわよ! ミモルは右、リセは左」
三方に分かれた後、ジュリエッタが逃げるワンピースに追い付き手を掛けた。ワンピースは裾をひらりとひるがえしてその手から逃れる。しかし、彼女の思惑通り、逃げた先にはリセの姿があった。
「返して」
リセの手がワンピースをつかむ。布地は逃げるのをやめ、リセの手の中に残った。
そして、反対側に逃げようとした影がミモルの腕の中に飛び込んだ。
「ゥニャア」
暴れる影はふわふわで温かい。ミモルが必死に押さえていると、それはようやく落ち着きを取り戻した。
濃い灰色の毛並み。ぴんと立った耳。ただならぬ力を感じる、鮮やかな紫色の目。
「透過猫!!!」
三人の驚きが重なる。この希少な猫は、気まぐれに他所者が入れないはずのエルフの集落に現れることがあった。その名の通り結界を通り抜ける性質を持つからだ。たとえエルフが数人がかりで作った、最上級の陰伏結界であっても。
「猫……パシェーナさんのドレス、キラキラで、ひらひらで、いかにも好かれそうだったね」
「あの薄い生地は爪で引っかかれたら破れるわね」
「玉蜜草、猫の大好物」
「ニャア」
言葉は通じないはずだが、透過猫はまるでそうだと言うように一声鳴くと、ミモルの腕からするりと抜けて木々の合間に消えていった。
「あっ、行っちゃった。透過猫に会えるの珍しいのに」
ミモルは軽くなった腕を残念そうに下ろす。
「透過猫は捕まえようとしても無理。一瞬でも抱いたんだから運がいいほう」
元いた場所からさほど離れないうちに捕まえたのも幸運だった。引き返し、「水着」の上から服を着て荷物を背負う。
「はあ、びっくりしたけど、でも私たち、本当に真犯人を見つけちゃったわね!」
「うん、やったね! 早く帰って皆に教えてあげよう」
「悪人顔の猫だった」
「そう? 見た目は可愛かったわよ」
「それに温かかった」
「毛はつやつやしてたわね。目なんかギラっと光ってて」
「きれいな紫」
「うん、きれいだった」
「鳴いたときはちょっと怖いくらいだったわ」
「えっ、可愛い鳴き声だったのに」
「ニァアア」そうそう、こんな。
「でも鳴くと牙が出てたしちょっと怖かったわよ」
「ウニャアア」
「確かに、この声はちょっと怖い」
「シャアアアアア」
三人がそちらを見た瞬間、小さな影が再びミモルの腕に飛び込んできた。驚く間もなく、後ろに見えた大きな影に戦慄する。影の動きに合わせて地面が揺れるほどの巨体。
「トロール!」
「ミモル、早く!」
方角も分からず、とにかくトロールと反対へ駆け出した。
「もう、トロールに何したの? あんなに怒ってるの初めて見るわよ!」
ジュリエッタがミモルに――正確には彼女が抱く透過猫に――息を切らせて言った。振り返らずとも、一定の間隔で後ろから伝わる振動が三人の恐怖をあおる。
「このままじゃ追い付かれる」
揺れがどんどん強くなっている。リセの言う通りだ。トロールは決して足の速い生き物ではないが、単純に歩幅が違いすぎる。そろそろ走り疲れた三人が心を決めた矢先、目の前の木々がまばらになり、少し開けた場所に出た。朽ちた木が一本横たわっている。身軽に飛び越えると、三人は一斉に振り返った。
〈フロレゾン! しびれ花〉
〈ジェルメ!〉
トロールの巨体と初めて正面から対峙する。なめし革のようにぶ厚い皮膚が浅黒く光っている。わずかに布や毛皮を身に着けている他はほとんど皮膚がむき出しだ。手にはミモルと同じくらいの大きさの棍棒が握られ、遥か高いところにある顔では、大きな鼻の上から濁った目がミモルを――正確には透過猫を――鋭く睨んでいた。
