後編
「なにアレ、随分と失礼ね。今度パパに言い付けてやるんだから」
幼馴染みは頬を膨らませて子供っぽく怒る。
小さな頃からその仕草が可愛いと評判だったが、もう年齢的にしてはいけないと思うのだが。
冷めた目で彼女を見つめていると、ふと肩に何かが乗っていることに気付いた。
それは何故今まで気付かなかったのかと正気を疑うほど、禍々しくて不気味なオーラを放っている。
『ひっ! レイちゃん、あれって……手?』
『そのようだ。実は最初から乗っていたけど、段々存在が濃くなってるな』
レイちゃんが冷静にさらりと怖いことをいう。
幽霊の自分が怯えるなんて滑稽だろうが、得体の知れないものというのは恐怖の対象である。
レイちゃんにしがみつきジッと幼馴染みの肩に乗った手を観察する。
よくある心霊写真と同じように青白く透けており、手首で切れている。
「ねぇいつまでそうしてるつもり? 早く立って。地面に座らないでよ恥ずかしい。亮介は私の婚約者である自覚が足りないわ」
―――ア、ア゛
『手がっ!』
幼馴染みが彼に喋りかける度に透けていたそれは段々と色が濃くなり、腕、肩、みるみる内に手首以外の姿も現していくではないか。
――アアア、ア゛ア゛ア゛
完全な人間の姿が露になる。
肌は血色が悪く、目の下には黒々とした隈が出来ており、紫色の舌を見せながら不気味に喉の奥で鳴いている。
それは、どこかで見たことがある女だった。
『レイちゃん………あの人』
『ああ、例のストーカーだ』
『彼女も死んだのかな?』
『いや、恐らくあれは生き霊というやつではないだろうか』
幼馴染みの肩を掴むストーカー。
彼女は確か手が付けられないほど精神を病んでしまっており、現在病院に隔離されていると慰霊に花を手向けてくれた人達が噂していた。
まだ死んでもいないのに、私達以下の存在に成り下がってしまったようだ。
そんなに彼を愛していたのだろうか。
でもだったら何故彼ではなく幼馴染みの肩に居るの?
何故私を殺したの?
対象が違うんじゃないのかな。
女性にありがちな心理ではあるが、私には良く分からない。
「はぁ、それにしても最近肩が重いのよね。身代わりが居ないせいで疲れちゃったんだわ。本当に使えない子だったわね」
幼馴染みは今の現状に全く気付いていないらしい。
生き霊は血走った目を剥き出しにして、呑気な彼女を指差した。
―――ア、ア、ア゛、やっぱ…り、チガッた…まちがエた……あノおんなジャない…オマエダァァァ!!
生き霊は幼馴染みの首に手を掛けると容赦なく力を込めた。
「はっ、くっ、な、何!? 急、に、息が、っ!?」
―――シネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネ
一心不乱で幼馴染みの首を絞める姿はまさに怨霊と呼ぶに相応しい。
私も一歩間違えればあのように恐ろしく悲しいものになったしまっていたのかと怖くなった。
しかし私にはレイちゃんが居てくれる。それがどれほどの幸せか、改めて確認した。
首を絞められ赤から青、青から白へと変化する幼馴染みの顔色を二人で静かに見守った。助ける気なんて毛頭ない。
最早声も出ない彼女は涎をダラダラ溢し顔を膨張させながら、彼へとすがるように手を伸ばした。
未だ土下座の時のまま地面にしゃがみこんでいた彼は、突然の幼馴染みの変化に驚き言葉をなくしていた。
だがハッと何か閃いたように息を溢すと、苦しむ幼馴染みへと真っ直ぐな視線を向ける。
「―――アコ? アコなのか?」
なんとっ!
