第22話
「……本当に抉じ開けるのか?」
と、問うのはラルフだ。
皆が寝静まった真夜中に1階のエレベーターを抉じ開けるとギルと決めたザイヤは、当初はふたりだけで決行するつもりだった。それこそラルフが寝たあとに部屋を抜け出そうと画策していたのだけれど、挙動不審さが出ていたのかラルフに詰問され、計画を打ち明けてしまった。
面倒事に巻き込むな、とでも言うのかと思いきや、なぜだか付き合ってくれているというわけだ。
いわく「夜中にあいつとふたりきりにはさせられない」とかなんとか。
しかし睡眠時間を削らせている自覚はあるので、言い訳はしておく。
「管理会社がわかれば、そっちから攻められると思うのでやってみようかと」
「す、すみません、ぼくが提案してみました……」
悪びれるギルと、なんだかんだ言って怖がるザイヤと、呆れるラルフの3人は1階のエレベーターの前に来ていた。
もちろん、戸は固く閉ざされているため、開けやすくするためにマイナスドライバーを持参している。
「普通、動かさないエレベーターは1階に箱を下ろしておきますよね?」
ザイヤはラルフに問うた。
箱が中途半端な階に停まっていたり、階と階の間にでも停まっていたらそれこそ万事休す。打つ手なしだ。その心配を嘘でもいいから打ち消してほしかったのである。
「箱が落下する危険性を考えたら、そうだろうけど」
「そうですよね!? ね!? うんうん、きっとそう!」
無駄骨になることは考えたくない。実りある結果が待っているはず。
「管理会社さえわかったらすぐに出ますので! おふたりとも、ドアをぜっっっっっったいに離さないでくださいね!? 全力で押さえててくださいね!?」
念押ししておく。
本来ならば、呪いの現況であるエレベーターの箱なんかに入りたくはない。
しかし腕力を考えると、どうしてもザイヤ自身より男性であるふたりにドアを押さえていてもらったほうが安牌である。悩みに悩んで、箱に入る決意をしたのだ。
「はあ……。ドライバー貸して」
ラルフが先陣を切ってくれるようだ。
ギルが技術の授業で使っていたという古いマイナスドライバーをラルフに渡すと、両開きスライドドアの真ん中に突き立てた。ぐいぐいと捻り込んで隙間を作り、今度は指を入れて隙間を広げる。
ギルも加勢し、ぎしぎしと軋みをあげながらドアが開いていく。
ややギルのほうが開きづらそうだったので、ザイヤも手を貸した。
閊えを越えると、いっきに開いた。
があぁん──……。
シャフトに音が響き渡る。
まるで龍の悲鳴のようだ。
急所に剣を突き立てられた龍の嘶きにも似た音は予想外に大きく、寮生が気付くのではと廊下を見たが、誰も出てこなかった。よかった。
「……ドアが閉まろうとする……。長くは開けていられない。さっさと済ませてくれ」
と、ラルフ。
その額に既に汗が滲んでいるところからして、かなりの腕力でドアを押さえているのがわかる。
躊躇していられない。
ザイヤはランプを掲げて、箱を照らした。
小さな箱だった。
ふかふかの絨毯が床に敷き詰められているだけの、小さな箱。壁は唐草模様の壁紙で可愛く仕上げられている。
誰もいない。
淀んだ空気が満ちているだけで、他にはなにもない。
きっと大丈夫。
ひとりじゃないもの。
それにここは1階。落ちても死にはしない。
「よし、行きます!」
ザイヤは意を決してエレベーターに乗り込んだ。
ラルフ側の壁にあったボタン盤をランプで照らす。
1から5までのボタンの上。天井より、やや低い位置に筆記体でなにかが書いてある。埃が被っていて読めない。爪先立ちをして、埃を払った。
L?
なんだ?
ラルフが急き立ててくる。
「ザイヤ、早く!」
「は、はい! えーと、読めないな……!」
あと少し背が高ければ!
