第1話:就活全落ちの果てに、神を拾う
「……ええと、神代さん。君、履歴書は完璧なんだけどね」
都心の一等地、空調の効きすぎた会議室で、面接官が困ったように眉を下げた。
二十二歳の春。俺、神代巡は、これで通算三十社目となる不採用通知を、口頭で突きつけられようとしていた。
「ありがとうございます。それで、不採用の理由は……やはり、先ほど申し上げたことでしょうか」
「……うん。君が『僕の肩に乗っている、ずぶ濡れの女の人が寒そうにしているので、エアコンを弱めてもらえませんか』って言い出した時は、正直、何の冗談かと思ったよ」
面接官の背後では、髪の長い女性の霊が「ひた……ひた……」と水を滴らせながら、恨めしそうにこちらを見ている。俺はそれを、できるだけ見ないようにして深々と頭を下げた。
正直に言わなければよかった。だが、この体質のせいか、見て見ぬふりをすると俺自身の胸が焼け付くように熱くなってしまうのだ。
「申し訳ありませんでした。失礼します」
逃げるようにビルを出ると、五月とは思えないほど湿った風が頬を撫でた。
俺には、昔から『変なもの』が見える。
それだけならまだしも、それらを引き寄せ、時には彼らの負の感情を勝手に吸い込んで寝込んでしまうという、社会生活を送る上では致命的な欠陥があった。
「はは……いっそ、あっち側の住人になれれば楽なんだけどな」
空っぽの胃袋が、情けない音を立てる。
財布の中身は、数枚の硬貨と、クシャクシャになった求人誌の切り抜きだけ。
俺は駅前のベンチに腰掛け、最後の一枚となったその切り抜きを眺めた。
『寮完備・食事付き。ただし、人間ではない入居者の苦情を聞ける方限定』
勤務地:八百万荘
連絡先:隠れ世相談所・九十九
「……苦情を聞ける、か。今の俺にぴったりじゃないか」
どうせこれ以上失うものはない。俺は最後の小銭を握りしめ、公衆電話へと向かった。
***
指定された住所は、都会の喧騒から取り残されたような古い路地裏にあった。
地図には「空き地」と記されているはずの場所に、その建物はあった。築五十年、いや、もっとだろうか。木造二階建ての古びたアパート。名前は『八百万荘』。
「やあやあ、君が神代巡くんだね! 待っていたよ!」
アパートの前に立っていたのは、サングラスにアロハシャツという、およそ不動産屋には見えない胡散臭い男だった。彼が「隠れ世相談所」の九十九所長らしい。
「君の噂は聞いてるよ。魂の器がバカデカいお人好しの就活生、だってね」
「噂……? 誰からですか」
「まあ、そのへんの浮遊霊とか、神様たちのネットワークさ。さて、さっそく仕事の説明をしよう。君の役割は『管理人』だ。やることは簡単。住人のワガママを聞き、彼らがこの世から消えないように『繋ぎ止める』こと。掃除とか飯の世話も、まあ、適宜お願いするよ」
九十九は笑いながら、俺の手に錆びついた鍵を押し付けた。
「とりあえず、二〇一号室の住人に挨拶してきてよ。彼女、もう三日も飯を食ってなくてね。存在が透け始めてるんだ」
「……神様が、飯を食わないと消えるんですか?」
「現代じゃ、神様も大変なんだよ。はい、これ、挨拶の手土産」
渡されたのは、コンビニの袋に入った大袋のポテトチップスだった。
俺は半信半疑のまま、ギシギシと鳴る階段を上がり、二〇一号室のドアを叩いた。
「……失礼します。新しく管理人になった、神代です」
返事はない。ただ、ドアの隙間から「チカチカ」と、まるで接触の悪い蛍光灯のような、頼りない光が漏れている。
俺は意を決して、鍵を開け、部屋の中へと踏み込んだ。
そこは、カオスだった。
六畳一間の部屋を埋め尽くすのは、溢れかえった通販サイトの段ボールと、空になったスナック菓子の袋。そして、部屋の隅で、唯一の光源であるスマートフォンの画面をじっと見つめる、一人の少女がいた。
「……ヒノカ、様……ですか?」
少女がゆっくりと顔を上げた。
燃えるような赤髪。しかしその体は、まるで薄い霧のように向こう側の景色を透かしている。
彼女は俺を一瞥すると、力の抜けた声で、傲然と言い放った。
「……遅い。妾を、飢え死にさせる気か」
「えっ……」
「その袋の中にあるものを、早くこちらへ寄越せ。さもなくば……妾は、明日を連れてくるのをやめてしまうぞ」
それが、俺と『太陽の女神』の最悪な出会いだった。
俺は慌ててコンビニ袋からポテトチップスを取り出し、彼女に差し出した。
彼女は震える手でそれを奪い取ると、一気に袋を裂き、中身を口に放り込む。
「はふっ、もぐもぐ……ふぅ。……巡よ、これでは足りぬ。妾は、もっと温かくて、腹にたまるものが食べたいのじゃ」
「……はい?」
「巡、と言ったな。お主、妾の管理人に採用されたのじゃろう? ならば、義務を果たせ。妾の空腹を満たし、この世に繋ぎ止めてみせよ」
ポテチの粉を口の端につけたまま、不遜に笑う女神。
俺は頭を抱えた。どうやら、この仕事は想像以上に前途多難らしい。
「……分かりました。とりあえず、その口の粉を拭いてください。掃除、させてもらいますよ」
こうして、俺の『神様お世話生活』が幕を開けた。
空っぽだった俺の人生に、賑やかすぎる同居人が加わった瞬間だった。




