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学校から三百メートルくらい歩いたところに、旧校舎がある。木造で、見るからに空き家みたいでぼろい。でもなぜか壊さない。前に疑問に思って教師に聞いたことがあったが、「いろいろうるさい人がいるんだよ」と言うだけで、詳細は教えてくれなかった。でも、大体察することができるよね。枯れた花とか。萎れた花とか。OGとか。OGとか。OGとか。ごめんガールなんてとても呼べない。
半年ぐらい前に、この校舎に幽霊がいるという噂が立った。女の鳴き声が聞こえるだとか、夜中にたまたま通りかかったら中から音が聞こえるだとか、噂は様々なものが広まった。そのせいで、肝試しに旧校舎を使う生徒が増えた。別にその程度のことほっとけばいいのに、偉大な旧校舎を弄ばれたと知った教員たちは、「旧校舎には立ち入らないように。監視カメラもついているから、入ったらばれるからな」と生徒に伝える対応策をとった。
それでも、響かない愚か者は旧校舎に行く。実際に監視カメラは本当にあるらしく、生徒指導の教員に怒られている生徒を通目で見ることが多々あった。脅しじゃなくて本当に監視カメラがあったことには驚いたが、そこまでして旧校舎に行くのもどうなんだと思い、俺なら絶対に行かないのにな、と思っていた。別に宝が埋まっている訳でもあるまいし。
でも、今そこに行こうとしている。
きっかけは三か月前。放課後に生徒会の集まりがあったときのことだった。
俺たちの委員会の担当は家庭科の真弓先生なんだけど、三年も同じ委員会に入っているとおのずと仲が良くなるんだよね。先生なのに。年もそれなりに若くて三十六歳。まあ、三十代になると熟女の部類だが、それは置いておこう。
何か相談に行くときはいつも家庭科の準備室に行った。そのたびに隣人の人妻を想像させるような立ち話だったり、時には座りながら茶菓子を出してくれたりと、わりと高校生らしい一時を過ごした。三人だけっていうのがいい味を出していて、これが五、六人だったとなると話は変わる。
生徒会が終わって、生徒は部活へと移動し、なんとなく俺と安広と真弓先生が残る。
「この間の旧校舎の事件ってアホですよね」と俺。
「ああ。先生たちがわざわざ忠告しているのに、それを無視して行って、結局指導されるってバカの思考だな」と安広。
「そうよねー。入っちゃいけないって言うと入りたくなるものなのかもしれないね。先生は入りたくなるなー」
「え、じゃあ僕も連れてってくださいよ」
「それはだめよ。私は止める側の立場なんだから。これで免職にでもなったらもっと困るし。家庭だってあるんだから」
安広は「すいません」と謝りながらも、反省しているようには見えない。むしろ、真弓先生と会話できて鼻の下が伸びているように見える。
「でも、監視カメラって高いらしいのよ。値段までは調べてないからわからないけど、学校に取り付けるようなのは結構高くて、何個も買えなかったらしいわよ」
「へえー。そうなんですね」
やっぱり懲りていない。鼻の下が伸びている。
「確か、玄関の前だけだったかなあ」
「『えっ』」
俺と安広は同時に驚く。そして声がそろったのにも顔を見合わせるほど驚いた。
「え、私なんか変なこと言った?」
先生は、俺たち二人を小悪魔みたいな目で見つめてくる。いや、さすがにこれは照れる。水商売でもしていたんじゃないかってほどのテクニック。
ちなみに水商売って、水を入れているだけで金がもらえるから水商売って言うらしいよ(諸説あり)。
まあそれはどうでもいいとして、俺は理性に勝つことができたけど、もう一人の彼は、完全に虜になってしまったようだ。
「何も変なことなんて、言って……」
「玄関の前にあるって教えちゃってますよ、僕らに」
すぐに止めようとしたが、時、既に遅し。先生は完全に自分の失言に気づいてしまった様だった。だって、さっきまで小悪魔みたいなエロい顔していたのに、今は真っ青だもん。まさに茫然。
俺は小さい声で安広に話す。
「先生がさっき免職になったら怖いって話してたの聞いてなかったのかよ。そんなこと知っちゃったら、先生みたいな人は精神崩壊しちゃうよ。ほら」
そう言って、先生の方へ目配せする。
「あ、あぁ……」
お前まで某弱になってどうすんだって言ってやりたくなったけど、そこは堪えようと思ったが、そう思ったときには口に出てたよね。
「お前まで某弱になってどうすんだどアホ!」
どアホがついた。
「だってしょうがないだろ。あんな目で先生に見つめられたら、誰だって素直になっちゃうよ。僕の息子まで素直になっちゃいそうだったし」
お前の息子の話は今する話じゃないと冷静に受け止めつつ、先生をフォローする方法を考える。
「まあ、少ないっておっしゃいましたけど、監視カメラが一つだなんて言ってませんから大丈夫ですよ。二つとか三つだって少ないって言いますし」
「あ! よかったー。そうだよね! 一つの場所はばれたかもしれないけど、もう一つの場所はばれてないから大丈夫だよね。よかった、よかった」
「『あっ』」
今度は、驚く前に目が合った。一瞬で今安広が思ったことを悟る。俺は安広に、「今思ったことを絶対に口に出すなよ」と目で訴える。安広は、口がもごもごしているが必死に耐えようとしている。
大丈夫だ。そのままだ。
そのまま。
そのまま……。
「それ、二つって、んごっ」
