[12]嫉妬
自分の衣服一式を二点、それから頼まれたパスタ数束に、スープの残りを小鍋に移して、あたしが取り急ぎ戻った頃には、もうあばら家はまともに暮らせる住まいに変貌していた。
「こ、これ……全部あんたが片付けたの!?」
「ん? まぁね」
何処からか見つけ出してきたのだろう丸いテーブルが一台、テイルと呼ばれた中年女性は物静かに席に着いていて、温かなお茶を差し出したラヴェルは、こちらを振り返ってニコりと笑った。
「湯浴みの準備をしてくるから、それまで彼女を看ていてくれる? それと……悪いのだけど、手伝ってあげられるかな? さすがに自分が背中を流すわけにはいかないからね」
こくんと一つあたしの頷きに満足して、あいつは早速支度に向かったけど……どうせ女性の背中なんて、沢山見てきたんじゃないの!?
「本当に……すみません。息子のお友達に、こんなに……していただいて、しまって……」
あの透け透けネグリジェを思い出して、思わず脳天に血が昇りそうだったあたしは、掛けられたか細い声に思わずかぶりを振っていた。
「いえっ、あーあの、テイルさんと仰るんですよね? あたしはユスリハと申します。ご気分はいかがですか? 湯浴み、出来そうです?」
震える頼りない両手でカップを持ち上げ、僅かに唇を潤したテイルさんは、その温かみに癒されたように、砂にまみれた頬をほんのり色づかせた。そこには縦に幾筋もの跡があって、きっと先刻の涙に違いない。
「ええ……随分楽に……ユスリハさん、ありがとうございます」
「あ、あたしは、特には……」
もしも、あの時。父さんと母さんではなく、あたしがあの化け物に殺されていたら。あたしの両親もこんな姿に朽ちてしまったのだろうか。何も手に付かず、ただ生きているだけの、空っぽな人形に。
けれど今は再び芽吹こうとする、あたかも新芽のようなエネルギーの兆しが見えた。この希望を与えたのはラヴェルだ。でも……もし攫った化け物があの化け物であったなら……本当にレイさんは戻ってくるのだろうか?
「ユーシィ、準備OKだよ。おばさん、さぁ行きましょう」
ラヴェルはそう言いながら現れて、衣服が汚れることも構わず、軽々とテイルさんを抱き上げ運んだ。あたしも手元の荷物から自分の衣類を取り出し続く。こいつにも両親は居るのだろうし、自分の母親と重なるものもあるのだろうな、と考えながら。
「じゃあ宜しく頼むね、ユーシィ。自分はちょっと買い出しに行ってくるから」
洗面所にしつらえられた椅子へ彼女を降ろし、ラヴェルはあたしの肩をポンっと叩いて出ていってしまった。テイルさんは未だ気だるそうな動きではあるけれど、申し訳なさそうに自ら衣類を脱ぎ立ち上がろうとしたので、手を貸して浴室の小さな腰掛けに座らせた。
質素ながらそれなりにスペースがあり、壁際に大きな樽桶が二つ。一つは井戸の水と、もう一つは沸かされた少し熱めのお湯がなみなみと入っていた。それに浮かべられた手桶に両方を掬い、 ちょうど良い温度にされた湯を背に注ぐ。刹那、骨ばった皮だけの赤茶色い背中が、雪のような白さを取り戻して……この身に染みついた汚れは、きっと悲しみの深さだったのだろうと思えば、目を逸らさずにはいられなかった。
「あ、おかえり~」
湯浴みを終え、普通のご婦人に戻ったテイルさんが、あたしの洋服に身を包み、再び席に戻って十数分。先に供したお茶を温め直し、飲み終えた頃にラヴェルが戻ったので、あたしはスープを火に掛けた。
「ありがとう、ユーシィ。おばさん、調子は良くなりましたか?」
感激の涙を目に一杯溜め、感謝を繰り返すテイルさんを宥めたラヴェルは、キッチンに立つあたしの隣に買い出しの荷物を広げてみせた。
彩りの良い野菜が数種と、焼き立てのパンが数個。飛行船用も兼ねているらしき小麦粉に、ベーコンとミルクとバターと卵。少し長細いお米もある。
「とりあえずユーシィの絶品スープとパンでいいかな? 夕食はリゾットでも作るよ。急に固形物を取ったら胃が驚きそうだしね」
「あんた、相変わらず至れり尽くせり、ね」
「んん?」
目を丸くするラヴェルを置き去りにして、流しの上の戸棚から、埃の被った皿を取り出す。桶に汲まれた水を拝借して洗い、拭き上げて、香ばしい香りのする温かなパンをその上に乗せた。
テイルさんには既に煮崩れたスープと柔らかめのパン、こちらはベーコンエッグを挟んだフランスパンにカフェオレを頂き、遅ればせの昼食を楽しんだ。いつ戻るとも知れないレイさんを思えば、余り会話は弾まなかったけれど、テイルさんは喜びの微笑みを口角に刻んだまま、ゆっくりゆっくり食事を噛み締め、特にスープは大好評だった。
それからラヴェルはリビングのソファをまんべんなく叩き、汚れを払って彼女を休ませた。彼がキッチンを片付けリゾットを作る間、あたしは寝室の掃除を任され、夕食の頃には何とか全てが整った。再びの食事と片付け、お礼の言葉が絶えないテイルさんを何とか寝かしつけ、陽の落ちた麦畑を二人戻る途中、
「ああ……そう言えば、おばさんに貸した服、あれ、ユーシィのだよね? やっぱりタラのはダメだったか~」
そうだっ、それ! その話!!
「そ、そのタラさんって何者なのよっ! あんたの彼女?? あ、あ、あの衣装、一体何な訳っ!?」
あたしは掴みかかりそうな勢いで、隣のラヴェルにまくしたてたけれど──。
「あ、れ……? もしかして、ユーシィ、妬いてくれてる?」
「あぁ!?」
昨夜のように腰に手が回されて、思いっ切り抱き締められた。って……何でこうなるのよっ!!
「ち、ちがーうっ!! 放してったら、契約解消~~~!!」
と、叫んだ途端解放されたけれど、あたしの目の前には、もうおっかない顔をしたピータンが迫っていた──。




