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第2話 接客はつらい

はじまりの後の話



「いらっしゃいませ」

 反射的にそう声を上げて、入口から入り込んだ風に紛れた気配が男の方へと流れてきて、『またか』と思った。

「こんばんは、また来たよ」

「女子高校生がうろうろして良い時間帯だとは言いかねますが」

「まだ9時じゃん。おっさん、頭が古いね」

「…あなたからすれば、古いっていうのは、あながち間違ってはいませんよ」

 ズカズカと店に入ってきた女に、男はため息を吐き出した。もう今日の作業は終わりにしないといけないからだ。手元にあった小箱をカウンターの下にある、緊急退避場所に丁寧に片づけて、がちゃりとカギをかける。その鍵束を腰のチェーンのフックにかけた後で、ポケットへ落とした。

「じゃーん。今日も、お土産買ってきたよ」

 顔の位置までそれを持ち上げた千晴は、笑顔を見せる。反対に男は、『またか』と、再度思った。


 その箱を見つめて、女が初めて店に入り込み、その上、あっさりと出て行ってしまった日に、「私も好きなガトーショコラ」などと言ってしまったことを、男は毎回後悔してしまう。


 だが、こんな事態は、起こり得るはずがない、そもそも、稀有なこと。


 事実、女が店の中まで入り込んできてセキュリティーを抜けて外へ出て行ったことを、報告と相談をかねて本部へ連絡を入れると、当初、まともには取り合ってくれなかったのだ。

 交換手は、

「そんなことあるんですか?もしかして、現地の薬物などに手を出してはいませんよね?」

 旧知の仲、だからか、明け透けに問いかけられた。

「そんなこと、するわけないじゃないですか。例え、使用していても、こんな不安定な通信で、使ってますなんて、あっさり認めるわけがない」

「そんなこと言っても、離れているからこそ、単刀直入なことも必要だと思いますけどね。あ、もちろん、疑ってるわけではありません。私にも立場がありますからね。念のためです」

「あなたの立場上のことなら、理解してますよ。そもそも、面倒、です。僕は、平穏を求めて、この部署に希望して来ているわけですから、他の方々とは違います」

「…そうですよねぇ、他の人は、だいたい、嫌がられるのに、あなたは、進んでそこへ行ったのですからね」

「疑わしいのなら、30分ほど前からの店の様子をリプレイしてみてください。いくら遠いといっても、その程度の通信速度は保てるでしょうから」

「…了解です。そう言ってくださると助かります。同意がない場合は、いくら本部といっても、プライバシーの問題で、難しい所なんです」

「そんなことを言いながら、あなたたちが、目当ての人の隠し撮りを裏でやり取りしてるのは知ってますよ」

「…まっ、まさかぁっ。そ、そ、そ、そんなこと、するわけが、ないじゃぁない…で…すかっ」

 冗談のつもりで言ったそれに、あからさまに慌てる交換手に、男の方が眉をひそめる。

 ほんと、がっつり監視されてんだな。まるで、逃亡犯のようじゃないか、と。

 事実、このシステムは、流刑の刑罰を受けた囚人の監視システムと同じ構造・同じ回線を使っている。いわゆる、経費削減というやつでもあるが。

「あ、出ました。上部にも連絡して、今、同期済み。確認作業に入ります。少し、お待ちくださいね」

 その言葉を受けて、男は、小脇にかかえていた小箱を、元に戻すことにした。30分を数倍速で見ても、数分はかかる。『上部』と言うからには、数人は介入してくるだろう。その上、指示がまとまらなければ、待ち時間は読めない。次に通信が入るまで、あの女の乱入で乱れた作業工程の再構築に取り掛かるべきだろうと考えた。

 上部からの明確な答えが出ないまま、交換手は通信を繋げてきた。もう少しで、通信可能域から少し外れるらしい。それも、数週間という。

 上部は、リプレイを見たはずなのに、認めない、の一点張りという人もいた、らしい。交換手が伝えてくる概要に、男は、うなずく。そんなこともあるだろうなと、思ってはいた。そのため、意見が割れうることも、予想済みだ。

