万が一の確率
検査は毎日続いた。血液検査、造影CT、MRI、心エコー、心臓カテーテル……。その他にもいろいろあり、すべてを覚えていられないほどだ。
中でも心臓カテーテルは、もう二度とやりたくない──もちろん全部やりたくない──検査だった。
他の検査で、肺動脈|(心臓の右心室から左右の肺へ血液を送り出す動脈)の中央に腫瘍が見つかったため、この検査が追加された。太腿の付け根にある動脈からカテーテルと呼ばれる細い管を心臓まで通すのだが、これが耐えがたいほど痛い。
本来はその腫瘍自体の細胞をカテーテルで採取するのだが、T字型をした肺動脈の中の腫瘍──とくに一番大きな腫瘍がT字の真ん中、つまり血管がカーブしている部分にあるということでカテーテルが入りづらく、無理に入れると血管を傷つけてしまう恐れがあるので、限りなくその腫瘍に近い箇所の細胞を採取するまでに留まった。先生からも「そのものの細胞ではないので、確実な結果を出すのは難しい」と前置きされての検査だった。
検査後も痛みはなかなか治まらず、座ることすら困難だ。歩行に至ってはベッドとトイレの行き来が精一杯で、さらに一回のトイレを済ますのに十分近くもかかってしまう。
飲み物がなくなっても売店にも行けない。原則として看護師さんは患者の雑用を受けないので、誰かが見舞いに来てくれる時に頼んでおくしかない。だが、子供たちの世話をしてもらっている父は週末しか来られないし、今日はシュウも仕事で来られない。自分で行くしかないのだが、この痛みでは頑張って動く気にはなれなかった。
どうしようかと途方に暮れていると、メールが来た。ヨウちゃんだった。
『今日これから見舞い行けるが、なんか欲しいモンあるか?』
なんてタイミングがいいんだろう。私は少しためらったが、いつものように甘えさせてもらうことにした。
早速、今の状態と欲しいものをメールに打つ。──こんなことは、父やシュウに頼むべきだろう。しかし今は、ヨウちゃんの好意を素直に受けないとどうにもならない。メールを送るとすぐに『OK』と返事が来た。
たびたび思う。なんでこんなに心良く助けてくれるんだろう、と。
(まさか、ヨウちゃん……? ──はは、まさかねぇ〜! そんなこと言ったら怒られそ〜)
メールが来たことで少し安心した私は、そんなことを思いながらヨウちゃんを待った。
三十分ほどで心配そうな顔をしたヨウちゃんが来て、買ってきた飲み物などを冷蔵庫にしまってくれた。面会終了時間まで話して笑わせてくれて、その間は痛みを忘れることができた。「またメールする、頑張れよ」と言って病室をあとにするヨウちゃんに向けて、私は心から「ありがとう」と言った。
二日後の昼過ぎには、仕事が休みだったシュウも来てくれた。その時には腿の痛みもだいぶ治まっていたので、院内にあるコーヒーショップのテラスでお茶を飲みながらリラックスした時間を過ごせた。
そうこうしているうちに検査の時間が迫ってきたので、そのままシュウを玄関まで送った。別れ際、名残惜しそうに手を振る私を見て彼は、
「そんな顔するなよ。大丈夫、きっとなんでもないよ!」
と、日頃から自分に言い聞かせている言葉を言ってくれた。
「──うん! ありがとう、また連絡するね!」
(そうだよ、なんでもない。きっと、大丈夫)
彼が見えなくなってから、もう一度自分で思ってみた。彼に言ってもらえたことで、前よりもその気持ちに自信が持てた。
翌日は土曜日だったので、父が子供たちを連れてきてくれた。
「ちゃーちゃん!」
「お〜、うるさいのが来たぞ〜」
約束どおり毎日の電話は欠かしていないが、私に会えたことがよほど嬉しかったのだろう、ユヅキは病室の入り口で私の顔を見るなり、駆け足でやってきてベッドにしがみついた。ジョウは父と手を繋いでゆっくりと入ってくる。私は上体を起こしてユヅキの頭を撫でた。
「ちゃーちゃん、まだ治らないの? いつ帰ってくるの? どんな検査したの?」
来るなり質問攻めだ。
「もうすぐ帰るよ。待っててね!」
「うん! 今日も電話してね!」
「わかってるよ〜」
そのあとユヅキは、私が入院している間に起きた出来事を楽しそうに話していた。父はジョウをあやすことで手一杯になっている。まるで家にいるかのようだ。
時間が経つにつれてユヅキの声も大きくなってきて、ジョウもぱたぱたと走り回ったりしているので、他の患者さんに迷惑が掛からないうちに「そろそろ……」と父を促した。
「じゃあ二人とも、帰るよー」
父が言うと、ユヅキが少し駄々をこねる。
「え〜? もう帰っちゃうの〜? やだ、もっとちゃーちゃんとお話する〜!」
「ちゃーちゃんが疲れちゃうと、おうちに戻ってこなくなっちゃうぞー?」
「やだやだ! じゃあ帰る!」
子供ながらに、交換条件の意味と自分の損得を理解して結論を出すユヅキ。私は安心して、退院したあとにすごく楽しいことが待っているかのように言った。
「じゃあね、ユヅ、ジョウ。もうすぐだから、帰ったらいーっぱい遊ぼうね!」
「うん! ちゃーちゃん、頑張ってね!」
「ありがと、ユヅ」
「ちゃーちゃん、バイバーイ!」
「バイバイ、ジョウ」
帰り際、父が私に聞く。
「どうなんだ? なんともなさそうなのか?」
「まだわかんないよ、途中だもん。それより今、検査自体がつらくって……」
「そうか。まぁ頑張れ」
「うん。子供たち、よろしく」
父が二人を連れて出ていくと、この場所はすぐに家から病室へ戻った。
横になり、また昨日と同じように大丈夫だと思おうとしたが、表面的な気持ちとは裏腹に内心は『もし何かあったら……』と考えていた。子供たちの顔を見たことで、自然と万が一のことが心配になった。
……考えたくない。昨日ついたはずの少しの自信も、可能性という言葉によって失われてしまった。これではいけないと思い、私は両方同時に考えることにした。
(大丈夫。大丈夫だけど、万が一のために考えとかないと)
しかし考えれば考えるほど、その確率が上がってゆくような気分になっていった。