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第六話 担任とのドライブ

 気が遠くなるほど長い授業が終わり、生徒たちが待ち望んだ放課後のホームルーム。

 

 疲労感が淀みのように漂う教室で、犀川先生は翌日の連絡事項を流れるような事務作業として伝達していた。

 

「…それでは、連絡は以上です。さようなら」


 先生の言葉が合図となり、張り詰めていた糸が切れたようにクラスメイトたちが教室の外へと流れ出していく。私も早々に荷物をまとめ、遅れて席を立った。

 

「さ…帰って、ネットでも見よ」

 

今日は自室の布団という聖域に籠もり、優雅に情報収集に勤しもう。鼻歌混じりに教室を後にしようとした、その時だ。

 

「甘野さん、ちょっといいですか?」

 

 背後から名指しで呼び止められ、嫌な予感に背筋が凍る。振り返ると、教卓で不自然な笑顔を浮かべた犀川先生が、手招きで私を呼んでいた。


 面倒ごとの気配しかしない。私はしぶしぶ、招き猫のフリをした担任のもとへ歩み寄った。

 

「なんですか、つばめ姉」

 

「さ・い・か・わ先生です。…学校では、気をつけなさいと言ったでしょう?」

 

「す、すみません。つい」

 

 いつものやり取りを挟むと、つばめ姉はふっと肩の力を抜いた。頬を少し膨らませた彼女は、どこか幼く、あやみ先輩の面影を色濃く映し出している。


 彼女たちが母娘であることを疑う者は、この世に一人もいないだろう。

 

「それで、いかがしましたか? 私は今から自宅で、一分一秒を惜しんでネットの海へダイブする予定なんですが」

 

「暇なんですね。ちょうどよかったです、付き合ってほしいことがあるの」

 

 それらしい言い訳は、切れ味の鋭い言葉でばっさりと切り捨てられた。暇なのは事実だが、こうも即答されると少々心外である。

 

「一体なんですか? 部活は明日からだし、即売会の準備もまだ先のはずですけど」

 

「そんな堅苦しいことじゃありません。…ゆいなちゃんにしか、頼めないことなんです」

 

 急にトーンを落とし、手を合わせて上目遣いをするという、年甲斐もない…けれど破壊力抜群のあざとい行動に出る先生。私なんぞができることなど、大抵の人間ができることだと思うのだが…

 

「私と、ドライブをしてくださいませんか?」

 

 見せられたのは、車のキーだった。

 

 連行された先は、教員用駐車場の白い軽自動車だった。車内は綺麗に整えられ、後部座席には教材を置くための専用スペースが作られている。

 

「どう? 久しぶりでしょう、この車。昔はよく、送り迎えに乗せたよね」

 

 運転席でシートベルトを締める彼女の口調が崩れた。それは先生と生徒ではなく、かつてよく遊んだ近所のお姉さんと少女の関係に戻った合図だ。

 

「…最後。何年も前、ですから。それで、どこへ向かってるんですか」

 

「駅前のスーパーだよ。品揃えがいい、あそこ」

 

 買い出しということは、つまり私は荷物持ちとして召集されたわけだ。

  

 体力測定で下位を争う私を呼んだのは明らかに人選ミスだが、今さら逃げ出すわけにもいかない。

 

「何か、特別なものでも買うんですか?」

 

「うん。生徒会への差し入れ。あやみも、今日は会議で遅くなるみたいだから」

 

 生徒会の会議とは、学園の方針を見直す、数時間に及ぶ会合だ。その副会長を務める先輩の姿を想像すると、凛として真面目な発言をする彼女が思い浮かぶ。

 

「……あ」

 

 ふと、ダッシュボードに飾られた一枚の写真に目が止まった。日光に焼けて少し退色しているが、写っている人物の表情は鮮明だ。

 

 晴天の公園でピースサインを作っているのは、幼い頃の私とあやみ先輩。

 

 片方は天真爛漫な笑顔でメガネをかけており、もう片方は前髪で目を隠しながら控えめに口角を上げている。

 

「懐かしいでしょ。いまや二人とも、見違えるほど成長しちゃって」

 

「……そうですね。先輩、本当に綺麗になりました」

 

 撮影者は、確か目の前のつばめ姉だった。私の母も同行していたが、恥ずかしがってカメラから逃げていたのを覚えている。

 

「おっと、渋滞か……帰宅ラッシュだね」

 

 ブレーキランプの赤い光が連なり、車内に沈黙が訪れた。いくら旧知の仲とはいえ、先生と二人きりは少し気まずい。

 

「……ゆいなちゃん。学園生活、楽しい?」

 

 前の車のテールランプを眺めながら、つばめ姉がぽつりと呟いた。

 

 正直、答えに詰まる。私が学園に通っているのは学業のためであり、謳歌するためではない。

 

「…正直、わかりません。影が薄いせいで交友関係も広くないですし。でも、勉強はできているので満足です。…そんな私を、気にかけてくれる先輩には、感謝してますけど」

 

「そうだね。あの子、君と再会したときは本当に嬉しそうだったから。…もちろん、私も嬉しかったんだぞ?」

 

 先生が私の肩を人差し指でつんと突く。一匹狼を自称していた私だが、この母娘が知らず知らずのうちに心の支えになっていた事実は、認めざるを得ない。

 

「あと…ご家族は元気?」

 

「はい。変わりなく」

 

「…なら、よかった。そろそろ三者面談が始まるから、保護者の方にも伝えておいてね」

 

 つばめ姉は、私の家庭事情をいつも気にかけてくれる。昔からの付き合いがあるからこその、深い配慮なのだろう。

 

