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第四十話 すとーかー

 日光が淡く温める階段で俯く私に、犀川先輩が覗き込むようにして心配そうに問いかけてきた。


「ゆいな…大丈夫?具合でも悪い?」


「いえ、そういうわけではないんですけど…」


 先輩の手元にあるお弁当箱はすでに空になっているのに対して、私のお弁当は半分も喉を通っていない。せっかくの先輩とのランチタイムなのに、傍から見ても明らかに様子がおかしいのは自分でも分かっていた。


 箸を止めて動けない私の背中を、先輩がそっと撫でてくれる。その手のひらの温かさに、鼻の奥がツンとした。いつもは眩しいほど美麗な彼女の表情も、今は私を案じてか心なしか曇って見える。


「何かあったら、私に相談してね」


 私なんかのために、親身になってくれる申し訳なさが胸を突く。けれど、このまま一人で抱えればいつか恐怖に押し潰されてしまう。私は意を決して、すべてを白状することにした。

「…実は、最近になって…誰かにつきまとわれている感じがするんです」


 それは、主に下校中に感じる異変だった。ひとりで道を歩いていると、姿は捉えられないが確実に誰かに尾行されている・・・そんな粘りつくような気配に襲われるのだ。


「…ストーカー、ってこと?」


「はい…」


 先輩は眉をひそめ険しい表情を浮かべたが、それでも背中を撫でる手だけは止めない。その手の動きに安らぎを覚えながらも、心の中のざわめきは消えなかった。


 一人で歩いているときに不意に近づいてくる足音以外にも、耳元をかすめる荒い呼吸のような音や、住宅街の犬が私の背後に向かって激しく吠え立てることさえある。


「最近、人気だもんね。ゆいな」


 この災難が私の影が薄くなくなったことへの弊害だとしたら、私はとんでもない余計なものを呼び寄せてしまったのかもしれない。こんな貧相な身体を狙う物好きに襲われたら、私は二度と立ち直れないだろう。


 ふと、目の前の完璧な美少女に視線を向けた。私より何百倍も目を引く彼女は、どうなのだろう。


「…犀川先輩は、そういう被害とか受けないんですか?」


「私は無いかな。登下校は車が多いし、夜道を歩くときは近づくなオーラを出してるし!」


 前提として、彼女が車移動中心であることを失念していた。いくら執念深いストーカーでも、走る車を追うのは困難だろう。後半の精神論は、残念ながら私には真似できそうにないので無視することにした。


「どんなときに多いの? やっぱり、下校中?」


「そうですね…姿は見えないんですけど、気配がずっと追ってくる感じで…」


 時刻は夕暮れから夜にかけてが多く、闇が深くなる時間帯であるため質が悪い。振り返っても犯人は、いつも影に紛れてしまうのだ。私のような魅力の「み」の字もない女を追いかけ回して何が楽しいのか、理解に苦しむ。


「それは確定だね…一緒に帰ってあげたいけど、今日は生徒会の仕事があるんだ。ちぐさはバイトだし…」


 心底申し訳なさそうにする先輩の顔を見て、私は無理に口角を上げた。私の問題で、これ以上彼女の手を煩わせたくはなかった。


「大丈夫です。お気遣いありがとうございます…今日は、暗くなる前に帰りますね」


「うん、気をつけてね!」


 別れた後、いつもと変わらぬ放課後が訪れた。今日は部活がないため、私は昇降口へ急ぎ足早に校門を出た。一斉に下校する学生たちの波に混じって歩くけれど、家路を急ぐうちに波は引き、気づけば私は一人きりになっていた。


 誰かを呼ぶ勇気も出ず、私が逃げるように住宅街を駆け抜けようとした時だった。


「っ、また…」


 背後で、落ち葉を踏みしめるようなくしゃり、という音が響く。反射的に振り返るが、やはり人影はない。気のせいであることを祈りながら、私は普段の通学路とは違う角を曲がった。


「今日は、違う道で行こう…」

 

 家を知られているのなら、せめて追跡を振り切らなければならない。迷路のような路地を、遠回りして自宅を目指した。


 見慣れない電柱、古びたポスト、草の生い茂る空き地・・・知らない景色を必死に横切る。しかし、背後の気配は一向に消えなかった。


 靴底がコンクリートを叩く音、重く湿った息づかい、野良猫の威嚇する声が、じりじりと距離を詰めてくる。頭上でカラスが不吉に鳴くたび、私の心拍数は跳ね上がった。気づけば足は棒と化しており、走る気力さえ削がれていく。


 無慈悲にも気配は止まないため、追い詰められた先で私は絶望した。


「ここ、どこ…?」


 知らない場所へ迷い込んで心が折れそうになったその瞬間、頬に冷たい雫が落ちた。


「あ、雨…」


 空を見上げると、無数の水滴が私を目指して降り注いできた。泣きっ面に蜂・・・タイミングの悪い雨に舌打ちをするが、背後の足音は雨音に紛れるように激しさを増していく。戦慄が走り、本能のままに動かない足を踏み出した。


