第1話:すべてを諦めた日、俺は自由になった
「ルーク。私、もう貴方には愛想が尽きたわ」
冷え切った宮廷の執務室。
三日間の徹夜明けでフラフラの俺に投げかけられたのは、労いの言葉ではなかった。
氷のように冷たい、婚約破棄の宣言だった。
「……アリア。急にどうしたんだ? 俺は今、王都の防衛結界の維持で手が離せなくて……」
「言い訳は聞きたくないの」
美しい金髪を揺らし、アリアは蔑むような目を俺に向けた。
「貴方みたいに地味で、いつも疲れた顔をしている男と一緒にいると、こっちまで息が詰まるのよ。少しは第一王子である殿下を見習ったらどうなの?」
彼女の視線の先には、豪奢な服を着た金髪の青年が立っていた。
第一王子、レオン殿下だ。
「そういうことだ、ルークよ。お前のような陰気な男は、美しく優秀なアリアには相応しくない」
「殿下……」
「それに、お前の結界魔法も最近は出力が落ちているそうだな? 安心しろ、これからの結界管理は、私とアリアの『新・宮廷魔術師団』で完璧にこなしてみせる。お前のような無能は、今日限りでクビだ」
勝ち誇ったように笑う殿下と、それに寄り添うアリア。
「…………」
二人の姿を見た瞬間。
俺の中で、ずっと張り詰めていた『何か』が、プツンと切れる音がした。
国のため。民のため。
そして何より、将来を誓い合ったアリアのため。
俺は十代の頃からずっと、自分の寿命を削ってまで魔力を絞り出し、この王都を守る見えない結界を一人で維持し続けてきた。
倒れることも、逃げることも許されなかった。
それなのに。
俺のこれまでの努力は、一瞬で無価値になったらしい。
――ああ、なんだ。
不思議なことに、怒りや悲しみは湧いてこなかった。
ただ、とてつもない『虚無感』と、それ以上の『安堵』が押し寄せてきたのだ。
「……そっか」
俺は、重たい宮廷魔術師のローブを脱ぎ捨てた。
床に落ちたそれは、これまでの俺の重圧そのものだった。
「わかった。じゃあ、俺はもう田舎に帰るよ」
「……え?」
アリアが呆けたような声を出す。
「今までありがとう、アリア。殿下も、これからの結界管理、頑張ってください」
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ! 泣きついてこないの!? 貴方、私がいなくなったら生きていけないって……!」
「いや、全然。むしろ肩の荷が下りた気分だ。じゃあ、元気で」
俺は背を向け、執務室のドアを開けた。
「ま、待て! 貴様、本当に悔しくないのか!?」
後ろから殿下の怒鳴り声が聞こえたが、俺はもう振り返らなかった。
もう、頑張らなくていいんだ。
誰かのために、自分を殺さなくていい。
誰かに認めてもらうために、必死になる必要もない。
王城の外に出ると、どこまでも青い空が広がっていた。
深呼吸をすると、冷たい風が心地よかった。
俺はもう、何も持っていない。
地位も、名誉も、婚約者も、仕事も。
でも、心だけは、羽が生えたように軽かった。
「……さて。誰も俺を知らない辺境に行って、のんびり畑でも耕すか」
こうして俺は、すべてを捨てて、辺境の田舎村に引きこもることにした。
……この時の俺は、まだ気づいていなかった。
過度なストレスとプレッシャーから解放されたことで、俺が長年無意識に抑え込んでいた魔力の制限が、完全に外れてしまったことに。
そして、俺という絶対的な防壁を失った王都が、最悪の絶望を味わうことになるということも。




