第1話:悪役令嬢は、断罪式でパーティーを結成する
「エリザベート・ローゼンベルク」
王宮大広間に、王太子アルフォンスの声が響いた。
金の燭台。磨き上げられた白大理石の床。王国中の貴族たちが見守る中、アルフォンスは一歩前へ出る。
その隣では、聖女リリアーナが小さく肩を震わせていた。泣いている。正確には、泣いているように見える角度で、伏し目がちに立っている。
「私は本日をもって、お前との婚約を破棄する」
ざわめきが広がった。だが、誰も驚いてはいない。
この場に集められた貴族たちは、今日何が起きるかを知っていた。これは婚約発表の式典ではない。王太子が、不要になった公爵令嬢を社交界の中心で切り捨てるための、公開断罪だった。
エリザベートは、広間の中央で静かに立っていた。
濃紫のドレス。黒い手袋。銀糸で縁取られた扇。ローゼンベルク公爵家の令嬢らしく、背筋は一分の乱れもない。
泣かない。縋らない。膝も折らない。
だからこそ、周囲の者たちは少しだけ不満そうだった。断罪される悪女には、もっとふさわしい顔があるはずだったからだ。
「理由を、お聞かせいただけますか」
エリザベートが言った。声は、驚くほど穏やかだった。
アルフォンスは勝ち誇ったように顎を上げる。
「まだ白を切るつもりか。お前は聖女リリアーナへの嫉妬から、数々の嫌がらせを行った。夜会では彼女への招待状を遅らせ、席順を操作し、下位貴族の席へ追いやった。彼女に近づく令嬢たちへ悪評を流し、寄付金の流れを妨げ、聖女認定の儀式にまで干渉した」
貴族たちの間から、低い非難の声が上がる。
「さらには、彼女を守る騎士に圧力をかけ、書簡を盗み見たとの証言もある。嫉妬に狂った悪役令嬢として、これ以上王家の隣に置くことはできない」
そこで、拍手が起きた。最初は王太子派の伯爵家から。次に、聖女を支持する夫人たち。やがて広間の半分ほどが、正義に賛同する者の顔で手を叩いた。
エリザベートは、その拍手を最後まで聞いた。
扇を閉じる。
「罪状は、それで全部ですか?」
アルフォンスの眉が動いた。
「まだ足りないと言うのか」
「いいえ」
エリザベートは、ゆっくりと微笑んだ。
「分類が済んだだけですわ」
拍手が、少しだけ乱れた。
「分類?」
「招待状、席順、噂。これは社交導線」
エリザベートは指を一本立てた。
「寄付金、支援費、王宮予算。これは資金線」
二本目。
「聖女認定の儀式、補助具、魔法陣。これは魔法解析」
三本目。
「護衛、騎士、圧力。これは戦力配置」
四本目。
「書簡、証言、噂の発生源。これは情報線」
五本目。
「そして聖女リリアーナ様への嫉妬」
エリザベートは、そこでリリアーナを見た。
「これは、教会攻略ですわね」
広間が静まった。アルフォンスが、苛立った声を出す。
「何を言っている」
「殿下が並べてくださったのです。王国が、どの機能を『悪役令嬢の罪』として切り捨ててきたのかを」
エリザベートは黒い手袋の指先で、扇の柄を押した。小さな金具が外れる。扇の内側から、薄い黒革の冊子が滑り出た。
表紙には、金の文字で短く記されている。
『悪役令嬢名簿』
アルフォンスが嘲笑した。
「自分の罪を数える名簿か」
「いいえ」
エリザベートは冊子を開いた。
「攻略職の一覧ですわ」
ざわめきが走った。エリザベートはページをめくる。細い見出しが並んでいた。
社交。経理。魔法。騎士。情報。聖女候補。
その下には、王国各地で「悪女」「偽者」「危険」「不適格」と呼ばれ、社交界から処理された令嬢たちの名が記されていた。
「あなた方は、私たちを悪役と呼びましたね」
エリザベートの声は、よく通った。
「悪役令嬢の名簿は、断罪されてから作るものではありませんわ」
「では、その悪役だけで王国を攻略して差し上げます」
その瞬間、広間の空気が変わった。断罪されるはずの令嬢が、断罪の中心で別の式典を始めていた。
「エリザベート・ローゼンベルク」
