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第三八話 ホワイトデー

 安さが売りの大手ディスカウントショップ、色とりどりのパッケージが並ぶお菓子コーナーで私は一人、眉間に深いしわを寄せて佇んでいた。


「う~ん…何をあげたらいいんだろ…」


 カレンダーの数字がホワイトデーを指し示し始めていた頃、私はバレンタインに唯一チョコをくれた相手である犀川先輩へのお返しを求めてここに来ていた。


 しかし彼女があの日、食べきれないほどのチョコを貰っていたことが問題だ。今さら無難な市販のチョコを贈る選択肢はなるべく避けたいのだ。


 グミ、マシュマロ、キャンディ・・・棚に並ぶお返しの定番を指でなぞるように吟味するが、どれも犀川先輩の笑顔には結びつかない。いっそ手作りケーキでもと思ったが、今の私たちの距離感でそれは重すぎやしないだろうか。


 延々とリピートされる陽気な店内BGMが、焦る私の耳には少しだけ煩わしく響く。そんな時、ふと隣で気配が止まった。


「やぁ、奇遇だね。甘野さん」


 軽やかでどこか芝居がかった声に、私は顔を上げるまでもなく名指しして応じる。


「…どうしました、白崎先輩」


 視線を向ければ案の定、白崎先輩が自信に満ちた笑みを浮かべていた。神出鬼没な彼との遭遇率が最近妙に上がっているせいで、今やその独特な口調だけで彼だと判別できるようになってしまっている。


「なんだい、不審者と遭遇したみたいな顔をして。僕のことが気に入らないのかい?」


 不服そうに前髪を掻き上げるそのナルシスティックな仕草に、私はわずかな胃の痛みを感じて目を逸らした。


「ええ、それはもう。幼馴染みの異性に、あんなビデオを見せつけるような人ですからね」


「あっははは!許しておくれよ。巻き込んだのは悪いと思っているさ」


 よくぞ言ったものだ・・・端正な顔立ちをしていながら、片思い中の幼馴染みに成人向けビデオを見せるなどという暴挙に出る男。その被害者である姫山先輩の心中を察すると、同情を禁じ得ない。


「それで、何をそんなに悩んでいたんだい?」


 性格の癖はともかく聞き上手ではある彼に、私は溜息混じりに打ち明けた。


「…バレンタインに、犀川先輩からチョコを貰ったんです。でも、お返しに何を渡せばいいのか分からなくて」


「…へぇ。贅沢な悩みじゃないか」


 白崎先輩はおかしそうに笑い飛ばしながら、ワゴンに山積みのチョコを一つ手に取って呟いた。


「彼女は学園の人気者だ。チョコを貰うことは星の数ほどあっても、自分からあげる相手は、ほんの一握りしか選ばないんだよ」


 学園のマドンナである彼女が、女子生徒たちに囲まれていた光景は記憶に新しい。けれど、彼女が自らチョコを贈ったのは姫山先輩と自分以外に誰かいたのだろうか。


「…白崎先輩は、貰わなかったんですか? 姫山先輩は貰っていたようですけど」


「僕のあの日のチョコの数、覚えてるかい? 追加であの山に積まれたら、さすがの僕も失神していただろうね」


 確かに、両手から溢れんばかりの貢物を抱えていた彼に、さらにチョコを渡すのはもはや暗殺に近い。ということは、彼女は白崎先輩には渡さなかったということか。


「だから、僕はファンたちへ配るお返しを探しに来たのさ。目的は同じだ、ここは協力しようじゃないか」


「…わかりましたよ」


 お返しの数には天と地ほどの差があるが、目的は一致している。私は仕方なく、白崎先輩の後に続いて売り場を巡ることにした。


 棚を観察しながら移動していると、白崎先輩がふと問いかけてきた。


「それよりも、美味しかったかい? 犀川さんから貰った、ホワイトチョコは」


「はい…って、ホワイトチョコ?」


「うん。彼女、それを渡したんだろう?」


 なぜ彼がバレンタインの中身を知っているのだろうか。そしてなぜ、それをホワイトだと言い切るのか。実際に私が貰ったのは、私の好みに合わせた苦味の強いビターチョコだったのに。


