4-1 ライラ襲来
「あ、ちょうどご飯時だったあー? ラッキー。ねーディル、うちもご飯食べたーい、お腹ぺこぺこのぺこだよー」
彼女は突然現れた。背が高くすらりとした、鼻筋の通った美人である。目尻が釣り上がり、どことなく狐っぽい賢そうな顔つきだ。赤くさらさらした髪の間から小さな角がひょこんと覗いている。
食堂の扉からさらりと入り込み、砕けた口調でディルに食事を要求しながら、シルヴァンの反対隣へ座った。
「久しいな、ライラ」
「ん、久しぶりだねーシル。元気そうで何より何より」
(シル……シルヴァンの、シル?!)
愛称だ。城の中で初めて聞く呼び名に、フィリスは内心驚いた。隣へ座り愛称を呼ぶことを許すなんて、かなり親しい相手のようだ。
「で、そっちが噂の聖女ちゃん? 名前はなーに?」
「えっ、あっ、フィリス……です」
「あははっ、かーわいい! フィリスちゃんね、うちはライラ。よろしくよろしくー」
「はい……よろしく、お願いします」
心理的な距離の詰め方の早さに圧倒され、上手く話せない。フィリスがおろおろしている間に、ライラの前に食事が置かれる。
「やーったあ。外のご飯も美味しいけどさー、やっぱディルの作るご飯には敵わないのよ。いただきまーすっ」
ライラの関心は食事に向く。助かった。フィリスは小さく息を吐き、水を飲む。
(初めて会う人と話すの、こんなに苦手だったかしら)
冷たい水で喉を潤しながら、そんなことを思う。
考えてみれば、フィリスがフィリスとして初めての人と話すのはほとんど初めての経験かもしれない。どこへ行っても、フィリスは「聖女フィリス」であった。聖女としてなら話せるが、「フィリス」として紡ぐべき言葉が何なのか、すぐに思いつけない。
「あー、やっぱり美味しい。ディルの作るご飯って、なーんでこんなに美味しいんだろ。どこにいても、ディルの食事だけは恋しくて恋しくてさー」
「そうか」
「あ、もちろんシルのことも恋しかったよー。相変わらずかっこいい顔してるよね、街にもシルくらいの美男子はなかなか居ないわあ」
「そうか」
「ねえ何さっきから相槌適当じゃない? うちが帰ってきてやったんだからもっと歓迎しなさいよー、このこのー」
「悪い」
「拗ねるよ?!」
何だろう、この軽快な会話は。フィリスとシルヴァンが交わしたことのない軽妙な言葉の応酬(喋っているのはライラばかりだが)に、フィリスの胸の端がちりちりと焦燥に焼ける。見れば、シルヴァンは少し笑っているではないか。フィリスとの会話で笑っているところなど、見たことがあっただろうか?
ないような気がする。考えるほどに、胸がちりちりと痛んでくる。
(どうして痛いの……?)
