これも一つの結末
「退職します」
そう告げた後、しばらく頭を抱えていた所長だったが、正気を取り戻したのかぽつぽつと話し始めた。
「お前なあ……そんなに嫌か」
嫌かといわれるとそうでもない。仕事のことだけを考えれば光栄な話だろう。
「嫌とかじゃないですよ。ただ優先順位の問題です」
「そうか……深くは詮索せん。ただ本当にいいんだな」
いくら聞かれてももう自分の中で結論は出ている。この決心は揺らぐことはないだろう。
「はい。後悔はありませんよ」
所長も諦めたのか、今後のことを考えたようだ。
「くっそ。人事にどやされるな。またやり直しだ」
がりがりと頭を掻きむしる仕草をした。もともと薄い頭にさらなるダメージを与えてしまったかもしれないと申し訳ない気持ちになった。
◇
始業時間を迎え全員が出社したのを確認してから所長から号令がかかった。
「ちょっと手を止めて聞いてくれ、来年度からの異動者を発表する」
次々と転勤者が告げられていく。大方の予想通り在籍が長い人間が異動するようだ。
所長が話している間ずっと視線を感じると思ったら、三本松のやつが心配そうにこちらをじっと見つめていた。
「以上だ」
そう所長が話し終えると、三本松はほっとしたような表情になっていた。非常にいたたまれない。
「あと異動ではないが、今回六本木が3月末で退職することになった」
一斉にざわついた。えー、とかマジで、など驚きの声が聞こえる。
「後任者についてはあとでメールするから確認しておいてくれ。んじゃ仕事戻っていいぞ」
そう言われてもなかなか仕事どころではない社内の様子で、あちこちで異動する人間の周りに人が集まっていた。
俺のところにまず来たのは同期の木村だった。表情は……怒っているようにも見えるな。
「聞いてないぞ」
「言ってなかったからな」
「お前そんな大事なこと一言くらい相談してこいよ」
「悪い」
本当に申し訳ないと思っていたので素直に謝る。木村のやつも少し感情的になっていると自覚したのか、後で詳しいこと教えろよとだけ言って立ち去って行った。
……そして見ないようにしていた三本松の方に視線を向けるとなんとも形容しがたい複雑な表情をしていた。
しばらく眺めていたが、勢いよく席を立ちあがるとものすごい速さでこちらに近寄って来た。
「先輩、ちょっと面かしてもらえません」
体育館裏に呼び出されてカツアゲでもされるのだろうか。それくらい恐ろしい表情で彼女はそう言った。
「今あんまり持ち合わせないんだけど……」
俺の渾身のボケは通じなかったようで「はあ!?」と威圧されてしまった。
やだこの子怖い。
◇
「どういうことか説明してもらえますか」
普段はミーティング等で使うパーテーションで区切られた人気のない一角に連れ出されると彼女はそう言った。
「一身上の都合でな」
「そんなテンプレートな文言が聞きたいんじゃないんですよ私は。そんなんは退職願の記載だけにしておいてください」
どう伝えていいのか迷ってしまう。いずれにしろ彼女が納得しないのは間違いないだろう。
「辞令に納得がいかなくてな」
当たり障りのない回答をしておく。……大分不自然ではあるが。
普段会社人としての立ち振る舞いを偉そうに語っていたツケかもしれない。
「会社の命令は絶対だって先輩いつも言ってましたよね」
さすがに鋭い。痛いところをついてくる。
「異動先東北でさ、俺寒いところ苦手なんだ」
これも無理があるかな。
「先輩スキーしてましたよね? ごまかさないでもらえますか。私真剣なんですけど」
そう言ってこれまでと一転して悲しそうな表情になる彼女。
「……すまない」
少し辺りを見回して聞こえないか確認してから少しボリュームを落として言葉をつづけた。
「実は新会社への出向の辞令があった。異動先はさっきも言った通り東北だ。悪いが今は仕事より優先したいことがあってなしばらくはこのあたりに留まりたいんだ。これは本心だ」
彼女は少し驚いたようだったが、まだ腑に落ちないらしく続けて質問を投げかけてきた。
「女ですか」
勘のいいやつめ。あまりにも格好悪すぎるから伏せてたのにえぐってきやがる。
隠してもすぐばれるだろうが、俺の最後の意地でそこは隠し通してやる。
「想像にまかせる」
「ばっかじゃないの」
そう言って彼女は最後に俺のすねを蹴って去って行ってしまった。
……めちゃくちゃ痛い。足がもげるかと思った。
◇
そういえば俺は誰に引き継ぎすればいんだろうと思っていたら、メールが届いていた。
「げ」
思わず口に出てしまった。びっくりしたことに俺の後任者は円城寺だった。
一気に気が重くなる。
書面だけの引継ぎにできないかなあ。無理だろうなあ。
有給消化のどさくさに紛れてなかったことにできないかとも思ったが、早々に諦めた。多分所長が承認してくれないだろう。
ふとメールソフトを眺めているともう1件メールが届いていた。
件名は送別会下見の件、とだけある。
開いてみると三本松からであり、店の住所と日時が指定されていた。
日時は早速明後日の日付であった。
そして最後に一言、「約束しましたよね?」と添えられていた。
会社に迷惑をかけている立場なのは自覚していたため送別会は正直参加するつもりはなかったが、ここは断ると後が怖いので了解した、とだけ返信しておいた。
◇
そして迎えた下見の当日。時間通りに店に行くとすでに三本松は到着していた。
「おそーい」
「遅くないだろ、オンタイムだ」
「レディを待たせておいて何偉そうに言ってるんですか」
