第13話:悪役令嬢だけで、王国攻略完了です
王国中枢会議室には、女王の席があった。
その右隣には、王太子の席がある。王国の政務において、王太子が女王を補佐し、次代の統治者として王国運用に関わるための席だった。
王太子アルフォンスは、その席に座っていた。
背後には、王太子派の側近。少し離れた場所に、内務卿。教会代表、近衛隊長、書記官、各部署の責任者たちが並んでいる。
そして、扉の前にはエリザベート・ローゼンベルクが立っていた。
黒革の名簿を手にしている。その背後には、六人の令嬢が並んでいた。セレスティア。マルグリット。ルクレツィア。エレオノーラ。ロザリンド。イリス。
王国が悪役と呼んで切り捨てた職能が、女王の正式命令によって王国中枢へ入っていた。
「最後の確認を行います」
女王の声が、会議室に落ちた。
「王太子アルフォンス。あなたは、自分の席と権限をもって、王国を動かせると主張しました」
「当然です」
アルフォンスは、王太子の席から立ち上がらずに言った。
「私は王太子です。王国の中枢に座る資格がある。悪役令嬢どもが、いくら騒ごうと、その事実は変わらない」
女王は、感情を見せなかった。
「では、示しなさい」
書記官が、王太子派の提出した中枢運用案を広げた。
王都治安回復。聖女巡幸再編。王宮予算再承認。魔法設備安全宣言。近衛警備再配置。評議会記録確定。救護計画再提出。
アルフォンスは、強く顎を上げる。
「これが、王太子派による正式な中枢運用案です。女王陛下の印章があれば、ただちに動かせます」
エリザベートは、静かに名簿を開いた。
「確認します」
アルフォンスの眉が動く。
「またか」
「正式権限をいただいておりますので」
エリザベートは、王太子派の運用案を見た。
「社交」
セレスティアが一歩前へ出る。
「主要家門の承認欄が、保留のままです」
王太子派の側近が顔をこわばらせる。
「招集状は再送した」
「再送はされました。ですが、宛名、序列、返答期限、席順案のすべてに確認待ちがついております」
セレスティアは扇を閉じた。
「王国中枢案は、出せば通る紙ではありません。誰がどの位置で承認したかまで含めて、初めて政務になります」
女王は何も言わない。
エリザベートは次の頁をめくる。
「経理」
マルグリットが帳簿を開いた。
「王宮予算再承認案、財源欄が不備です。未精算の式典費、未承認の追加演出費、入金されていない協賛金が、すべて承認済み扱いで計上されています」
「王国中枢の承認があれば動く」
アルフォンスが言う。
「動きません」
マルグリットは即答した。
「中枢承認は、未入金を入金済みに変える印章ではありません」
会議室の空気が冷えた。
「王国の金庫は、最後の席に座っても開きません」
アルフォンスの顔が赤くなる。
エリザベートは続けた。
「魔法」
ルクレツィアが水晶板を置く。
「魔法設備安全宣言。根拠がありません」
教会代表が慌てて声を上げる。
「設備は調整中であり――」
「調整中のものを、安全宣言にはできません」
ルクレツィアは、水晶板に指を置いた。
「祈祷台、証言台、舞踏会照明、巡幸用補助具。すべて、記録と実配置が一致していません」
彼女は淡々と言った。
「直っていないものを、王命で光らせても、直ったことにはなりません」
アルフォンスは机を叩いた。
「次だ!」
エリザベートは、表情を変えない。
「騎士」
エレオノーラが警備配置図を見た。
「近衛警備再配置案。王宮中枢周辺だけが厚すぎます」
「中枢を守るのは当然だ」
「中枢へ続く物資線が死にます」
エレオノーラは、地図の端を指した。
「南倉庫から治療所へ。西門から市場へ。教会前広場から王宮医務室へ。すべて細くなっています」
近衛隊長が、苦い顔で目を伏せた。
エレオノーラは続ける。
「王太子の席を守るために、王国の道を塞いでいます」
その一言で、会議室は静まった。
「情報」
ロザリンドが、薄い紙束を開いた。
「評議会記録確定案。三種類あった命令書のうち、王太子派にもっとも都合のよいものだけを最新版として扱っています」
書記官の手が止まる。
「ですが、三種類すべてに最新版の印がありました。どれを消すかではなく、なぜ三つ出たかを記録すべきです」
アルフォンスが睨む。
「記録は整えるものだ」
「はい」
ロザリンドは微笑んだ。
「ですが、整えることと、都合の悪い紙をなかったことにすることは違います」
彼女は紙束を閉じた。
「中枢記録、確定不可です」
エリザベートは最後の頁を見る。
「救護」
イリスが、救護計画書を手に取った。
「救護計画再提出案。巡幸場所はあります。観覧席もあります。祈祷台の設置予定もあります」
神官が少しだけ安堵する。
だが、イリスは顔を上げた。
「診る人の名前が、まだありません」
その安堵は消えた。
