最終話 転落
ヒース暦1016年。
ついにこの日が訪れた。今日、私はヒロインになる。
大教会の広場にて。
私は純白の花嫁衣裳を身に纏い、同じく花婿衣装を纏うフレッドと見つめ合っている。
これは特別な儀式。邪神を倒した勇者と聖女の結婚式。
私とフレッドの婚約は多くの人に知られていたため、邪神討伐が終わった後、私たちのために盛大な式典が執り行われることになった。
ようやく望みが叶う。
誓いの口付けを交わせば、私たちは正式な夫婦になる。
それは、私がヒロインになるという、最大の望みの達成。
フレッドは緊張しているようだけど、こんなにも大勢の人に見られているから仕方ないよね。
ゆっくりと、フレッドの顔が近づいてくる。
あと少しという時、リアの叫び声が響いた。
「やめて!」
いったい何?
勇者と聖女の結婚式という重要な式典だから、王女であるリアも参列していた。
もはや完全に警戒心は解けていたけど、今更何か起こるというの?
リアは悲痛な表情で涙を流し、フレッドを真っ直ぐ見つめて呼びかけた。
「私のお腹の中には……あなたの子供がいるの……」
一瞬の静寂の後に騒然となる。
リアの泣き声、誰かの怒声、激しい興奮を帯びた金切り声……修羅場とはこのことだろう。
私は唖然としながらフレッドの顔を見る。
フレッドはまるで、決意を固めたような表情を浮かべていた。
私を見ることもなく、フレッドはリアのもとへ向かう。
周囲の注目を集める中、フレッドは大きな声ではっきりと言った。
「結婚しよう! 僕が本当に結婚したい相手は君なんだ!」
私にはフレッドの後姿しか見えず、その表情は窺えない。
けれどその声から彼の本気が確かに伝わる。
フレッドはリアを選んだのだと理解して、泣き崩れてしまった。
悲嘆と敗北感で心が押しつぶされそうになる。
――これが運命なの?
『運命とは、避けることの出来ない都合が悪いもの』
『努力や知恵では避けることができない受難』
フレッドとリアの子供が二作目の主人公。
この二人が結ばれることこそが最適の結末だと知っていた。
だけど私はヒロインになりたかった。この世界で特別な存在に。
――いったい何が悪かったの?
転生をして、この世界がゲームに似ていることに気が付いて、ヒロインになろうと決めて、ロールプレイし続けて……
私が『まがいもの』なのがいけなかったの?
私は結局、真のヒロインになることは出来なかった。
苦しくて、悲しくて、惨めで、落ちぶれたのだと実感する。
複数の声が私を呼んでいるけれど、顔を上げる気になれない。
けれど、明らかに周囲の空気が変わり、ハッキリと私の名を呼ばれたことで顔を上げる。
「ソフィー」
「アガレス?」
この場には似つかわしくない、漆黒の魔人が私を見下ろしていた。
そっか。アガレスを倒すことは結局できていなかったのか。
だけど、最低でもあと7年は潜伏するはずのアガレスがどうして、堂々と姿を見せるの?
アガレスは膝を着き、私に手を差し伸べる。
「我が最愛よ。この手を取り、妻となれ。共に邪神のもとで生きよう」
プロポーズをされたのだと理解した。
「……アハッ! アハハハハッ!」
邪神の僕から! 四天王最強の魔人から! 世界の敵から!
『最愛』だって! 『妻となれ』だって! 『邪神のもとで生きよう』だって!
可笑しくてたまらない!
それも良いかもしれない。
この世界を目茶苦茶に出来るのなら、私の心は癒されるのかもしれない。
――だけど。
『聖女』と呼ばれた喜びが胸をよぎった。
私はとある聖術を組み上げる。
この術は完成まで少し時間がかかる。
アガレスが現れたとき以上の、異様でおぞましい空気が私を中心に広がっていくのが分かる。
私の側にいた人々はいっせいに引き、アガレス以外いなくなる。
アガレスは立ち上がり、警戒の視線を向けている。
こいつもさっさとドケばいいのに。
「ソフィー!」
ピーターが叫ぶ。
「地獄への道を開く気か!」
大正解! さすがは大神官長!
かつて、地獄へ落ちた母を救おうとした男が編み出した禁断聖術。
結局、その男は怖気づいて地獄へ入ることが出来なかったけど、私は違う。
「やめるんだ、ソフィー!」
「イヤ!」
「だってこのままじゃ、私はアガレスの手を取っちゃうから!」
「アガレスと結婚して、邪神の僕になっちゃう!」
「フレッドとリアが憎い! この世界が憎い! 神が憎い!」
「だけどイヤ!」
「世界の敵になるのはイヤ!」
「このままじゃ発狂しそう! いつまで『私』が保つのか分からない!」
「神を憎んだまま死ねば地獄行きでしょ! 神に落とされるのもイヤ!」
そう。私を地獄に落とすのは……
フレッドでも、リアでも、神でもない。
「私は私が地獄に落す!」
地面に丸い穴が開く。これが地獄への入口。
私は一歩、踏み込んだ。
入り口からは急斜面になっていて、私は転がり落ちて行く。
いっそのこと垂直だったら良かったのに。身体が痛い。
痛くて。辛くて。痛くて。惨めで。痛くて。悲しくて。
だけど、誰かが私の身体を抱きしめたから、負担がいくらか軽減される。
――どうして、アガレスがここにいるの?
「お前は清いだけの女ではなかったのだな」
「余計、お前にそそられた」
「お前とならば、地獄で永劫に過ごすのもいいだろう」
何、それ?
あの術は、地獄の入り口が開いた瞬間、直ぐに閉じるものなのに。
躊躇うことなく追いかけてきたの? そんなに私のことが好きなの?
「地獄の底へ到着したら、改めて口説こう」
「我が最愛の女、ソフィーよ」
そんなことを言われたら、アガレスがすごく良い男のように思えてしまう。
……嗚呼。恋に落ちてしまいそう。