この幼馴染みの惨状が私の仕業だと思ったらしい。実に失礼な男だ。死んだ私をまだ馬鹿にしている。
「止めろアコ。怨むなら、連れていくなら、俺にしてくれよ」
余程幼馴染みが大切らしく、情けない声で懇願する彼。
「俺なら喜んでお前に憑いて逝くから。地獄だろうがなんだろうが、アコとならどこへでも逝く。ずっと一緒に居よう」
とんだ濡れ衣を着せられてしまったものだ。
憑いて来られても迷惑だし。
もう私にはレイちゃんしか必要ない。
とても検討外れで迷惑なことを喋る彼に生き霊が反応するはずもなく、幼馴染みの苦しみはひたすらに続く。
死にそうな幼馴染みを前に彼は救急車を呼ぶわけでも介抱するでもなく、膝を付いて生き霊に喋りかけてばかり。
「ぁ、ぐっ、ぁぁ、たす、たす、け……し、ぬ、ぅぐぐがっ…」
「アコ、アコ、返事してくれ」
不自然に直立不動のままで苦しむ幼馴染みと、床へ跪き何もせず無意味に喋りかけている彼の様子は異様の一言だが、幸い通行人は居ない。
「…っ、っ………あ………―――」
随分と長い間首を絞められ続けた幼馴染みは最期の最期に大きく身体を跳ねさせると、グリンと目玉をひっくり返し―――とうとう絶命した。
糸の切れた操り人形のように崩れ落ちる幼馴染みの身体。
だが私達にはそれとは別に、もう一人の透けている彼女の姿が目に写っている。
『な、に、これ、なに、これぇぇぇ゛っっ、ああ、あ』
既に死んだ筈の彼女だが、いつもの美しい姿ではなく、イボガエルのように膨らんだ血の止まった白い顔と剥き出しの歯茎。
死ぬ寸前と変わらぬ苦しげな様子だ。
『あ゛……ア゛、コ……? あ、んた、が……?』
息を呑んで様子を伺っていた私と幼馴染みの目が合った。
彼女もやはり自分に起こったことが私の仕業だと勘違いしたらしく、死んでも終わらぬ苦しみの中に怒りを宿した目で私を呼ぶ。
幼馴染みの視線に、レイちゃんと繋いだ手に浮かばない筈の汗が浮かんだ気がする。
『大丈夫だアコ。俺が側に居る』
支えるように腰に手を回す彼に心地よい安堵感が広がる。
そうだ。私はそろそろ彼女を絶ち切るべきだ。
『あなたを殺したのは私ではないよ。全てはあなたと彼が引き起こした結末。私には何の関係もない』
一度優しさを湛える彼の瞳を見て、それからくすんだ幼馴染みの瞳を見る。
『もう私に関わらないで。私はあなたが嫌いです』
嫌い、というのは語弊がある。
実際には嫌いというより、どうでもいいのだ。この幼馴染みも、かつて愛した彼も。
『もど、せっ、もど、せぇぇぇ』
最早まともな会話が出来そうにない彼女は当然私の言葉など聞いておらず、尋常ではない形相でこちらへ向かって来る。
レイちゃんが咄嗟に私を庇うように前へ出るのが分かり恐怖より焦りが強まる。
守られるより隣に居て欲しい。
彼の背から飛び出し私も横へ並ぶ。
一瞬驚いて私を見る彼に微笑むと、幼馴染みと対峙すべく真っ直ぐに前を見据え覚悟を決めた。
伸びる恐ろしい手。
だがそれが私に到着する前に幼馴染みを止める者が居た。
―――ア、ア゛ア゛ア゛ア゛、ダズ、ゲデェェ……
何故か地面に下半身を埋もれさせている生き霊が、幼馴染みの脚を掴み助けを求めているのだ。
『ぅ゛ぁぁ、い……? なせ、は、な………っあ゛あ゛、い゛や゛あ゛あ゛』
二つの霊は苦しげにぐいぐいと地面に吸い込まれていく。
生き霊が完全に埋もれて姿が見えなくなってしまい、幼馴染みも断末魔を上げながらそれに続くように跡形もなく消えてしまった。
『な、なに? なにが起こったの? 二人はどこへ?』
『分からない。分からないが、なんとなくもう二人とも二度と戻って来れない気がするな』
『………そう、だね。迎えが来たのかな』
霊特有のものなのか不思議な直感で分かる。
