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第五五話 殺害未遂

 雲に覆われ、朝日さえも拒絶されたどんよりとした曇天。湿り気を帯びた通学路を、私は車椅子を押して進んでいた。座っているのは、まだ眠気の檻から逃れられないあやみ先輩だ。


 学園の正門が見えてくると、そこには姫山先輩の姿があった。気まずさに耐えかねるように、手持ち無沙汰に指先を絡ませ手遊びに興じている。


 私は彼女と目を合わせぬよう深く俯きながら歩み寄って、拒絶を示すようにぶっきらぼうな動作で車椅子のグリップを彼女へと押しつけた。


「…では、今日もお願いします。姫山先輩」


「…えぇ、わかったわ」


 彼女の声はどこか硬く、譲られたハンドルを掴む際に姫山先輩は腕を何度も不自然に伸ばし、ようやく自分の居場所を確かめるようにそれを握った。一度も視線が交わらない私たちの様子に、あやみ先輩が怪訝そうに眉間にシワを寄せて首を傾げる。


「…なんか今日の二人、仲悪そうじゃない?」


 見透かすような疑いの視線に私達は、事前に打ち合わせでもしていたかのように過剰なまでの勢いで首を横に振った。


「べ、別にそんなことないですよ!」


「そうよ、適当なことを言わないでちょうだい!」


 重なった否定の声にあやみ先輩は納得がいかない様子で、舌を転がすように頬を膨らませて頷いた。


「ふ~ん。ならいいけど」


 重苦しい沈黙が降りる前に会話を切り上げ、私達はそれぞれの昇降口へと別れた。靴を履き替えている間も私の心臓は不吉な予感に泡立つように、ざわざわと波立ち続けていた。


 移動教室の廊下、私は松島と沢柳と肩を並べて歩いていた。教材を抱えて他愛のない談笑に興じている最中、不意に松島が窓の外を指さす。


「あ、見てよ甘野さん。姫山先輩が犀川先輩の車椅子を押してるよ!」


 視線の先、自販機が並ぶ中庭にはひときわ目を引く二人の姿があった。周囲の視線を一身に集めながら車椅子を押す姫山先輩を見つけた瞬間、胸の奥に泥のような不快感が広がる。私はその感情を押し殺し、松島の興奮をなだめるように言った。


「うん、見ればわかるけど…」


 すると今度は、沢柳が憧れに満ちた瞳で彼女たちを見つめて溜息を漏らす。


「あの二人って、本当に仲良しだよね。幼馴染みだし、やっぱり深い絆で繋がってるんだろうな」


 弾むようなその声に、私はどうしても賛同できなかった。


 あやみ先輩と姫山先輩・・・寄り添う二人の間には、目には見えない底知れぬ深淵が横たわっているように思えて仕方がなかったのだ。


 放課後のチャイムが鳴ると同時、私は待ち合わせ場所の正門へと急いだ。下校する生徒たちの波に逆らうように立ち止まり、周囲を見渡す。


「お待たせしました…って、あれ?」


 いない・・・どこを探しても、二人の姿が見当たらないのだ。会釈して通り過ぎる生徒たちに形式的な挨拶を返しながら待ち続けたが、時計の針だけが非情に進んでいく。斜陽が私の影を長く引き伸ばし、不安が苛立ちへと変わって貧乏揺すりとなって現れ始めた。


「…どこに行ったの、あの二人」


 私は踵を返し、学園内を走り出した。三年生の教室、体育館の陰、昼間の中庭、更衣室・・・どこを覗いても、彼女達の気配どころか人影のかけらさえ見つからない。


「はぁ、はぁ…本当に、どこにもいない…!」


 窓から見える太陽が、地平線の向こうへと沈みかけていた。焦燥感に突き動かされ、私は最終手段に出ることを決意する。職員室へと向かい、荒い呼吸を整える間もなく扉を叩いて勢いよく開け放った。


「失礼します!犀川先生はいらっしゃいますか!?」


 コーヒーの残り香が漂う室内で、残っていた数人の教師が血相を変えた私の姿に目を丸くし、一斉に同じ方向を指さした。そこには、うずたかく積まれた書類の山に埋もれるようにしてペンを走らせる犀川先生の姿があった。


 仕事にのめり込む彼女を疎ましく思いながらも、私は先生の机へと歩み寄る。


「犀川先生、少し尋ねたいことがあるのですが…」


 必死さを滲ませた私の声も、彼女の耳には届かないようだった。血走った眼で、何かに取り憑かれたように書類を捲り続ける先生の異様な没頭ぶりに、私は背筋が凍るような恐怖すら覚えた。


