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朝倉詩音の怪異録  作者: ゆるっとおやじ


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1/13

それに触れた

六月の終わり、放課後の教室はやけに静かだった。

 窓の外では蝉がうるさいほど鳴いているのに、教室の中だけ音が死んでいるみたいだった。クラスメイトはとっくに帰っていて、残っているのは俺だけ、二年三組の桐島湊だけだ。

 掃除当番をさぼった罰として、一人で教室の隅々まで拭くように言われた。別にいい。どうせ部活もないし、帰っても誰もいない家が待っているだけだ。


 バケツに絞った雑巾を手に、俺は一番後ろの列の机を拭いていった。

 そのとき、気づいた。

 一番端の席——窓際の、誰も座っていない席の引き出しに、何かが入っていた。

 折り紙だ。赤い折り紙で折られた、小さな人形。

 誰かが忘れたんだろう。

 そう思って、何も考えずに手を伸ばした。


指先が、それに触れた瞬間——

 教室の蛍光灯が、一斉に落ちた。

 真っ暗になった空間で、俺の手の中の人形だけが、ほんのりと赤く滲んでいた。

 そして、隣の席から声がした。

 誰もいないはずの、隣の席から。

「……返して」


俺は息を呑んだ。

 声は小さかった。囁くような、でも確かに聞こえた女の子の声。俺はゆっくりと、隣の席に目を向けた。


 誰も、いない。

 当たり前だ。さっきまで誰もいなかった。でも——机の表面に、何かが滲んでいた。水で濡らしたみたいな跡が、じわじわと広がっていて、その形が、どう見ても、手のひらに見えた。


 「誰だ!」


 声に出したら少し楽になると思った。ならなかった。自分の声が震えているのが分かって、余計に怖くなった。

 手の中の人形が、熱い。

 折り紙なのに、体温みたいな熱さがある。俺は反射的に手を開いた。床に落とそうとした。


 落ちなかった。

 人形は、俺の手のひらに貼り付いていた。剥がそうとしても、指が人形に吸い付いて離れない。赤い色が、手首の方へじわじわと這い上がってくる。


 「やばい、やばいやばいやばい——」

 独り言が止まらなかった。バケツを蹴り飛ばして立ち上がる。逃げようとした。

 足が、動かなかった。

 膝から下の感覚がない。まるで床に根が生えたみたいに、俺はその場に縫い付けられていた。


 蛍光灯がひとつ、またひとつと戻ってきた。でも光は弱くて、教室の隅に濃い影を作るだけだった。


 その影の中に、それはいた。

 女の子だった。たぶん、俺と同い年くらい。セーラー服を着ていて、うつむいているから顔は見えない。長い黒髪が顔を覆っていて、ただ、肩だけが小刻みに震えていた。

 泣いているのか。

 一瞬そう思った。次の瞬間、女の子がゆっくりと顔を上げた。


 俺は声も出なかった。

 顔があるべき場所に、目だけがあった。鼻も口もなく、ただ真っ黒な目が二つ、まっすぐに俺を見ていた。

「返して、って言ったのに」

 口がないのに、声が聞こえた。頭の中に直接響くような声で。

「触ったら、もう離せないよ」

 赤い色が、俺の肘まで達していた

どのくらいそうしていたか分からない。


気づいたら俺は教室の床に座り込んでいた。足の感覚は戻っていた。手のひらを見ると、赤い色は消えていて、人形も消えていた。蛍光灯は全部ついていて、窓の外はまだ明るかった。