敵意を露わにした視線にひるみかけたが、トロールの眼前にぱっと黄色の花々が咲き、恐ろしい視線を遮った。きらきら光る花粉がトロールの顔目がけて降りかかる。ジュリエッタの魔法だ。トロールは避けようとしたが、いつの間にか生えた植物のつるが両足に巻き付いている。ミモルの魔法だ。
「ウウウ」
トロールが黄色い花を手で払い、大きな身体を揺らすのを見て、二人と一匹は固唾を呑んだ。リセだけは我関せずとばかりに小声で何かつぶやいている。
「ウウァア」
右足に絡んだつるが引きちぎられる。花粉を散らしていた花がいくつか握り潰される。
「ウガアアア」
黄色の花々を払いのけ、トロールが棍棒を振りかぶった。濁った目が透過猫を見据えている。
「逃げ……」
〈リグニム〉
「リセ!」
巨大な棍棒はミモルたちがいる場所よりも遥か手前に振り下ろされた。ちぎれかけたつるに代わり、堅い木がトロールの左足をがっちりとつかんでいる。リセの魔法は発動に時間がかかるが、強度は抜群だ。
「! 動いてる」
そのリセの木がみしっと音を立てたのを聞き、三人は再び駆け出した。
「どうしよう、このまま逃げられないかな」
しばらく走ったが、木々に隠れてトロールの姿は見えない。まだ地面が揺れているから近くにいるのだろうが、さっきからずっと揺れているせいでいまいち距離感がつかめない。
「無理よ、トロールの鼻って飾りじゃないんだから。セラン湖の反対側にいる獲物も嗅ぎつけるって言うでしょ」
前方の木々が再びまばらになってきた。そういえばここはどこだろう。
「ミモル、ジュリエッタ、あれ」
リセが珍しく大きな声を上げた。彼女が指差す方向を見た瞬間、ミモルも驚きの理由を理解する。少し先に、二股に分かれた特徴的な樫の木がたたずんでいた。
「嘘っ、もう結界の端」
「あんな石の建物あった?」
「前に来たときから何年か経ってる。人間が建てたのかも」
「どうするのよ、出る?」
結界から出ることを禁止されてはいない。しかし、陰伏結界により人間からの干渉を最低限に抑えているおかげでエルフの集落が平穏なのは明白で、むやみに人間の勢力圏に入るのは気が引けた。ジュリエッタの問いにはミモルもリセも返答できずにいたが、無意識に速度を落とす足がもう答えを出している。三人の足が完全に止まった。
『危ない!』『うわあああ』
ミモルのとがった耳にリセでもジュリエッタでもない声が聞こえたかと思うと、次の瞬間、横から来た轟音と衝撃に身体が吹き飛ばされた。
「きゃあっ」
「にゃあっ」
何とか身を起こすと、側ではさっき叫び声を上げた木が倒れ、他の二人も同じようにうずくまっている。
「……追い付かれた」
リセの視線を追うと、倒れた木の向こうからトロールが出てくるところだった。右手に持つ棍棒から木の欠片がはらはらと落ち、その威力を物語っている。思わず身をすくめたミモルだったが、トロールの左手を見て今度は身を乗り出し叫んだ。両腕が軽い。
「クレープ!」
「ちりまる!」
「リュドヴィアーノ!」
叫び声は同時だったにも関わらず全く重ならなかったが――三人の視線はトロールの手が持つ透過猫に集まっていた。
「クレープが! 助けなきゃ」
「ちょっと、もっとおしゃれな名前付けてあげないと」
「ジュリエッタのは長すぎ」
「長いのはリセの詠唱でしょ! リュドヴィアーノって意外と呼びやすいんだから!」