さっきのことを反省して、声に出した途端に口をふさげるようにタイミングを計っていた。そのおかげで成功した。一瞬でも安広を信じた俺を呪いたい。
「二つって、何?」
先生がまた小悪魔みたいな目で見つめてくるので、安広が暴れだすが、それを必死に抑え込む。
「この間、こいつと釣りに行ったんですよ。そしたらこいつのルアーにペットボトルの蓋が刺さりまして。その話をしたかったんだと思います。蓋釣ったって。はい」
「魚じゃなくて、ゴミがつれちゃったんだねー。残念」
苦し紛れの咄嗟の虚言。先生が釣りに関して無知で助かった。ルアーにペットボトルの蓋が刺さるなんて普通に考えたらまずあり得ないし、普通気がつきそうなものだが、やっぱりどこか抜けているのかな。それとも、あざといのか。
まだ、自分を抑制できていない男を押さえつけながら、「じゃあ、今日はもう失礼します。また次の生徒会のときにでも」と言って、無理やり教室を出る。そのときに先生が「バイバーイ」なんて言うもんだから、また暴れだす。
もういい加減にしてくれよ。なんで俺がここまでしなくちゃいけないんだ。別に先生がどうなろうと知らねえよ。
とまあ、こんなことがあった。旧校舎の監視カメラは二つ。一つは玄関。その情報を手に入れていたので、俺は今、慣れた足取りで旧校舎に向かっている。でもそれだけでは、情報が少ない。もう一つの監視カメラがどこにあるのかわからなければ見つかってしまう。だから、すでに俺はもう一つの情報を手に入れていた。
扉に手の甲を三回当てる。
「失礼しまーす。明日の体育の授業について聞きに来ましたー。あれ、うちの担当の先生いないみたいですね」
「そうね。今ちょっと出ているのかも」
デスクに座って作業したままの状態で、体育の女教師が答える。
「じゃあ机ってどこか教えてもらえます?」
「何組?」
「三の二です」
「そこよー」
視線は自分のデスクのまま、俺から見て右奥のデスクを指さす。そのデスクの前に行き、事前に用意しておいた手紙を置いた。
「ここに要件書いた手紙置いとくんで、もし会ったら伝えといてもらえますか?」
「はーい。ご苦労様ー」
「失礼しましたー」
扉を閉めて、ふうっと息を吐く。
説明すると、俺のクラスの体育教師は、幸運にも生徒指導担当だった。監視カメラの映像がこの教師のデスクから見られるということは、噂で知っていた。でもそれが本当なのかもわからないし、デスクがどこにあるのかもわからない。だから今みたいに、体育の授業を聞くと装って見に行った。
体育の教師があまり部屋にいないことは知っていた。案の定、部屋にいたのは一人の女教員のみだった。
もし仮に部屋に生徒指導の教師本人がいたとしても、座っている場所を見ればデスクがわかるし、近づけるのだからなおさら映像が見える。もし、自分のデスクではないところにいた場合は、また日を改めようと思っていた。そんなに焦ることでもやらなきゃいけないことでもないからね。一番恐れていたのは、デスクの上に監視カメラの映像がないこと。この事実が発覚してしまうともうどうすることもできなかったのだが、実際あったので助かった。正直見つけた瞬間は、心臓がバクバクする裏腹ほっとしていたって訳。
他にも把握できていない可能性は山ほどあるだろうが、まあとにかく上手くいった。監視カメラの映像は二つだけだったから、その画面をよく記憶した。歴史とかの暗記物は、文字を覚えるのではなく、画像として覚えていた。そのせいもあってか、今でもよく記憶に残っている。
それで、その映像がどこだったのか。一つは玄関。低い二段の階段と、ガラス張りのドア。行ったことのない俺でもわかるほど。そしてもう一つは、下駄箱に面した廊下だった。でも、ロッカーのようにも見えたので、詳細はわからない。とりあえず校舎内ということは確実だった。
てっきり外に設置してあるものだと思っていた俺は、がっかりした。だって中に入れないんだもん。外にあるなら、その監視カメラの死角から中に潜入できるが、中にもあるんだったら、入ったとたんに見つかる可能性がある。
じゃあなぜ、今俺が旧校舎に向かっているのか。結局、校舎裏で我慢したってこと。
よくよく思い返してみれば、不確定なことが多すぎた。真弓先生の言葉だって真実かわからないし、そもそも真弓先生だってよく知らないのではないか。デスクの上の映像以外にも、どこか別の場所にもう一つの映像があるのではないか。なんて余念がどんどん出てきてしまい、このまま旧校舎内に入るのは忍びなかった。
結果、俺の行動は水の泡と化した。
校舎裏で何をしているのかというと、煙草だ。俺には打って付けの場所だったからかな。絶対に誰も来ないとは言い切れないけど、ほぼほぼ来ないと言ってもいい。おまけに来るとしても、みんな校舎内に入ろうとするから、俺を見る可能性は限りなく少ない。
目の前には、五メートル近くある高い塀があって、道路には面していない。もうすでに百回以上は来ているが、物音すら聞こえない素晴らしい環境。誰だよ、夜中に声がするとか言った奴。夜中じゃないからわかんないんだけどね。
とにかく気に入ってしまった。行くときだけ注意すればばれない。最近は、道路に面していない草むらの方から入れる道を見つけたので、ほぼ、九十九パーセント見つからないと自信を持っていた。誰も来ないから自由だし、一人になるのが好きだったから本当にこの場所雰囲気が好きで、お気に入りの場所だった。
水の入ったバケツも用意していた。まさに完璧。小学生の頃に憧れた、秘密基地みたいだった




