祖母は知っていた
土曜日の朝、俺たちは電車に乗った。
俺と朝倉と、水無瀬凛の三人。
凛は初めて会ったときから変わらず、よく喋った。電車の中でも、景色を見ながら「あの山きれいですね」とか「あの川、なんか変な感じがします」とか、絶えず何かを言っていた。
朝倉は窓の外を見たまま、あまり答えなかった。
俺が間を埋めた。
「凛、霊感はいつからあるんだ」
「物心ついた頃からです。最初は普通のことだと思ってたんですけど、小学校に上がったら周りに同じ子がいなくて」凛は少し笑った。「おかしいのかなって思ってたら、おばあちゃんが言ったんです。うちの家はそういう家だって」
「水無瀬家が代々、土の下を守ってきた、という話だな」
「はい。でも詳しいことは教えてもらえなくて。おばあちゃんも、あまり知らないみたいで」凛は朝倉を見た。「朝倉先輩のおばあちゃんが、知ってるんですか」
「たぶん」朝倉は窓から目を離さずに言った。「でも話してくれるかどうかは、会ってみないと分からない」
朝倉の祖母が住む家は、山間の小さな集落にあった。
古い日本家屋で、庭に大きな柿の木があった。まだ春だから実はなかったけど、枝が広がって空を覆っていた。
玄関の前に、老婆が立っていた。
小柄で、白髪で、背筋が伸びていた。朝倉に顔が似ていた。目が同じだった。静かで、でも何かを見透かすような目。
「詩音」祖母は朝倉を見た。それから俺を見た。それから凛を見た。
凛を見た瞬間、祖母の表情が変わった。
怖がっているんじゃなかった。泣きそうな顔だった。
「……来たか」祖母は静かに言った。「水無瀬の子が」
座敷に通された。
四人で座った。祖母がお茶を出してくれた。
しばらく誰も喋らなかった。
祖母が口を開いた。
「詩音から聞いた。瀬戸神社のことを、片付けてくれたと」
「はい」と朝倉が言った。
「白哉さんを、送ってあげられたと」
「桐島くんのお父さんが来てくれて、儀式をしてもらいました」
祖母は目を閉じた。
「よかった。ずっと気になっていた」祖母はお茶を一口飲んだ。「白哉さんは、いい人だった。子どもの頃、一度だけ見たことがある。山で」
「祖母さんも見えるんですか」と俺は聞いた。
「若い頃は見えた。今は薄れてしまったけれど」祖母は凛を見た。「あなたはよく見えるね」
「はい」凛は真剣な顔で答えた。「ここに来る途中も、いろいろ見えました」
「そうだろう。この辺りは古い土地だから」祖母は手を膝に置いた。「さて。話しましょうか。私が知っていることを、全部」
祖母が語り始めた。
朝倉家の、本当の話。
もともと朝倉家と水無瀬家は、同じ一族だった。名前は水無瀬。この土地に何百年も前から住む、古い一族だ。
「何百年前ですか」と朝倉が聞いた。
「瀬戸神社より古い。神社が建つ前から、この土地にいた」
「神社以前から」俺は言った。「じゃあ、この土地には神社より前に何かがあったんですか」
「あった」祖母は静かに言った。「神社じゃない。もっと古い、人間が名前をつける前の何かが、この土地の地下に眠っていた」
座敷が静かになった。
「水無瀬一族は、それを守る役目を持っていた。世代から世代へ、ずっと」祖母は続けた。「でも、ある時代に一族が二つに分かれた」
「なぜ分かれたんですか」と凛が聞いた。
祖母は凛を見た。
「あなたの一族と、私の一族が、意見を違えたから」
祖母が語ったのは、江戸時代の終わり頃の話だった。
水無瀬一族の中で、大きな議論が起きた。
地下に眠るものを、このまま封じ続けるべきか。それとも、解放すべきか。
「解放?」俺は聞いた。「危険なものじゃないんですか」
「危険かどうかは、見方による」祖母は言った。
「地下に眠るものは、古い神だ。瀬戸神社の神より、もっと原始的な。土と水を司る、この土地そのものみたいな存在」
「それを解放したいと思った人たちがいたんですね」と朝倉が言った。
「そう。解放すれば、この土地が豊かになると信じていた人たちが」祖母は目を伏せた。「でも解放した場合のリスクも大きかった。制御できなければ、この土地ごと飲み込まれる」
「意見が割れて、一族が分かれた」
「そう。封じ続けることを選んだ者たちが、名前を変えた。それが朝倉家だ」祖母は凛を見た。「解放を望んだ者たちが、水無瀬家として残った。
沈黙が落ちた。
凛が静かに言った。
「うちのおばあちゃんは、解放を望んでいた一族の末裔だったんですね」
「そうだ」
「でも——私は解放したいとは思っていません」凛は真剣な顔で言った。「私が感じているのは、怖さだけです。あれを解放してはいけないと思う」
祖母は凛をじっと見た。
「あなたは、ご両親から何か聞かされていないか」
「何も。おばあちゃんからも、詳しいことは聞けないまま亡くなってしまって」
祖母は少し目を細めた。
「水無瀬家の中でも、代が変わるにつれて考えが変わっていったのかもしれない」祖母は小さく息をついた。「それは、よかった」