目を凝らす。ランプの火のゆらめきで影が揺れて、余計に読みづらいのだ。
「えーと、ら、ライ……?」
読めない。
あと少し視線を高くすれば、いっきに読めるはずだ。
ザイヤは思いきりジャンプした。
「えっと、ライルズ──……ッ!?」
文字を読んで着地した瞬間──。
床が抜けた。
◇◆
「ゔわッ!?」
がくん!
地面がなくなり、一瞬の浮遊感がザイヤを襲った。
「ザイヤ!?」
「ザイヤさん!?」
ザイヤはなんとか廊下に腕を引っ掛けて落ちずにいた。ふたりが手を差し伸べようとするけれど、そうすると扉を押さえる力が疎かになって閉まりそうになってしまう。
慌てて首を振った。閉じ込められるなんて冗談じゃない。
「だだだだめ! なんとか自力で上がるから、ドアを押さえておいてください! 閉じたらマジで死ぬ!」
「だったら早く上がれッ!」
ギルはもうなにも言えずに、ひたすらドアを押さえてくれている。体力があるほうではないようだ。
ザイヤはちらりと視線を下に向けた。
落下したランプが僅かに燃えている。暗い中でのオレンジの光は、遠近を混乱させてやけに遠くに見えた。
その横に、砕けた木材が散らばっている。
なぜ、木材が?
(あれは……椅子?)
散在している木材をひとつにまとめると、一脚の椅子になりそうだった。
なぜ椅子が落ちているのか。
しかも、かなり年季の入っているもので腐りきっている。ここ最近のものではない。
それよりも、早く上がらなければ。
エレベーターは1階にあるといっても、落下したときのために巨大なバネを半地下に設置してある。だからなかなかの高さがあった。
ザイヤは肘を掛けて、シャフトの壁に足を突き立てて這い上がる。
ふぬふぬと力を込めて、ほとんど垂直の匍匐前進だ。
そうして上り切ったところで振り返り、シャフトから足を引っ込める。同時にふたりが力尽きて、大きな音を立ててドアが閉まった。
3人は折り重なるようにして脱力し、呼吸を整える。
「くっそ……いつか絶対に、借りは返してもらうからな……」
と、ラルフ。ぐうの音も出ない、ごもっともな主張である。
ギルに関しては失神寸前だ。ぜー、はー、と上下する背中の揺れが大きい。
「ほ、ほんと、感謝しかないです……。
──ていうか、それより、見ました……?」
「……ああ、見た……」
ラルフは壁に凭れて、項垂れながら頷いた。前髪で顔は見えないものの、滴る汗が床を濡らしていく。
エレベーターの床の抜け方がおかしかったのだ。
老朽化して穴が空いたのではなく、床一面そのものが抜け落ちた。
留め具が古びていたのかもしれないが、ならば奇妙なことがひとつある。
「絨毯が留められていた」
ザイヤとラルフの声が重なった。
床が落ちたのなら、上に敷いていた絨毯も共に落ちるはずである。なのに真新しい絨毯はわざわざ壁に留めてあって、床が落ちてもカーテンのように垂れ下がっただけだった。
なぜ?
絨毯を敷いて、そこに床があると見せ掛けるため。
なぜ?
乗り込んだ人を落とすため。
絨毯だけを敷いて、あたかも床があるように見せかければ、事情を知らなければなんの警戒心もなく足を置くだろう。
けれど、布1枚では人間の体重など支えられるはずもない。すぐに絨毯は今のようにカーテンみたいに垂れ下がっただろう。
そして乗ろうとしていた人間は真っ逆さま。
5階から落ちれば、即死である。
「つまり」
と、ようやく息を整えたギルが参戦してくる。
「彼女は」
と、続いてラルフ。
「殺された」
最後にザイヤが結論付けた。
少女は事故で死んだのではなく、誰かに意図的に殺されたのだ。エレベーターにこんな細工ができるだなんて、それこそ管理していた誰かの仕業に違いない。
これは本格的にライルズ社を調べたほうがよさそうだ。
 