…三者面談、もし担当が彼女以外だったら、私の家庭環境では二者面談になってしまいかねない。それまでに、しっかり伝えなければ。

 

 駅前のスーパーで、私たちは手当たり次第に商品をカゴへ放り込んだ。

 

「つばめ姉、こんな感じでいいですか?」

 

 カゴの中には、個包装のクッキーやスナック菓子、パックジュースのダース、大人数で分けるのに最適なラインナップだ。

 

「うん、バッチリ。ありがとう。…あ、もう一箇所だけ寄ってもいいかな?」

 

 先生は小走りでレジの列を抜け、奥の方へ消えていった。数分後、戻ってきた彼女の手には、新聞紙に包まれた細長い物体があった。

 

「なんですか、それ」

 

「これ? …花だよ。君のお母さんに、贈るためのね」

 

 包みの隙間から見えたのは、鮮やかなアヤメの花。季節外れのそれは、精巧に作られた造花だった。

 

「私の母に…?」

 

「そう。昔、すごくお世話になったから。…そろそろ、でしょう?」

 

 “そろそろ”という言葉に、私は勘づいた。


 本物よりも軽い、けれど重みのあるプラスチックの花。私はそれを、アイテム欄でいう"大切なもの"の項目にそっと仕舞い込んだ。

 

「…わかりました。必ず、届けておきます」

 

「うん。よろしくね、ゆいなちゃん」

 

会計を済ませ、車に乗り込む頃には、空には月が昇っていた。

 

 生徒会棟の廊下を歩くつばめ姉は、先ほどまでとは別人のように背筋が伸びていた。

 

 周囲の目が厳しいこの場所では、彼女は完璧な犀川先生でなければならない。

 

 一方で、大量の菓子袋を引きずる私は、今にも足腰が砕けそうだった。

 

 先生が会議室の観音扉を勢いよく開け放つ。溢れ出した光の中に、資料を前に唸る役員たちの姿があった。


 ピリついた空気。一斉に向けられる視線。だが、私の持つ袋の中身を見た瞬間、それらは歓喜へと変わった。

 

「皆さん、差し入れですよ!」

 

「よっしゃあ! 糖分だ!」

 

 緊迫感から解放された役員たちが、ハイエナのように私の袋に群がる。

 

「お母さん、ありがとうございます」

 

「こら、学校では先生と呼びなさい」

 

 聞き馴染みのある声に振り返ると、そこには眼鏡を外し、凛々しい表情で資料を抱えたあやみ先輩がいた。

 

 その美しさに目を奪われていた、その時。耳に栓をしたくなるような、キザで不快な声が部屋に響き渡った。

 

「おやおや、犀川先生。わざわざ差し入れを持ってきてくださるとは、ありがとうございます」

 

 香水の匂いを振り撒きながら、日本人離れした白髪をなびかせて現れたのは…

 

「げっ…白崎先輩…」

 

 彼の名は白崎(しろさき)ヒカリ。高等部生徒会長にして、ついたあだ名は白馬のプリンスだ。

 

 校則改正や施設建設を次々と成し遂げるエリートだが、私にとっては生理的に受け付けない男の筆頭である。

 

「皆さん頑張っていますから。白崎くんも、うちの娘を支えてくれてありがとう」

 

「いやいや、当然ですよ。あやみさんは僕の大切な幼馴染で、腹を割って話せる唯一無二のパートナーですからね」

 

 そう言って、彼はあやみ先輩の肩に、当然のように腕を回した。

 

 先輩の神聖な肩に、女性慣れした男の腕が触れるなど、法が許しても私が許さない。だが、周囲の役員たちは「美男美女でお似合いだ」などと能天気に囃し立てている。

 

「じゃあ、私はこれで失礼します……」

 

 酸素が薄い、一刻も早くこの場を立ち去ろうとした時、私の腕が、ガシッと掴まれた。女性の細い指ではなく、少し角張った、男の手である。

 

「おっと! どこへ行こうというんだい、甘野さん」

 

 発光しているかのような白い歯を見せ、白崎先輩が私の退路を断った。

 

「い、いえ…私は部外者ですし、邪魔になるので…」

 

「何をおっしゃる! 生徒会は全生徒を歓迎するよ。君も座って、僕たちの思い出話に花を咲かせようじゃないか!」

 

 拒絶のオーラを全身から発しているというのに、彼はそれを無視して、あろうことか私の膝裏に手を差し入れた。

 

「ちょっ、ちょっと!? 先輩、何して…」

 

 視界が浮き上がる。なんとこの馬鹿は、公衆の面前で私をお姫様抱っこしやがったのだ。

 

 綿あめでも扱うように軽々と持ち上げられた私は、羞恥のあまり顔を覆う。

 

「何、あの一年生…会長のお気に入り?」

 

「地味な子だけど、何者?」

 

 普段、影の薄さには自信がある私だが、白崎ヒカリという強烈な光源に照らされては、嫌でも浮き彫りになってしまう。

 

「さぁ座ろう! 君という逸材を、皆に紹介しなくては!」

 

「助けて先生! 先輩!」

 

 背後の犀川親子にSOSを送るが、二人は困ったように苦笑するだけだった。

 

「ごめんなさい甘野さん。こうなった彼は、もう誰にも止められないの…」

 

 あやみ先輩の諦めの言葉に、私は絶望した。上座の隣という、針のむしろのような席に降ろされると、生徒会役員たちの冷ややかな視線が突き刺さる。

 

 私の平穏な日常が、音を立てて崩れていく。私はただ、意識が遠のいていくのを、静かに待つことしかできなかった。

作者の『月雲とすず』です!

ここまで読んでいただき、誠にありがとうございました!

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次回も、お楽しみください!


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