「…先生?」


 何度呼んでも、彼女の視線は机上の紙束に縫い付けられたまま動かない。その無反応さに、私の理性が限界を迎えた。緊迫した空気の中、私は喉が裂けんばかりに叫ぶ。


「…先生!!」


「うわぁッ!?…か、甘野さん…」


 怒号を浴びた先生が、ようやく私の存在に気づいたように狼狽える。その拍子に書類の山が雪崩を起こしたが、彼女はそれを拾い集めながら力なく微笑んだ。


「な、なにかな…?」


 この状況で何を呆けているのか・・・溜息を吐き出すのを堪え、私は腕を組んで彼女を問い詰めた。


「あやみ先輩と姫山先輩が、どこにもいないんです。先生、どこにいるか心当たりはありませんか?」


 母親であり教員である彼女なら、把握しているはずだ。だが彼女は私の言葉を咀嚼するように唇を歪めた後、弱々しく首を横に振った。


「あやみと、姫山さん…?申し訳ないけど、私は見てないわ…ごめんなさい」


「ちっ、使えね…」


 仕事には精を出すくせに、自分の娘の居場所すら知らないとは・・・思わず舌打ちが漏れた。その時に背後から別の教員が、噂好きの顔をして首を突っ込んできた。


「あら、犀川さんと姫山さんに用事?」


 知らない教師だったが、藁にも縋る思いで私は聞き返す。


「はい。彼女達がどこにいるか、ご存知なんですか?」


「下校時間に正門に立っていたんだけど、姫山さんが犀川さんの車椅子を押して校門を出ていったわよ。なんだか楽しそうに、どこかへ遊びに行くような雰囲気だったけど」


 その証言を聞いた瞬間、脳裏に最悪の予想がよぎった。待ち合わせを無視して向かった先では、あやみ先輩の安全が脅かされる事態が起きているのではないか。


「あ、ありがとうございます!失礼します!」


 私は短く頭を下げ、職員室を飛び出した。昇降口で靴を乱暴に履き替え、そのまま正門を抜けて中心街へと全速力で駆ける。


 どうにかして二人を突き止めなければならない・・・本能的な警鐘が、頭の中で鳴り響いていた。


 まずは姫山先輩がアルバイトをしていたメイドカフェへ向かうが、メイドたちは揃って首を横に振る。


「どこ…どこに行ったの…姫山先輩!」


 スイーツバイキング、カラオケ、犀川家、そして記憶を頼りに辿り着いた姫山家の豪邸にも彼女達の気配はない。太陽が完全に姿を消して月が冷たく光り始める頃、私は電柱に手を突き、破裂しそうな肺を抱えて立ち尽くした。


「はぁ、はぁ…ここにも、いないか…」


 車椅子での移動なら、行ける場所は限られるはずだ。額から流れる生ぬるい汗を拭いながら、必死に関係場所を洗い出している時に脳の奥底から一つの記憶が浮上した。


「いや…まだ、あそこが…!」


 つい先日にあやみ先輩と訪れたあの場所・・・私は縋るような思いで、桜並木へと足を踏み入れた。


 アスファルトには、散り際を迎えた桜の花びらが積もっている。その白く霞んだ道に、不自然な轍が描かれていた。車でも自転車でもない、車椅子の跡だった。


 私はその跡を追い、夜の広場に向かって声を張り上げた。


「はぁ、はぁ…あやみ先輩!姫山先輩!いますか!?」


 返ってくるのは虚しい山彦だけだったが、心が折れる寸前で丘の下で金属質の輝きが月光を跳ね返した。


「あれは…あやみ先輩の車椅子!?」


 以前と同じように、車椅子だけが主を失った骸のように放置されている。嫌な予感が確信に変わった瞬間、夜の静寂を切り裂くような悲鳴が響き渡った。


「きゃぁあああ…!?」


「…あやみ先輩!」


 声は丘の頂上からで、私は迷わず獣のように四つん這いになりながら急勾配の斜面を駆け上がった。


「あやみ先輩っ…!」


 頂上に辿り着いた瞬間、視界に飛び込んできた光景に私は息を呑んだ。


 鼻腔を突き刺すような鉄錆の匂い、潮風のような生臭さ・・・胃の底からせり上がる嘔吐感を、必死で飲み込む。


「ゆ、ゆいなぁ…」


 桜の巨木の下であやみ先輩が、涙で顔をぐしゃぐしゃに腫らして膝から崩れ落ちていた。その瞳には、この世のものとは思えない絶望が棲みついている。だがそれ以上に異常なのは、その隣だった。


