5 伯爵令息キースとの出会い
――キースが神殿に怪我人を連れてきた際のこと。
たまたま手が空いていたミラは、診療所の掃除をしていた。
「聖女様が、自ら清掃なさってるんですか」
表情が乏しいのでわかりづらかったが、驚いている様子のキースに逆に戸惑いながらミラは頷いた。
「ええ、自分で使う部屋は自分で掃除しますし、時間があれば神殿内の清掃にも参加しますよ?」
「聖女が掃除……」
雑巾を持つミラの汚れた手を見下ろし、唸るように呟く。
再び顔を上げ、ミラの顔を見つめる。冷ややかな眼差しにドキリとした。
「――あんた、バカなのか」
一瞬、何を言われたか理解出来なくて固まった。
聞き返す間もなく、キースの背後にいた怪我人が半ベソで痛みを訴えてきたので、すぐにそちらの処置に回ることになった。
怪我人を送り届けるだけしてキースは部屋を出ていってしまったから、その後も話は出来なかった。
あの日は、いきなり貶されて少なからず落ち込んだけれど、回帰した今なら理解出来た。
たとえ平民であっても、聖女になれば高位貴族と同じ扱いを受けるのが慣例だ。
その上公爵家の娘であると判明したミラが、平民出も多い下級神官と同じように掃除をするなど、本来あってはならないことなのだ。
しかし王都の神殿に来た際、ミラはまずその荘厳さに恐れ慄いた。
地元ではあれだけ立派に思えた村の教会も、比べてしまえば兎小屋である。
周りの神官は皆自分より威厳があって、そんな人たちにかしずかれるのが恐れ多くてならなかった。
公爵邸も同じだ、すべてが別世界で怖かった。最初広すぎるベッドでは寝つけず、ソファで寝ていて翌日メイドに驚かれたものだ。
始終おどおどしていた少女に、段々とメイドの態度は変わっていった。
ベッドメイキングはされず、掃除もおざなりになっていき、自室のドレッサーやテーブルにうっすら埃が積もるようになってからは、自分で掃除をするようになった。
神殿でも診療以外の目的で訪ねてくる人は急速に減った。
三時に運ばれてくるはずのお茶は出されなくなり、聖女の力を使い過ぎて気分が悪くなってしまった際も、不調に気づいて声を掛けてくる人は誰もいなかった。
それでもみな表面上は丁寧だったし、母子二人での生活より遥かに楽な暮らしだったから、あの時は不満を感じたりしなかった、けれど。
いくらミラが咎めないからといって、与えられた最低限の仕事をしないのは違う。
自分が平気だから、ではなくて、間違いは間違いだと正すべきだった。
そんな異常な環境の中で、のほほんと雑巾がけなんかしていたミラは確かに愚かに見えたはず。
そう思うから、今はキースの言動に対する遺恨はとくになかった。
「べつに、もしあなたの女癖が本当に悪かろうが、神殿側に立って非難するつもりとかないの。ただ噂を聞いたとき、なんか意外だなって思って気になってたのよ。だってあなたってどっちかというと『女とか、めんどくせえ』みたいに、冷笑してくるタイプにみえるから」
「それもそれで悪意ある偏見だろ」
一度眉を顰めたキースが、ため息を吐く。
「本当なんなんだあんた、先週会ったときと態度、変わり過ぎじゃないか?」
「それは――見栄はってたから」
「見栄?」
「聖女っぽく見られたくて、猫かぶってたのよ」
清らかで慈悲深い、いつでも笑顔を絶やさぬ乙女、自分の中の聖女像を演じていた。
田舎出の芋娘感を少しでも隠したくて言葉遣いも気をつけていた。
「でももう面倒臭くなっちゃったから、やめた」
「――――ハッ!」
一拍おいて鼻で笑われた感じだったが、表情をみると不思議と馬鹿にしている風でもなかった。
気まぐれが働いたらしく、噴水近くのベンチにミラを座らせ自分も隣に腰掛ける。
「質問に答えるが、あんたの言う通り俺は女の扱いなんて本来得意な方じゃない。女遊び云々の噂は、俺が意図して広めた。理由は、父親の後を継ぎたくないからだ」
キースの父、キアン・シルヴァンティス伯爵はこの国の司法大臣を務めている。
将来は長男のキースが、伯爵家とともに大臣の職も継ぐようキアンは望んでいるそうだ。
「俺の夢は王立騎士団に入ることだ。それを父が反対している。士官学校で学ぶことまでは許してくれたが、卒業後は父を補佐するよう言われている。だが領地経営の手伝いはまだしも、王城内で司法行政業務なんて、俺はまっぴらなんだよ。そういうのは異母弟のアレスタの方が向いてるんだ。親戚連中でも俺より弟が伯爵家を継ぐべきって意見のが大半だし。――混血の俺なんかより、な」
毎年五月に行われる花祭りに、他国から巡行に来ていた旅団の踊り子、それがキースの母親だ。
若い時から真面目で厳格と名高かったキアン伯爵のスキャンダルは、当時相当話題になったらしい。
一夜の契りで生まれた赤子が男子だったせいか、キアンはキースを長子として認知するも、母親が伯爵家に留まることは許さず、子供だけ取り上げて屋敷から追い出した、という噂話は社交界に疎いミラの耳にすら届いていた。
一緒に、異国の母親譲りである、キースの褐色の肌についての嘲笑も。
「一応過去の自身の行いを悔いているぽいから、女にだらしないって噂は父が嫌うところだし、噂が出回ればいい加減俺を司法大臣に育てようなんて考えに諦めつけるかと思ったんだが、なかなか難しいな」
「なるほどね、そういうことなら一つ提案があるんだけど」
婚外子がどんな陰口を叩かれるか、身をもって知っているミラは、下手に同情をしめしたりはせず、顔の前で勢いよく人差し指を立ててみせる。
「私と遊びましょ!」
あー? と胡乱気な相手に回帰したことは伏せて説明を試みる。
「さっきも言ったけど私、聖女ぶるのに疲れたの。これからはもっと悪い女になりたいのよ。そのためには男遊びの一つや二つしておきたいわけ」
「ずっと良い子でいた奴が非行に走るみたいなもんか」
「冷笑止めてね」
「べつに笑ってねえよ。けどいいのか、知り合ったばかりの俺に、そんなこと頼んで」
「あなたが一番信頼できるわ」
はっきり言い切られ、相手は怪訝そうになる。
「だって、王都に来てから私に『バカだ』って教えてくれたのは、あなただけだったもの」
馬鹿でいてくれた方がなにかと都合がいいから、ミラに忠告らしいことをしてくれる人は、これまで一人もいなかった。
キースは貴族令息としては壊滅的に口が悪いが、その分おためごかしは言わなそうだ。
理由を聞いたキースは一瞬黙った。それから腕を組んで頷く。
「いいぜ、協力してやる」
「ありがとう! ところで――」
両手を打ち鳴らして礼を述べ、肝心なことを尋ねる。
「――男遊びって、なにしたらいいの?」
今度こそはっきり鼻で笑われた。
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