「結局のところ、どう対応すれば良いんですか?何か具体的な指示は出ていますか?」

「う~ん。私も、指示が明確じゃない分、お伝えしがたいんです。それに、先ほども申し上げた通り、そろそろ、技術的に回線の保持が難しくって。参考までに、上部の方々の意見を文章化して、添付送信してますから、後で確認してみてください。追って、ご連絡差し上げることになると思いますよ…でも、そちらの時間で数週間程度かかるかと…すみませんっ」

 それじゃあ、丸投げじゃないか。

 長いため息を吐き出して、男はそんな風に思って、天井を見上げた。

「きれいだな」

 見上げた先には、星空が見える。光輝く星が、ここからは、よく見える。天井は天井であり、外でもあり、男が見上げた場所の、目的の高度を映し出すプロジェクターでもある。

「何か…言…い…ま…た…?…」

 プツっと、通信が切れる。

「お前のことじゃねぇよ」

 男は、通信が切れたことを確認して、星空を見上げたまま、低い地声でそうつぶやいた。


 店での作業が片付いた後、二階にある自室に上がった。

 両手で長方形を作って目線の高さでスワイプすると、空間にモニターのような半透明のガラス質のものが浮かぶ。

 そのホーム画面からアプリを立ち上げると、目的のものが届いているのが見える。添付書類が、ざっと十数枚。書類名称が役職敬称付きの個人名になっていることから、その数がそのまま目を通した上部の人間の数ということになる。短時間に、これだけの人数の意見が出たことに、感謝すべきか。事態は思ったよりも重要案件入りしたようだ。それはそうだろう。今まで、なかった事態なのだから。

 ここに配属されて以来、お気に入りになっているコーヒーをドリップしながら、モニターの文章をざっと読む。気になる数枚に色を付けて横に弾いて、その他を再読の項目へと落とす。マグカップを持って、モニターにも手を伸ばす。手に持つと質量を取り戻したそれを持って、ソファーへ向かう。腰かけて、コーヒーを一口含んで、マグカップをサイドテーブルに置き、モニターを手に取り、両手で角を持って離すとその場所で手から離れて目線まで浮かび上がる。その中の色分けした数枚を、時々コーヒーに口をつけながらじっくり読み込む。しばらく思案した後、男は再読に落した書類を一枚ずつ読み進めた。

「てんで、バラバラじゃないか…」

 これは、明確な指示が来るまで『待ち』だな。下手に動いて、一部に反感でも売ろうものなら、自分の立場が悪くなるのが目に見える。

 色分けした書類を、もう一度読み返す。

 大きく分けると、『観察』『抹消』『引込』のパターンか。引き込んだ場合、おそらく、様々な実験も付随してくるだろう。本人の意思を残すかどうか、そこでまた、意見が分かれるだろう。それに、これならば、後手に回しても支障はないはずだ。『抹消』は、これも方法論としては既知のものだが実例がない。方法についての意見も分かれるかもしれないが、特殊班などがあるのだから、こういった事案が、公にはできないだけで存在するのかもしれない。その場合、自分も記憶か何か、干渉されることが予想できる。最悪、あの女と一緒にどこかに飛ばされるなんてことも、ありうるのかもしれない。だとすると、やはり、『観察』だと、穏便にいくのか。この場合は、自分の対応によっては、いかようにも成り得る。

