2 前世の終わりと回帰
「ミラっ! きみに神殿の寄付金を横領した罪で逮捕状が出た!」
風の冷たくなってきた十月。神殿の務めを終えて、暖かな自室でくつろいでいたミラの元へ駆け込んできた父の言葉は、完全に寝耳に水だった。
「騎士団がきみの身柄を拘束するためこちらに向かっていると、城にいた友人が早馬で知らせてくれた」
「えっ? いや、お父様? 私横領だなんて!」
「わかってる、ミラがそんなことするわけない! でもシルヴァンティス司法官の元にはすでに十分な証拠が揃っていて、即刻捕らえよと国王陛下からの命だそうだ」
「意味がわかりません」
茫然と呟くミラの手を、父が強く引いて部屋から連れ出す。
「ミラ、いったん屋敷を離れなさい。今裏門に、家紋のない一番目立たぬ馬車を用意している。西区の外れに小さな屋敷があるから、そこに身を隠すんだ。公爵家名義ではない、僕が昔用意した隠れ家だからすぐには見つからないはずだよ」
「でもっ無実なのに逃げるなんて」
「これがきみを、いや我が公爵家を陥れようという策略なら、すぐに無罪を証明するのは難しいかもしれない。その間可愛い娘が牢に繋がれるなんて、僕は許せない」
いつも柔和でどちらかというと気が弱いと思っていた父が、断固とした口調で言い切った。
「暫くの間だけだよ。状況を把握したらすぐ伝えるし、きっと冤罪を晴らしてミラを迎えにいくからね」
馬車にミラを押し込みながら、安心させるように父は微笑んだ。けれど。
「来たぞ、あの娘が聖女だ!」
目的の屋敷前で馬車を降りて小さな前庭へと足を踏み入れた途端、三、四人の兵士に取り囲まれてしまった。
待ち伏せされてた!? 秘密の隠れ家だと聞いたのに。
武装した屈強な男に二の腕を掴まれ、恐怖した。
「離してっ」
咄嗟に腕を振りほどこうとするミラの前、兵士の一人が剣を抜く。
「大人しくしろ!」
刃をちらつかせ脅しをかけてくる。父の懸念通り、弁明する隙は一切与えられない強硬な態度。
さらに兵士はミラの頭をつかんで、芝上に押し倒した。
地面に膝をつかされ、力づくで両手を後ろに回すよう強いられる。
大罪人扱いに憤りが湧く。
「ははっ、まさか聖女様が神殿の金を横領たぁな、こりゃとんだ悪女だぜ」
悪女? 私が? ショックを受けるミラの頤を別の男が掴む。
「見た目はいかにも清純なお嬢さんなのになあ。聖女の力は処女にしか使えないって噂、やっぱりありゃ迷信なんかね」
なんなのコイツら、本当に王立騎士団なの?
いくらなんでも無礼すぎる態度に、一抹の疑惑が湧く。荒れた手で頬を撫でられ、ぞくっとした。
「さわらないでっ!」
「あっ、おいこら、暴れんな!」
渾身の力で、一瞬拘束が緩んだ隙に必死に逃れようと前へ踏み出す。駆けだそうとしたところ髪を鷲掴まれて、ますます激しくミラは抵抗した。
「痛いっ、やめて」
恐怖に駆られただがむしゃらに身を捩った、その時。脇腹に鋭い熱が走った。一瞬遅れてくる激しい痛み。声にもならない悲鳴を上げて、ミラはその場に崩れ落ちた。
「え……」
脇腹を押さえれば熱い液体がべったりと手につく。
すぐに両手から溢れた大量の血が、ドレスへ芝へと広がっていく。倒れ込んだミラの傍、刃先を赤く染めた剣が落ちているのが視界に入った。
「馬鹿っ、てめえ何やって!」
「違うっ、こいつがいきなり向かってくるから! わざとじゃねえ」
「どーすんだよ! 必ず生け捕りにしろって話だったろうが!」
溢れだす血はとても熱いのに、体は刻々と冷えていく。脇腹の傷をふさごうと聖女の力を振り絞るも、痛みと寒気で集中出来ない。
母の死後学んだのは、聖女の力は全然万能ではないということ。一度に使える力の量は限られているし、小さな傷ならまだしも、深い傷を瞬時に消すほどの魔法じみた力じゃない。
聖女だろうが、血が流れ過ぎれば死ぬ。徐々に傷口は塞がっていくのを感じたが、冷え固まった体を動かすことが出来ず、ミラの視界はぼやけていく。
なにこれ、私こんなんで死ぬの?
聖女になったところで、母は死んだ。それでも与えられた使命があるならと神殿で奉仕をしてきたのに、濡れ衣着せられた挙句、殺されるなんて。
あんまりじゃない? と腹が立った。惨めで情けなくて涙が溢れる。
どうにかしてよ、女神様。本当にいるなら、助けてよ。ねえ! 女神さまっ!
祈るというには乱暴な願いとともに、ミラはきつく瞳を閉じた。
――次に目を開けたとき、ミラは公爵家のベッドの上だった。
脇腹に傷などなく、朝方の屋敷は平穏そのまま。
慌ててメイドに今日の日付を問うと、刺された日から半年前まで時が遡っていた。
長い夢でも見ていたようだが、あの時の痛みが夢だったとは思えない。死に際のミラを流石に哀れんだのか、それともすべてが女神の気まぐれな悪戯なのか。
わからないけれど、二度目のチャンスを得たのなら、今度はあんな無様な死に方なんてしたくない。
そう心に決めたのが、昨日の朝のこと。
まずは小さな傷でぎゃあぎゃあ大袈裟に騒ぐ男爵令嬢たちを無視してやった。
あんな傷でいちいち同情していた過去の自分はアホみたいだ。
あの時は知る由なかったが、粗相してティーポットを割ったメイドは、罰として両手の甲を鞭で打たれ、令嬢の何倍もの傷をつけられたそうだ。
割った豪華なポットの弁償代は、メイドの二か月分の給料と同等。
「令嬢を傷つけたメイド」の烙印とともに紹介状もなく男爵家を追い出されたなら、きっと次の働き口を探すのも難しい、そう今なら想像がつく。
男爵令嬢より、そのメイドの傷を治してあげたかった、と後悔した。
何も考えずにただ頼まれるがまま、諾々と聖女の力を使っていた日々を思い起こすとうんざりする。
過去を変えるために何をすればよいのか、まだ具体的な案はないものの、まずは小さなことからでも変えていかなくては。
そんな決意を抱きながら、ミラは寝室から続くドレッシングルームへと移動した。
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