〈ジェルメ!〉
〈リグニム!〉
〈フロレゾン!〉
トロールの全身に巻き付いたつるが樹木化の魔法で堅くなり、透過猫を口に運ぼうと持ち上げた腕を固定する。トロールは未練がましく手を放して猫を口内へ落とそうとしたが、満開の花がその口を塞いだ。
「ちりまる! こっち」
透過猫は最後に大きく咲いた花の中央を踏みつけ、身軽にトロールの身体を駆け降りると、近くにいたリセの腕の中へするりと収まった。
「!」
トロールから離れようとしたリセに棍棒の影が迫る。透過猫を助けようと二人の魔法を集中させた左手に対し、右手は拘束が弱かったらしい。
〈フロレゾン! 巨白花〉
棍棒は突如現れた大きなつぼみにぶつかり、ひらひらした白い花を咲かせた。その隙にリセと透過猫がトロールから逃れる。
「今、ちりまるじゃなくて私を狙ってた」
「みたいね。邪魔したから今度はこっちを睨んでるわ」
「ウゥウウ」
トロールが高みから三人と一匹を見回している。敵――あるいは餌――が四つあると、ようやく数を認識したようだ。
「リュドヴィアーノ貸して! リセの魔法は時間がかかるでしょ、おとりには向いてないわ」
ジュリエッタは半ば強引にリセから透過猫を奪った。トロールの視線がそれを追う。やはり一番の狙いは猫か。
〈フロレゾン!〉
色とりどりの花びらが舞い、一時的にトロールの視界を混乱させる。
「ミモル、リセ、今のうちに助けを呼んで来て!」
「でも皆のいるところなんて」走ってもどれだけ時間がかかることか。
「それしかないでしょ。こんな大きいやつ私たちだけじゃ――きゃあっ」
「ジュリエッタ!」
トロールが大雑把に棍棒を振り下ろした。花びらのおかげで狙いは外れているが、近くに落ちるだけで衝撃がある。ジュリエッタは透過猫を抱いたまま避けようとし、体勢を崩して倒れた。
「っ……ほら、当たらないから早く行って」
すぐに立ち上がり、再びミモルとリセの顔を見る。
「だめ!」
集落の中心地まで往復していては、戻るより先にジュリエッタが避けきれなくなるのは明らかだ。
何か、何かないか。ミモルの頭の中を見えたもの考えたものが急速に通り過ぎていく。ジュリエッタの揺れる髪、宙を舞う花びら、魔法を唱えているリセ、透過猫の膨らんだしっぽ、獲物を狙うトロールの恐ろしい顔、巨大な棍棒、地に落ちた花びら、周りの木々、倒れた木、集落の皆、そこまでの長い道筋、御神木祭、お手伝い、ラヴェンドラさん、セラン湖――
「捨てよう!」
身体を駆け抜けた衝撃にミモルは叫んだ。
「トロールはここにいらない! いらないものは湖に捨てちゃおうよ!」
「捨てるって」
ジュリエッタが怪訝な顔でミモルを振り返る。足を止めた彼女にすかさず棍棒が振り下ろされるも、今度は気配を読んでいたようで身軽に避けた。
「……意外と、いけるかも」
「リセ」
リセが詠唱を途中で止めて言った。詠唱に時間がかかる彼女は、常に一歩先を考えて魔法を準備する癖がある。それを止めてミモルの考えに乗ってくれたのだ。
「トロールの後ろ、崖の下はもう湖」
「分かった、じゃあ向こうに誘導を――」
駆け出そうとしたジュリエッタをミモルが遮る。
「待って。崖が崩れたらジュリエッタが危ない。だから、そう、トロールは後ろ向きに下がらせて、重さで崖を崩すの」
「都合よく崩れるか分からないじゃない」
「うん、だから足場はジュリエッタとリセが崩して。そこまで私が下がらせる。二人とも荷物を貸して。ジュリエッタはクレープも!」