二人はきっと在るべき所へ向かったのだと。
そしてそこは決して良い場所ではないだろうと。
幼馴染みは勿論まだ身体はこの世に留まっているストーカーもまた、レイちゃんが言うようにきっと帰っては来ない。
先程が嘘のような静寂を持つ私達の死に場所を、二人で静かに見つめた。
『ああ、アコ。俺達も迎えが来たらしい』
『本当だ、逝かなくちゃ』
私達の身体を綺麗な光の粒子が取り囲む。
あの二人のような苦痛は全く感じず、寧ろ温かくて心地良い。
『アコ、どこへ行こうとずっと一緒だ。離しはしない、離してやれない』
『うん』
再確認するように手を絡め直した私達。
大丈夫。これから向かう先は悪い場所じゃない。絶対にレイちゃんと離れない。
確信を持ち穏やかな気持ちでこの世を去る瞬間を待った。
辛いことも多かったけど、今なら言える。
どうしてなかなか悪い人生じゃなかった。
だってレイちゃんと結ばれる下準備が出来たんだもん。
彼のお陰で私の醜い心は完全に浄化出来たし、もうこの世に未練は……あった。
「アコ、どこだ。アコ、俺も、俺も連れてってくれよ!」
幼馴染みの骸を気にする様子もなく、気でも触れたかのように宙へと訴えている彼。
『亮くん。亮くん、聴いて』
繋いだレイちゃんの手に力が籠るが、私は彼に喋りかけるのを止めない。
たとえ彼の耳に届かずとも一言言っておかねば気が済まぬ事がある。
「アコ!? 嗚呼、やっと答えてくれた! どこだ? どこにいるんだ?」
意外にも彼に声は届いた。
だが姿は見えないらしく辺りを激しく見回す。
『あのコを連れて行ったのはあなたのストーカーで、私じゃない。他人のせいにしないで』
こんな不名誉な誤解をされたままでこの世を去りたくはなかった。
『じゃあ、そういうことだから。私達ももう逝かなくちゃいけないの、さよなら』
ふぅ、これで満足だ。
では逝こうかと笑いかけると、仕方なさそうに微笑み返してくれるレイちゃん。
「え? ちょ、俺はっ? 俺も逝く!」
人が気持ちよく成仏しようとしているのに、彼は何故か焦った様子で喋りかけてくる。
『アコには俺がいる。お前に資格はない』
「は? な、なんだ? 誰だ?」
私達の姿が見えない彼は急に聴こえた男の声に驚く。
そんな彼に私は最愛の人を自慢したくなった。
あなたが利用してゴミのように呆気なく死んだ女は、今こんなに幸せなんだと。
幼馴染みを亡くした直後の彼にこんなことを言うのは性格が悪いだろうか? でも私は彼に自慢する権利があると思う。
『最期に紹介すると、彼は私の恋人のレイちゃんだよ。とても素敵な人なの』
「っ!? ア、アコの恋人は俺だろ?」
死んだ私にいつの間にやら出来ていた恋人の登場に余程驚愕したらしい彼は、弱々しく尋ねる。
『生きてる時は私もそう思ってたけど、違ったみたい。でも、もう気にしてないから良いんだよ。私にはレイちゃんが居るから。ね? レイちゃん』
『ああ、そうだなアコ。愛してる』
ふんと鼻息を漏らし胸を張るレイちゃんがなんだか可愛くてクスクスと笑ってしまう。
そして見えないのをいいことに、彼の前でそっと口付けを交わした。
彼の顔色は相当悪く、何かを言いたいらしく口をパクパクさせている。
「アコ、アコ。ごめん、悪かった。俺もっ! 俺もすぐそっちに逝くから、捨てないでくれ!」
『いやいや……迷惑だから、来ないで下さい。じゃあ、逝こうレイちゃん』
『そうだなアコ』
逝くと言っても自分達の意思とは関係ないのだが、二人で手を繋いだままそっと目を閉じる。
彼はまだ何か必死に訴えていたがもう私達の耳には届かず、あるのはひたすらに穏やかで幸せな気持ちだけだった。
*****
「おじちゃん、なにしてるの?」
薄汚れてみすぼらしい成りをした中年の男に少女があどけない笑みを浮かべ尋ねる。