 夢だったのか。

 そう思いたかった。でも右手の甲に、小さな赤い痣が残っていた。折り紙を折ったような、鶴の形をした痣が。


 翌朝、俺は学校に着くなり担任の田村先生に呼び止められた。

「桐島、昨日の掃除だけどな」

 怒られると思った。


「あの席、拭いたか?一番後ろの窓際」

「拭きました」

 先生は少し黙った。それから、妙に低い声で言った。

「そうか。……何か、触ったりしてないか」

 俺は一瞬固まった。

「触ってないです」

 嘘をついた。先生はじっと俺を見てから、「そうか」とだけ言って職員室に戻っていった。その背中を見ながら、俺は思った。

 先生は知っている。


 一時間目が始まっても、俺は授業が頭に入らなかった。右手の痣がじくじくと熱を持っていた。

 隣の席を、ちらりと見た。

 空席だ。今日も誰もいない。でも机の表面をよく見ると、うっすらと文字が彫られているのに気づいた。小さくて読みにくいけど、確かにそこにある。

 授業中をいいことに、俺はそっと身を乗り出して読んだ。


──触れた者は三日で忘れる。忘れたとき、連れて行かれる──

 「桐島」

 先生に名前を呼ばれて、俺は飛び上がりそうになった。

「どこ見てるんだ、黒板を見ろ」

「す、すみません」

 前を向いた。黒板には今日の日付が書いてあった。


 六月二十七日、月曜日。

 三日後は、六月三十日だ。

 放課後、俺は図書室に向かった。呪いのことを調べようと思ったわけじゃない。ただ、一人で家に帰る気になれなかった。

 図書室には一人だけ先客がいた。窓際の席で分厚い本を読んでいる女子。


同じクラスの朝倉詩音だ。成績優秀で、あまり人と話さない。俺とは今まで一度も会話したことがなかった。

 適当な席に座って、スマホで「折り紙 人形 呪い 学校」と検索した。ろくな情報は出てこなかった。


 「それ、自分で調べても無駄だよ」

 急に声をかけられて、俺は画面を伏せた。朝倉が本から目を離さずに言った。

「桐島くん、右手」

 俺は自分の右手を見た。シャツの袖から、鶴の形の痣がはみ出していた。

 朝倉がようやく本を閉じて、こちらを向いた。その目は静かで、怖いくらい落ち着いていた。


「その痣、私も去年持ってた」

 「去年?」

 俺は思わず立ち上がりそうになった。声が大きくなって、司書の先生に睨まれた。もう一度、今度は小声で繰り返した。

「去年、その痣があったって……どういうことだ」


 朝倉は周りをさっと確認してから、俺に向かって顎をしゃくった。こっちに来い、ということらしい。

 俺は鞄を持って朝倉の席の向かいに座った。朝倉は閉じた本を脇に寄せて、机の上で手を組んだ。


「あの席に座ってた子、知ってる?」

「知らない。俺、今年転校してきたから」

「そう」朝倉は少し考えてから続けた。「一年前に、いなくなったの。橘さんっていう女の子。ある日突然、登校しなくなって、そのまま」

「いなくなった? 家出とか——」

「違う」

 朝倉の声は静かだったけど、有無を言わせない響きがあった。


「連れて行かれたの。あの人形に」

 朝倉が語ったのは、こういうことだった。

 二年前、誰かがあの席の引き出しに赤い折り紙の人形を入れた。誰が、なぜ入れたのかは分からない。ただ、触れた者には痣が現れて、三日以内に呪いを解かなければ記憶を失う。記憶を失った瞬間、連れて行かれる。

