幕間 幸福を願う
「お。今日もやっているな」
厨房から漂う食事の香りは、離れた執務室にもほんのりと届く。甘い匂いを感知したらしく、シルヴァンが書類から顔を上げた。
「昨日のプリンはまた焦げていたからな。今日は美味いのを食えるだろうか」
「……しっかり胃袋を掴まれているじゃありませんか」
「……仕方ないだろう。甘いものは好きなんだよ」
「だから、警戒してくださいとお伝えしたのに。魔王様だけではありませんよ。最近では城の者達の分までしっかり作っているせいで、味方する者が増えているじゃありませんか」
「俺の伴侶になるのだから、城の者にも気に入られないと困るだろう」
「本気ですか?」
「本気だ。お前こそ、俺がやっと伴侶を決めたのに、どうしてそう咎めるのだ」
「どこの誰が、初対面の女を伴侶に選ぶのですか」
「俺を『愛している』と言ったぞ」
「だからそれは嘘だと申しているのです!」
「わかっていると言っているだろう。何度目だ。いい加減くどいぞ」
シルヴァンの指摘通り、この会話は何度も繰り返されている。
グレアムは、敬愛するシルヴァンが幸せになることを願っていた。魔人達の幸せを実現するために力を尽くす魔王には、素晴らしい伴侶が必要だと考えていた。
リサは、口が達者すぎるが仕事に対して真面目で良い。マレーナは、少々幼いが料理が上手い。口数が少ないが情に厚い者もいれば、グレアムと同等の敬意をシルヴァンに対して持っている者もいる。城にいる魔人の女性達はそれぞれ一長一短あり、誰が良いと勧めることはしなかったが、その中からシルヴァンが愛せる者を見つけることを願っていた。
この狭い城の中で、愛する者の存在は心を豊かにする。現にグレアムも、妻のネリーと心を通わせたことで日々に彩りが生まれた。
愛し愛される関係で、幸福を掴んでほしいと願っていたのだ。なのに目の前の男は、自分の愛すらも魔人のために費やそうとしている。
「嘘だとしても、貫けば本当だということになる。賢王の言葉が正しいとの証拠は、向こう何十年もの励ましとなるではないか」
「そのために、愛してもいない女を伴侶とするのですか」
「……最近は、あいつのことも気に入って来たぞ」
「わかってはおりますが……」
シルヴァンがフィリスを気に入っていることは、傍で過ごすグレアムにもよく伝わって来た。本人は、それを恋だと自覚している節があるのもわかっている。
(『伴侶とする』という結果を前提に、好意を抱いているのではなかろうか)
グレアムは胸の内にもやもやしたものを抱く。一度口にしたら機嫌を損ねたのでもう言わないが、伴侶と決めたから愛さなければならない、と不自然な形に心を歪めている気がしてならないのだ。
「漸くライラに連絡がついたそうだ。婚礼の儀の支度もやっと進むな」
「はい……」
(魔王様には、幸せになって欲しかったのに)
この結婚の先に、シルヴァンの幸せは本当にあるのだろうか。グレアムは、疑う気持ちをどうしても拭えないのだった。