「でも」朝倉が言った。「春になって、地下の何かが動き始めている。桐島くんが地面の下から目を見た。なぜ今、動き始めたんですか」
祖母は窓の外を見た。
春の庭に、柿の木が枝を広げていた。
「瀬戸神社が閉じられたから」祖母は静かに言った。
俺たちは固まった。
「え?」と俺は言った。
「瀬戸神社は、地下のものを抑える役割も担っていた。神社が正しく機能している間は、地下のものも眠り続けていた。でも——」祖母は俺を見た。「神社を閉じてしまったから。完全に閉じてしまったから、抑えが弱くなった」
俺は頭を抱えたくなった。
「俺たちが——白哉さんを帰したことで、封印が弱くなったのか」
「あなたたちが悪いわけじゃない」祖母は言った。「白哉さんを帰してあげることは、正しかった。でも同時に、新しい問題が生まれた」
「封印を、どうすればいいんですか」と朝倉が聞いた。
祖母はしばらく黙っていた。
「地下のものを封じるには、水無瀬一族本来の儀式が必要だ。でもその儀式を知っている者が、もうほとんどいない」祖母は手を見た。皺だらけの、細い手。「私も、半分しか知らない」
「半分?」
「儀式は二人でやるものだ。朝倉家の者と、水無瀬家の者が、共同で行う。一族が分かれる前の儀式だから」祖母は凛を見て、朝倉を見た。「二人揃って、初めて完成する」
朝倉と凛が、顔を見合わせた。
「私たちが、一緒にやるんですね」と凛が言った。
「そうなる」祖母は頷いた。「でも儀式の内容を、私は半分しか知らない。残り半分は——水無瀬家の者が持っているはずだ」
「凛のおばあちゃんが亡くなってしまったなら」俺は言った。「残り半分は、どこに」
祖母は立ち上がった。
奥の部屋に消えて、少しして戻ってきた。
古い巻物を持っていた。
「これが、私が知っている半分だ」祖母は巻物を朝倉に渡した。「水無瀬家の半分は——凛さん、あなたの家に残っているはずだ。探してみなさい」
凛は頷いた。
「帰ったら、探します」
帰り際、祖母が玄関で俺を呼び止めた。
朝倉と凛が先に外に出た後、祖母は小声で言った。
「桐島くん」
「はい」
「詩音を、頼む」
「……はい」
「あの子は強いけれど、一人で抱えすぎる」祖母は俺を見た。朝倉と同じ目だった。でも朝倉より、ずっと深いものが宿っていた。「今回の儀式は、詩音にとって重い意味を持つ。朝倉家として、向き合わなければならないことがある」
「朝倉家として、というのは」
「儀式の中で、分かる」祖母は静かに言った。「そのとき、隣にいてあげなさい」
俺は頷いた。
「必ずいます」
祖母は小さく微笑んだ。
「詩音が選んだのが、あなたでよかった」
帰りの電車、三人並んで座った。
凛はさすがに疲れたのか、窓に寄りかかって静かだった。
朝倉が巻物を膝の上に置いたまま、窓の外を見ていた。
「大丈夫か」と俺は聞いた。
「大丈夫」朝倉は言った。でも少し間があった。「重いな、と思って」
「朝倉家の話が?」
「一族が分かれた。封じることを選んだ側が、私の先祖。でも封印が弱くなったのは、私たちが神社を閉じたせいでもある」朝倉は巻物を見た。「朝倉家が作った問題を、朝倉家が解決する。そういうことかもしれない」
「お前のせいじゃない」
「分かってる。でも——」朝倉は少し黙った。「責任を感じる。それは事実だから」
俺は何も言わなかった。
代わりに、朝倉の隣に少し近づいた。
朝倉は気づいていたと思う。でも何も言わなかった。ただ、肩の力が少し抜けた。
凛が目を開けた。
「先輩たち、仲いいですね」
「そんなことない」と朝倉が言った。
「そうですか?」凛は眠そうな顔で微笑んだ。「私には、すごく仲よく見えます」
朝倉は窓の外を向いた。
耳が赤かった。
家に帰って、俺はベッドに横になった。
天井を見ながら、今日聞いたことを整理した。
神社以前の古い神。水無瀬一族と朝倉一族の分裂。二つに分かれた儀式。地下で目を覚ましつつある何か。
全部が繋がっていた。
でも一つだけ、引っかかることがあった。
祖母が言っていた。
儀式の中で、詩音にとって重い意味を持つことがある。
それが何か、祖母は教えてくれなかった。
スマホが鳴った。
朝倉からだった。
凛から連絡が来た
何だ?家を探したら、見つかったって
水無瀬家の巻物が?
そう。しかも——
少し間があった。
巻物に、朝倉家の巻物と合わせると完成する、と書いてあったって
最初から、合わさるように作られてたんだな
そう思う。一族が分かれても、いつか再び合わさることを、誰かが想定していた
俺は天井を見た。
いつか再び合わさる、か
うん
それって——
何?
俺は少し考えてから、打った。
お前と凛が出会ったのも、最初から決まってたのかもしれないな
しばらく間があった。
……そうかもしれない
怖いか?
少し
でも
でも?
一人じゃないから、大丈夫
俺はスマホを置いた。
窓の外に、春の夜空が広がっていた。
地面の下で、何かが目を覚ましつつある。
でも今夜は、それでいい。
俺たちには、まだ時間がある。