「はっ、はっ…なんで…っ」


 なぜ私を狙うのか・・・執着の理由がわからない恐怖が、生理的な嫌悪感とともに喉をせり上がってくる。雨は強まり、鼻を突くペトリコールの匂いが辺りを支配し始めた。濡れた髪と制服が肌にまとわりつき、気持ち悪い。


 どれだけ逃げても、拒絶しても、死神のような気配はすぐ後ろにいた。体力の限界を迎えた私は、目の前に現れた寂れた団地の一棟に飛び込んだ。点滅する電灯の下を抜け、階段の踊り場で濡れた身体を震わせる。その時、腹に響くような雷鳴が轟いた。


 季節外れの雷に身を縮めていると、遠くから水を蹴る足音が聞こえてきた。私が隠れた、この建物の前で足音が止まる。


「ひぃっ…!」


 暴力的な雨音が鼓膜を叩く中、コンクリートを伝って響く明確な振動が伝わる。追跡者が、建物に足を踏み入れたのだ。


「だ、誰か…助けて…」


 ぽたり、ぽたりと水滴を落としながら、足音は確実に階段を上ってくる。逃げ場のない最上階の隅でうずくまる、私の命を刈り取ろうとするかのように、一歩ずつだ。


 息を殺そうとしても、肺が狂ったように酸素を求めて波打つ。吐息が白く、機関車のように漏れ出していった。


 足音が目と鼻の先にまで届いた瞬間、私は目を閉じて声にならぬ声で叫んだ。


「さ、犀川先輩…っ!」


 恐怖に任せて叫んだその名前が反響すると同時、点滅していた電球がカッと明るくなった。そして、目の前に佇む人影の姿を照らし出す。


「ゆ、いな…?」


 震える声で私の名を呼んだのは・・・私と同じように髪を濡らし、制服を乱した犀川先輩だった。


「さ、さいかわせんぱい~っ!」


 不安と恐怖の糸が切れ、私は凍える身体のまま彼女に飛びついた。なぜここにいるのか、なぜ濡れているのか、そんな理屈はどうでもよかった。


「うわぁぁぁん!」


「大丈夫だよ、ゆいな……大丈夫」


 雨と涙でぐしゃぐしゃになった私を、先輩は優しく抱きしめてくれた。冷たかったけれど確かな彼女の体温に触れ、ようやく私は正気を取り戻していく。鼻水をすすりながら、私は尋ねた。


「なんで…先輩が、ここに…?」


「なんでって…帰ってたらゆいなの声が聞こえた気がして。このマンション、私の家の近くなんだよ」


 先輩が踊り場の外を指さした。震える足で立ち上がり確認すると、確かにそこには以前お邪魔した先輩の自宅が温かな灯りを漏らしながら鎮座していた。


 帰り道にわざわざ私の異変に気づいて、駆けつけてくれるなんて・・・先輩の優しさが、冷え切った心に染み渡る。先輩は私の背中をあやすように撫でると、少しだけ悪戯っぽく微笑んだ。


「こんなに濡れちゃって・・・私んちで、シャワー浴びよ?」


 促されるまま、私は犀川先輩の家へとたどり着いた。玄関を開け、私を招き入れる彼女の背中を見つめる。


「さぁ、上がって。お風呂沸かすからね」


「ありがとうございます……」


 水浸しのローファーを脱いで待っていると、先輩がタオルを投げ渡してくれた。顔に直撃したタオルで髪を拭いていると、浴室から彼女が顔を出した。


「沸いたよ、入っちゃって」


 私はリビングへ戻ろうとする先輩の腕を、冷えた指先で引き留めた。きょとんとする彼女を見つめて熱を帯び始めた頬を自覚しながら、ぎこちなく口を開く。


「一緒に・・・入ってください」


 恐怖で判断が鈍っているせいだと思うが、今は一秒でも彼女のそばを離れたくなかった。先輩は目を見開いたあと、優しく頷いた。


 その後のことは、あまり覚えていない。勉強合宿の時よりも会話は少なかったけれど、狭い湯船の中で私達は静かに肩を並べた。センチメンタルな感傷のせいで細かい記憶は曖昧だ。ただ隣にある先輩の体温だけが、世界で一番確かなものに感じられた。


 温まった身体で、先輩から借りた部屋着に身を包む。彼女は髪を乾かしながら、私に問いかけた。


「…今日ね、ママの仕事が終わらないから学園に泊まるんだって。よかったら、ゆいなも泊まっていく?」


「…はい」


 その提案に、私は迷いがなかった。簡易的な夕飯を済ませた後、以前にも使わせてもらった寝室へと案内される。重い瞼を擦りながらベッドに横たわると、先輩は聖母のような微笑みを浮かべて部屋の明かりを落とそうとした。


「じゃあ、おやすみ。ゆいな」


「はい…おやすみなさい、犀川先輩」


 廊下から手を振る先輩に、力を振り絞って手を振り返す。そのまま、底なしの睡魔が私を深い眠りへと引きずり込んでいった。


 ストーカーへの恐怖心は、もうどこにもない。心に残っていたのは、雨の中で私を見つけ出してくれた犀川先輩の温もりだけだった。

作者の『月雲とすず』です!

ここまで読んでいただき、誠にありがとうございました!

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次回も、お楽しみください!

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