実はあれきり会話することなかったのだが、どうやら機嫌を直してくれたみたいだ。
人類みな兄弟、話せばわかるってやつだな。
「一応ここ貸し切りできそうなんで。どうです?」
「いいんじゃないか。結構スペースあるし」
「そういえば先輩、送別品何がいいですか。なんか欲しいものあったらそれにしますけど」
送別会だと、ネクタイやらなんやらの品物と花と色紙寄せ書きが定番だ。
「いや俺送別会でるつもりないから、なんも用意しないでいいよ」
呆れたような表情をする彼女。
「まあ先輩ならそう言うと思いましたよ。その忠誠心をなんで活かさなかったんでしょうね……」
藪蛇だったか。嫌味を言われてしまう。
「悪いとは思ってるよ」
「そう言えば次の仕事どうするんですか。もう決まってるんですか」
「まったく考えてなかった」
これは本音だ。何とかなるだろうとしか思っていなかった。
「あっきれた……本当に行き当たりばったりですね」
「仕事なんて選ばなければいくらでもあるだろ」
「そりゃそうかもしれませんけど」
いざとなれば退職金も出るし、仕事見つからなくても失業保険もあるしな。本当に楽観的にしか考えていなかった。
「もう結婚とか決まってるんですか」
不意打ちな発言に思わず飲み物を吹き出しそうになってしまった。堪えたら気管にはいった。
しばらくむせていたがすぐに収まった。
「いきなり何言い出すんだよ。気管に入っただろ」
「何焦ってるんですか。もう隠しても無駄ですからね。調べはついてるんですから。あの一ノ瀬とかいう女でしょ」
図星だった。これはもうしらばっくれるのは無理そうだなと思ったので開き直る。
「あのなあ、まだ付き合ってもないのに結婚とかあるわけないだろ」
そう言うと彼女は険しい顔つきになった。
「付き合ってすらないんですか。先輩バカですよね? 馬鹿のオリンピックがあったら先輩は断トツで金メダルですね。何なら3種目くらい行けると思います」
酷い言われようである。
「馬鹿で悪かったな」
「君にためなら今の地位なんて惜しくない、ですか。先輩中二病こじらせ過ぎでしょ。あの人もドン引きでしょ。逆にないわ」
そう指摘されて少しゾッとしてしまった。半分勢いで決めてしまったものの、一ノ瀬さんはどう思うんだろう。冷静に考えるとちょっと、いやかなり痛いやつかもしれない。
「不安になりました?」
「……ちょっとだけ」
しばらく沈黙が続き、お互い黙々と料理に箸をつけ続けた。
「先輩、もし振られても私がお婿さんにもらってあげますから安心して玉砕してきてくださいね」
口を開いたと思ったらまたいつもの冗談だった。
「はいはい、その時はお願いしようかなー」
まともに相手をしても疲れるだけなので適当にあしらう。
すると彼女は真剣な面持ちで語りかけてきた。
「ねえ、先輩」
「なんだよ」
しばらく間があった後に彼女は言葉をつづけた。
「先輩、好きです」
いつものふざけた調子ではなく、平静に淡々とそう述べられた。
「……冗談だよな?」
「本気です」
なんと答えたらいいのか分からず俺は声を出すことができなかった。
「先輩は私のこと嫌いですか」
「嫌いなわけないだろ」
「じゃあ好きですか」
「可愛い後輩だと思ってるよ」
「そうじゃなくて。私のことは恋愛対象とは思えませんか」
「今までそう風目で見たことがなかった。年も一回り離れているだろ。お前はうちの妹より年下なんだぞ」
本当に考えたことがなかった。教えたことは素直に従うし、俺のことを慕ってくれているのはよくわかった。可愛いやつだとは思っていた。
でもそれはあくまで先輩後輩の間柄での話だし、異性として意識したことは全くなかった。
「別に今どき年の差なんて関係ないでしょ。女子高の先生で生徒と結婚する人だっているわけだし」
そして彼女はさらに言葉をつづけた。
「先輩、はぐらかさないで下さいよ。今からでもいいですから私のことを後輩じゃなく一人の女性として見てくれませんか」
そういわれてしまうと少し考えてしまう。冷静に考えてみてどうなんだろう。
三本松は見た目も愛嬌があってかわいらしいし、さばさばした性格も好きだ。ありかなしかで言えば全然ありだろう。
……でも
「今まで全く気付かなくてすまなかった。わかってると思うが、俺は今好きな人がいる。お前の気持ちには応えられない」
そう言うと彼女は悲しげな表情をして、声を震わせながらつぶやいた。心なしか目が潤んでいる。
「私ももうちょっと素直になればよかったな……」
◇
気まずい雰囲気で食事を終え店を後にした。
「先輩、もし振られても私いますから、待ってますよ。期待してます」
「縁起でもないこと言うなよ。成功を祈ってくれ」
「よく考えれば先輩今の段階だとフリーなんですよね?」
そう言って彼女は俺のそばに近寄り耳元で囁いた。
――――彼女できる前に私のこと抱いてみません?
普段と全然違う妙に色っぽい声で囁かれたので、ドキっとしてしまった。
「からかうなよ」
俺は間違いなく恥ずかしくて赤面しているだろう。見ると彼女の頬も同じように赤く染まっていた。
「ちょっとは私のこと女として意識してくれましたか?」
してやったりというドヤ顔でそう話す彼女。
不覚にも少し意識してしまった。正直に応えると負けな気がしたが、今日くらいはいいだろう。
「そうだな。意識したよ」
意外な返答だったのか慌てて彼女も話す。
「ば、今のは突っ込んでいいんですよ! このボケ殺し」
やっぱりこの子は可愛い後輩だな。
願わくばこんなおっさんのことはさっさと忘れて新しい恋をしてくれ。




