[21]芳香
荷を背負い、十分ほど平坦な草地を歩いた先にそのお宅は在った。丸太の組まれた山小屋風の家屋は、右奥に同じ素材の大きな家畜小屋を伴い、裏側には尖った杉の生い茂る、黒々とした山々が聳 えている。
「こんばんは、ロガール。約束通り来ましたよ」
ロガールって人が住んでいるのね。今度は……テイルさんみたいに打ちひしがれていないでしょうね?
扉の横の窓からは『人が真っ当に住んでいる』ことを裏付けるように、ちゃんと灯りが零れていた。微かに窓辺が揺らぎ、すぐに大きな人影があたし達の目の前に現れた。
「ラヴェルです、ロガール」
何でわざわざ名乗るのよ? 知り合いじゃないってこと??
「デリテリートの子孫か。随分大きくなったものだな。意外に早かったじゃないか」
デリテリート?
「……そちらのお嬢さんは?」
ラヴェルに声を掛けた後、白髭を蓄えたがたいの良い老齢の男性は、フッと瞳を細めてあたしを見た。
「ユ、ユスリハと申します、ロガールさん。えと……」
「ふぅむ……もしかしてミュールレインの子孫か?」
「え!?」
あたしは話途中で返された質問に、心の底から驚いた。どうしてあたしのラストネームが分かるの? この人は一体……?
「まぁ中に入りなさい。夕食は? ──そうか。こんな爺の手料理で良ければシチューがあるぞ」
ロガールさんは奥へ手招きしながらラヴェルに問い掛け、まだ食事前だとの答えに快く対応してくれた。ダイナミックな具材の煮込まれた、それでも十分美味しいシチューとパンを、あたし達に振舞ってくれる。
「あの……どうしてあたしの名前が分かったのですか?」
男二人は黙々と食事を済ませるだけで、何処となく言葉が掛けづらかった為、食後のハニーミルクを頂きながら、湯浴みに出掛けたラヴェルの居ぬ間に尋ねてみた。
「そうさの……『血を継ぐ者』として、感じられる『匂い』さ」
「匂い?」
洗濯物のタオルを畳みながら、再び細められる皺の寄った眼差し。
「お前さんの家族には居た筈だ。薫りの調合師が」
「あっ──」
その言葉にあたしは、背もたれに預けていた上半身を思わず起こした。薫りの調合師──確かに……あたしの母さんは香水を作る仕事をしていた──。
「それってどういう意味ですか? ま、まさかあたしにもその香りが染みついているってこと!?」
両手に持っていたマグカップをテーブルに預け、興奮気味の顔を……鼻先を、その『匂い』を嗅ぎ取ろうと自分の肩に寄せる。ロガールさんはあたしの様子に一瞬目を丸くしながらも微笑んで、
「実際匂っているかと言ったら違うのだろうな……『血』が感じるのだよ。が、普通はよっぽど近くへ寄るか触れなければ分からないのだが。この歳になれば仙人の如く、かの。いや、まだまだもうろくしていない証拠か!」
と、自分の言葉で豪快に笑い出してしまった。
触れなければ分からない──触れる──口づけ? ラヴェルもあたしを『血』で感じ取ったってこと!?
「ロガールさんは、あいつ──あ、いえ……か、彼と親族なんですか?」
あたしは恐る恐る、耳ざといラヴェルを危惧して小声で問い掛けた。それでも用心して奴の名前は出さずにおいた。
「彼? ああ……そうだな。遠い親戚と言えば親戚だ。まだ彼が生まれる前に国を出てしまったから、初対面だがね。……ん? てことは、あいつはお前さんに触れたってことか!」
「え? あっ、いえ、そのっっ──」
きっと『キス』されたことを推測されたのだ、と気付いたあたしは、途端に図星の表情を赤面させてしまっていた。ロガールさんの高らかな笑いは止まることを知らず、やがて湯上りの爽快感に包まれたラヴェルが戻ってきて、思いがけず賑やかなリビングに首を傾げる。
「デリテリートの子孫よ! なかなかやりよるのう!!」
「??」
その首に太い腕を絡まされたあいつは、不思議な顔をしたまま固まっていたけれど、あたしはもう弁解の余地など見つけられず、仕方なく浴室に逃げ込むこととなった。
でも……一体何なのよ! 彼らの『血』が、うちの家系の『匂い』を感じるって、まったくもって……どういうことっ!?




