第六十話 メリーバッドエンド
窓の外で祝福のさえずりを上げる雀の声で、私は目を覚ました。見上げた天井を前に上体を起こすと、微かに残る腰の疼きが昨夜の甘美な記憶を深く刻みつけている。これまでに経験したことのないほど清々しい朝に、私は大きく背伸びをして全身で堪能した。
布一枚纏わぬ素肌のまま毛布を抜け出すと、春の終わりの肌寒さに身震いする。小さなくしゃみをして隣へ視線を向ければ、そこには愛らしい背中を見せたまま静かに横たわる恋人がいた。
その微笑ましい寝顔を邪魔せぬよう、私は音を立てずにベッドを抜け出す。彼女が風邪を引かないよう丁寧に毛布を掛け直すと、床に脱ぎ捨てられていた下着と温もりを補うための薄いシャツを羽織った。裸足のまま、冷たいフローリングを一段ずつ踏みしめて階段を下りる。
階段脇に放置していた車椅子を引き寄せ、立てかけてからリビングへ向かう。テレビのリモコンを手に取り、雨染みが浮いているソファに深く腰を下ろして電源を入れた。画面に映し出されたのは、無機質なニュース番組の報道だった。
見覚えのある通学路の景色で、パトカーや救急車の赤い警告灯が夜明け前の住宅街を不気味に照らしている。その河川敷の映像に、私は吸い寄せられるように釘付けになった。
『今日未明、蜂ヶ海市の河川敷で、人が川に浮かんでいるとの通報がありました。警察や消防が駆けつけ救助されましたが、その場で死亡が確認されました』
朝っぱらから好んで視聴する内容ではないのかもしれないが、アナウンサーが淡々と読み上げる台本に私は適当に相槌を打つ。やがて通夜のような重苦しい現場映像と共に、一人の少女の顔写真が画面いっぱいに放映された。
『警察によれば、死亡したのは戸坂エリさん、十七歳。現場の状況から、一昨日の集中豪雨の際、誤って転落した可能性が高いと見ています』
その末路に、私は不謹慎な笑みを漏らしてテレビを消す。すべては思った通りの結末で、私は満足感に浸りながらスマホを握りしめて番号を打った。耳元で鳴り響く発信音の後、受話器の向こうから、ひどく疲弊した声が漏れた。
「もしもし…おはよう。例のお願い、考えてくれた?」
弾む胸を抑えて尋ねると、相手は躊躇いがちに再度その内容を問い質してくる。私は鏡の中の自分に微笑みかけるように、大きく首を縦に振った。
「うん、いいよ。退学じゃなくて、除籍でも…どっちも変わんないって!」
承諾したはずなのに、相手はなおも私の決断を揺るがそうと執拗に言葉を重ねてくる。その優柔不断さに、思わず舌打ちが漏れた。リビングの冷えた空気が、一瞬で鋭く張り詰める。
「本当にいいのかって…しつこいな。いいって言ってるじゃん。私の言うことが、聞けないの?」
諭すように低く叱責すると、電話の向こうで涙を啜ってうなだれるような気配が伝わってきた。やがて、積み上げられた書類が崩れ落ちる乾いた音が鼓膜を揺らす。これ以上、この女と長電話をしていても仕方ない。
「…うん。じゃあ、よろしくね・・・犀川先生」
無慈悲に指先で通話を切ると、私は鼻歌混じりに洗面台へと向かった。手入れの行き届いた曇りひとつない鏡に映る自分と視線を合わせ、歯ブラシで丁寧に口内を磨き上げる。彼女と接吻を交わした際、決して嫌われないためだ。清潔に洗い流した後、冷たい流水で念入りに顔を清めた。
備え付けのメイクセットを広げ、化粧水とリップで、自らの顔面を最も可愛く、美しい形へと装飾していく。仕上げにドライヤーで髪を整えると、私は確信に満ちた足取りで階段を駆け上がった。
甘くて刺激的、どこか濃密な香気が充満する部屋へ戻ってクローゼットから新調したばかりの純白のワンピースを取り出す。季節を先取りしすぎているかもしれないが、これ以上に麗しい装いはない。部屋の隅の姿見で自分に重ねると、満足して袖を通した。
月光に咲く百合の花のように優雅な姿へと変身した私は、ベッドで微動だにしない彼女の頬を人差し指でそっと突いた。
けれど、彼女は深い眠りから覚めようとしなかった。そのわがままな沈黙さえ愛おしく、私は彼女のしなやかで愛らしい身体をお姫様抱っこでベッドから抜き出す。シンデレラにガラスの靴を履かせるように柔らかな手つきで下着を整え、クローゼットから出したばかりのペアルックのワンピースをその肌に着せた。
着せ替え人形のように可憐な彼女を抱えたまま、意気揚々と階段を下りた。車椅子に彼女を座らせると、私は再び洗面台へ向かい彼女の閉じられた唇を割るように歯ブラシを含ませる。