「橘さんは三日目の朝、教室で突然ぼーっとして、それで——消えた。先生も生徒も全員見てたのに、誰も止められなかった」


「消えたって、どこに!?」

「分からない。警察も動いたけど、手がかりゼロ。しばらくして、みんなあの席のことを話さなくなった。先生たちも。まるで最初からなかったみたいに」

 俺は右手の痣を見た。鶴の形が、さっきより少しだけ濃くなっている気がした。

「お前は、どうやって助かったんだ」

 朝倉は少し間を置いた。


「私は触れたんじゃなくて、触れようとした橘さんを止めようとして、かすっただけだから。痣は薄かった。それでも二日間、ずっと怖かった」

「解き方を知ってるのか」

「知らない」

 俺は頭を抱えたくなった。


「でも」と朝倉が続けた。「調べた。一年間ずっと。いつかまた誰かが触れると思ってたから」

 朝倉は鞄から一冊のノートを取り出した。表紙に『記録』とだけ書いてある、くたびれたノートだ。


「この学校、明治時代に一度火事で全焼してる。その火事で死んだ生徒が三人いて、全員この教室があった場所で見つかった。全員、手に火傷の痕があったって記録が残ってる」

 ノートを開くと、古い新聞記事のコピーや、手書きのメモがびっしり貼られていた。

「人形の呪いはたぶん、その火事より前からある。もっと古い、この土地そのものに根付いた何かだと思う」

「思う、って……」

「確信はない。でも一つだけ分かってることがある」


 朝倉は俺の目をまっすぐに見た。

「あの人形は、返してほしいものがあるの。奪われた何かを。それを返せば、呪いは解ける」


 俺は昨夜の声を思い出した。

──返して──

「何を返せばいいんだ」

「それを、三日以内に見つけなきゃいけない」

 図書室の窓の外が、橙色に染まり始めていた。

今日が終わる。残り、二日だ。




 その夜、俺は眠れなかった。

 布団の中で天井を見つめながら、朝倉のノートの内容を頭の中で繰り返した。明治の火事。三人の生徒。奪われた何か。

 午前二時を過ぎた頃、右手の痣が疼いた。

 熱い、というより、引っ張られるような感覚だった。何かに呼ばれているみたいな。俺は起き上がって、手のひらを見た。暗い部屋の中で、鶴の痣がうっすらと赤く光っていた。


 窓の外を見た。

 道路を挟んだ向かいのマンション。その屋上に、人影があった。

 セーラー服の、女の子。

 俺は息を止めた。距離があって顔は見えない。でも長い黒髪が風に揺れていて、こちらをじっと見ていた。

 一分くらい、お互いに動かなかった。

 女の子がゆっくりと手を上げた。何かを指差すように。俺は視線を追った。

 学校の方角だった。

 次に目を戻したとき、屋上には誰もいなかった。


 翌朝、俺は始業前に朝倉に連絡した。昨夜見たものを伝えると、朝倉は五秒ほど黙ってから言った。

「今すぐ学校来て。一人で教室入らないで」

 俺たちは昇降口で合流して、誰もいない時間の校舎に入った。朝倉は昨日のノートに加えて、もう一冊薄いファイルを持っていた。

「昨日の夜、市立図書館のデータベースで調べた。明治の火事の記事、もう少し詳しいのが見つかった」

 ファイルを開くと、古い記事のプリントアウトが入っていた。


 朝倉が該当箇所を指で示した。

──火災は深夜に発生。逃げ遅れた生徒三名の遺体が翌朝発見された。奇妙なことに、三名の遺体はいずれも同じ教室跡で発見され、手には赤く染まった紙片が握られていた。紙片は調査されたが、何が書かれていたのか判読できなかった──