知らない痛みだ。フィリスは胸に手を当て、少し俯く。
ライラとシルヴァンの会話は弾み、フィリスが口を挟む必要は特になかった。知らない名前の知人の話、共通の思い出らしい笑い話など、聞いているうちに余計に胸が塞ぐ。
知らず知らずのうちに、余裕をなくしていた。ディルが皿を片付けたのを合図に、フィリスはぱっと立ち上がる。
「すみません……先に、戻ります」
「あらそーう? 残念だわあ、フィリスちゃんともお話したかったのにぃ。そうそうそういえばさっき話した港町なんだけどね、そこにとってもとっても良い生地があってー……」
二人の会話は変わらず進み、フィリスが食堂へ出ることにはあまり言及されなかった。
そんなこと、構うものではない。フィリスに仲間の騎士がいるように、シルヴァンにだってフィリスの知らない知り合いがいて当然なのだ。フィリスより親しい相手がいるのも当然なのだ。なのに何だかもやもやして、もやもやを振り切るように足早に部屋へ戻る。
「フィリス様、おかえりなさいー」
部屋の扉を開けると、リサがいつもののんびりとした調子で出迎えてくれる。その変わらない雰囲気に、フィリスは安堵して息を吐いた。
「ライラ様がお帰りになったらしいですねえ」
「もうご存知なんですか?」
「知ってますよー。ライラ様は賑やかなお方なのでえ」
ほっとした矢先にまた彼女の名前を聞くことになり、フィリスの胸がちりりと焼ける。
「それにー、いっぱい買って来た服とか生地を玄関ホールに置きっぱなしにして行かれたのでー。今皆、慌てて片付けしてますよお」
リサは紅茶を淹れ、鏡台に置いてくれる。彼女の鳶色の瞳が、室内をくるりと一周した。
「この部屋も、ライラ様が買って来た服で溢れてた時期があったんですう。寝る隙間もなかったんですよお。シルヴァン様が専用の倉庫を用意してくださったので、フィリス様がいらっしゃった頃には綺麗になってたんですけどー」
「……あっ、そっか。このお部屋は、元々はあの方のものだったんですね」
「そうですー。あたしもライラ様付きの世話係をずーっとやってましたあ。ちょっと変わってますけど、シルヴァン様みたいにお優しい良い人ですよお」
「……そうですか」
そもそも、自分が後からやって来たのだ。リサの説明で、その事実を改めて感じさせられる。
ライラの部屋に、自分が後から入った。ライラの世話係であったリサと、自分が後から親しくなった。シルヴァンの隣に、自分が後から座った。
昔から城で暮らしていたらしいライラがフィリスより皆に愛されているのは当然のことなのに……そう思うと、やはり胸がちりりと痛む。この痛みが何なのかわからない。
「……どうされました、フィリス様? なんかー、元気ないですー?」
「いえ、そんなことは……あっ。いえ、何でもないです」
誤魔化すために鏡台の引き出しを適当に引くと、以前しまい込んだリナルドの手紙がちらりと見えた。おっと、これは人前では開けないと決めた引き出しだった。何だか調子が狂っている。慌てて閉め、曖昧な笑顔で誤魔化す。
(リナルドと言えば……偉い人は、複数の奥さんを持っていたわね)
何がどう結びついたのか自分ではわからぬまま、記憶が呼び起こされる。ネフィリア王国では、身分が高く裕福な者は複数の妻を持つことがよくあった。王の妻として紹介された何人かの女性の顔が思い浮かぶ。その中のひとりが、リナルドの母だったはずだ。
(ここでもそうなのかしら)
シルヴァンは偉い。フィリスを伴侶にすると言ってくれているが、もしかしたらライラは、既に伴侶なのかもしれない。
可能性はある。伴侶がひとりだけという決まりなど、どこにもないのだ。
胸が変にどきどきする。胃の辺りがもやもやする。これは何なのだろう。
「……フィリス様ー? 大丈夫ですー?」
「大丈夫です。ちょっと、ちょっといろいろ、考えてただけで」
「リサー! 開ーけて!」
「ライラ様ー? どうされたんですかあ。今開けますう」
ライラが、部屋に来た?
心の準備もできないままにリサがライラを迎え入れる。途端にふわ、と華やかな甘い香りが漂った。こんなに素敵な匂いのする人なのだ。シルヴァンの伴侶であっても不思議ではない。
「おー、懐かしい部屋だわあ。ねえねえリサ、これ持ってくれるう?」
「わかりましたあ」
「はーい、フィリスちゃんさっきぶり。採寸しに来たわよう、立って立って、ほら立って」
「あ、はい……」
彼女の溢れんばかりのパワーと勢いを前に、フィリスは何も出来ずに言われた通り立ち上がる。
「さ、測りますかあ。動かないで動かないでー」
ライラは手に巻尺を持っている。その眼差しが真剣なものに変わった。巻尺をフィリスの体に当てては、その数値をメモしている。
「わーあ、いい体。服の作りがいがあるわあ。ていうかこの服うちが買ったやつじゃない、見る目があるわねえリサ、この子にぴったりぴったりじゃないの」
「フィリス様に着ていただくのが、ライラ様も一番喜ぶと思ったんですう」
「嬉しい嬉しい、無駄にならなくってよかったー。やっぱり服は似合う人が着たほうがいいわよねえ」
腰回りを測られ、脚の長さを測られる。言われるがままに腕を上げたり下げたりするうちに、フィリスの混乱も少しずつ収まってきた。
「あの……これは何を……?」
「あれ、シルから聞いてない? うちが婚礼の儀の衣装を作るのよー。フィリスちゃんに似合う、最高に可愛くて綺麗なドレスを作るからねえ」
「婚礼の儀の衣装を、あなたが……?」
「あーあー、あなたなんてやめて、ライラって呼んで!」
「……ライラさん」
「それでよし! フィリスちゃんは控えめなのねえ、シルにも見習ってほしいわあ。仕事があるって言ってんのにさっさと帰って服を作れってうるさいんだもん、よっぽどさっさと結ばれたいのねえ」
(婚礼の儀の衣装を、ライラさんが作るの?)