三人の視線が一瞬だけ絡まり、すぐに離れた。各々必要なほうを向くために。
〈フロレゾン!〉
色とりどりの花が咲き乱れて全員の視界を遮った。花びらよりも多くの魔力が必要なため短い間しか続かない。花が散ったとき、トロールの真正面には透過猫、ガラクタが入った三つのかご、そしてミモルの姿があった。
〈ジェルメ・ランセ!〉
彼女の傍らに背丈よりも長い二本のつるが生える。太く弾力のあるそのつるは、まるで餌をせがむかのように、身をしならせてミモルの前に先端を差し出し、ミモルもそれに応えて一方のつるに鍵付きの本を載せた。
「行けえっ!」
つるがしなり目にも止まらぬ速さで本を投げる。矢を投げれば、集落一の弓使いであるメンセルさんと競えるだけの魔法だ。的以外に向けたのは初めてだったが、本の角がトロールの額に命中し、分厚い皮膚から血をにじませた。
「グワアアア」
トロールが憎悪の声を上げてミモルを見た。しかし反撃の隙は与えない。二本のつるに次々とガラクタを載せて投げる。鍵付きの本は森の木々の中に落ちてしまった。割れたカップはトロールの肩をかすめただけでどこかへ飛んでいき、泥まみれの赤い石は棍棒に弾かれて二股の樫の木を越え、石造りの建物の屋根まで飛ばされる。――結界から出たようだが、人間も石が飛んできた程度なら大した問題にはしないはずだ。何より、そんなことを気にして攻撃を緩める余裕はなかった。
小さな指輪をつるに載せる。大きいもの、重いもののほうがよいだろうが選んでいられない。しかし、意外にも指輪が当たったトロールはびくりと身体を震わせて一歩引いた。
「ナァ」
透過猫がガラクタの中から曲がったスプーンを探り当てる。すかさず投げるとトロールがひるんだ。
金属が苦手なのか。弱点をつかんだミモルは金属と他のごみを上手い具合に分けて投げ、順調にトロールを後退させた。大きな右足のかかとが地面に引かれた裂け目にかかる。ジュリエッタとリセが準備してくれた仕掛けだ。あと一歩。
いけると思った次の瞬間、希望がすべて消えた。もう投げるものがない。
足元に転がったかごは三つとも空っぽで、提げていた水筒すら投げてしまった。トロールに感づかれては終わりだ。早く、何か――
こんな時、リセだったら先を読んで魔法を準備していただろう。でも今さら真似できない。ジュリエッタだったら? 全力で一番大きな花を咲かせるはず。
〈ジェルメ!〉
結果を考える前に魔法を放った。ごみを投げていた二本のつるが絡み合い、さらに細いつるが無数に生え、トロールより大きな影になる。
「ザザザザザ」
つるは次第に生き物のような形を成し、一番上に三角形の耳が二つ、ぴょこんと立った。どうも透過猫のイメージが反映されてしまったようだ。ミモルはトロールを襲う怪物を思い描いてつるを動かした。上部が口のように割れ、繁る葉と伸びるつるが叫び声を演出する。
「ザザザザザザザザザザ」
トロールは動かない。あと一歩、なのに。
◇
「どうして下がらないのよ! ミモルがあんなに頑張ってるのに!」
「うん、あんな魔法初めて見た」
茂みの陰ではジュリエッタとリセが、仕掛けた魔法を発動すべくミモルとトロールの様子をうかがっていた。
「ねえ、先端に花を咲かせたら驚いて下がるかも。私も手伝いに」
「だめ」
出ていこうとしたジュリエッタの腕をリセが強く握る。
「リセ」
「だめ。他のことして地面のつぼみを開く瞬間を外したら崖を崩せない。そうしたらミモルの頑張りが全部無駄になる」
「でも」
