↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
雪月花  作者: 湯灯畳
PR
51/100

第五十一夜 廃寺

あれから七日ほど。


はる坊はとうとう、沼に湧く湯と言われる奥地へと、無事辿り着いた。


道を尋ね迷い歩く道中、山を深く分け入るほどに、噂は濃くなっていった。


――鬼の夜桜。


そう呼ばれる化け物が棲んでいる、と。


村の住職の言葉が、ふと胸に浮かぶ。


生きて帰れるかどうか――


でも。どうしても。


ゆき姉に助けてもらった命だけど――


どうしても。


ごめん。


*


湯けむりに包まれる沼は、月明かりを受けて妖しく、幽世の気配があった。


しん、と静まり返った水面のあちこちから、白い湯気が立ちのぼる。


こんなところに棲む、化け物が――


ひやり、と。思わず背筋が凍る。


とにかく今夜は、この近くにあった古い廃寺に間借りすることにした。


――薄暗い、埃にまみれた堂内。


月明かりだけを頼りに、適当な塒を探す。


――ふと。


足。


人の足。


「う……」


あまりの衝撃に、思わず腰を抜かした。


どたん!と、派手な音が堂内に響く。


「……む、何じゃ?」


その影が、ゆっくりと身体を起こした。


月明かりに照らし出されたのは――女だった。


長い黒髪が、肩からさらりと落ちる。


緋の花を散らした派手な着物を、どこか無造作に着崩して。


まだ寝ぼけているのか、片手で目元をこすりながら――


目尻に緋を宿した猫のような目が、ゆっくりこちらを向く。


「……なんじゃ」


声は低いが、どこか眠気が残っている。


「獣では、なかったか」


はる坊は、まだ尻餅をついたまま固まっている。


女はしばらく黙って、こちらを見ていた。


「お前さんか、今の騒々しい音は……」


そう言って、ふっと口元が緩む。


女は姿勢を直し、胡坐をかいた。


気だるそうに片膝へ肘を乗せる。


「何ぞこんな夜更けに、たった一人でこんな山奥の寺に来るとは……」


少し身を乗り出す。


頬杖をつきながら、じっとこちらを見る。


「……ふうん」


ほんの少し、目を細める。


「ワケアリ、か?」


月明かりが、女の横顔を白く照らす。


若い。


どうしてこんなあばら家に、こんな――


「いや……」


はる坊は言葉を探すように、視線をさまよわせた。


「ただ今夜は……ここで泊まらせてもらおうと……」


女はしばらく黙って、はる坊の顔を見ていた。


やがて、小さく笑う。


「ほう」


その声は、どこか楽しんでいるようでもあった。


「金が、ないのか?」


一瞬、はる坊は言葉に詰まる。


問いの調子は軽いのに、目だけがじっとこちらを見ている。


「え、ええ……まあ……」


その表情は、微動だにせず。


目だけが、じっとこちらを見据えていた。


「……欲しいか?」


一拍。


「金」


はる坊は思わず一歩、後ずさる。


「え、いや……」


言葉がうまく出てこない。


女はその様子を見て、少しだけ眉を上げた。


それから、ふっと息を吐く。


「……冗談じゃ」


くすっと笑う。


「何じゃ、初心じゃのう」


「よくそのようなナリで、こんなところまで来たものじゃ」


肩を揺らして、静かに笑う。


しばらくして、女は笑みを収めた。


「……まあ、金がないのなら」


声が、少し低くなる。


「今宵はここで眠るもよし」


「他へ行くも、止めはせんが」


外の闇から、獣の遠吠えが響く。


はる坊は、少したじろぐ。


「……でも」


「絶対、何か変なことしてくるでしょ?」


女は少し目を伏せ、肩をすくめる。


「……ふふ、そんなことはせんよ」


膝を軽く叩き、かすかに笑う。


「疑い深いのう」


やがて息を整え、


「まあ、よい」


と手をひらひら振った。


「約束しよう」


「何もせんと」


はる坊は、月明かりの入らない暗がりに目をやる。


「……俺、あっちで寝ますんで」


どうしても疑いが晴れない。


壁に寄りかかるように、座る。


――明日は、鬼の夜桜を探さねば。


静かに、夜は更けていく。


――第五十一夜・了

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。