「い、いえ…私が貰ったのは、ビターチョコでしたけど」


 間違いを指摘すると、白崎先輩は意外そうに首を傾げて唸った。


「あれ、そうなのかい? 不思議だな…姫山さんからは、彼女が買い出しでワゴンセールのホワイトチョコしか買っていなかったと聞いていたのだが」


 初耳だった・・・姫山先輩の話なら信憑性は高い。本当に彼女はホワイトチョコしか買っていなかったのだろうか。思い返してみると、あの日に彼女が姫山先輩に渡していたのも確かにホワイトだった。


「別にチョコを用意していたなんて…君は彼女にとって、特別な存在なのだね」


 からかうように肩に置かれた手を、私は首を振って払い落とす。寂しそうな顔を作る彼を無視して歩を進めると、白崎先輩は唐突に一つの袋を棚から引き出した。


「それはそれとして…これとかどうだい? お返しには最適だよ」


「…キャンディ、ですか?」


 彼が掲げたのは、大袋のお徳用キャンディだった。色鮮やかな飴玉が詰まったそれを見て、彼は満足げに頷く。


「そう。安価で数も揃う。特別感を演出したいなら、自分で手を加えてべっこう飴に仕立て直すのもいい。少し、古風かな?」


 キャンディをホワイトデーに贈る意味は、長い友情だとネットで見た記憶がある。彼女との今の関係を大切にしたいという願いを込めるなら、悪くない選択肢かもしれない。


 何より、市販品にひと手間加えるというアイデアが私の心に刺さった。


「…いえ、ありがとうございます。参考にします」


 ホワイトデーの当日、私は早朝からキッチンに立っていた。

 

 お弁当を詰め終えた後、購入したキャンディを耐熱容器へ投入する。色が混ざり合うのを想像しながらレンジで熱すると、軽快な音と共に噎せ返るような甘い香りが台所に満ちた。


