第五四話 花見デート
桜前線が蜂ヶ海市を通り過ぎようとしていた春の週末。遅めの朝食を囲んでいると目の前のあやみ先輩が、宝石でも見つけたかのように目を輝かせて口を開いた。
「ねえ、ゆいな。私のわがまま、聞いてほしいんだけどさ」
普段は控えめな彼女が口にした唐突なおねだりに、私は茶碗に残った最後の一口を緑茶で流し込んで耳を傾ける。
「なんですか、あやみ先輩…誕生日ケーキはもう無くなりましたよ?」
「違うよ!それも残念だけど!」
冷蔵庫に保管していたホールの誕生日ケーキは、昨夜のデザートとして私達が食べきってしまったばかりだ。一瞬だけ残念そうに肩を落とした先輩だったが、すぐに表情を切り替えて上目遣いで私を見つめてくる。
唇からこぼれた提案は、私の想定をはるかに飛び越えるものだった。
「今日さ、私とデートしようよ!」
「…は?」
一拍遅れて、私の心臓が小さく跳ねた。
食後に大急ぎで気合を入れたつもりの外出着に着替え、階段を駆け下りる。玄関先では、先に着替えを済ませていた先輩が車椅子の上でそわそわと待機していた。
今日の彼女は、その愛らしさを全力で肯定するようなフリルのブラウスを纏っている。私はその背後に回り、ハンドルの感触を確かめると春の光の中へと玄関の扉を押し開けた。
「久しぶりの外出だぁ!ゆいなとのお出かけ、楽しみ!」
「もう、あんまりはしゃがないでくださいよ。車椅子が揺れますから」
たどり着いた中心街の目抜き通りは、休日を楽しむ人々でごった返していた。
想いを寄せるあやみ先輩とのデートに漕ぎ着けたのはいいが、プランは白紙・・・行き当たりばったりのぶらり旅だ。車椅子での移動には制約も多いので、私の胸中は期待と不安が五分五分の割合でせめぎ合っていた。
「それで、どこに行きたいんですか?さすがに市外までは遠征できませんよ?」
「実はね、行き先は決めてないんだ。だからさ、こうしようよ」
人混みを縫って進む中、先輩がいたずらっぽく人差し指を立てる。彼女は蜂ヶ海市の街並みをなぞるように、空に大きな円を描いて微笑んだ。
「私とゆいなの思い出の場所、色々行ってみない?」
その一言で、私達の聖地巡礼が始まったのだ。
まず訪れたのは、以前二人きりで入ったビグバーガーである。車椅子では二階のテラス席には上がれないけれど、一階の陽だまりにあるテーブル席を陣取る。注文したのは、あの時と同じバーガーだった。
「んん〜っ、美味しい~!」
「…そうですね」
ソースで口元を汚した先輩に、私は自然な動作で紙ナプキンを差し出す。いや、差し出すだけでは飽き足らず、そのまま彼女の唇をそっと拭った。
かつての私なら、指先が触れるだけで顔から火が出るほど照れたはずだ。けれど、今この至近距離のスキンシップは、私の日常として静かに馴染んでしまっていた。
次に足を運んだのは、休日に私達が遭遇したことのある大型書店だった。本棚が作る迷路を車椅子をぶつけないよう慎重に進んでいくと、雑誌コーナーの片隅で新刊のファッション誌がうず高く積まれていた。
「あ、これ新刊出てたんだね。知らなかったなぁ」
「買っていきますか?」
棚の頂上から一冊手に取って尋ねると、彼女は子供のような満面の笑みで頷く。
「うん。ゆいなと一緒に読みたい!」
会計を済ませると、あやみ先輩はその一冊を宝物のように胸に抱きしめた。そんな彼女の横顔を微笑ましく思いながら、私たちは次の目的地へ向かう。
「ほら、もっと右!ああっ、行き過ぎだよ!」
「も、もう…難しいですって、これ!」
球技大会の翌日に寄ったゲームセンターでは、あの時と同じようにクレーンゲームの筐体と格闘した。しかし、結果もあの時と同じで獲得したのは小さな駄菓子ひとつだった。先輩は笑いながら、それを私のポケットに押し込む。
それから、少し足を伸ばして一軒の店へ向かう。けれど、看板を見上げた私は足を止めた。
「…なんで、レンタルビデオ屋さん?」
「ごめんなさい、私の記憶違いでした」
中古ショップを兼ねたレンタルビデオショップに訪れた私達だが、先輩が首を傾げる。私がここで遭遇したのは白崎先輩だったので、記憶違いですぐさま退店した。
「お帰りなさいませ、お嬢様方!」
次に訪れたのは、かつて姫山先輩がアルバイトをしていたメイドカフェだ。活気ある挨拶に迎えられたものの、あやみ先輩は心細そうに周囲を見渡す。
「ちぐさ…今日はシフトじゃないのかな?」
「…姫山先輩、ここ辞めたらしいですよ」