「赤い紙」と俺は言った。

「折り紙と同じ色」と朝倉が言った。

 俺たちは顔を見合わせた。


 教室に入ると、問題の席はいつも通り空っぽだった。俺は引き出しを開けた。当然、人形はない。消えたままだ。

 でも机の天板の裏側に、何かが貼ってあった。


 朝倉が屈んで見た。

「……紙だ。古い紙」

 丁寧に剥がすと、薄くて黄ばんだ和紙が出てきた。文字が書いてある。墨で、細い筆跡で。


 朝倉がゆっくりと読み上げた。

「奉納、鶴一羽。願いを込めて折りたる鶴、社に返すまで魂ここに留まる。持ち去りし者は三日のうちに——」

 そこで文字が途切れていた。残りは染みで潰れて読めない。


「奉納」と俺は繰り返した。「神社に、鶴を納める予定だったってことか」

「たぶん。折り紙の鶴じゃなくて、本物の願掛けの鶴。それが持ち去られたまま、ずっと戻っていない」

「誰が持ち去ったんだ」

「分からない。でも」朝倉は立ち上がって、窓の外を見た。「この学校の近くに、古い神社がある。知ってる?」


 知らなかった。転校してまだ三ヶ月だ。

「瀬戸神社。廃社になってて、今は誰も管理してない。学校の裏山を十分くらい登ったところ」

「そこに返せばいいのか」

「たぶん。でも問題がある」


 朝倉は俺の右手を見た。痣は昨日より明らかに濃くなっている。鶴の輪郭がくっきりして、羽の細部まで見えるようになっていた。

「返すべき鶴が、どこにあるか分からない。あの人形が鶴そのものなのか、それとも別に本物があるのか」

 俺は考えた。昨夜の女の子の姿を思い出した。屋上で、学校の方角を指差していた。


「学校の中にある」

「根拠は?」

「あいつが指差してた。外じゃなくて、この建物の中を」

 朝倉はしばらく俺を見てから、ノートを開いた。


「明治に火事で焼ける前、この場所には何があったか調べた。元々は寺子屋だった。その前は——」

 朝倉の指がページの上で止まった。

「神社の、末社だった」


 俺たちは同時に顔を上げた。

「この学校自体が、元々神社の敷地だったってことか」

「そう。つまり」

 朝倉がゆっくりと言った。

「鶴は、ここから出ていないかもしれない。ずっとこの建物の中に、隠されたまま」

 昼休みまでの時間が、砂時計みたいに落ちていく。


今日が終われば、残り一日だ。




鶴を探すのに、俺たちは昼休みを全部使った。

 手分けして、使われていない準備室、資料室、体育倉庫の隅まで調べた。でも何も見つからなかった。授業が始まって、俺は席に着きながら右手の痣を見た。

 鶴の形が、羽ばたこうとしているみたいに見えた。


 気のせいじゃないと思った。

 放課後、朝倉が職員室から戻ってきた。顔色が少し違った。

「田村先生に聞いた」

「何を」

「この校舎、改築前の図面が残ってるか。先生、なんで聞くんだって顔してたけど、教えてくれた」


 朝倉が手に持っていたのは、A3サイズにコピーされた古い図面だった。現在の校舎と見比べると、明らかに違う部屋がある。

「ここ」と朝倉が指差した。「今は壁になってるけど、改築前は小さな部屋があった。用途は——」

 図面の隅に、小さな文字で書いてあった。

奉納品保管室

 俺たちは顔を見合わせた。


 該当する場所は、二年三組の教室のすぐ隣だった。今は完全に壁で塞がれていて、外からは部屋があったとは分からない。

「壁を壊すわけにはいかない」と俺は言った。


「壊さなくていい」朝倉は壁をノックしながら歩いた。音が、途中で変わった。「ここ、空洞になってる」

 壁の一部が、古い板張りで塞がれているだけだった。ペンキを何度も重ね塗りされて、継ぎ目が分からなくなっていた。

 朝倉がスマホのライトで照らすと、かろうじて輪郭が見えた。


「開けられるか」

「やってみる」


俺は端に指をかけた。古い板は最初びくともしなかったけど、力を込めると少しずつ動いた。埃と黴の臭いが漏れてきた。板が外れた瞬間、暗い空間が口を開けた。

朝倉がライトを向けた。


狭い空間だった。人が一人入れるかどうか。壁際に古い木箱がひとつ、置かれていた。

 俺は身を屈めて中に入った。木箱の蓋を開けると、中には布に包まれた何かがあった。丁寧に広げると——

 鶴だった。

 折り紙じゃない。和紙を何枚も重ねて、丁寧に折られた大きな鶴。百年以上経っているのに、色は鮮やかな赤いままだった。

