第48話 古文書に記された、姫の悲劇
資料をさらに読み進めると、源三郎の執念深い調査の跡が見えてきた。新聞記事の切り抜き、証言記録、そして古文書の解読メモ。
その一枚の隅に、源三郎の震える字で、こう走り書きがあった。『これは、ただの伝承ではない。すべて、本当に、起きたことだ』
『水神祭祀記録』より(源三郎による現代語訳)
天保十三年 壬寅の年 夏
藩主・松平忠愛公、愛娘お松姫の奇病により、東林山慈恩寺の地下に巨大なる水時計を作らせる。姫は十八の齢にて、水を異常に恐れる病に罹る。風呂に入れず、雨に打たれれば発狂し、水を見るだけで震え上がる。しかし同時に、水を求める。渇いて、渇いて、狂おしいほどに水を求める。この矛盾に、姫は苦しんでいた。 姫には、佐助という恋人がいた。身分違いの農民だったが、二人は深く愛し合っていた。密かに逢瀬を重ね、将来を誓い合っていた。 ある日、姫は佐助と共に寺に向かった。「水と一つになりたい」と言い残して。二人は、地下に降りて、二度と戻らなかった。 藩主は、これを姫の呪いと恐れ、毎年十八歳になる娘を持つ家に、寺への参拝を命じた。参拝した娘は、必ず美しくなって帰ってくる。しかし、同行した男は行方不明になる。これが、百五十年続いている。
さらに古い記述もあった。
『東国奇譚集』より(源三郎による要約)
この地には、古来より水神への生贄の風習あり。豊作を願い、美しき巫女が愛する男を水に捧ける。巫女は水神の花嫁となり、永遠の美を得る。男は水神の僕となり、永遠に水底に留まる。この儀式、縄文の時代より連綿と続く。
水神は、孤独な神である。ゆえに、愛し合う者たちを求める。その愛が深ければ深いほど、水神は喜ぶ。しかし、それは同時に、最も残酷な別離でもある。
つまり、この呪いは江戸時代どころか、もっと古くから存在していたのだ。源三郎は、廃寺の地下構造の推測図まで描いていた。それは、地獄への設計図のように見えた。
翔太の遺志と新たな覚悟へ
資料の最後に、一枚の便箋が挟まっていた。翔太の字だった。日付は、今日の朝。