「…うぅ…甘野、さん」


 芝生の上で、白崎先輩が呻き声を上げて横たわっている。彼の腹部からは、どす黒い深紅の泉が湧き出て止まらない。それを抑えるように、あるいはさらに抉り込むように、姫山先輩が彼の腹部に両手を押し当てていた。


「…は?なんで、姫山先輩が・・・白崎先輩を…」


 理解を拒む脳に、追い打ちをかけるような光景だった。姫山先輩が握りしめていたのは、包丁の柄だったのだ。鋭利な刃が、白崎先輩の体を確実に、深く貫いている。


「い、いやぁああああああ!」


 私は、反射的に絶叫していた。桜の花をすべて振り落とすほどの嘆きが響く中、姫山先輩は返り血を浴びた顔で一心不乱に首を振り続ける。


「ち、違うのッ!わざとじゃなくて、私は、ヒカリを殺そうとなんかッ!」


 血を吐き出す男の上に跨って支離滅裂な否定を繰り返す彼女を、私は蛆虫を見るような冷徹な眼差しで射抜いた。足元で震えるあやみ先輩が、凍えるように唇を戦慄かせて口を開く。

「ちぐさが、ヒカリを刺して…それで、それでぇ…」


 私は震えるあやみ先輩の肩を抱き寄せ、姫山先輩を睨みつけた。そこにはかつての尊敬など、微塵も残っていない。


「なんてことを…!フっても距離感が近いからって、殺す必要なんてなかったでしょう!?」


「だから、違うのッ!私は、ヒカリを殺したくなんてなかった!」


 泣き叫ぶ彼女の言葉など、もはや届かない。私の脳裏には、一つの残酷な推測が組み上がっていた。


「…あやみ先輩を、殺そうとしたの…?」


 車椅子を下に捨てて足の不自由な先輩をここまで連れてきたのは、逃げ場のないこの場所で始末するつもりだったのではないか。それを止めに入った白崎先輩が、逆上した彼女に刺されたとすれば辻褄が合う。


「ち、ちがッ…違う!違う、違うの!」


「うるさいッ!!」


 縋るような声を、私は全身全霊で一喝する。血に汚れたまま、あやみ先輩を傷つけようとしたこの女を私は心の底から拒絶した。


「もう…あやみ先輩にも私にも関わらないで…この、人殺し!」


「…あ、甘野さん…」


 絶望に染まった姫山先輩だが、この惨劇の中で彼女の手を取る者は誰もいない。


 桜の芝生に血の河が広がっていく中、丘の下から荒い息遣いが近づいてきた。振り返った私は、その人物に絶句する。


 現れたのは、まさかの犀川先生だった。


「あやみ!大丈夫!?って…きゃぁああああ!」


 額に汗を浮かべて駆けつけた彼女は、その場に尻餅をついた。白崎先輩に跨る姫山先輩と、鮮血の海という異常事態に、彼女は開いた口を塞ぐことすらできない。


「姫山さんと、白崎くん…なんで…」


「先生…違うんです、信じてください!私は!」


 姫山先輩が慌てて包丁から手を離した、その瞬間だった。


 夜の静寂を切り裂くサイレンと、木々の間を踊る赤い光が視界を横切る。パトカーが、桜の幹を縫うようにして近づいてきたのだ。


「…警察?なんで、なんでッ!」


「あなたたちを捜索するために、私が呼んだのよ…でも、呼んでおいて正解だったかもしれないわね」


 犀川先生が、震える手でスマホを掲げながら呟く。続々と駆け上がる足音に耳を傾けていると、数人の警官が息を切らして現れて状況を一瞬で把握して叫んだ。


「おいッ!そこの君!今すぐ凶器を捨てて、離れなさい!」


「違う…違うッ!私は、私はぁ…!」


 泣き崩れる姫山先輩が、警官たちに包囲され、力任せに白崎先輩から引き剥がされる。失神した白崎先輩に、犀川先生が震える声で救急車の手配を急ぐ。


 満開の桜の下で繰り広げられる、血塗られた地獄にあやみ先輩は、ずっと私の腕の中でガタガタと震えていた。


「ゆいな…怖いよ…」


 涙が止まらない彼女を、私は壊れ物を扱うように抱きしめた。その冷え切った体温を自分の熱で溶かすように、耳元で囁く。


「大丈夫です、先輩…あなたのことは、私が守りますから」


 出血多量で横たわる男と返り血の中で連行される女、狼狽する母、そして震える被害者・・・


 満開の桜が舞い散る中、私はこれが二度と目覚めることのない最悪の悪夢であることを確信していた。

作者の『月雲とすず』です!

ここまで読んでいただき、誠にありがとうございました!

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次回も、お楽しみください!

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