第77話
「ソーよ、バサノスに話を戻していいか?」
ブローナンヴィルが再び声をかけてきた。
「ええ、どうぞ。」
「バサノスは資金調達のための活用には難しいということだったが、有用なのだろう?」
「そうですね。商材として流通させるのであれば、軽鎧の代わりの需要が一番高いと思いますよ。繊維質で刃を通しにくいので、冒険者の後衛職や国の魔法士などの防具として使えるでしょう。ベストや手袋、コートなどで商品展開するのが良いかと。」
「バサノスは岩からできた素材だが、鉄や革より軽いのか?バサノス・イナを持ってみたが、同じ質量の鉄よりはるかに軽い印象だったが。」
「比重でいえば鉄の3分の1、引っ張り強度は3倍だったかと思います。ただ、打撃にはそれほど強くないので万能ではありません。軽鎧として軽量。それがメリットですね。」
「おまえ···歩く百科事典みたいだな。」
「百科事典があるのですか?」
「なんだ、見たことがないのか?そういったものにも目を通していると思ったが。まあ、むしろその内容をはるかに超えているがな。」
「え、いや···百科事典は地域によって内容が違うので、こちらにもあるなら目を通しておきたいと思いまして。」
アヴェーヌ家では百科事典と呼べるものがなかったのだ。
さすがにこの世界で百科事典を見たことがないとは言わない方がいい気がした。俺の知識はどこから来たのかと問われるとめんどうだ。
「百科事典なら手配できる。それより、一般的な産業として活性化できる商材についてはどうだろう?バサノスは少なくともダンジョンの調査が終わってからになるからな。」
マイグリンだ。
確かにバサノスだけに注力するのはあまりよくない。紡糸技術については、多少の知識があるので設備を作れないことはないかもしれない。しかし、詳細な図面などを記憶しているわけではないため、完成まではかなり難航するだろう。
「そうですね···この地域の資源について詳しいわけではありませんから、一般的なものとしてでかまいませんか?」
「ああ、それで大丈夫だ。それから、確保できそうな資源や作物については、後ほど詳細をまとめて提供しよう。」
「ありがとうございます。それでは私見ですが、一般的に需要が高く、量産する価値があるものとして樽を提案させていただきます。」
「樽?樽というと酒樽などのあれか?」
「ええ。物流だけでなく、物資の保管には必需品です。代替品として木箱などがありますが、頑丈さや運搬のしやすさを考えるとこれ以上のものはありません。」
実は、樽は長きに渡って活躍した容器なのである。
前世の常識からいえば、近年は樹脂製の折りたたみ式コンテナが物流の主役となっている。しかし、樽はアルミやプラスチック製に置き換わったとはいえ、今も活躍するほど使い勝手が良いのだ。その利便性は、2000年近くの間に渡って重宝されてきたことを考えても、非常に高いことがわかるだろう。
胴の部分が膨らんでいるため、倒して運ぶ時に摩擦が少なくて転がしやすい。また、釘や接着剤を使用しないので、木材以外の部分から異物が入ることが少ないこともあり、水や飲料を入れるのにも使用されている。
因みに、液体を入れると木材が膨張して隙間か埋まり、内容物が漏れないという理にかなった構造なのである。
「しかし、樽など既に流通しているだろう?」
「ええ。貴族や資金に余裕のある商人などが所有して活用しています。しかし、樽は非常に高価で、一般的には耐久性の低い木箱などを利用しているのが現状です。物資の売買時に格安で樽を販売するか、商品代金に含んで提供すると同じ商品を扱ったとしても交易地としての評価は高まるでしょう。それに、これまでは樽に商品を詰めて運び、荷受の際に木箱などに中身を移して洗浄するといった手間がありました。それがなくなるだけでも煩わしい業務が減り、その分生産性が上がるとは思いませんか?」
つまり、具体的にはこういうことだ。
樽は1450年頃のイギリスでは単価3ペンス程度だった。若干時代の差はあるが、当時の建築労働者の日給が同じくらいだったことを思うとなかなかの金額といえるだろう。こちらの世界でも価値は似たようなものである。
樽は頑丈だが半永久的に使えるわけではない。また、荷物の運搬や保管に用いるため、相当数を保有することを考えると経費としてバカにならないのである。
食物や飲料、金具なども保管できる万能ツールだが、中身の入れ替え時の手間を考えると安価で流通させることで経済活動の幅を広げることが可能だ。
中身の入れ替えや清掃というのはかなりの時間を要する。その時間を荷運びや商売といった営利活動に置き換えることができる上に、雑務に追われる人員の経費も縮小できる。また、交易の際に樽ごと商品を渡すことで、納品先での滞在時間を縮小することにつながり、買い付けなどの時間に置き換えることも可能だ。
樽の回収で滞在日数が延びると経費負担も増加するため、この意味合いはかなり大きい。
「しかし、樽は職人の手作業だぞ。それに素材となる木材も大量に必要となる。鍛治などでも木材は必要だからな。増産させるには問題が多い。」
鍛冶に必要な木材というのは驚くほど大量である。中世ヨーロッパの初期の製鉄には、鉄を精錬するためにその12倍の質量の木炭が必要だったという。製造コストでいうと製鉄に必要な鉄鉱石が10%に対して、木炭や薪は50%程度だったという。それで塊鉄を作り、さらに鍛治でも炭が必要となる。
鍛冶場を立ち上げると、周辺の木を取りつくして森が消えるといったことも普通にありえたというのだ。




