14 ミラの後悔
「講義、お疲れ様です、ミラさん」
講義を終えて一人になったところで、ラルフが姿を見せる。今日はこの後貧民街の方へ診療に出向くので、神殿の前までキースが出迎えてくれた。
三人で馬車に向かうと、ラルフがミラに手を差し伸べた。ラルフに右手を預けて馬車へ乗り込む。
次いでさっとミラの隣横に座った彼を、キースがどこか物言いたげな顔で見るが、ラルフはそっぽを向いている。キースは嘆息し、黙って一人、前の席に腰掛けた。
最初の印象の悪さから、ラルフはまだキースに心を許してないらしい。
「――講義はどうだった?」
「ピエルネ神官の講義は、話が脱線しがちなとこがあったけど、その分親しみやすくて面白かったわ。教科書のお手本のように字がきれいで、板書もすごくわかりやすかった。下級神官たちからも慕われてる感じで、良い人そうだったな」
走り出した馬車の中、度々生徒の笑い声が起こる和やかな授業風景をミラは思い起こす。
「オルガ神官の方は、すごいスピードでみっちり板書してくからついてくのが大変だった。私語も一切許されないし。でも説明は丁寧だったな。あの厳格そうな人が横領なんて、ちょっと想像つかない感じ」
「俺の方でも人を使って少し調べさせたが、ピエルネはもともと子爵家の長男だったのに、次期当主の座を弟に譲って十代で神殿に入っている。金や権力が欲しけりゃ子爵家を継いでいただろうし、欲のないタイプのようだ」
信仰心が厚い神官として評判だそうだ。
「オルガは平民だが、王都に何店舗もの店を構える、革製品の老舗『サロメ商会』の生まれだ。上に兄が三人いる。実家はかなり裕福だから、金に困っているなんてことはないと思うが」
「個人的にお金に困っているというより、神殿の威厳を高めるための資金ぐりなのかと思いますけど。王室に財源を握られていることに、不満を覚えている神殿関係者もいると聞きます」
「やっぱり、一番怪しいのはコルベル大神官よね! あのがめつい頑固ジジイ!!」
聖女が大神官に使うとは思えぬ台詞に、ラルフは目を瞬かせている。レオならミラの口の悪さに膝を叩いて喜ぶ場面だが、ラルフとのジャンケンに負けた彼は、只今王城の書類管理室へ侵入中である。
現在神殿の聖女受付には「寄付の金額に関わらず、診療は重症者から優先的に行う」ことを明示した貼り紙を掲示している。また「緊急性のない怪我や病気での診療はお断りする」旨も記載した。
強引に受付を突破してミラのところへ押しかけてくる者は、ラルフが丁寧かつ有無を言わさない態度で追い出してくれた。
大抵の貴族は、精霊の神々しさに気圧され大人しくなるし、また珍しい精霊の姿が見られたということで、それなりに満足して帰っていった。
しかしコルベルは、この貼り紙に反対しているのだ。
先日もこの貼り紙をめぐり、ミラと大神官は受付で激しい対立を繰り広げた。
剥がせ、剥がすなの押し問答の末、最終的に「勝手に剥がしたら神殿ではもう聖女の力は使わない」とまで脅しをかけて、ミラが勝利したのだが、その間板挟みになった下級神官たちは、ちょっとかわいそうだった。
「診るは私なんだから、指図される謂れはないっていうの! 自分が大神官の時代に聖女が生まれて光栄だとか、これまで散々持ち上げてきたくせに、私が意見するようになったら、手の平返しちゃって。ただの寄付金目当てなんじゃない。去年より確実に儲けてるくせに、さらにそこから横領するとか強欲もいいとこよね!」
「まあ横領はまだ証拠がないんだが……」
鬱憤溜まっているミラの勢いに、やや引き気味にキースが口を挟む。
「神殿にはドレスでくるなとか、どうでもいいことばっかりネチネチ言ってきて、貧民街の救済計画については全然進めようとしないし」
前世では公明正大な人だとか勘違いしていたのが恥ずかしい。
軽症の貴族を診ないで済むようになった分出来た時間で、ミラは下町へ往診に出るようになったが、一人で出来ることには限界がある。
定期的な往診を増やし、また事故などによる突発的な怪我などにも十分に対応するためには、他の神官たちのサポートも必要だった。
「そもそも清潔な寝床や、まともな食事を用意してあげて、病気になる人をもっと減らしていかないと……」
今まで貧民街の現状を知らずにいた分、焦りが滲むミラにキースが釘を刺す。
「それに関しては、国が主体となって何年も前から少しずつ進めている福祉事業の問題だ。――あんまり、あんた一人で抱え込まない方がいい」
キースの普段聞かない優しい声音に、胸の内がぐらりと揺すられる。
「で、でも、私は聖女に選ばれたんだから、もっとちゃんと頑張らなきゃ、……私頭良くないし、歴代の聖女にはもっと力の強い人もいたっていうのに、私はそこまでじゃないし……だから、出来ることは、もっとやらなきゃ」
「大丈夫ですか、ミラさん? ちょっと疲れてるようですけど」
確かに、蘇って以降、前世とは違った新しい取り組みをする多忙な日々に、やや疲れが溜まっていた。
「ミラ、あんたは俺に『聖女らしく演じるのはやめる』みたいなこと言ってなかったか。その割には未だ『完璧な聖女様』になることに固執してるように見えるが」
「それは…だって、じゃないと……」
心を揺すられた途端、胸の中にある重たい蓋が、ごとりと音を立ててずれる。
「…………聖女として失望されたら、お父様が、私のこと嫌いになるかも」
「ああ? 何言って……」
「今だって、すごく優しくしてくれるけど、本当は内心、なんでお母さんのこと救えなかったのかって、思ってるんじゃ……私が、全然ダメな聖女なせいでって」
あの時のことを思い出すたびに、情けなさで目の奥が熱くなる。
どうせ時が戻るなら、母が事故に遭う前に戻してくれたならと、どうしても思わずにはいられなかった。
「私があの時もっとうまく力を使えたら、もっと前から力に目覚めてたらっ――お母さんは死ななくて済んだのに!!」
考える度に泣きたくなって、でも泣く資格すらないようで、ただ蓋をして抑えてきた自責の念が、噴き出してくる。
膝の上に乗せた拳をきつく握り締める。涙が零れそうになるのを、ぐっと堪えた、その時。
前から伸びた手がミラの拳に、横から伸びた手が肩に、力強く触れた。
「んなことねえよ!」
「そんなことないです!」
隣に座るラルフはミラの瞳を真剣に覗き込む。
「力の発現のタイミングも、力の強さも、すべては女神様の一存で決まることで、その、お母様のことは残念でしたけど、ミラさんのせいとかはないです!」
キースが握った手にぎゅっと力を込めて頷く。
「そうだ、女神はすべての年代の歴史書に必ず『気まぐれ』って記されてるくらいだから、相当の気まぐれだ。だから――あんたが気にすることじゃない」
肩を支える手から、握られた手から、じんわりと熱が伝わってくる。
二人の熱が、零れかけたミラの涙を乾かす。
「……ありがとう」
抱えていた重りが、やっと外れたようで、ミラは小さく微笑んだ。
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