第3話 接客はつらい2
「いらっしゃいませ」
店の扉を開けると、一拍の後、まるでこちらに無関心を貫いたような平坦な声が、聞こえる。
ひどく優しく低く、扉にぶら下がったカウベルの音に重なって。
友だちに、バカみたいな恋愛脳が一人いる。
店の扉を開く度に、その友だちの顔と、自分がその友だちをバカにしていたことを思い出す。
美容室の担当の人、駅で見かける他校の人、洋服屋の店長、コンビニの大学生アルバイト、数え上げたらキリがない。
彼女がその人目当てにその時々の店や場所へ頻繁に通っているのを、バカにしていた自分が、まさか…。
週に数回、この店に立ち寄ってから帰ることを決めて、一か月ほど。
男の声も、いつも変わらずここにある。
扉の表示を見ると、定休日は日曜日のようだ。
男が一人で、店を取り仕切っているのだろうと、考えながら千晴は扉を開いて、必然のようにカウンターへ足を運ぶ。
「今日は、なんと。じゃじゃーん!限定のタルト、買っちゃったよ!」
千晴はそんな風に明るく声を出す。男の『いらっしゃいませ』の声が耳に入るだけで、少し上ずった気持ちになってしまうのを、ごまかすように。
「もう、けっこうですよ。毎回、お土産をいただいていては、こちらの気力が持ちません。あなたの大切なバイト代なのですから、大切に使ってください。今日お持ちいただいたタルトは、持ち帰ってご家族へのお土産でも、宜しいのではないですか?」
なんとか、この悪循環から抜け出したい男がそう告げると、千晴は何とも言い難い表情を見せた。
「…おっさんがそう言うのなら…」
「おや、ひょっとして、お一人で生活しておいでで?」
「ううん。大丈夫、両親ともに健在で、弟もいる」
「じゃあ、なおさら。あなたの弟さんならば、食べ盛りの年頃でしょうから、お二人で召し上がっては?」
「…分かった。おっさんが、それほど、嫌がるなら、もう、持ってこないから、安心して」
年齢にそぐわない聡さがあると、男は感じていた。千晴がそう言うと、男は少し申し訳ないような気持ちにもなる。
「実を言うと、甘いものが苦手なのです」
なぜか、男の口がそれを言う。それを聞いた千晴の表情が、一瞬で変わる。
「うそ!自分で、好きって言ってたじゃない!」
「そうです。一度限りお逢いする方への方便のようなものです。甘いものは苦手ですが、あのガトーショコラならば、年に一度食べてみようかと思う程度は、好ましく思う味だ、という前置詞を、あなたに、あの日、説明しなかっただけです」
「…どうしたの?おっさん、今日は、やけに、辛辣だね」
「そうでしょうか?」
男は、本部から通信が途絶えてからを、一人で、なんとかやり過ごしてきた。もうそろそろ、繋がるはずだ。ここで手を抜いてはいけない、気を抜いてはいけない、そういう気持ちももちろん持ってはいたが、度重なる女の急襲に、多大なストレスを抱えてしまってもいる。
「ところで、さ。この店、こんなにお客さん来なくて、大丈夫?」
「そうですね。大丈夫であったり、そうでなかったりしますよ。あなたが、気になさることはない。それに、今日は、そのタルトを持って、お帰りなさい」
少し、語気を強めてそう言う。男のそれに、女は気づく。
「分かった。今日は、弟と食べるよ」
「ええ。当店へのお土産はけっこうですよ。それに、若いお嬢さんが、いくらバイト帰りだからと言って、男が一人でやっているお店に入り浸るのは、感心しません。どうぞ、働いた後は、自宅へ速やかにお帰りください。私には、夜な夜な一人で歩道を歩くようなことの方が、とても心配です」
「…それも、分かった」
「では、さようなら」
これだけ言えば、もう、やっては来ないだろうと、男は思ったのだ。この場所での経験ではなく、異性への対応の経験で、そう思った。
『close』が外へ見えるように返しながら、男は千晴を外へ出すために扉を開ける。
「…おっさん、ひょっとしてこの後、デート?」
「そう言うことではないです。あなたは、高校生なんですから。大人の事情は、考えなくて良いのですよ。どうぞ、気を付けてお帰りください」
「…はいはい」
「あなたのためでもあります。そろそろ営業時間を短くしようかとも考えていましたので、次は閉まっていても、ご了承くださいね」
「…分かった…」
「では、お気をつけて。さようなら」
「じゃあ、またね」
また、の部分で、探りを入れるような目線を向けて千晴が男にそう言う。
「…さようなら」
男は、念を押すように、そう応じた。
千晴は、少しばかり、考えた。
もう、来てはいけないということだろうか?と。
だけれども、何の邪魔もしていない。
お茶をいただいてはいるけれど、ケーキは持参している。では、どうすれば…?