リセはジュリエッタの腕をつかむ力を緩め、代わりに優しく手を握った。
「私は、いつもそう」
静かに、しかしはっきりと言葉を紡ぐ。
「木の魔法は遅いから、ジュリエッタやミモルが先に動いてくれるって信じて詠唱の完成を待つしかない。二人が頑張ってるのに何もできないときの気持ち、今のジュリエッタと同じだと思う。だけど裏切られたことないから。ミモルなら絶対トロールを下がらせてくれる」
一言一言を噛みしめて語るリセの言葉に、ジュリエッタはゆっくりとうなずき、強く手を握り返した。
「……分かった。トロールが下がった瞬間に魔法を発動させるわよ。絶対外さないから」
目線を戻せばトロールとつるの怪物は未だ拮抗している。しかし、ミモルは慣れない魔法の制御に手こずり、あと一押しができるようには見えなかった。トロールのかかとがゆっくりと地面から浮き始める。前進する気か――そうなれば終わりだ。
「ニャア」
「クレープ!」
その瞬間、猫とミモルの声がして、飛び出した透過猫が瞬く間につるを駆け登った。突然目の前に現れた獲物に興奮したトロールだったが、透過猫はその視線すら避け、トロール自慢の大きな鼻に打撃をお見舞いした。
「シャアア」
もう一発。さらにもう一発。重なった爪痕から流れる血が痛々しい。
「シャアアアア」
「ザザザザザザザザザザ」
透過猫の攻撃を好機とみて、ミモルが最後の力でつるを操りトロールを押した。驚いたトロールが右足のかかとを再び地面に着ける。
左足が浮く。ゆっくりと右足の後ろに移動し、地を踏んだ。
〈フロレゾン! 開き花〉
〈リグニム!〉
間髪を入れずジュリエッタとリセが魔法を発動させる。木の根を伸ばして地面に亀裂を入れ、そこに無数のつぼみが仕込んであった。トロールの重心が亀裂を越えた瞬間、花を開かせ、同時にそれを堅い木に変えて地面を割る。一度きりの好機をつかみ、息ぴったりの魔法が発動した。崖が崩れトロールの巨体が落ちる。
ジュリエッタとリセが勝利を分かち合おうと目を合わせた、その時。
◇
「クレープ!」
ミモルは崖下を見て叫んだ。トロールが苦し紛れに引っ張ったつるに絡まり、透過猫まで下に落ちようとしている。つるを操ろうとしたが、慣れない魔法に魔力をほとんど消費しておりうまくいかない。考えるより先に足が動いた。
ちょうど水平になったつるの上を走る。透過猫に手を伸ばす。直接触れればつるを解くくらいはできた。ふわふわの温かさが手の中に戻る。
「ミモル!」
「きゃ……」
安心する間もなく足場が急激に崖下へと引っ張られる。トロールが最後の抵抗を見せ、力任せに手繰り寄せられたつるはとうとう根本から切れた。
――落ちる!
崖は想像していたよりずっと高かった。下に見えるトロールはあの巨体が嘘のように小さい。いつもはきれいだと感じるセラン湖の水面が、今は怖い。透過猫を抱く腕が震え、眼鏡の奥ではまぶたが閉じる。
もうだめかと諦めかけたとき、ふわりと身体が浮いたような気がした。
落ちていない? 恐る恐る目を開けると水面に近づく速さがゆっくりになっている。
〈フロレゾン! 風船花〉
「ミモル、大丈夫?」
見上げると頭上に色とりどりの丸い花が咲き、さらに上、崖の縁からジュリエッタの顔がのぞいている。
「ジュリエッタ!」
友人に感謝しながらふわふわと降下していると、今度は硬いものに足が着いた。
〈リグニム〉
「リセも! ありがとう」
崖の途中から生えてきた大きな枝に着地する。
バシャーン!
