[14]催眠 〈Z〉
お茶を嗜むラヴェルを見詰めながら、あたしは次第に深層の淵へと漂っていった。
ゆっくりと瞼が重くなって、首は垂れて、テーブルに乗せた両腕の上に圧し掛かって……あのハーブは眠りを誘うカモミールだったのだろうか? ううん、違う……確か……ラヴェンダーだ──心を落ち着かせてくれる薄紫の液体。
ラヴェルの髪色とウエストの瞳の色をした……でも……どうして? こんなにも眠い──
ふわっと身体の浮遊する感覚を得て、あたしはラヴェルに抱き上げられ、運ばれているのだと気付いていた。寝台に連れていってくれるのだろうか。でもあんなに働いた今日一日の汚れを拭えていない……ブランケットに匂いが付いちゃう。
「ごめんね、ユーシィ」
どうして謝るの?
ラヴェルはあたしごとカプセルに入ったみたいだった。二人で入れるほど広かっただろうか? 背中に柔らかなお布団のぬくもり。自分を見下ろす漆黒の瞳。
ああ……これって危機なんだろうな。意識はあるのに身体が動かないなんて……せめて眠りで包み込んでよ。何も思い出せない程に。
明朝目が覚めたら、こいつはシラを切るんだろうか……それともまた言うの? 『なかったこと』にすればいいって。でもダメだよ……『なかったこと』なんて何処にも有り得ない。あるなら──父さんと母さんを返してほしい。テイルさんにも、レイさんを。
「おやすみ、愛しい人」
いと……何て言った? 意識が揺らいで落ちてゆく。ラヴェルの親指があたしの唇をなぞった気がした。身体の上を逃げていく衣ずれ。足元でカーテンが引かれて扉が閉じて……ラヴェルの気配とあたしの思考は、そこで全て消え去った──。
★ ★ ★
あれは夢だったのだろうか? 急に眠りに落ちて、抱き上げられて……でもベッドに自力で入った覚えはない。だからやっぱり運ばれたんだ。
あたしは薄暗いカプセルの中で、ぼんやり天井のシュートボタンを見詰めていた。あいつはあのお茶に眠り薬でも忍ばせたんだろうか? そうでもなければあんな突然に……それはあれ以上、あの話を続けたくなかったから? レイさんはきっともう亡くなっていて、それでもラヴェルはテイルさんに生きる希望を与えたこと……たとえそれが嘘であっても──。
……行きたくないな、テイルさんの所。
あたしは寝返りを打つように、横を向いて丸くなった。今日もあの家に出向いて、食事の用意と身の回りの片付け作業の残りをこなすことになっている。きっとテイルさんの笑顔を見てしまったら……自分の中で葛藤する──嘘の幸せと真実の不幸が。でも言えないんだろう、あたしでさえも。
──ゴトン。
その時、天井に向いているあたしの左耳に物音が降りてきた。ラヴェルがあたしの上の寝台から、何か荷物でも物色しているのだろうか。
いい加減起き出そうかとあたしも足先の扉を開いて、ずるずると身体を押し出してみたけれど、その先にはそんなラヴェルの姿は見つからなかった。下半身がリビングに移ったところで、腰を折り曲げ頭から身体を続ける。カプセルの端に腰掛けた、ところ……?
「? ──わっ!」
目の前に小さな足が二本、上からブランと垂れてきた!!
「ん? ラヴェル? 下に居るのですか?? この三日間、何も起こりませんでした? あ~お腹空きましたー! ……あれ?」
だ、誰? 何!? どういうこと??
「ふむ……何も起こらなくはなかったみたい、ですね? あぁ、ラヴェル、朝食は何ですか?」
キッチンからやって来たであろうラヴェルと、小さな足の主が目の前の床に飛び降りて、驚きのけぞるあたしを覗き込んでいた。とはいえその少年は、瞳が見えない程に前髪が長いのだけど。
ラヴェルがあたしの目線まで腰を曲げて、意地悪そうに左口角を尖らせる。
「おはようユーシィ、朝から驚いちゃった?」
驚かない筈ないでしょ! 昨夜の訳分からない終わりにも、今日一日の始まりにも!!
「朝食は焼き立てパンとサラダにオムレツ。それでOK? ツパ」
絶句したあたしを無視して、献立報告なんてしてないでよぉ! って、え? ──ツパ??
「十分ですよ、ラヴェル。……君、ユーシィというのですか? 僕はツパイ。四日に一度ですけど、宜しくお願いします」
四日に一度??
「あ、あたしはユスリハ……本当はツパじゃなくて、ツパイなのね?」
見た目は十歳前後だろうか? 切り揃えられた青みのある黒髪の下に、子供らしい小さな鼻と、同じくこじんまりした唇が弓なりになっていて、少なくとも歓迎されていることは間違いなかった。差し出された可愛い手と握手を交わし、ふと苦笑するように歪められた口元を凝視する。
「ラヴェルは何でも自己流にしてしまうので。さて……食事の前にシャワーでも浴びましょうか。ユスリハ、お先にどうぞ?」
ツパイの申し出にハッとして、自分の両頬を手で擦った。ああやっぱり埃っぽい。とりあえず全ての謎は朝食の時にでもゆっくりご説明願うことにして、あたしは頷き慌ててバスルームに逃げ込んだ──。