「症状も、順番も、移動手段も、治療後の確認もありません」
イリスは、静かに言った。
「これでは、王国中枢で承認されても、傷は塞がりません」
会議室の中に、長い沈黙が落ちた。
* * *
王太子派の中枢運用案は、机の上で止まっていた。
社交で承認が取れない。経理で金が動かない。魔法で安全が示せない。騎士で道が塞がる。情報で記録が確定できない。救護で患者がいない。
王太子の席に座ったまま、アルフォンスは何も動かせなかった。
「違う」
彼は低く言った。
「お前たちが邪魔をしているだけだ」
エリザベートは、静かに彼を見た。
「止める権限は、正式にいただいております」
「私の権限が上だ!」
アルフォンスは立ち上がった。
「私は王太子だ。この席は私のものだ。王国中枢において、私の命令は――」
「王太子の席も」
エリザベートは、遮った。
「座っただけでは、王国を動かせませんわ」
会議室の空気が、完全に止まった。
それは、夜会の席でもあった。舞踏会の中央でもあった。評議会の椅子でもあった。そして今、王太子の席でもあった。
座るだけでは、中心にはなれない。座るだけでは、票にはならない。座るだけでは、政務にはならない。
アルフォンスの顔が歪む。
「リリアーナ!」
彼は、部屋の端に控えていた聖女リリアーナを見た。
「君からも言え。王国に必要なのは、正統な聖女と王太子だと」
リリアーナは、両手を胸の前で重ねた。
けれど、前へ出なかった。
「私は……祈れます」
小さな声だった。
「でも、王国を動かすことはできません」
アルフォンスが息を呑む。
「リリアーナ……」
「私は、祈れます。でも、誰を診るかも、どこへ行くかも、何が本当に必要かも、分かりません」
リリアーナは、イリスを見た。
「それを、できる方がいます」
それは告発ではなかった。寝返りでもなかった。ただ、リリアーナが自分にできることと、できないことを初めて分けた瞬間だった。
アルフォンスの隣から、最後の白い飾りが外れた。
エリザベートは、黒革の名簿へ一行だけ書き加えた。
『聖女リリアーナ――祈り。運用には補助を要する』
「それも、役割の一つですわ」
女王は、静かに立ち上がった。
「王太子アルフォンス」
アルフォンスが女王を見る。
「あなたが王国中枢を動かす権限を、臨時停止します」
「母上!」
「あなたの席は、王国を止めるための席ではありません」
女王の声は、冷たかった。
「空けなさい」
王太子の席を前に、会議室の誰もが息を止めた。
近衛隊長は動かない。内務卿も、反論しない。書記官は、震える手で新しい記録を取り始める。
アルフォンスは、女王を睨んだ。だが、誰も彼のために前へ出なかった。
ゆっくりと、彼は王太子の席から一歩下がった。
王国中枢に、空席ができた。
* * *
女王は、その空いた席を見た。
「エリザベート・ローゼンベルク」
「はい」
「この席に、座りますか」
会議室に緊張が走った。王太子の席。女王の右隣。王国中枢を動かすための席。
エリザベートは、その席を見た。それから、黒革の名簿を開いた。
「いいえ」
女王の眉が、わずかに動く。
エリザベートは、王太子の席の上に、黒革の名簿を置いた。
「一人で座る席ではありませんので」
セレスティアが、静かに一歩進む。マルグリットが、その横に立つ。ルクレツィアが水晶板を下ろす。エレオノーラが地図を見る。ロザリンドが記録の控えを整える。イリスが救護名簿を胸に抱く。
王太子に残された最後の席は、一人の女に奪われたのではない。悪役令嬢パーティーに奪われた。
女王は、それを見て、短く息を吐いた。
「よろしい」
それだけだった。
謝罪はない。赦しもない。婚約の回復もない。あるのは、王国機能の移動だけだった。
エリザベートは、名簿の最後の欄を開いた。
王命。中枢。攻略完了。
黒い手袋の指先が、最後の欄に印をつける。
「王国中枢、取得」
アルフォンスは、何かを言おうとした。だが、言葉は出なかった。
断罪式は、結成式に変わった。
夜会の席は、空いた。
金庫は、閉じた。
奇跡は、手順に戻された。
剣は、止まった。
断罪台本は、読まれた。
偽聖女は、本物の治癒を見せた。
再断罪式は、処刑台に変わった。
舞踏会の中央は、奪われた。
評議会は、止まった。
王太子派だけの一日は、崩れた。
女王の印章は、悪役令嬢たちに権限を与えた。
そして今、王太子に残された最後の席も、空いた。
エリザベートは、アルフォンスを見た。
「婚約者の席は、不要でしたわ」
静かな声だった。
「悪役令嬢だけで、王国攻略には十分でしたもの」
王国が悪役と呼んだ女たちは、王国中枢に立っていた。
エリザベートは、黒革の名簿を閉じる。
「王国攻略、完了」
その言葉が、王国中枢会議室に残った。
悪役令嬢だけで組んだパーティーは、王国を落とした。