 加熱された飴を楊枝でそっとかき混ぜる。夜空に流れる天の川のように、鮮やかな色彩が溶け合っていく様子に不思議と心が落ち着いた。


 型に流し込み、冷蔵庫で冷やすこと数十分・・・再び扉を開けると、光を透かす宝石のような、色とりどりの飴玉たちが私を迎えてくれた。


「できた…特製、べっこう飴」


 それを丁寧にラッピングし、お弁当と一緒に包んで私は学園へと急いだ。


 昇降口に到着した私を待っていたのは、世にも奇妙な光景だった。屋内に、雨粒ならぬカラフルな飴玉が降り注いでいたのだ。


「ほらほら!みんな、受け取ってくれ!」


「白崎せんぱーい! 私にもください!」


 台の上で、白崎先輩がお徳用キャンディを周囲の女子生徒へ一心不乱に撒いていた。まるで池の鯉に餌をやるようなその光景に、私は呆然とする。


「…なにこれ」


「ほんと、迷惑よね」


 聞き覚えのある呆れ声に振り返ると、そこには眉を寄せて腕を組む姫山先輩がいた。


「うわっ、姫山先輩!?」


「あいつ、人気があるのをいいことに調子に乗って…あんな餌付けみたいな真似して、何がホワイトデーよ」


 幼馴染みの奇行を心底嫌そうに見つめる彼女に、私は恐る恐る尋ねた。


「…姫山先輩はお返し、しないんですか?先輩もたくさん貰ってましたよね」


「私はもう済ませたわ。うちの店長特製のマカロンをね」


「お、美味しそう・・・」


 アキレス腱を伸ばすストレッチをしながら、彼女は空になった紙袋を掲げた。彼女のフットワークなら、貰った相手全員に配り歩くのも造作もないことだろう。


 けれど、私のお目当てである人物の姿がどこにも見当たらない。


「あの、犀川先輩がどこにいるか、知りませんか?」


「あやみ?今頃あちこちでお返しを配って回ってるんじゃないかしら。私は見てないけど」


 やはりそうか、あの日あれほど大量のチョコを貰っていた彼女なら、朝から動かなければ一日では終わらない。


 私は忙しく校内を走り回っているであろう彼女の姿を想像し、昼休みにいつもの場所へ向かうことにした。


 昼休みの屋上へと続く階段・・・そこには、予想以上に疲れ果てた犀川先輩が、スライムのように床に寝そべっていた。


「ゆ、ゆいな~…疲れたよぉ…」


 太ももをさすり、涙目で私を見上げる先輩の横に腰を下ろす。彼女からは、微かに甘いお菓子の匂いと、汗に蒸れたような香ばしい匂いが漂ってきた。


「せ、先輩…朝からずっと、配ってたんですか?」


「うん…もうバレンタインなんて、こりごりだよ…」


 自身の人気を呪うように愚痴をこぼす先輩に、私は持ってきたお弁当を差し出した。彼女はそれを奪うように受け取ると、驚くほどの勢いで平らげてしまう。


 その爽快な食べっぷりに見惚れながら、私はずっと握りしめていた袋を差し出した。


「あ、あの…先輩。これ、ホワイトデーのお返しです。受け取ってください!」


「…ゆいな」

 

 先輩の瞳が、驚きで見開かれた。ラッピングを解き一粒の飴を取り出すと、彼女はそれを宝石でも愛でるように窓から差し込む光に透かした。


「うわぁ、かわいい。これ、ゆいなが作ったの?ありがとう!」


 パッと花が咲いたような笑顔に一拍おいて、彼女は迷わずその飴を口に放り込んだ。コロコロと舌の上で転がる音が静かな階段に響き、私はようやく安堵の笑みを浮かべる。


 幸せそうに飴を舐めていた先輩だったが、ふとその表情が曇った。


「…ごめん。私、ゆいなのお返しだけ、用意してないや」


「…え?」


 その瞬間、頭の中でパリンと何かが割れる音がした。忘れていたという事実は、私が贈ったクッキーの存在すら、彼女の中で消えていたということだろうか。


 あんなにたくさんの子にお返しを配っていたのに、私だけ・・・私の脳には悲哀の感情しか残らなかった。


「すっかり忘れてたよ…ごめんね?」


「ぜ、全然、大丈夫ですよ…私、気にしませんから」


 空になった弁当箱を握りしめると、俯いた視線の先で、埃っぽい階段の床が滲んでいく。舞い上がっていたのは自分だけだったのだ。


「ごめんって。そんなに落ち込まないでよ」


「別に、落ち込んでなんか…っ」


 鼻の奥がツンとして言葉が詰まると、情けなくて顔が上げられない。そんな私の肩を、先輩が指先でつん、と突いた。


「ほら、ゆいな。こっち向いて」


 言われるがままに涙を拭い、顔を上げた瞬間・・・視界が、先輩の整った顔で埋め尽くされた。


「ん…」


 息をする暇もなかった。柔らかな唇が重なり、熱い吐息が流れ込んでくる。

 

 驚愕で固まる私の口内へ、先輩の体温で温められた、甘く滑らかな異物が滑り込んできた。

「んっ…んむっ!?」


 それは、先ほど私が渡したはずのキャンディだった。飴玉の所有権が私に移ったのを確認するように、先輩の唇がゆっくりと離れていく。


 彼女はいたずらっぽく、小悪魔のような笑みを浮かべて囁いた。


「これで、お返しできたかな?」


「先輩…反則です」


 私は最初に渡した時よりもひと回り小さくなった飴を、照れ隠しで噛み砕いた。口いっぱいに広がる濃密な甘さは、きっと世界中のどのお返しよりも、価値があるものに感じられた。

作者の『月雲とすず』です!

ここまで読んでいただき、誠にありがとうございました!

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次回も、お楽しみください!

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