男は少女の面差しにかつて愛し傷つけた女を重ね、眩しげに目を細める。
「何も。何もしていないよ」
「なんでなにもしてないの?」
「何もする気が湧かないからさ。ただこうして一日中ぼんやりしているんだよ」
少女は首を傾げくりくりした瞳で男を見上げる。
「だったらおうちに帰ればいいじゃない。おうちでオヤツを食べてお喋りすれば楽しいよ」
「残念ながらおじちゃんにはおうちがないのさ」
「だから寂しそうなんだね。だったら私のおうちへ来ればいいよ。私とお友だちになってよ」
少女の無邪気な言葉に男は久々に声を上げて笑い、それから首を横へ振った。
「ありがとう。でもおじちゃんは独りでいいんだよ。これは自分に科した罰だから」
「うーん、よく分かんない。でもずっと独りなんて辛いよ。本当におじちゃんの側には誰も居ないの?」
「大切な人には迷惑だから来るなって言われちゃったからね」
男は汚れた顔をくしゃりと歪め、笑っているような泣いているような顔をする。
不思議とそれに胸が締め付けられる少女は、男へ何か言いたくなり口を開きかける。
しかしそれが声になるより先に、遠くから呼ばれてしまう。
「おーい杏子ー!!」
「あ、れいちゃんだ!」
男が声の方を振り向くと、そこには焦った様子で走って来る一人の少年がいた。
少女は少年に向かい嬉しそうに手を振る。
「れいちゃんはね、私のお隣さんでいつも一緒に居るの」
少年の説明をする少女は本当に楽しそうで、彼を大好きなことがよく伝わる。
「もう結婚の約束もしてるんだよ。へへへ、結ばれることは生まれる前から決まってたんだってれいちゃん言ってた」
「……そうなんだ」
「うん! いいでしょ。じゃあ私もう行くね! バイバイ」
少女は男に元気よく手を振ると、少年の元へピョンピョンと駆けて行ってしまう。
「杏子ダメだろ、怪しい奴と喋っちゃ」
「おじちゃんは怪しくないよ。寂しいだけなんだよ」
始めは目を吊り上げて叱っていた少年だが、少女のあまりの邪気のなさに仕方ないとばかりに深い溜め息を吐く。
そうして少女の頭を優しく撫でると、男に鋭い視線を投げつけた。
「もう杏子に近付くな」
確かに自分の風体を見れば警戒するのも当たり前だろうと納得している男は静かに少年へ頷く。
だが少年はそれでも気に入らないらしく男を睨み付けたままだ。
「お前には資格がない」
冷たいその声は随分大人びており、到底少年の出すものではなかった。
男は驚きで固まる。
「れいちゃんどうしたの? なんだか怖いよ?」
少女も彼の異変に気付き不安そうに問うと、少年は元の年齢に見合った明るい笑顔に戻った。
「なんでもない。早く家に帰って一緒にオヤツ食べよ」
「うん、そーだね」
いつもの少年と同じ様子に安堵した少女は、大きく頷き差し出された彼の腕を取る。
天使のように可愛らしい子供が二人並ぶとまるで対のようで、それが何故か男に憂いと焦燥、それから酷い後悔の念を起こさせる。
振り向くことなく去っていく二人の後ろ姿を、男は訳の分からない感情に支配されながら見つめ続けた。
最後までお付き合い下さりありがとうございます。
なんか予定していたものと違いホラー色が強くなった気がします。
どうしても全員とケリをつけたかったのですが、短編なので展開が急だったかもしれません。
幼馴染みはストーカーに一生取り憑かれエンドと迷いましたが、開き直ってあからさまなホラーでいきました。
結果生き残ったのは彼だけと言う……。
あ、両親が居た。
番外編として過去に幼馴染みの取り巻きをしていた人視点でアコの死について語らせてみたいのですが、取りあえずは以上で完結です。
またいずれ、気が向いた時にでも書きたいです。
ありがとうございました。