「ゥニャア」
遥か下から激しい水飛沫が上がり、雫がかかった透過猫が不満の声を上げた。
トロールは落下の衝撃で気絶し湖に沈んでいく。浄化魔法のおかげて透過猫やミモルたちのにおいも忘れたはず、今逃げてしまえばもう嗅ぎつけられることはないだろう。ミモルを崖の上まで引き上げ、三人と一匹は急いでその場を後にした。
◇
「というわけで、パシェーナさん、シージャさん、犯人はこの子だったんです」
集まった皆の前でジュリエッタが本人曰く「ぶりりあんと」な笑顔を見せた。彼女に持ち上げられた猫は何を勘違いしたのか華奢な腕をするりと抜け、ジュリエッタの肩に登り一緒にポーズを決める。
「にゃあ」
「ね、リュドヴィアーノ」
暮れかけた夕日が濃い灰色の毛並みを照らした。
「透過猫だなんて。珍しいものが来ることもあるのね」
「シージャ、疑ってごめん」
「別に気にしてないわ。それよりはい、これ。玉蜜草がもう生えててよかったわね。今から乾燥させれば御神木祭に間に――」
ジュリエッタが飛びつこうとした透過猫を押さえ、シージャから玉蜜草を受け取ったパシェーナは急いでそれを隠した。結局、猫はジュリエッタの腕から逃れたが玉蜜草を見失い、ミモルの足元にすり寄ってきた……かと思えばリセに撫でられ、ジュリエッタの足の上で転がり、自由を謳歌している。
「よく懐いてるわ」
「本当、透過猫が懐くなんて珍しいよね」
転がってきた猫がミモルの目の前で丸まった。今だと言われた気がして、ある決意を胸に透過猫を抱き上げる。
「あの、この子飼ってもいいですか」
「えっ、リュドヴィアーノを? できるの? 飼いたい」
エルフたちは互いに目配せし、すぐに優しく微笑んでくれた。
「いいんじゃない?」
「ちゃんとお世話するのよ」
「それにしても、ずいぶん豪華な名前を付けたのね」
「えっと。私はクレープがよかったんですけど」
「ちりまる」
「リュドヴィアーノが一番かわいいでしょ」
当の透過猫は名前などどこ吹く風で、ミモルの腕の中で身をよじって毛づくろいに勤しんでいる。しばらくもぞもぞしていたが、ふと、妖しいほど鮮やかな紫色の目を開いて一点を見つめた。視線の先にはシージャの漆黒の目。
強い視線同士の邂逅に感じるものがあったのか、ミモルの口から自然と言葉が飛び出した。
「シージャさん、この子に名前を付けてもらえませんか?」
「オズ」
「えっ」
予想していなかった即答に三人の驚きが重なる。
――もしかして、猫にすぐ名前を付けるのはエルフの隠れた特技なのだろうか。
「オズ……」
口に出してみる。いい響きだ。
「いいと思う。呼びやすい」
「うん、なかなかおしゃれだし」
「オズ?」
「ナァ」
透過猫に呼びかけると、彼は満足そうな声で鳴いて応えた。
その夜、家に帰った三人は久しぶりに居間で輪になって眠った。オズを誰のベッドに連れていくか決まらなかったからだが、小さい頃はよくこうやって寝ていたのを思い出し、ミモルは懐かしい気持ちになる。
「今日はすごい一日だったわね」
横になったのに一日の感想を語りたがるジュリエッタの癖も昔のままだ。
「うん。改めて思うと、帰って来られて本当によかったよ」
「トロールを見たときは生きた心地がしなかったわ」
「ミモルが落ちそうになったときも」
「にゃー」
「ふふっ、オズもそうだよね」
「……でも、ちょっと楽しかった」
「……まあね。たまにはこんな冒険する日があってもいいわよね」
リセとジュリエッタが興奮を抑えた声を出す。きっと昔みたいな――今も十分そうかもしれないが――いたずらっ子の顔に戻っているのだろう。
「明日は何をしようかな?」
ミモルもわくわくする気持ちを抑えきれずにいる。
「オズと遊ぶ」
「またトロールが来たりして。今度は三体も」
「それは嫌」
「オズがトロールみたいに大きくなっちゃうとか」
「それも嫌」
眠るまでの間、三人は他愛もない空想で笑い合った。
「でも、何が起こったっていいわよ。私たち三人でやればできないことなんてないんだから」
「賛成」
「そうだね」
窓から差す優しい月明かりに誘われ、三人と一匹は満ち足りた気分で眠りに落ちた。明日もきっと、想像を超えた冒険が彼女たちを待っている。