 触れた瞬間、右手の痣が激しく疼いた。

 廊下の電気が落ちた。

 暗闇の中で、気配がした。

 振り向かなくても分かった。いる。すぐ後ろに。


 俺はゆっくりと立ち上がって、鶴を両手で持ったまま振り向いた。

 女の子が立っていた。


 昨日より近かった。二メートルも離れていない。口も鼻もない顔で、まっすぐに俺を見ていた。でも今日は違うものがあった。

 目が、濡れていた。


 涙を流せる口も鼻もないのに、真っ黒な目の端から、水みたいなものが伝っていた。

「これを探してたのか」

 俺は鶴を差し出した。

 女の子は動かなかった。

「瀬戸神社に返せばいいんだろう。一緒に行く」


 その瞬間、廊下の向こうから足音が聞こえた。田村先生だった。角を曲がってきた先生は、俺たちを見て立ち止まった。

 女の子を見て、先生の顔から血の気が引いた。


「桐島、その鶴を——」

「知ってたんですね」

 先生は答えなかった。

「改築のとき、誰かがここに封じた。外に出したら危ないから。でもそれじゃ解決しない。ずっとここで待ち続けてる」

 先生がゆっくりと目を閉じた。

「……私が封じた。十五年前、同じことが起きたとき。それが間違いだったのか」

「返してあげなきゃいけなかった」

 先生は長い沈黙のあと、静かに言った。

「……案内する。裏山への道」


 夕暮れの裏山は、思ったより深かった。

 田村先生が先頭で、俺が鶴を持って、朝倉が後ろに続いた。女の子は俺のすぐ隣を歩いていた。先生には見えていないみたいだった。朝倉には薄っすら見えているようで、時々そちらをちらりと見ていた。


 十分ほど登ると、瀬戸神社が現れた。

 鳥居は苔むして、社は半分朽ちていた。でも石造りの台座だけは、しっかりと残っていた。台座の上には、鶴を置くような形の窪みがあった。

 俺は台座の前に立った。

 鶴を置こうとして、止まった。

 女の子が俺の隣に並んでいた。さっきより輪郭がはっきりしている。


よく見ると、セーラー服の胸元に名前が刺繍してあった。

橘 芽衣

橘さん、一年前にいなくなった、あの席の子。

「お前、ずっとここにいたのか」

 返事はなかった。でも肩の震えが、止まっていた。

 俺は鶴を、台座の窪みにそっと置いた。

 その瞬間、風が吹いた。

 山全体が息を吸ったみたいな、大きな風だった。鳥居の苔が揺れて、朽ちた社の扉が軋んだ。

 右手の痣が、熱くなった。燃えるように熱くなって——すっと、消えた。


 跡形もなく。

 朝倉が小さく息を呑む声がした。

 俺は隣を見た。

 橘芽衣は、笑っていた。

 口がなかったはずなのに、笑っていた。


目が細くなって、温かい光を帯びていた。ありがとう、と言っているみたいだった。声は聞こえなかったけど、確かにそう言っていた。


彼女の輪郭が、ゆっくりとほどけていった。

 夕日の中に、溶けるように。

 最後に赤い光がひとつ瞬いて——消えた。

 山が、静かになった。

 蝉の声だけが、遠くから聞こえていた。

 帰り道、三人は誰も喋らなかった。

 校舎に戻る手前で、田村先生が立ち止まった。

「……橘のこと、覚えていてやってくれ」

 それだけ言って、先生は職員室に戻っていった。


俺と朝倉は昇降口の前に並んで立った。

「終わったな」と俺は言った。

「終わった」と朝倉は言った。

 少し間があって、朝倉が口を開いた。

「来年も、誰かが触れるかもしれない」

「神社に返したから、もう人形は出ないんじゃないか」

「そうだといいけど」

 朝倉はノートを胸に抱えたまま、空を見上げた。夕焼けが濃くて、雲の端が赤く燃えていた。


「私、また調べ続けると思う。この学校のこと」

「なんで」

「橘さんみたいな子を、もう出したくないから」

 俺は少し考えた。

「俺も手伝う」

 朝倉が俺を見た。少し驚いたような顔だった。

「転校生なのに」

「関係ないだろ」

 朝倉はまた空を見た。それから、ほんの少しだけ笑った。

「……よろしく」

 七月が始まる前日の夕暮れに、俺たちの奇妙な関係は始まった。

 そして翌朝、誰かが教室の引き出しを開けるまで、あの席は静かに空っぽのままだった。

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