琥珀を拭き上げるような洗顔を終え、私は世界に一つしかないガラス細工を扱うように、繊細な手つきで彼女におめかしを施した。桜貝のような唇には艶めくリップを、少し青ざめた目元にはコンシーラーを、稚児のように柔らかな頬にはファンデーションを塗る。
自他共に認める完璧な美少女が完成した時、私はその愛くるしさに気が狂うほどの昂りを感じた。抱きしめたい衝動を辛うじて抑え、ワンピースの裾を翻して玄関へと向かう。
「じゃあ、行こうか」
玄関に並んだローファーを隅へ追いやり、下駄箱から二足のハイヒールを取り出した。背もたれに身を預ける彼女の曲線美を描く素足の、無防備な足の甲を愛でるように撫でながらゆっくりとヒールを履かせる。その瞬間に彼女の肩がわずかに揺れ、微かな吐息が漏れた。
朝から表に出すべきではない情欲が首をもたげるが、それを強くたしなめて自分もハイヒールを履く。車椅子を押して玄関の扉を開け放つと、白光の朝日が私たちを真っ向から迎え入れた。
早朝の静まり返った住宅街を、私たちは無言で進んだ。えも言えぬ多幸感に包まれながら、道端の草花を車輪で無慈悲に踏みつけて前へと進む。
舗装路を転がる車輪の音だけが響き、世界には私と彼女しか存在しないような錯覚に陥る。ハンドルを握る手を片方離し、視界に入る彼女のつむじを慈しむように撫でた。
薄手の布越しに日光を背中に受け、辿り着いたのは桜並木で知られるあの広場だった。けれど道に撒き散らされていたはずの花びらはもうなく、木々は万緑に支配され始めている。そよ風にスカートを揺らしながら、私達は並木のトンネルを潜り抜けた。
桜の巨木が鎮座する丘の麓で私は車椅子を止め、彼女を再びその腕に抱き上げた。密着する肌の静かな感触を噛み締めながら、一歩ずつ芝生の坂を登っていく。
頂上の芝が見えてくると、巨木の全貌が明らかになった。僅かに花の残る枝もあるが、そのほとんどは活発な葉に取って代わられている。
天然のベッドのようにふかふかとした芝の上に、彼女をそっと座らせた。まだ眠たいのだろう、彼女の不安定な頭が私の肩に預けられる。その重みが愛おしくて、彼女の髪を撫でながら私は頭上に広がる葉桜を見上げて呟いた。
「桜も、散っちゃったね…春も、もう終わるんだな」
春の足音が遠ざかり夏の風が吹き抜ける予感に、私は静かに黄昏れる。すると隣に座る彼女の唇から、微かな声が漏れた。聞き漏らさぬよう耳を寄せると、心臓の高鳴りが止まらない。
「綺麗?…そうだね、綺麗な景色。えっ、私のこと?ふふ…ありがと。君も、すっごく綺麗だよ」
お揃いのワンピースを重ね合わせ、彼女の身体を強く引き寄せる。眼下に広がる蜂ヶ海市の街並みを背に、私は彼女の唇に己の唇を深く押し当てた。
彼女は拒むことなく、私の侵入を甘んじて受け入れてくれた。その物言わぬ優しさが何よりも愛おしく、もう二度と離さないと誓う理由になった。
満足するまで接吻を愉しんだ後、唇を離して次は彼女の額へと口づけを落とした。所有印を刻むように、夢見心地な彼女を抱き寄せて私は宣言する。
「これからは、ずっと一緒に暮らそうね…ゆいな」
晴天を仰ぐ葉桜の下で、私達は永遠の愛を誓った。
儚げで、けれど優雅なワンピースを纏った二人の少女の間を、一筋のそよ風が吹き抜ける。それは夏の訪れと、誰にも邪魔されない二人だけの世界の始まりを告げる合図のように思えた。
こんにちは、作者の『月雲とすず』です。
『伊達メガネのあなた様。』"第一部"は、これにて完結です。
ここまでの読了、ありがとうございました!!
多くの読者様が、この物語を【百合の日常系ラブコメ】として読み始めたことでしょう。
しかし、後に展開されたヒロインの事故や、どんでん返しの末に訪れる結末に驚愕した方も多いのではないでしょうか?
中には突然な路線変更にお怒りの読者様もいらっしゃると思いますが…私は最初から【ラブコメ、に見立てたサイコホラーロマンス】を目指して執筆をしてまいりました。
もし、今作の結末が納得のいかない!という読者様は、第一話から読み返すことを推奨します!
特に注目していただきたいのは、ヒロイン『犀川あやみ』の行動についてです!
何か、違和感を覚える部分はありませんでしたか?
犀川あやみは実は、ゆいなの知らないところで予想のつかない行動ばかりを見せていたのです。
彼女の狂気的な物語を、私は"二部"で公開する予定です!
"一部"の裏側で巻き起こっていた物語を、"二部"でご期待ください…
ここまでの読了、ありがとうございました!
ぜひ、【ブックマーク】、【★評価】等をしていただけたら嬉しいです!
では、またお会いする日を楽しみにしています!




