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雪月花  作者: 湯灯畳
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第九十二夜 決意

夜半。


 


土は、まだ柔らかかった。


 


誰の目にも触れぬ場所を選び、

何度も場所を変え、

ようやく辿り着いた山の奥。


 


名も刻まぬまま、

石も立てず、

ただ、深く。


 


その身を――沈める。


 


妖の痕が残る体。


 


――違う。


 


そんな言葉で、括れるものではなかった。


 


腕に残る噛み跡。

皮膚の下で、まだ何かが蠢いているような気配。


 


だが。


 


 


それでも。


 


 


「……」


 


 


そこにいるのは――綾乃だった。


 


 


あの時。


 


 


最後に触れた手の温度。

頬に残った、かすかな痛み。


 


 


「……怖いよ」


 


 


その声だけが、離れない。


 


 


 


どれほど歪もうと。

どれほど形を失おうと。


 


 


それでも――


 


 


綾乃だった。


 


 


 


だから。


 


 


隠す。


 


 


晒せない。


 


 


これがどんなに、真実の証明だとしても。


 


 


 


庵は、捨てる。


 


あそこには、声が残る。

笑いも、息遣いも。


 


――だから、捨てる。


 


 


里に下りれば、もう話は出来上がっていた。


 


「詐欺師を追い払ったらしい」


 


「あの家主、やっぱり見抜いてたんだな」


 


「最初から怪しかったんだよ」


 


 


誰も見ていないはずの出来事が、

まるで"見てきたこと"のように語られている。


 


整っている。


 


綺麗に。


 


都合よく。


 


 


――もう、いい。


 


何も言わない。


 


何も、返さない。


 


 


ただ。


 


月命日だけは、欠かさず。


 


 


土に触れる。


 


そこにいると、確かめる。


 


 


それで、よかった。


 


 


 


――その日までは。


 


 


 


踏み荒らされていた。


 


 


足跡。

浅い掘り返し。

乱れた土。


 


 


そして。


 


 


打ち付けられている。


 


 


紙切れ。


 


 


護符の真似事。


 


 


歪な字で、何かが書かれている。


 


 


――お前こそが妖だ、詐欺師め、と。


 


 


嗤うように。


 


 


 


「……」


 


 


声は出なかった。


 


 


 


ただ。


 


 


 


目が、止まる。


 


 


 


そこから――動かない。


 


 


 


 


その夜。


 


 


富豪は死んだ。


 


 


 


悲鳴も、長くは続かなかった。


 


 


逃げる間もなく。


 


 


言い訳をする間もなく。


 


 


 


ただ。


 


 


 


切り刻まれた。


 


 


 


形も、保てぬほどに。


 


 


 


 


だが――


 


 


それで、終わらない。


 


 


 


「詐欺師の残党だとよ」


 


「復讐、ってやつか」


 


「やっぱり危ねえ連中だったな」


 


 


 


話は、さらに整えられる。


 


 


 


富豪は"被害者"のまま。


 


 


 


死してなお。


 


 


 


 


そして。


 


 


墓は、より深く荒らされる。


 


 


 


探している。


 


 


 


"証拠"を。


 


 


 


あるいは――


 


 


 


嗤うための、種を。


 


 


 


 


利、だった。


 


 


 


すべては。


 


 


 


 


利。


 


 


 


 


真実かどうかではない。


 


 


都合がいいかどうか。


 


 


 


それだけで、選ばれていく。


 


 


 


 


ならば。


 


 


 


 


「……」


 


 


 


 


男は、土を掘り返す。


 


 


 


もう一度。


 


 


 


抱き上げる。


 


 


 


軽くなっていた。


 


 


 


あまりにも。


 


 


 


 


「……すまない」


 


 


 


誰に向けた言葉かは、分からない。


 


 


 


 


さらに奥へ。


 


 


 


さらに深く。


 


 


 


人の来ぬ場所へ。


 


 


 


 


新しい土に、沈める。


 


 


 


 


今度は。


 


 


 


絶対に。


 


 


 


見つからぬように。


 


 


 


 


その帰り道。


 


 


 


ふと、脳裏をよぎる。


 


 


 


首無しの地蔵塚。


 


 


 


誰が斬ったか、分からぬ首。


 


 


 


だが――


 


 


 


"あった"。


 


 


 


確かに。


 


 


 


 


見せつけられていた。


 


 


 


 


ならば。


 


 


 


 


「……」


 


 


 


 


言葉にはしない。


 


 


 


だが、もう決まっている。


 


 


 


 


証は――


 


 


 


奪う。


 


 


 


 


この手で。


 


 


 


 


 

「……行ってくる」


 


 


 


 


 


その後。


 


 


 


酒場で、妙な一団に出会う。


 


 


 


薬売り。


 


 


 


軽口と、笑い。


 


 


 


だが、その奥に。


 


 


 


 


"匂い"があった。


 


 


 


 


辿り着く者の。


 


 


 


 


 


夜は、まだ深い。


 


 


 


 


だが。


 


 


 


もう、迷いはなかった。


 


 


 


 


――第九十二夜・了

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