『観察』

 と言っても、女の素性は知らない。

 確か、何度か通ったことがあるようなことを言っていた。ウィンドウからの記録を本部で分析すれば、何か出てくるかもしれない。


「本部と繋がるのは、数週間先だった…どうするかなぁ…」


 そうは言っても、一度、ここへ入り込んで出て行った、というだけのこと。

 二度は、ないんじゃないか?いくらなんでも、そんな。


 深いため息が男から漏れる。

「平穏で静かな環境に、来たかっただけなんだが…」

 これじゃあ、僕にとっても、ずいぶん、想定外だ。


 そうやって考え込みながら眠りについた翌日、女が早速やって来るなどと、男は思ってもいなかった。


 女は、店に入るなり、「昨日、ごめんね~」と気安く声をかけてきた。

 男は唖然とする。

 まさか来ると思っていない、二度とないと思っていた事態に、たじろぐ。それに、「いらっしゃいませ」より先に、話しかけられることなんてない。というか、ここへ配属されて以来、交換手のみだ、まともに会話をするのは。その内容は、報告か連絡か相談で、全て、もちろん、業務について。

「あの後さ、乗り換えの時間忘れてて。最後の乗り換えが10時50分頃なんだ、最終便。だから、黙って帰っちゃって、ごめんね。ぼーっとしてて、最終便の時間のこと、頭になかったんだよねぇ。ちょっとメモか何か残して帰った方が良いのかなぁなんて思ったんだけど、後でメール送ったら良いかななんて、いつものように考えちゃって。電車に乗った後に、気づいたんだよ。おっさんの連絡先も何も知らないって。ホームページとかSNSとか、いまどきやってないなんて商売っ気ないよねぇ、この店。だからさ、探したんだけどぉ、連絡先、見つけらんなくって。だから、お詫びもかねて、じゃーん」

 男が一切口を開くことなく対応しているにも関わらず、一方的に話しながら女がずかずかと店に入り込んでくる。手に持っていた小さな紙箱を顔の横で、見せつけるように持ち上げて。

「ガトーショコラ。好きなんでしょ?」

「…お茶でも入れましょう。あなたは、炭酸水でしたっけ?」

「今日は寒いから、お茶にしようかなぁ」

 そう言いながら、ガトーショコラの入った紙箱を男に手渡して、女は、手袋をはずして、スヌードを首から抜き取った。

「それは、好都合」

「?ん?何か言った?」

「いえ。そうですか、今日は寒いのですね」

 男は、思い出したように目線をウィンドウの外に投げた。

「すげー寒いよ。そっか、この店、常春みたいだね」

 女は、羽織っていたコートを、カウンターの前に置いてあるアンティークの椅子にかける。

「あ、そう言えば、今日は、普通に、店に見える!?」

 そんな声を背中で聞きながら、男はほっとしていた。

 昨日よりレベルを上げて設定していたのが、項をなしたようだ。今、女の目には、品の良いというか敷居が高めの骨とう品の店に見えているはずだ。そうでなくては困る。最新の技術だと、聞かされているのだから。ただ、レベルがほぼ最大の数値になってしまったことが、問題だ。これ以上はない。男も、見ようとすればそれに同調できるため、茶を出すタイミングで、自分の数値をそちらに合わせるべく算段する。間違って、家具を通り抜けでもすれば、また、女の不審を買ってしまう。今この瞬間での手違いや小さなミスは、なんとしてでも避けたい。

 そこまで考えた所で、奥の扉に手をかけた男は、ふと振り返って女に声をかけた。

「…ちゃんと、お茶、飲んで行ってくださいよ。今日こそは」

「大丈夫、今日は、バイト、頼まれて忙しい時だけだったから、早く終わったし。たっぷり一時間くらいあるよ」

「分かりました。本当においしい茶葉なんです。ぜひ、召し上がって帰ってくださいね」

 

 これで煩わしいことから解放されると、男は思った。自分には効かないが、女には、確実に効果を発揮するであろう、忘却の術のかけられた茶葉は、外部の人間の体内で発動する。