彼女は、自分の名を告げる。
「役割は、編成者」
アルフォンスは一瞬、言葉を失った。だが、すぐに怒りで頬を染める。
「悪役令嬢だけで、何ができる」
エリザベートは、扉の方へ視線を向けた。
「王国くらいなら、落とせますわ」
* * *
大広間の扉が、外側から開いた。
入ってきたのは、一人の令嬢だった。
淡い青のドレス。白い手袋。細い首にかかる真珠の飾り。彼女は一年前、夜会で男爵令嬢をいじめた悪女として社交界から追放された令嬢である。
セレスティア・ヴァレンティス。
かつて王太子派の偽証を止めようとして、逆に悪女にされた女。
彼女は泣いていなかった。救われた者の顔でもなかった。むしろ、遅れて到着した夜会の主賓のように、完璧な礼をした。
「ご指示どおり、王太子殿下派の招待状導線を確認してまいりました」
エリザベートは名簿の一ページを開く。
「一人目。セレスティア・ヴァレンティス」
金の文字で、その名をなぞる。
「役割は、社交」
アルフォンスが声を荒げた。
「セレスティアだと? その女は社交界から追放された悪女だ!」
「ええ」
セレスティアはにこりと笑った。
「ですので、追放される前に覚えていたものを、少々使わせていただきました」
「何をした」
「今夜の王太子派夜会についてです」
広間にいた何人かの貴族が、目をそらした。その反応だけで、セレスティアの言葉が嘘ではないと分かる。
「主要招待客の返答が、三十通、保留に変わりました」
「欠席ではないのだろう!」
「はい。欠席ではありません」
セレスティアは優雅にうなずいた。
「保留です。社交界では、欠席よりもずっと重い」
アルフォンスの顔色が変わる。今夜の夜会は、王太子派にとって重要だった。
エリザベートを断罪した後、聖女リリアーナを新しい中心として紹介する。貴族たちに拍手させ、王太子派の勝利を固定する。そのための場だった。
だが、招待客が保留に回れば、話は違う。欠席なら敵対だ。しかし保留は、様子見である。勝ち馬がどちらかを見極めるという、もっと露骨な沈黙だ。
「なぜだ」
アルフォンスが呻くように言った。
「なぜ、私の夜会を保留する者が出る」
「皆さま、勝ち馬に乗るのはお好きですが」
セレスティアは、王太子へ視線を向けた。
「沈みかけの船に、座席を固定されるのはお嫌いですので」
先ほどまで拍手をしていた者たちの手が、完全に止まっていた。誰も次の拍手をしない。王太子の断罪式だったはずの広間で、最初に崩れたのは、王太子派の夜会だった。
リリアーナが小さく震える。
「そんな……どうして……」
エリザベートは、彼女に憎しみを向けなかった。まだだ。聖女の奇跡は、別の担当が分解する。教会の信仰は、別の担当が奪う。今は、社交の番だった。
「殿下」
エリザベートは、アルフォンスを見る。
「悪役令嬢を一人捨てれば、都合の悪いものが消えるとお思いでしたか?」
「エリザベート……!」
「残念ですわ。王国が捨てたものは、まだ残っています」
彼女は名簿を閉じた。
「しかも、分類済みです」
セレスティアが一歩下がり、エリザベートの隣に立つ。二人並んだだけで、広間の中心が変わった。
さきほどまで、そこは王太子が悪女を裁く場所だった。今は違う。王国が悪役と呼んだ女たちの、最初の集合地点になっていた。
「では、最初の攻略を始めましょう」
エリザベートは言った。
「王太子派の夜会から、席を奪います」
セレスティアは、楽しげに目を細める。
「空席は、社交界で最も静かな断罪ですもの」
アルフォンスが何かを叫んだ。だが、その声はもう、広間の全員には届いていなかった。
貴族たちは互いの顔を見ている。今夜の夜会に出るべきか。返答を保留にすべきか。あるいは、王太子派という船が本当に沈み始めているのか。彼らの目が、答えを探して揺れている。
エリザベートは、その揺れを見た。
婚約者の席は、空いた。
代わりに、王国攻略の一枠目が埋まった。




