10 - 7
「……美沙が、その《絵筆》を手に入れていたら、どうなってたろうな」
陽祐が言うと、女は小首をかしげ、
「夢の世界の結末を考えると、美沙さんのためには、そうじゃなくてよかったと思います」
「自分の望み通りに書き換えてから、罪悪感に襲われるってのか。俺たち、小心者の兄妹だな」
陽祐は苦笑いする。
「もう一つ、きいてもいいか?」
「なんでもどうぞ。答えられない質問には答えませんけど」
「身も蓋もねーな」
陽祐は笑い、
「その《絵筆》、うちの近所に出現したのか? 《アーティファクト》は、お互い引きつけ合うんだろ?」
「必ず近所に出現するわけじゃないですよ。一つの町が《アーティファクト》だらけになっちゃいますから」
女は、にっこりとして、
「でも、この《絵筆》に関して言えば、陽祐さんの考えている通りです」
「そっか……」
タクシーが一台、走って来て、駅舎の前で停まった。
釣り客らしい三人連れを降ろしているのを見て、女は立ち上がり、
「あれ、空車になりますね。私、乗って行っちゃいます」
「ああ。それじゃ……」
陽祐は手を上げ、苦笑いして、
「できれば、もう会いたくねーな。二度と《アーティファクト》に関わるのはゴメンだ」
「お元気で。美沙さんとのご旅行、楽しんでください」
女は笑みを返し、荷物を抱えて小走りにタクシーのほうへ駆けて行く。
無事に乗り込んで、タクシーは走り出した。
ペットボトルのお茶を両手に、美沙が戻って来た。
「いまの人、誰?」
「このへんに別荘持ってるんだと。バスがまだ時間があるって教えたら、タクシーで行くとさ」
「別荘持ってるくらいなら、車で来ればいいのに」
「学生っぽかったぞ」
「そっか」
美沙はベンチに腰を下ろし、陽祐はその隣に座った。
「はい。お金はあとでいいから」
お茶を差し出されて、
「どうも」
陽祐はそれを受けとり、キャップを開けて、一口飲む。
「……陽祐」
「ん?」
振り向こうとした陽祐に、
「待って、そのまま」
美沙は、陽祐の横顔に顔を近づけると、
──ちゅっ。
その頬に、キスをした。
「……おいっ!」
眼をむいた陽祐に、美沙は「えへへ」と笑って、
「ほっぺたなら許されるでしょ? 陽祐も、美沙のほっぺにしてもいいよ?」
「しねーよ」
「しないの? つまんない。してくれないと、今度は寝てる間に唇にしちゃうよ」
「寝てる間なら、夢みてーなもんだ」
「もうっ、陽祐ってば」
美沙はふくれ面をしてみせたけど、すぐに、くすくす笑い出した。
陽祐の腕に抱きついて、
「……美沙、ね」
「ん?」
「お兄ちゃんの妹に生まれて、よかったよ」
「そっか」
「子供の頃からの許婚として生まれていたら、もっとよかったけど」
「なに言ってんだ……」
陽祐は苦笑いして、美沙の髪を、くしゃっと撫でた。
美沙は、くすくす笑っている。
──大丈夫だ、俺たちは。
二人で夢の世界から、ちゃんと帰って来たんだから──
美沙が陽祐の手を握った。
陽祐は、ほんの少し力を入れてその手を握り返し、空を見上げた。
八月らしく入道雲が湧いた、青い空。
海で泳ぐのが待ち遠しかった。
【終】