辞める相談すら受けていなかったとは・・・姫山先輩の身勝手さに私は心の中で溜息をつく。
「…そっか。ちょっと、寂しいね」
少しだけ小さくなった先輩の背中を見つめながら店を出ると、太陽はすでに南の空高くに昇っていた。
半日歩き詰めた私の足には、じんわりと疲労が蓄積し始めている。
「いや〜、いっぱい歩いちゃったね。大丈夫、ゆいな?疲れてない?」
「…そうですね。正直、ちょっと休憩したいかもしれません」
限界を察してくれた先輩の気遣いに、私は甘えることにした。すると彼女は、車椅子の背もたれに体重を預けて前方の道を指し示す。
「じゃあさ、とっておきの場所があるんだ…私が案内するよ」
先輩のナビゲートに従って進むと、視界が開けた壮大な桜並木が姿を現した。
広場では家族連れがレジャーシートを広げ、風に乗って舞い落ちる花弁が子供達の頭をピンク色に彩っている。
「わぁ…綺麗。まだ、こんなに残ってたんですね」
「でしょう?ここね、この街で一番の桜の名所なんだよ」
えっへん、と誇らしげに胸を張る先輩の誇らしげな頭を、私は労うように優しく撫でた。もうすぐ去りゆく春の、最後の輝きを網膜に焼き付けるように。
並木道を進んでいくと、花見客との距離がぐっと近くなる。街灯の下に置かれたベンチを見つけ、私はようやく腰を下ろした。
「人が、いっぱいですね…」
喧騒に気圧されて思わず溜息を漏らす私にあやみ先輩は、並木道のさらにその先、小高い場所を指さした。
「休日だもんね…ねえ、ゆいな。この公園で、一番綺麗な桜が見える場所に行こうか」
誘われるままに車椅子を押していくと、目の前に現れたのは急勾配の巨大な丘だった。見上げるほどの高さにある頂上には、一本の巨木が鎮座している。
「あの上だよ」
「…ええっ!?この坂、急すぎませんか?車椅子で登るには、さすがに無理がありますよ…!」
スロープとは名ばかりの、挑む者を拒むような角度だった。一歩踏み出した瞬間に後ろへひっくり返ってしまいそうな威圧感に、私は戦慄する。
先輩は顎に手を当てて唸ると、覚悟を決めたような瞳で私を振り返った。
「そうだ…ねえ、ゆいな。お姫様抱っこしてよ」
「は、はぁぁ!?そ、そんなの無茶ですって!」
私の華奢な身体で、先輩を抱えてこの急斜面を登るなんて、正気の沙汰ではない。けれど彼女は、信頼の眼差しで私を突き刺し続ける。
その真っ直ぐな瞳に、観念した私は車椅子から彼女を抱き上げた。
膝裏と背中に腕を通し、ぐっと力を込める。私の身体が悲鳴に近い音を立て始めたが、腕の中に収まった先輩は怖がるどころかずっと楽しげな表情を浮かべていた。
「はぁ…っ、はぁ…もうすぐ、ですよ…っ」
「あはは、もう。私って軽いんじゃなかったっけ〜?」
いつか強がりで口にした私の言葉を楽しそうに復唱する彼女に、少しだけ悔しさがこみ上げる。けれど怒る体力すら残っていない私は、彼女の柔らかな体温を支えに一歩、また一歩と坂を駆け上がった。
限界をとうに超えた先で、ようやく辿り着いた頂上・・・私は筋肉痛の予感に悶えながら、その場に膝をついた。けれど先に芝生へ腰を下ろしたあやみ先輩の感嘆の声が、私の顔を上げさせる。
「うっわぁ…!綺麗…っ!」
視線を上げれば、そこには満開の桜が空を覆い尽くさんばかりに枝を広げていた。
丘の下にポツンと残された車椅子、それを置いてきたからこそ私は彼女に肩を貸し、桜の麓まで歩み寄る。その間に靴の裏が、無数の花びらを噛み締めた。
太い幹に背を預けると、眼下には蜂ヶ海市の全景が広がっていた。通い慣れた蜂ヶ海学園、電車が滑り込む駅、さっきまでいた中心街のビル群…すべてを包み込むようなパノラマに、私は言葉を失う。
「すごい…街が、あんなに小さく見えるなんて…」
横を見ると、私と同じように息を呑むあやみ先輩の、息を呑むほど美しい横顔があった。彼女は風景から私へと視線を移し、今日一番の笑顔を咲かせる。
「ありがとう、ゆいな。私をここまで、連れてきてくれて」
「…いいえ。私も、嬉しいです。先輩とここに来られて」
どちらからともなく、私達は桜の幹を背にして寄り添って腰を下ろした。吹き抜ける風が、無数の花吹雪を街へと運んでいく。
遠ざかる春の足音を背中で感じながら、私達は触れ合う肩の熱を確かめ合うように、いつまでも街を見下ろしていた。
作者の『月雲とすず』です!
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