明後日の方向へと考えた千晴の答えに、男が再び大きなため息を吐き出すのは、翌日のことだった。
「おはよー!」
またしても、千晴から先に声をかけられてしまう。男は、苦渋の表情を一瞬浮かべて、鼻から長い息を吐き出した。
「おはようございます」
「何?二日酔い?」
「…違いますよ」
「なんか、顔色悪いね」
お前の所為だよ、と男は頭の中で叫ぶ。
「今日は、どうしたんですか?」
「早めに来てみた」
「早め?」
「だって、夜はダメだとかなんとか言ってたじゃん、おっさん」
「…上げ足を取りたいのでしたら、どうか、お友だちとなさってください。私は、これでも、お店を構えて経営をしているのです。女子高校生が入り浸っているなどと、噂されては、あなたの心配する通り、増々商売が上がったりになります」
「…じゃあ、どうすれば良いのよ?」
「ですから、お店なんです、当店は。あなたは、女子高生。当店で取り扱う品物は、主に大人向け、少しばかり博識な方々が好むような代物です。あなたには、あなたにふさわしい場所へ、足を向けてくださることを望みます」
「…つまり、来るなってことね?」
そういう部分につっこむなよ、と男は頭の中で再度叫ぶ。これでも、気を使ってるんだから、と。
「どう捉えようと、あなたのご意見ですが、例えば、通りの反対側にある海外メーカーのお店の方が、あなた向きではないかと。駅前にも、確か、流行のお店がたくさん入ったビルがありますよね?そう言ったお店を見て回られる方が、楽しいのではないですか?」
「おっさんと、しゃべってる方が楽しいよ」
即答でそう言い返す千晴に、ただ相槌を打ってるだけで話の内容なんて聞いてねぇんだよ、と男は再び頭の中で絶叫したくなって、長い息を吐き出す。
「のれんに腕押し?でしたか、たしか。そんな気分です」
「…あれ?嫌味を言われたの?私?」
「そこに気付けるのならば、お帰りください」
男は、遠回しな説得を諦めた。
まだ、本部と繋がらない。後でどうとでもできる部分と、どうにもできない部分を、天秤にかけながら、もう少し、この千晴と言う女に関わりを持っておいた方が、良いのかもしれないと、考えてみる。
考えてはみても、感情は追い付かない。
「え~?おっさん、冷たいなぁ」
「今日は、納品がありますので、これから出かけます。あなたはもうお帰りください」
「え~?マジで。」
「ええ、本当に」
「来たばっかなのに。せっかく、昨日のおっさんの言うこと聞いて、夜来るのはやめたのに…やだぁ」
「納品です。それに、そもそも、そういった言葉遊びの問題ではありません」
「ふ~ん…分かった」
千晴は、ようやく諦めたようだった。
いつものように、千晴を扉まで送り、カギをがちゃりと閉める。
ほんと、来んなっ。
心で願いながら、男は千晴に手を振る。外へ出た千晴が、それに笑顔で答えて、赤い手袋をした手を小さく振りかえすのが、冬の午前中の光を浴びて、見えた。
「この時期の陽の光は、きれいだ…」
男は、そんなことを、つぶやいて、陽の光の中で小さくなってゆく背中を、ずっと見送っていた。