さらりと明かされた事実にフィリスは驚いていた。婚礼の儀とは、ネフィリア王国でいう結婚式のことだろう。夫婦の契りを結ぶ儀式。そんな儀式でフィリスが着る服を作るなんて、ライラは嫌ではないのだろうか?
「お色を見ますねー。……あー、やっぱ明るい色が似合うねフィリスちゃん。肌が白いからそうじゃないかと思ってたんだけどー。うらやましいわ、うちはこういう淡い色似合わないからさあ」
もしフィリスだったら。シルヴァンに、「ライラとの婚姻の儀があるから服を用意してくれ」と言われたら。フィリスは服なんて作れないからそんなことありえないのだが、自分の身に置き換えてみるだけで胸の端が焼ける感覚がする。
「ねえリサー、こっちの水色とこっちの桃色、どっちがいいかしらあ」
「あたしは桃色が好きですう」
「んー……確かに桃色の方が顔色に映えるわねえ。この純白もいいのよねー」
フィリスの胸元にいろいろな色の生地を取っ替え引っ替え当てるライラは、ただただ楽しそうだ。こんな状況で、どうして楽しそうにできるんだろう? 疑問は膨らむばかりである。
「あの……」
「なあに?」
「ライラさんは……嫌じゃないんですか、私の服を作るの」
膨れ上がった疑問が、ついに口から溢れる。フィリスの質問に、ライラは動きを止めてきょとんと見つめ返した。
「嫌? うちが? どーして?」
「自分の伴侶に、他の人と婚礼の儀をするから服を作れって言われて……それって、嫌じゃないんですか?」
「自分の伴侶? 誰の? うちの?」
「はい」
「うちの伴侶が誰だって?」
「シルヴァン様です」
「…………あ、わかった! あははははっ、そーゆーことね!」
ライラは大口を開け快活に笑い出す。その勢いにたじろぐフィリスの背が、軽くぽんぽん叩かれた。
「あははっ、だからフィリスちゃん、うちを見てちょっとやな顔したんだあ。そっかそっかー、シルの恋人か何かだと思ってたのねえ。あははは、そんなわけないじゃんねえ、うちがシルの恋人とかー、あはは」
「……違うんですか?」
「違う違う、うちら兄妹だよお。シルはうちのおにーちゃん!」
「お兄ちゃん……」
親しげな様子は、家族だったから?
そうとわかった途端、ずっと痛かった胸がすっと楽になる。フィリスは無意識のうちに胸を撫で下ろした。
「そんなに安心したのー? やだあ、超かわいい。最高に綺麗なお嫁さんにしたげるから、楽しみにしててねえーっ」
安心すると漸く、ライラの話し方はリサのそれと似ているな、と気づく余裕も出てくる。
採寸が終わり、いくつかの生地が選ばれ、「どーゆーのが好み?」とドレスのデザインについて聞かれる。自分のために服を仕立ててもらうなんて初めての経験だ。綺麗なドレスに身を包む自分を想像すると、何となくふわふわした気持ちになってくる。
あれもいいこれもいい、と女3人で話が盛り上がれば時が経つのなどあっという間。厨房から流れてきた良い香りにぐう、と誰かの腹が鳴った頃には、もうすっかり夕飯時なのだった。