 そんな風に、繰り返し説明を受けていた。

 つまり、店の外に出たら、おわり、だ。

 振り向くこともできずに、女は、いつものようにバイトが終わった後の道を、そのままフラフラと帰ってゆくだろう。

 そんなことを考えながら、男は、茶を二つのマグに注いだ。


 一時間は、思った以上に、長く感じた。

 手を振り女が店の外へと出て行く姿に、男は、ようやく安堵の表情を浮かべる。

 こんなに長い時間を他人と過ごすことが、久方ぶりすぎて。相槌だけしていたはずが、いつもは開かないせいか、口や喉がひどく渇いた。唇も乾燥しているような気がする。ただ、本当に、一時間という時間の区切りが、予め分かっていたことで耐えられた。

 カチコチと古めかしい振り子の時計の音が、もうそろそろだとカウントダウンを始め「そろそろ時間ではないですか」と声をかけると、素直にその言葉に女が従った。その外へ出る準備をする様子を、男は静かに見守った。

 これで、終わりだ。

 そんなことを考えて、男は少し笑ってさえいた。

「若い女性とお話しできる機会もありませんから、今日は楽しかったです」

 相槌だけだが、少し笑うようなこともあった。

 業務の一環だし、異様な疲れの方が大きいけれど、それでも、どこかにほんのわずかな楽しみも、あったように感じた。

「そうだ、おっさん、案外若いよね?20代?今さらだけど、おっさんって呼んで、ごめんね」

「いいえ。良いんですよ。あなたからすれば、古いおっさんで間違いありませんから」

 おそらく、時間の概念が違うのだから、きっと、換算するとこの女の何十倍も生きているという可能性もなくはない。見た目の話で言えば、この店と同様、ある程度の擬態も可能で、女の言う20代というのも、あながち間違ってはいない。レアケースではあるが時々紛れ込む人間の10~20歳程度年上に見えるように、設定しているはずだ。固定もできるし、可変も可能。

 そもそも、何度も同じ人間が、こんな風に頻繁にやってくることを、技術的に想定していない。

「…そう?」

「ええ」

「そうだ、千晴って呼んで」

「ちはる…ですか」

 女の名前など、というか、ここへ来て以来、他人と名前を紹介するような機会がない。聞きなれない名称に、男は、うっかり、その名前を口に乗せてしまった。

 それを聞いて、千晴の頬がほんのりと色づく。

「…名前を呼ばれるのって、うれしいもんだね」

 女の表情を訝しげに見つめながら、男は、最後のセリフをひねり出した。

「…気を付けてお帰りくださいね。さようなら」

「じゃ、また」

 女が外へと出るのを見送り、扉を閉じ、カギをまわした。

 念のため、と、ウィンドウから女の背中を見送る。


「ほんと、疲れた。もう、来るな」

 男が、その背中に小さくつぶやいた時、女が振り向いた。


 ああ、何か違和感があったか。その程度のバグはあるのかもしれない。


 あの茶を飲んでしまえば、外へ出たら、ここでの記憶は跡形もなく消える、はずだ。そう研修で教えられている。男は、何度も何度も繰り返し研修で習ったことを頭の中で自分へと言い聞かせるように、思い起こす。


 もう、大丈夫。

 再度、そう考えて、男は女の成り行きを目で追いかける。


 振り返った女が、ニコッと笑った。


 『おっさん、また』

 と、口だけ動かして、大きく手を振るのが、ウィンドウ越しに、間違いなく見えて。

 

「マジか…よ…」

 男は、大きく長いため息を吐き出していた。


「また、報告することが、増えた…」


 それからというもの、女は、週に2・3回の頻度で、店に立ち寄る。

 毎回のように、ガトーショコラを持って。


「次は、期間限定のチョコタルト、1ホール買ってくるから、一緒に食べようよ」

 そんなことを言われたのは、何日か前。

「そうか…そろそろ、来るの…か…」

 そう考えると、男にどっと疲れが押し寄せる。


 今度、上部に、店を移動させることを提案してみようか。

 いや、あいつのことだから、探し当ててしまうのかもしれない。

 それでも、こんな状況から少しでも解放されるのならば…やってみるか…。


 そう決めた瞬間、古いカウベルが背中で鳴って、男は肩をびくりと震わせた。








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